イコン 陰謀のロシア/モスクワの闇
監督:チャールズ・マーティン・スミス
フォーサイス原作映画の第4弾は、相対的に新しい作品である「イコン」。この原作小説は、記録によると1998年10月に読んでいるが、その時期は、その年7月に、7年弱滞在したドイツから帰国して間もなくの頃である。恐らく、現在と同様に、日本語の本に飢えていたこともあるのだろう、その時点では出版されて間もないフォーサイスの最新作であった。ソ連崩壊から7−8年が経過し、新生ロシアの政治的安定はまだまだ予断を許さない状況であったが、その時に書いたと思われる評は残っていないので、その中身は全く記憶に残っていない。今回映画を観て、それが「民主化」されたロシアでの大統領選挙に絡む陰謀に関するものであることが分かることになった。
レンタル・ショップで、在庫のないこの作品の取り寄せを検索した際、2作あった。夫々別の作品なのだろうと思い込み、先ずは、その一作目、「イコンー陰謀のロシア」だけ借りて観た訳であるが、その最後に「To be continued」という表示が出て、2作続けて観なければならないことに気が付き、慌てて後半(イコンU―モスクワの闇)も注文することになった。2005年制作のアメリカ映画で、監督は、チャールズ・マーティン・スミス。主人公の元CIAエージェント、ジェイソンをパトリック・スウェイジ、彼と行動を共にするロシア連邦保安庁調査官ソニアをアニカ・ペーターソンが演じている。ロシアが舞台で、ソニアを含め登場人物の多くはロシア人であるが、全員ほとんど英語をしゃべっている。
まずは、第一作である前半部分。
冒頭タイトルバックで、1985年のソ連時代、治安当局による反体制派のある男の逮捕・射殺場面が挿入された後、1999年のロシアに移る。そこでは2か月後に迫った大統領選挙に向けて、二人の候補が争っている。一人は、元KGBで、ソ連解体後、製薬会社の買収等を経て、企業経営により莫大な富を蓄積したイゴール・コマロフ。彼は、西欧型の洗練された選挙運動を展開し、都市部での支持を広げている。もう一人はアフガン戦争等で功績があった元将軍のニコライエフで、彼は、より伝統的なロシアを訴え、少数民族の権利保護等を主張していることから、地方で人気がある。
この選挙戦の最中、通りに駐車した車が爆発し、死傷者が出る事件が発生する。その騒ぎの中、一人の男が近隣にあるビルに侵入し、そこの研究施設から、ある薬品を盗み出している。その研究施設は、大統領候補であるコマロフが所有する製薬会社である。連邦保安委員会(FSB―KGBの後継組織)捜査官のソニアが、同僚のアンドレイと共に車の爆発現場に駆け付けると、そこではコマロフが現れ、「テロを許さない」という演説を行っているが、そこにはソニアの上司であるFSBのグリシン長官も立ち会っている。そして大統領府では、爆発事件について、コマロフやグリシンも交え、現大統領との捜査会議が行われている。そこでコマロフは、この爆発の混乱の中、側にあった自分の製薬会社から旧ソ連が開発した生物化学兵器が盗まれていることを明らかにするが、大統領により、それは機密事項とするように、との決定が行われている。他方ソニアは、長官が現場に現れたのは、自分たちの捜査が信用されていないからではないかと考え、長官に詰め寄るが、彼は「これは極秘に調査するように」との指示だけを通告している。
同じ頃、モスクワにある英国大使館では、大統領選挙の分析が行われているが、爆発事件(ロシア解放戦線というテロ組織が実行したと見ている)に際して、生物化学兵器が盗まれたという情報を得たことから、秘密調査を行うことを検討、スペインはアンダルシアで悠々自適暮らしをしている元CIAエージェントのジェイソン・モンクに白羽の矢を立てている。その頃、モスクワではある老人が身の危険を感じ、家を出る準備をしている。彼は退役軍人であるが、生物化学兵器が盗まれた研究所の当直で、それを盗んだ犯人を目撃していたのである。一方極秘調査を進めるソニアは、生物化学兵器を盗んだ男の画像を発見して、グリシン長官に報告している。
