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リチャード・ジュエル
監督:クリント・イーストウッド 
 別の映画を観ようとレンタル店に行ったところ、お目当ての作品がレンタル中であったことから、その隣に置かれていたこの作品を衝動的に借りることになった。2019年制作、2020年劇場公開の比較的新しい作品で、監督がクリント・イーストウッドであることも、手に取った一つの理由であった。実話に基づいた作品で、結果的には、結構面白く観ることができた。主要な俳優は、主人公のデブ男リチャード・ジュエルをポール・ウォルター・ハウザー、彼の母ボビ・ジュエルをキャシー・ベイツ、二人を助ける弁護士ワトソン・ブライアントをサム・ロックウェル、その他、事件をスクープするアトランタ地元新聞記者キャシーをオリビア・ワイルド、ワトソンのアシスタント、ナディアをニナ・アリアンダといった女優たちがサポートしている。

 1986年のアトランタ。法律事務所の備品係であるデブ男のジュエルが、そこで働く弁護士ワトソンの部屋に、転職の挨拶に訪れている。ワトソンは、それなりに気の利く備品係であったジュエルと、ゲーム・センターの射撃ゲームで出会い、そこで気心が知れていた。ジュエルはいかにも鈍そうな男であるが、優秀な警察官になるための勉強もしていると言う。しかしワトソンは、おざなりの別れで彼を送り出している。

 そして1996年、アトランタの大学警備員となっていたジュエルは、大学内での硬直的な各種取締りから学生の評判が悪く、学長から馘を言い渡され、その後、街の公安事務所に勤務している。アトランタ・オリンピックが開催され、街では記念の行事としてケニー・ロジャースのライブ・コンサート等が開催され盛り上がっているが、その数日後、そのライブ会場で警備員となっていたジュエルは、酒を飲んで騒ぐ若者を注意した直後、彼らのいたベンチの下に、不審なバッグが放置されていることに気が付く。「すぐに避難すべき」と周りに告げるジュエルを、人々は無視している。ところが、別に「爆弾が30分後に破裂する」という電話が救急に入る中、それが爆発。しかしジュエルの警告のお蔭で、死者は2名、負傷者も100名ちょっとですむ。そしてジュエルは、その避難を主導した「英雄」としてメディアの寵児となり、一緒に住む母親ボビも彼を誇らしく思っている。この事件について、彼の本をゴーストライターが書く話も持ち上がり、ジュエルは、出版契約についての支援のため、ワトソンに電話を入れている。もちろんワトソンも、ジュエルが今や英雄となっていることを知っている。

 しかし、3日後、彼の立場は一転する。FBIが、爆発物の第一発見者としてのジュエルを重要参考人として捜査を開始。その情報をFBI捜査官から色仕掛けで入手した地元アトランタ・ジャーナルの新聞記者、キャッシーが、ジュエルが容疑者であることを新聞の一面で大々的に報じることになる。FBIに拘束されたジュエルは、改めてワトソンに弁護を依頼。ワトソンは、当初ジュエルの弁護には乗り気ではないが、事務所のアシスタントであるナディアの説得で引受けることになる。そしてメディアがジュエルの周りに殺到する中、二人の無実をかけた戦いが始まるが、当初は、公安業務には忠実であるが、行動力やコミュニケーション力のないジュエルが、ワトソンの助言で、次第にしっかりとした対応をとることができるようになる。母親のボビも、初めはいかにも田舎のおばさん風であるが、無実を訴える集会で感動的な演説をすることで息子を守る。そしてジュエルの犯行説を覆す幾つかの証拠を集めながらの闘いに、ジュエルとワトソンは最終的に勝利する。新聞報道から88日後、FBIから二人のもとに「ジュエルを捜査対象から外す」という正式文書が届けられるのである。そしてそれから6年後、ワトソンは、別の場所で警備の仕事についていたジュエルを訪問し、爆弾事件の真犯人が逮捕されたという情報を告げるのである。しかし、ジュエル自身はその後僅か44歳で心臓疾患で死去。ワトソンとナディアは結婚し、ボビは毎週土曜日子守をしている、というルビで映画が終わる。

 公権力に抵抗する個人を描く、いかにも米国的な勧善懲悪ドラマであるが、善意に溢れ、公安業務に誇りを持っている主人公の「うすのろ」ジュエルが、危機に立たされる中で、ワトソンの支援を受けて、公権力に対しきちんと自己主張する「しっかり者」となっていく姿が単純に楽しめる。監督のクリント・イーストウッドも、余り冴えない俳優をうまく使いながら、ドラマを盛り上げることに成功している。別に、この実話の映画化に至る過程を、ボビやワトソン本人や、監督のイーストウッドや各俳優陣が語った映像が収録されているが、そこでは、真犯人が逮捕されたにも関わらず、ジュエルの死亡後も、彼がこの事件の犯人と記憶している人々が多いことが、この映画の制作動機であったというイーストウッドの言葉も紹介されている。公権力とメディアの横暴は、いつの時代にもある実態で、「アメリカの悲劇」といってしまえば簡単であるが、この事件もその一つに過ぎない。取り合えず、ジュエルの無実は証明されたということではあるが、彼がその後もこの事件を引きずって生き、そして早死にしたということのようである。そうした暗い側面もある作品であるが、いずれにしろ、事前の期待感がなかっただけに、それなりに楽しめたのであった。

鑑賞日:2022年6月7日