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ひまわり
監督:ビットリオ・デ・シーカ 
 ややミーハーではあるが、現在のロシアによるウクライナ侵攻で、そのひまわり畑の映像が話題となっているこの映画を観た。制作・公開は1970年ということで、半世紀以上経た作品であるが、このウクライナ情勢を受けて、収益の一部をウクライナ大使館に寄付することを目的に劇場公開もされているとのこと。当方は衝動的にレンタルショップで借りたが、そうした状況を考えると、レンタル店に残っていたのが幸運であった。監督はビットリオ・デ・シーカ、主演がソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニで、音楽をヘンリー・マンシーニが担当している。1970年というと私自身は高校生時代。映画名と音楽は当時結構話題となっていたことは憶えているが、映画自体は観たことはなかったと思う。戦争が引き裂いた男女のラブロマンスというテーマが、その頃の私にとっては、あまりに通俗的に思えたのが、その理由であろう。そしてその気分は現在もあまり変わらないが、やはり主要な舞台がウクライナというのは見逃せない理由である。

 映画自体は、さすがに古さは否めないが、冒頭タイトルバックにいきなりその広大なひまわり畑が映される。ネット解説によると、これはキーフ(キエフ)から南へ500キロほどいったヘルソンという場所で撮影されたとのこと。キーフの南ということであれば、まだ現在の戦争被害は出ていない地域であるが、第二次大戦では、ここがドイツ・イタリア枢軸連合軍とロシア軍の激戦があったとされており、後ほど、そのひまわり畑の下に、多くの兵士に加え、無数のロシアの農民、老人、女、子供も埋まっている、というセリフを聞かされることになる。

 そして映画は、戦地に赴く前のアント(M.マストロヤンニ)とジョバンナ(S・ローレン)の恋愛と結婚と、終戦後行方不明となったアントを探すジョバンナの動きが交錯しながら展開することになる。恋人関係では、S.ローレンが、若い頃から結構年増的な感じがするので、あまり若者の恋愛という感じはない。またアントがいきなり刃物でジョバンナを追いかけ精神病院に入れられる場面が挿入され、「何だこれは?」と理解不能になるが、後ほど、精神障害を装って徴兵を逃れようとしたという理由でロシア戦線に送られることで、そういうことだったのかと納得することになる。後者のジョバンナによるアントの捜索では、帰還兵の中にアントと同じ部隊で戦った男がいて、彼の「ドン河での闘い」という情報を頼りに、モスクワ経由、ひまわり畑のあるその地域に赴き、そこでの人づてで、小さな町で暮らしているアントと再会するのであるが、あの広大な旧ソ連領で、写真だけを頼りに男を探し当てる、というのは余りに現実離れしているという想いを禁じ得ない。しかもそれは冷戦最中の旧ソ連で、都市への旅行さえも多くの制約があったことを考えると、女が一人でその国の田舎町を訪ね歩くというのは相当無理がある(ただ、この作品は、当時初めて旧ソ連領で撮影を行った西側映画ということであった。赤の広場やグム百貨店などが映されている)。雪の降りしきる極寒の地での戦闘場面は、当時としてはそれなりに凝ったものであるが、雪の中で半死で倒れている敵軍兵を、若いロシア女性が助け出し、そしてその後結婚するというのも、あまりに作り物という感じである(この娘は結構可愛い、青い眼が印象的な女優が演じているが、彼女はむしろ美少女風で、S.ローレンとはあまりに差があり、M.マストロヤンニが結婚するという感じではない)。そして、再会後いったんミラノに戻ったジョバンナを追いかけるアントと、その際の二人の愛憎と最後の別れで映画は終わることになるが、この辺りは時代を感じさせる通俗的なメロドラマである。

 ということで、ジョバンナが訪れるウクライナの広大な自然と、死者の埋まった土地を埋め尽くすひまわり(と、別に丘陵地の草原を埋めつくす無数の墓標碑)を見れば十分な映画であるが、やはりこの地が現在ロシアの侵攻を受けて、この映画で描かれる第二次大戦以来、初めてそして再び戦火に晒されていることは否応ない悲しみを感じさせることになる。ひまわりはウクライナの国花(そして国旗の2色の一つは、この花の黄色)であり、ロシアの侵攻後は、このひまわりの画面と共に、ウクライナの安全と平和を祈るSNS上の投稿が多く見られているという。その意味で、この半世紀前の映画は、やはり現在観ておくべき映画であるという想いは禁じ得なかった。

鑑賞日:2022年4月18日