アンダルシアに隠遁するジェイソンは、モスクワ駐在時に結婚した妻が最近病気で亡くなり、モスクワに残した幼い娘とは、15年も会っていない。英国当局の使者アーヴィン郷に、娘の現在の写真を見せられた彼は、この依頼を受入れ、再びモスクワに潜入することになる。同じ頃、研究所から盗まれた生物兵器は、ダゲスタンとチチェンの国境近くの小さな町で散乱され、子供たちに感染者が出ている。またソニアは、爆発事件の後、研究所の当直であった老人が失踪しているという情報を得て、彼を探し始めている。
旧友と再会し、そこに秘密の拠点を構えてから、ジェイソンはソニアに接近する。彼ははソニアに、かつて反体制派であった彼女の父親と親交を持っていたことを語っている。その父親は、冒頭の場面で逮捕・射殺された男であることを連想させる。ソニアは、ジェイソンを信用しないが、空きを見つけ、ジェイソンは、彼女の捜査用の服に発信機を取り付け、彼女の動きが分かるようにしている。しかし、ソニアは、それに気づき、逆にジェイソンの拠点に侵入し、彼を問い詰める。そこでジェイソンとソニアは、ある種の取引を行う。また失踪した老人の家は何者かに荒らされている。彼に危険が近づいていることを認識したソニアは、退役軍人の集まりの中にいる彼を探しだし、事情聴取を行うが、グリシン長官から、無断で調査を行ったとして、アンドレイと共に仕事から外されることになる。
ジェイソンが、爆発現場に残されて、ソニアの机から持ち出した化学物質の分析を依頼していた化学者が射殺される。その爆発物はFSBが管理しているものであることから、爆発や生物化学兵器の盗難は、ジェイソンは、一連の事件にFSBが絡んでいるという疑惑を持ち始めている。他方、化学者を射殺したテロリストは、その報告をグリシン長官に行うと共に、収容されている老人も射殺する。ジェイソンは、FSBの関与をソニアに質すが、彼女は既に事件から外されていると言いながら、彼の調査に協力することになる。
ジェイソンに逮捕状が出ていることをソニアに告げるアンドレイ。ソニアは、事件へのFSBの関与を確信するが、ジェイソンとソニアもテロリストに狙われる。激しいカーチェイスの末、彼らは逃れるが、アンドレイは射殺される。そして老人を射殺したテロリストもグリシン長官により射殺されている。そこに現れたコマロフは、グリシンに「モンクを始末しろ」と言い残し去る。ここで前半が終わることになる。
そして後半である。
爆破事件とヴィールスの拡散にFSBが関わっており、それを抑えると主張することで選挙戦を有利に戦えるコマロフの企みであると、ジェイソンは英国の本部に報告するーソニアも横でその報告を聞いているーが、本部はまだ証拠は不十分であるとする。他方、コスロフはグリシン長官に対し、ソニアとジェイソンの確保に全力を挙げるよう指示している。
爆発事件の現場にいち早く駆け付けたグリシンは、事件を知っていたと考えたジェイソンとソニアは、証拠集めのためグリシンの自宅に侵入する。ソニアは、グリシンのコンピュータから一連の情報を盗むのに成功するが、その際の銃撃戦で、ジェイソンは致命傷を負うことになる。彼の昏睡が続く中、ソニアは、彼の娘エレーナを探し出し、瀕死のジェイソンの枕元に連れてくる。複雑な感情に襲われるエレーナであったが、その後彼女もソニアとジェイソンと行動を共にすることになる。
ソニアが盗んだ情報の中には、コスロフの秘密の計画が残されており、それはヴィールスを使い、ダゲスタンのみならず、多くの少数民族を抹殺する計画であった。回復したジェイソンとソニアは、もう一人の大統領候補ニコライエフを訪問し、コスロフの陰謀を記者会見で明らかにするよう説得し、記者会見が開かれる。しかし、そこに現れたコスロフとグリシンは、演壇を乗っ取り、感染を抑えるのは、コスロフの会社が開発したワクチンであるとして形勢を逆転。そのまま大統領選挙でも大勝し、コスロフが次期大統領に当選することになる。
