生きる LIVING
監督:オリヴァー・ハーマナス
この直前にレンタルで観た韓国映画がやや消化不良であったことから、以前から気になっていたこの作品を、連休中の映画館で観ることになった。1952年公開の黒澤明監督による日本映画を、幼少期にこの映画に感動した記憶を持つというカズオ・イシグロが、同じ頃のロンドンを舞台に置き換えた脚本を書き、オリヴァー・ハーマナスという監督により制作された作品である。黒澤の作品は私は観たことがないが、ネット解説では海外も含め黒澤の代表作と評価されているということで、今回のイシグロ作品もそれなりの話題になっていることから、相応の期待感を持って映画館に足を運ぶことになった。
冒頭、ピカデリー・サーカスやトラファルガー・スクエア、バンク交差点あるいはチェルシーあたりと思しき街中の公園など、ロンドンの懐かしい、ただ古い町の景観が映される。そして、新入りのメンバー、ピーター(アレックス・シャープ)が、郊外の駅で同僚と合流し、蒸気機関車でロンドンに通勤するところから、本編が始まる。新入りは、その他のメンバーから、職場での礼儀について指摘され、途中の駅から乗車するウイリアム課長にはもっと気を付けろ、と忠告されている。そのウイリアム課長(ビル・ナイ)は、初老の老人であり、彼と共に一行はロンドンはウォータルー駅に到着し、ロンドン市庁舎に出勤する。彼らは、ロンドン市庁市民課の役人である。
その新入りであるピーターは、早速女性たちの陳情の処理を指示される。彼女たちは、街中で荒れ果てたまま放置されている空き地を、遊び場としての整備するよう陳情しているのであるが、その陳情が、市庁内の関連部署でたらい回しにされる事態に直面している。そしてピーターも、女性たちと公園課や下水課等の関連部署を回った後に、結局夫々の部署からは自分の仕事ではないと拒絶され、陳情書は、ウイリアム課長の書棚に放置されることになる。同僚のアシスタント女性マーガレット(エイミー・ルー・ウッド)は、「書類を積み上げて仕事をしている振りをするのが賢いやりかたよ」と彼に呟いている。
そのウイリアムが、ある日職場を早退し医師と面談しているが、そこで彼は末期がんにおかされており、余命は6−9か月であると告知されている。ショックを受けたウイリアムは、それを同居している長男夫婦にも話すことが出来ず、職場を無断欠勤し、英国の保養地であるボーンマスで短い時間を過ごすことになる。そこで売れない脚本家の男と知り合い、自分の余命が限られているので残りの人生を「生きたい」と告げ、彼の案内で、如何にも当時の英国を思わせるちんけなパブやアミューズメント・パーク、ストリップ劇場などで時間を潰しながら、人生に思いを馳せる。そしてロンドンに戻った彼は、市庁を退職し新しい道を歩もうとしているマーガレットを誘って、フォートナム・メーソンのティータイムや映画、パブなどに誘う。うんざりするマーガレットであるが、最後に彼の事情を聞き、彼に同情するのである。そして数日の無断欠勤の後職場に戻ったウイリアムは、突然公園の再開発に向けて、部下を連れて大雨の中視察に出かけていく。
彼の葬儀が行われ、彼の晩年が、関係者により回想される。そこでこの時代が1953年の6月頃の出来事であったことが示される。彼が、市庁内の関連部署や上司を懸命に説得し、公園の整備を実現したこと。死期が近いことを知らされていなかった長男は、葬儀でマーガレットにそれを知っていたかを問うが、彼女は、「それは自分の口からは言えない」と答える。また葬儀の場で長男から親展の手紙を受け取ったピーターは、そこに、仕事への熱意を失った時は自分の最期を思い出してもらいたいと書かれていることに心を打たれている。そのピーターは、ある夜その公園を訪れ、ウイリアムが最期にそこのブランコに跨りながら、雪の中絶命したことを想い、そこで出会った警察官から、ウイリアムが地元の人々に感謝されていることと、その最期の彼を目撃したが放置したことの後悔を語られるのである。
ということで、末期がんを宣告された男が、人生の最期に今まで無気力に放置した案件に懸命に取り組む姿を描いたものであり、かつての黒澤の作品もほとんど同じ設定と展開であったようである。ただ、主演のウイリアムを演じるビル・ナイは、西欧人の年齢はなかなか分かり難いが、雰囲気は現在の私などよりも上の70代半ばくらいの印象で、その歳でまだ現役の役人をやっているのか、というのが大きな違和感として残る。そしてその年齢の男が病気で余命が短いと言われた後、家族にもそれを告げられず、代わりに若い女性と時間を過ごしたり、それまで放置した仕事に懸命に取り組む、という展開は如何にも陳腐である。その歳であれば、むしろ大往生だろうし、別に仕事に余生を費やさなくとも、いくらでもやることはあっただろうと感じてしまうのである。また病気宣告後、無断欠勤をするというのも、今の時代には考えられないが、戦後の英国ではこうした悠長なことが許されていたのだろうか?そんなことで、期待していた割には、ややがっかりした作品であり、同じイシグロ映画であれば、丁度2年前に見た「日の名残り」(別掲)の方が圧倒的に良かったと感じている。
数年前であるが、かつての職場の上司で、年賀状だけの連絡になっていた方が、突然の訃報で亡くなったことを知らされた。後で関係者に聞いたところでは、彼もこの映画の主人公と同様に、普通の生活をしていたが、検査で末期がんが見つかり、それから半年ほどで急に亡くなったということであった。また他にも、私の同年代で、同様に急死した方もいる。その意味で、こうした運命は決して稀なものではなく、いつでも自分の身に降りかかってもおかしくない。ロンドンのやや古いが、私のいた1980年代とそれほど変わらない懐かしい風景を楽しみながら、もし自分がその運命に晒された時は、どのように余命を送るのだろうということを考えさせられたことだけが、この映画の収穫であった。
鑑賞日:2023年5月3日