13デイズ
監督:ロジャー・ドナルドソン
先日、レンタル店に探しに行った際に見つからず、代わりに「9デイズ」という、似たようなタイトルの作品を観たが、こちらも在庫があることが分かり、続けて観ることになった。週末の日経新聞の付録で特集されていた「交渉物映画」の推奨版である。2000年公開のアメリカ映画で、監督は、ロジャー・ドナルドソン、主役は3人で、大統領特別補佐官ケネス・オドネルをケヴィン・コスナー、大統領J.F.ケネディをブルース・グリーンウッド、その弟で司法長官のR.ケネディをスティーブン・カルプが演じているが、私が知っているのはコスナーだけである。
キューバ危機に際しての米国内の対応を主題にした映画である。ここのところ、ヴェトナム戦争関連の本を読んでおり、その中でも、この危機やケネディ暗殺のヴェトナム戦争への影響が議論されているが、この事件自体は余りに知られた事件であり、学生時代に、これを「ゲーム理論」により説明した講義を受けた記憶等もある。その意味で、この1962年10月16日(火)に始まり、10月28日(日)に終わる13日間の経緯をここで追いかける必要はない。その「ゲーム理論」ではないが、事実上主役の3人が取り仕切る大統領府の意思決定に際し、軍部によるキューバ侵攻、カストロ政権潰しといった強硬論に押されながらも、それが核戦争への道であることを懸念する3人が、ソ連、フルシチョフ側の意図や対応を考慮しながら、ギリギリの判断を進めていく訳であるが、結末が分かっているだけに、それをどのように描くのだろうか、という余り緊張感のない雰囲気で観ることができる。そんなこともあり、ここでは、そうした良く知られている過程の中で、私が知らなかった裏話を中心に残しておくことにしたい。
まず10月16日(火)、U2の偵察飛行によりキューバでの核搭載可能なミサイル基地建設が明らかとなり、政府首脳が急遽集合することになる。当然ながらそこにはマクナマラ国防長官や、ラスク国務長官らが参加しているが、事実関係が確認されるまでは、情報統制の観点からピエール・サリンジャー大統領府報道官は除かれ、また大統領の当面の予定もキャンセルされることなく行われることが決まるのが目を引く。また当初は、軍部の強硬論が主導し、選択肢はキューバの、@限定的基地攻撃、A広範な攻撃、B侵攻及びカストロ政権の排除、というものであったが、そこでマクナマラが「海上封鎖」という議論を提示したように描かれている。またケネディに対しては、軍部は一貫して、その父親も関与した「1936年のミュンヘンの二の舞を繰り返すな」、という警告を発しているが、それはその後のヴェトナム戦争拡大過程でも負の遺産となったことは興味深い。
18日(金)になると、大統領の予定キャンセルや軍部の動員の動きからメディアも異変に気がつくことになり、週明け22日(月)の大統領はテレビ会見で、この事実を公表することを決意するが、その直前まで、大統領は補佐官に、「海上(封鎖ではなく)臨検」と「キューバ攻撃・侵攻」という2つの原稿を用意しろと指示する等、対応について迷っていた様子が示されている。また、国連大使のアドレイからは、「トルコにある米国のミサイル撤去を取引材料として使う」という案も出されているが、大統領はその案は初めは拒絶している。そして23日(火)、キューバ上空の偵察を行う米軍戦闘機が、地上からの銃撃を受け、翼に銃痕を残すが、何とか帰還。事前に、オドネルから「事故は良いが、攻撃され撃墜されることはないように」と釘を刺されていたパイロットは、帰還後、軍幹部との面談で「攻撃はなかった」と報告する。攻撃を受ければ、それに対する報復という議論が強まることを懸念したオドネルの機転に、パイロットが従ったということになっている。
