オフィサー・アンド・スパイ
監督:ロマン・ポランスキー
冤罪事件とそれに対する文筆家の抵抗ということで、帝銀事件を巡るテレビ番組を契機に、その番組のもとになった松本清張の著作に接したが、その国際的に有名な例が、19世紀末フランスで起こったドレフュス事件と、それに対するエミール・ゾラらによる告発であったことは言うまでもない。松本清張による帝銀事件の著作でも、この事件に言及されている。
ドレフュス事件を扱ったこのフランス映画は、以前、別の作品を劇場で観た際に、新作映画として置かれていたパンフレットを持ち帰り、いつか観たいと思っていたが、その後機会がないままであった。今回帝銀事件に触れたことで、これは是非観ておこうということでレンタル・ショップに行ったところ、丁度「レンタル新作」として在庫があった。当然ながら新作である分レンタル料は高いが、私としては珍しくその料金を払い観ることになった。監督はあのロマン・ポランスキーで、2022年に劇場公開されている。
「史実に基づく作品である」というこの映画は、1895年1月、ドイツに軍の機密を漏洩したスパイ容疑で有罪となったユダヤ人ドレフュス大尉が、国家反逆罪により、隊列が集合する広場で、武装解除・軍籍位階を剝奪され、遠く離れた「悪魔島」へ流刑となる場面から始まる。ドレフュスは、「私は無罪である」と叫んでいるが、そこに参列している部隊にピカール少佐がいて、その様子を眺めている。ドレフュスは、彼の陸軍学校の教え子であるが、ピカールは当時、ドレフュスから「自分の評価を低くつけたのは、自分がユダヤ人であったからか?」と聞かれ、「ユダヤ人は好きではないが、それが評価に影響を与えていることはない」と答えたことを回想している。独身のピカールは、外務大臣の妻と不倫関係にある。
ドレフュスの追放後、ピカールは、最年少の中佐に昇格し、諜報部長に抜擢されることになり、新しい事務室に着任、部下のアンリ少佐から引継ぎを受けている。その中にはドレフュス事件表面化のきっかけとなった、在仏ドイツ大使館の掃除婦が持ち出した、ドレフュスがドイツに渡したとされる手紙などの関連資料なども含まれているが、彼はアンリに、そうした機密文書の受け渡しは、今後は自分が自ら行うと告げている。またその中には、ルーアンの部隊にいるエストラシー少佐という隊員からドイツ大使館に宛てられた手紙が入っているが、諜報部長からは「新たなドレフュス事件は勘弁してくれ」といったコメントが告げられている。
このエストラシーの手紙を調べているピカールは、ドレフュスが有罪の根拠となった文書の筆跡がエストラシーのそれと類似していることに気がつき、筆跡鑑定人に調査を依頼する。その結果、ドレフュスが有罪となったドイツ軍に情報を出していたのは実はエストラシーであったと確信し、情報部長に告げるが、彼は、ドレフュスの件は既に決着したものとして相手にしてくれない。そこからピカールによる、ドレフュスの冤罪を認めさせようとする動きが始まるが、新聞がドレフュスの密書についての疑惑を奉じると、彼はその情報源と疑われ、情報部長を解任され、幾つかの地方勤務を経てアフリカ部隊にまで左遷されることになる。しかし1897年、パリに一時帰国したピカールは、重ねてエストラシー関連の情報収集とドレフュス無罪という主張を軍幹部から非難され、併せて外務大臣の妻との不倫も暴かれることになる。そこで初めて彼は、ドレフュスの無罪を主張する新聞社の仲介で、その主張を行っているゾラや、ドレフュスの弟等と面会することになる。ピカ−ルはその後、陸軍大臣命令により逮捕されるが、その時にはドレフュス無罪の議論は新聞を通じて広く知れ渡ると共に、一方では、ピカールに対する反ユダヤ主義者からの非難も殺到することになる。そしてゾラが名誉棄損で訴えられた裁判の公判で、ピカールは、情報担当の将軍やアンリ等と決定的に対立し、ドレフュス有罪の証拠は全て偽造であったと述べるのである。1898年2月、ゾラは名誉棄損で有罪となるが、その1年後、アンリが証拠の偽造を自白、ピカールは1年で刑を取り下げられ出所する。ただその彼は、街中で「ユダヤ人の手先」として襲われたりするのである。そしてドレフュスに対しては再審が行われれ、再び有罪と10年の禁固刑が課されるが恩赦を受け、最終的には1906年、有罪判決が取り消され無実となり再び軍籍に戻ることになる。その際、閣僚となっていたピカールをドレフュスが訪れ、拘束された期間を考慮し、自分の階級を上げて欲しいと要請する。ピカールはそのためには法改正が必要でできないと拒絶する。それ以降、二人は二度と会うことがなかったというところで映画が終わることになる。
まずこの映画の前までは、私は、ドレフュス事件は、ゾラ等が中心になって冤罪批判を行ったと理解していたが、そのきっかけは、このピカールによる軍内部での告発が契機であったことを知ることになった。そのため、映画ではゾラの活動は、彼の裁判くらいしか描かれず、そこでも主人公はゾラではなくピカールなのである。その意味では、まさにこの事件全体の主人公は、新聞社やゾラ等の文筆家ではなく、軍内部からこれを告発したピカールである、というのが監督の姿勢である。
1969年のシャロン・テート殺害事件や自らが容疑者となった1977年の未成年少女政敵暴行事件等でお騒がせのポランスキー監督(1933年8月生まれなので、既に90歳近い!)であるが、フランス逃亡後も、「戦場のピアニスト(2002年)」や「ゴーストライター(2010年。私はまだ観ていない)」等々、話題作は事欠かない。そしてこの作品も、19世紀末のパリの町や、そこでの捜査の様子や資料などを再現しながら緻密な作りになっている。その監督が「史実」として送り出した作品であることから、実際の事件の実際の展開もここで描かれているような感じであったのだろう。また彼は父親がポーランド人のユダヤ教徒であり、両親がナチスの強制収容所に収容されていた(父親は生き延びたが、母親はアウシュヴィッツで虐殺されている)こともあり、このテーマは以前から温めていたことは間違いない。そして当時の民衆のユダヤ人に対する偏見に対する意識は、この作品でも強く出されている。ただそれでも、前記の様に、ドレフュスから「自分の評価を低くつけたのは、自分がユダヤ人であったからか?」と聞かれたピカールが、「ユダヤ人は好きではないが、それが評価に影響を与えていることはない」と答えているところなどは、単純な反ユダヤ批判ではないような配慮が見受けられる。他方で、史実なのであろうが、この冤罪事件を最初に暴露した(そして更には外務大臣の妻と密通し、その離婚をもたらした)ピカールが最終的に閣僚にまで上り詰めた、というのも、本当に「史実」だっかのか、疑いたくなるところである。そんな突っ込みも感じながら、こうした冤罪事件は、もちろん現代でも幾らでも起こり得るものであるが、そうした事件の舞台は、今や有名文筆家個人による新聞の論説等を通じたものではなく、SNS等を通じた不特定多数からのフェイク等に取って代わられていることに、時代の変化を感じることになったのである。
鑑賞日:2023年2月11日