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ベルファスト
監督:ケネス・ブラナー 
 ケネス・ブラナーは、現代英国を代表するシェークスピア役者で、数々の舞台、映画に出演した他、2000年代に入ると自ら監督する映画も制作するようになる。私が観た作品では2016年の「ダンケルク」(別掲ご参照)、2018年の「オリエント急行殺人事件」、そして2021年の「テネット」等が知られている。

 そのブラナー監督の最新作が本件で、今年(2022年)の第94回アカデミー賞では、作品賞、監督賞等、計7部門にノミネートされ、脚本賞を受賞している。ネットの情報によると、ブラナーは北アイルランドのベルファスト生まれで、9歳の時に家族と共にイングランドのレディングに移住したという。その自身のベルファストでの少年期、移住に至るまでの経緯を基に描いた自伝的作品で、友人の薦めもあり、冷たい小雨が終日降ったり止んだりの日曜日、久々に映画館に足を運ぶことになった。

 9歳の少年バディは、両親及び年上の兄とベルファストに暮らしている(実際のブラナーには弟と妹がいるという)。近所には高齢の祖父と祖母も暮らしている。彼らはプロテスタントの家族で、バディも定期的に教会に通っている。また父親は、大工で、多くの時間はイングランドの現場で働き、二人の子供は、実質母親が一人で育てているが、バディは健やかに育ち、学校では成績が優秀なカトリック家族の少女に淡い想いを抱いている。

 1969年8月15日、そのベルファストで、強硬派プロテスタントによるカトリック教徒襲撃事件が発生する。父不在の中、母親は二人の少年の保護に努めるが、プロテスタント家族の彼らは被害は免れる。しかし、父は、強硬派の仲間からは、反カトリックの運動に参加するよう求められ、父親がそれを拒絶したことから、家族は微妙な立場に置かれることになる。そうした中、父はベルファストを離れ、オーストラリアやカナダ、あるいは現在の仕事があるイングランドに移住することを提案しているが、妻やバディは、ベルファストを離れたくない気持ちの方が強い。

 しかし改めて発生した強硬派プロテスタントの反カトリック攻撃に際して、父親が強硬派の妨害をしたことから、彼らの報復を受ける懸念が高まり、祖父が病死した後、祖母を残し、4人はイングランドに移住していくことになるのである。

 子供の眼を通して見た北アイルランド紛争の一断面を描いた作品であるが、それ以上に家族の強い絆を描いた作品である。時折言い争う父母や、父親とカトリック強硬派の諍い等を眺めながらも、明るさを失わないバディは、ややきれいに描き過ぎの感もあるが、それを演じた子役俳優(ジュード・ヒル)の演技は見事であった。もちろんその他大人の俳優たち(祖母役が、007シリーズの長官役で知られたジュディス・デンチであることは、その濃厚なメーキャップのため、この映画を薦めた友人から、観た後に指摘されるまで気が付かなかった)も堅実な演技でそれを支えている。そして全編に渡り挿入されるバン・モリソンの音楽(祖父の葬儀後のダンス・パーティでは、私が大好きだったラブ・アフェアの「エバーラスティング・ラブ」も使われている!)も、結局私が訪れることがなかったこの北アイルランドの慕情を盛り上げている。

 映画の冒頭に取り上げられている暴動の発生した1969年と言えば、私自身は15歳、中学3年から高校1年の頃出来事である。その後、北アイルランド紛争は激化の一途を辿り、1979年のIRAによるマウントバッテン暗殺や、私のロンドン滞在時、1983年のハロッズ爆破未遂(処理中に爆弾が爆発し、女性警官2名が死亡)等々、個人的にも身近に感じたものであったが、1998年4月、当時のブレア政権の主導で「ベルファスト合意」が結ばれ、取り合えず停戦が実現することになった。しかし、最近読んだ「EU離脱」(別掲)でも触れられているが、先般の英国のEU離脱に際して、アイルランドと北アイルランドの関税障壁を外した決定などにも、引続きこの地域に緊張が残されていることが示されている。

 しかし、この紛争が全ての映画ではなく、やはりブラナーは、自分が少年期を過ごした故郷とそこでの家族生活を残しておきたかったのだろう。その意味で、この作品は、彼の個人的なセンチメンタル・ジャーニーである。画像の多くが白黒で進む中、街の景観などの一部がカラーとなっているのも、彼のこの街への愛着を表現している。またバディが、家で眺めるテレビや、家族と訪れる映画館では、「メリー・ポピンズ」や「ティキティキ・バンバン」といった当時はやっていたミュージカル映画や「真昼の決闘」のような西部劇、あるいはビキニ姿のラクウェル・ウェルチが映ったり(「アマゾネス」か?)しており、これらが、後にシェークスピア役者・そして映画監督となるブレナーが少年期に強い印象を受けた作品であることを示唆している。彼よりも6歳ほど年上の私は、こうした映像を日本で同時代に体験した記憶はないが、それらが彼の映像の原点であったことは十分理解できる。

 この作品を薦めた友人は、「これは、我々世代の映画だ」と言った。確かに、それは私自身の同年代の時期を思い出させる。9歳頃と言えば、私は、中野の長屋から目黒区の官舎に移り、そこで幼稚園から小学校に行き始めた時期である。今や桜の名所となっている目黒川で遊んだり、それに沿って中目黒方面まで「冒険」した記憶が残っている。そうした自分の時代へのセンチメンタル・ジャーニーでもしてみようか、という気分にさせられた「われわれ世代の映画」であった。

鑑賞日:2022年4月3日