24日(水)午前10時、海上封鎖の効力が発生し、大統領府では緊張感が高まっている。まず先頭の2隻の船舶には潜水艦の護衛がついていたことから、この潜水艦を浮上させるための攻撃が準備されるが、この2隻は停止、反転が行われたため、攻撃はギリギリのタイミングで回避される。しかし、なおも航行中の26隻の対象船舶中、20隻は引き返す様子を見せるが、6隻はキューバへの航行を続け、軍は公然と臨戦態勢を上げている。大統領は、軍幹部に、それはソ連を誤解させるので、指示は全て自分が行う、と告げている。またソ連の懐柔に向け、著名ジャーナリストのW.リップマンを使い、「トルコにある米国のミサイル撤去を取引材料として使う」という噂を流すことも検討されているが、周辺からは、こうした更なる譲歩はソ連の思うつぼだという批判も出て、オドネルも当初は大統領にそれを取り下げるよう主張している。25日(木)、国連安全保障理事会では、米国大使とソ連大使の間で激論が交わされているが、米国大使は、そこで初めてミサイル基地建設の写真を公開し、米国の懸念を国際社会に納得させることになる。
そして26日(金)、フルシチョフの非公式な使者として、米国駐在のKBGスパイから、「米国がキューバに侵攻しないという確約が取れれば、ミサイルは撤去する」という提案が伝えられる。取りあえず、ミサイルの撤去を国連が精査するという条件で、その提案を受け、フルシチョフからの回答を至急よこせと送り返すが、彼の情報は信頼できるのか?フルシチョフは、実は軍部のクーデターで失脚しており、この提案はソ連側の単なる時間引き延ばし作戦ではないか、という疑惑も拭うことができないでいる。そして27日(金)、偵察のためキューバに向かった米軍U2が、キューバ側のミサイルで撃墜される。これは交渉の終わりと戦争開始を意味するが、大統領は、それが誤爆であった可能性もあるとして、直ちに報復攻撃を行うのを押し止めることになる。そしてボブは、ドブルイニン米国大使との深夜の面談に向かい、「トルコからのミサイル撤去は、キューバからのミサイル撤去から6か月後で、その間に情報が漏れた場合は、合意は失効する」という最終条件を投げる。回答期限は明日までであり、回答がない場合は、米軍はキューバへの攻撃を開始することになっている。そして運命の28日(日)、オドネルは朝食のテーブルで、ラジオ・モスクワを通じてのフルシチョフによるキューバからのミサイル撤去の声明を聞くことになる。戦争は回避され、大統領は平和を讃える演説を行うが、その陰で撃墜された戦闘機パイロットへの追悼がしめやかに営まれるところで映画が終わるのである。
後半の展開をやや詳細に記載したのは、海上封鎖が、直ちにソ連船を阻止した訳ではなく、一触即発の状況がしばらく続いたことは、昔の記憶にはなかったからである。同様に、トルコからのミサイル撤去という提案とそれに対する政権内の批判や、KGBスパイの仲介に対する疑心暗鬼といった話も、今回の映画で初めて知ることになった。そして何よりも、回答期限直前にU2が撃墜され、パイロットが行方不明(死亡)になっていたという話。もしこれが早いタイミングで発生していたら、米軍は報復を行い、それを契機に全面戦争に入っていたかもしれないが、誤射の可能性あり、とそれへの報復を伸ばしている間に、フルシチョフがミサイル撤去に応じたことで、それが避けられたという「幸運」。しかし、このキューバ危機の中で、米軍にそうした犠牲者がいた(彼はこの危機での唯一の死者ということになる)、という話は全く今まで語られることがなかったように思う。恐らく映画はそこまでの脚色を行っていることはないと思うので、それは事実だったのだろう。大筋は良く知られている事件の推移であるが、そこには、必ずしも知られていない危機的な瞬間が何度もあったことを、この映画で改めて知ることになったのであった。
ケネディ兄弟は、この危機を乗り切ったことで大きな外交的勝利を収めるが、その後、二人とも銃弾に倒れ、そして米国も、まずはヴェトナムのジャングルで、そして20世紀末には湾岸戦争、21世紀に入ってからもアフガン等で、実際の戦闘行為で直接介入しつつ、大きな苦難を受けることになる。そうしたその後の歴史を考えると、この事件は米国が、実質的な戦闘行為を避けながら、外交的成功を収めた極めて限られた例であり、米国はこのケースをその後生かすことができなかったということになる。それなりにケネディ兄弟の雰囲気を醸し出している二人の俳優を眺めながら、少なくとも現在のウクライナ紛争で、米国が安易な過剰介入を行い、新たな核戦争危機をもたらさないことを祈るのみである。
鑑賞日:2023年8月13日