追い詰められたソニアとジェイソンは、コスロフの選挙参謀から聞き出したコスロフのワクチン(ヴィールス)製造工場に変装して乗り込む。その選挙参謀も、ジェイソンらと会った後に殺されている。その化学工場でのヴィールス製造の証拠をつかみ、銃撃戦の後、そこから逃れる二人。しかし、ジェイソンがエレーナの部屋に戻ると彼女は消えており、彼は、逆にそこに張っていたグリシンの一味に逮捕され、拷問されることになる。拘束されたジェイソンの下にコスロフが訪れ、かつてジェイソンが組織したソ連内の反体制秘密ネットワークを潰したのは自分であると告げる。しかし、ジェイソンが指示した場所でエレーナと再会したソニアは、彼女の助けも得て、ジェイソンの救出に成功、米国本部にもコスロフの陰謀を改めて報告する。
コスロフは大統領に就任し、「ロシアの栄光を取り戻す」と演説しているが、メディアが爆発事件とヴィールス拡散がコスロフの自演自作であると報道し始めたことで、コスロフ反対のデモが盛り上がる。戒厳令を布告し、民衆に銃を発砲しろという彼の命令に対し、ニコライエフも「銃を下ろせ」と立ち向かい、軍もコスロフを見捨てることになる。大統領府になだれ込む民衆。一人で通りに逃れたコスロフは、ジェイソンとソニアに行く手を阻まれる中、結局群衆に取り囲まれ、袋叩きになるのである。
そして大団円。アンダルシアの湖でゆっくり過ごしているジェイソンとエレーナを、ソニアが訪れる。ソニアは、ニコライエフ新大統領からFSB長官を打診され、受けることにしたと言った上で、ジェイソンに「そこで私と一緒に働かない?」と提案する。ジェイソンは、それに答えることなく、映画は終わることになる。
原作や映画製作の時期を考えると、それは丁度ロシアが崩壊した後のエリツィン政権末期、プーチンが登場する時期に当たる。元KGBというコスロフは、フォーサイスがそれを意識していたかどうかは分からないが、プーチンの経歴と重なることになる。もちろんプーチンは、少数民族ジェノサイド等は行わなかったが、その後20年を経て、コスロフの演説の様に「ロシアの栄光を取り戻す」としてウクライナ侵攻を開始したことを考えると、フォーサイスは、それなりにプーチンの許でのロシアの近未来を予測していたとも言えそうである。
ただ映画は、突っ込みどころが多い。モスクワの街中やグリシン宅、あるいは化学工場で、あれだけ派手な銃撃戦を繰り広げながら、ジェイソンやソニアはその後普通に街中を歩いている、というのは、流石に混乱期のロシアとは言え、全く考えられない。ジェイソンが、そうした銃撃戦を(一回は重傷を負いながら)全て生き抜き、最後は敵に勝利する、というのも、あまりに安直な作りである。そして娘エレーナとの15年振りの再会や、彼女がジェイソンらに協力する経緯も、一応感慨をもたらす家族ドラマ仕立てということなのであろうが、現実感はない。その意味で、ジェイソンが「ロシアの闇」に関わるようになる前半は兎も角、後半は図式的な展開となり、終わり方も余りにあっけないと言わざるを得ない。コマロフが民衆に袋叩きになる、というのも、ルーマニアのチャウシェスクの最期を連想させるが、少なくとも選挙により選ばれた大統領の末路としてはあまり考えにくい。また群衆のデモに動員された軍隊が、最後に大統領による発砲命令を拒否するというのは、「天安門事件」を意識しているのであろうが、安易な展開である。そうした展開が原作でどのように描かれていたかは興味深いところであるが、今のところ原作は、図書館にもなく、それを読む機会はなさそうである。
それにも関わらず、この20年前の映画は、新型コロナの感染拡大から、ロシアによるウクライナ侵攻という事態を先取りした側面もある。軍事的に開発された生物化学兵器が原因で、致命的な感染症が拡大するという想定は、中国政府がどれだけ否定しようととも、今回の新型コロナの発生原因を暗示させる。KGB出身の大統領が、少数民族や周辺国を武力侵攻し、「ロシアの栄光を取り戻す」と声高に演説するところは、それこそ現在のプーチンそのものである。その意味で、細部はいろいろ問題はあるが、大きな展望としては、フォーサイスらしさが出た作品であると言えるのかもしれない。ただ4時間を超える時間を費やして観た映画としての価値は微妙なところである。
鑑賞日:2022年5月8日