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ゴーストライター
監督:ロマン・ポランスキー 
 ロマン・ポランスキー監督作品という流れで、映画通の友人に言わせると、「”さすがに巨匠の腕前”とは言われましたが、彼の映画にしては真面目過ぎたため、敬して遠ざけられた印象がある「オフィサー・アンド・スパイ」と比較して、エンタメとしても歓迎され、私自身も楽しんだ」というこちらの作品を続けて観ることになった。

 2010年の制作で、主演のゴーストライターをユアン・マクレガー、彼に自伝執筆を依頼する元英国首相ラングを「007」役で有名なピアーズ・ブロスナンが演じている。

 映画は、フェリーの下船場で、運転者のいない車が牽引される場面から始まり、そして海岸に死体が流れて着いている。それはその車と共に船に乗船した人間が失踪し、死亡したことを示唆している。そして場面は変わり、マクレガー演じる著名人のゴーストライター(彼は、映画の中では「ゴースト」とか「相棒」としか呼ばれず、名前は最後まで分からない)が、ある政治家の自伝の執筆を依頼されている。その政治家はT00万ドルの報酬で出版社と自伝を契約したが、その出来が酷かったために、彼の長年の補佐官を務めていた男が執筆を引継いだが、彼もそれを苦にして死んだようだ、と告げられている。ゴーストは、それを引継ぎ、1か月での原稿修正とその持ち出し厳禁という条件で、25万ドルの報酬でその仕事を受けることになり、その政治家が滞在している米国の孤島に飛ぶ。政治家は元英国首相のアダム・ラング(ピアーズ・ブロスナン)であるが、彼は英国在住の「テロリスト」情報を米国に渡し、その結果として彼らがⅭTAに逮捕、そして拷問に合い死亡した、との批判を受け、英国に居づらくなり米国に逃れてきているようである。そしてゴーストは、その島の別邸でラングと面談しながら、彼の自伝の修正に取り組むことになるが、彼はそこでゴーストの前任者であったマカラという補佐官が原因不明の溺死をしていたこと(冒頭の場面)、そして彼の死は、船から落ちて溺死したのではなく、海岸で何者かに殺された疑惑があることを知る。ラングの妻のルースもマカラの死亡に疑念を抱いていること等を知り、二人は関係を持つが、その後ルースは、「ラングとは離婚するつもりなので、自分のことは自伝に余り書かないように」とゴーストに告げている。

 ラングは、「人道に対する罪」で、かつて政治的な盟友であった元外務大臣のライカートにより国際刑事裁判所に提訴されており、また町ではラングを「戦犯」として非難するデモも繰り広げられている。島にあるラングの屋敷の前でも、彼の戦争で息子を殺された英国人の老人が、ラングを批判するピケを張っており、ゴーストは、彼とも接触することになる。そしてそうこうしている内に、マカラの残した資料から、学生時代は演劇とガールハントに没頭していたラングが、ある時期から突然政治家の道を目指したのは、妻のルースと出会ったからだと聞いていたのに対し、実際は既にその前に労働党員になっていたことを示す写真が出てきたことで、ゴーストは、学生時代の仲間であったポール・エメット教授の影響があったことを知る。そのエメットは、学生時代からⅭTAのエージェントであり、ゴーストは、ラングが首相まで上り詰めたのは、エメットを通じた米国の支援があったからだということを確信する。そしてゴーストはエメットを訪ね、ラングとの関係を尋ねるが、エメットは否定。そしてそこからの帰途、ゴーストライターは謎の車に追跡されることになる。前任のマカラも、エメットを訪問した帰りのフェリーで失踪し殺された可能性があることから、ゴーストは危険を感じ、すんでのところでその尾行者たちから逃れることになる。助けを求める気持ちから、マカラのメモにあったライカートに電話し、その後彼に接触するが、結局ゴーストは、ラングをとるか、ライカートを取るかの二者択一を迫られることになるのである。

 改めてラングの自家用飛行機に同乗したゴーストは、エメットとの関係を問い詰めるが、ラングは否定。そしてその飛行機が乗り付けた空港でラングは、島にいた英国人の老人により射殺される。彼の死で、出版された自伝は大ベストセラーとなり、ロンドンではルースが主賓となる出版記念パーティーが行われているが、そこにラングの元秘書アメリアと出席したゴーストは、実はその自伝が真実からは遠いこと、そして彼の政治家としての成功をもたらしたⅭTAとの関係は、実は全てルースが仕組んだことであることを彼女に告げ会場を去る。真実を記した原稿を抱えてロンドンの通りに出たゴーストは画面から消え去るが、その後交通事故が発生したこと、そして風に飛ばされたその原稿が通りに散乱するところで映画が終わることになる。

 こうして、ラングの政治家としての成功や、マカラの死、そしてラングの射殺も、全てルースが仕込んだ陰謀であったことが示唆されることになるが、その関係は今一つすっきりしない。またラングの死後出版された彼の自伝はベストセラーになるが、ゴーストが最後にアメリアから受け取り、ルースが全ての背後にいたことを確信する原稿との関係も良く分からない。その点で、政治家のゴーストライターを引受けた男が、その政治家を巡る陰謀に巻き込まれていくというスリラー的な見どころはあったが、締め括りは残尿感が残るものであった。

 かつて、英国首相を務めたブレアは、在任時代、特にイラク戦争で当時の米国大統領ジョージ・W・ブッッシュ(ジュニア)に全面的に追随したことから、ブッシュの「プードル」と称されたが、この映画の主人公であるアダム・ラングは、このブレアを擬したという評がある。確かに、こうした対テロ戦で、米国に協力する政策を推し進めたブレアは、ラングと重ねることもできるかもしれない。しかし、ブレアが、英国労働党の第三の道を切り開き、内政面でも中産階級の支持を確保すると共に、香港の中国への返還や北アイルランド合意等も実現していることを考えると、単に米国の利益だけを重視したという評価は、ブレア政権についての妥当なものとは言えない。確かにイラク戦争で米国に追従したこと、そして後にイラクで大量破壊兵器が見つからなかったことでの情報操作を批判されたり、またこの戦争で兵士を犠牲にしたということはあったかもしれないが、少なくとも、ブレアは、このラングの様に国際訴訟の被告となったことはないし、もちろん暗殺されてもいない。そう考えると、むしろこの映画は、ポランスキーを、「未成年者に対する性行為」を理由に有罪とし、彼がそこから逃亡することになった米国に対する強い怨念が反映されたものではないか、という気もする。そうした怨念を想定すると、米国に追従する元英国首相と、彼に対する国民の批判を巡るこの映画で、それを発散させたポランスキーの気持ちも十分理解できるのである。

鑑賞日:2023年2月19日