グラン・トリノ
監督:クリント・イーストウッド
2009年4月公開のアメリカ映画。先日、クリント・イーストウッド監督の「リチャード・ジュエル」を観た上で、映画通の友人と話していた際に、数多い彼の監督・主演作品の一つとして薦められたものである。
アメリカ中西部にある田舎町の住宅街。そこで暮らす朝鮮戦争帰りで、その後は50年ほどフォード工場で組立工として働いていたウォルター(クリント・イーストウッド)の妻ドロシーが亡くなり、彼女の葬儀が教会で行われる。亡き妻の遺言で、教会の若い牧師は、ウォルターに懺悔をしてほしいと頼むが、彼は全く聞き入れようとしていない。彼には二人の息子がいるが、彼らや孫との関係も、ウォルターの頑固な性格故に上手くいっていない様子が語られている。そうして一人暮らしとなった彼の家の隣に、アジア系の家族が転居しているが、彼は人種差別丸出しで、彼らに対しても不愉快な思いを口に出している。
しかし、ある日、その家族の息子タオや娘スーが、同じアジア系のごろつき風若者たちに脅されているところを目撃し、彼らを助けたことで、ウォルターとその隣家との交流が始まる。その家族はモン族(私は認識していなかったが、ラオス、タイ、中国国境にいる山岳民族である)で、地域を牛耳る共産主義勢力からアメリカに逃れてきたということになっている。
当初は「イエロー」と忌み嫌っていたウォルターであるが、特にスーが彼を自宅での夕食会に誘ったりしたことで、次第に胸襟を開いていき、特に引っ込み思案な弟タオに、「男の会話」を教えたり、建設現場の仕事を紹介する等の面倒を見るようになる。
ところがある日、タオがそのチンピラ集団に脅されたことから、ウォルターは彼らの一人を叩きのめす。そしてその報復として、スーが乱暴・レイプされたことで、彼は最後の手段として、教会で懺悔を行った後、そのチンピラ・グループに立ち向かっていくのである。
私は、イーストウッドの西部劇はほとんど観ていないが、最後の場面は、西部劇風の「最後の決闘」の現代版のような作りになっている。そして、そこで彼は、自身が予想していたとおり非業の死を遂げるのであるが、それは彼が朝鮮戦争で負った兵士としての悔恨を全て浄化する行為であったということで、中々感動させる結末であった。
ただ冷静に考えてみると、例え米国の田舎町であったとしても、チンピラたちの脅しにもっと効率的な公権力の使用で対抗できたのではないか、という想いは禁じ得ない。警察権力の及ばない無法地域の西部と現代アメリカはさすがに変わっているのではないか?そんな思いは禁じ得なかった。
それは別にしても、モン族の若者タオとスーを演じた二人のアジア人(子役?)は、なかなかの熱演であった。
因みに、タイトルとなっている「グラン・トリノ」は、彼が勤務していたフォードが1972年に開発した名車とのことである。息子の一人はホンダ車のセールスマンで、彼がホンダのワゴンに乗っているのを、ウォルターは苦々しく眺めている。そして彼は遺言で、そのグラン・トリノをタオに贈与するという結末も泣かせる演出であった。
鑑賞日:2022年6月13日