オッペンハイマー
監督:クリストファー・ノーラン
ややミーハーではあるが、今年のアカデミー賞での作品賞や監督賞を含め、その他の映画祭での数々の受賞に輝いたこのクリストファー・ノーラン監督作品は観ておかねば、ということで、夕刻の映画館に足を運んだ。上映時間3時間ということで、日中テニスで消耗した身体が持つかな、という不安はあったが、緊張感溢れる展開に、居眠りもせず観終わることができた。この監督の作品は、シンガポール時代に、第二次大戦初期の戦闘を描いた「ダンケルク」(別掲)を観て以来である。ただ先日の公開以降、結構な動員数を記録しているという世評にも関わらず、この日の映画館は空席が相当目立つ状態であった。
米国の原爆製造計画である「マンハッタン計画」のリーダーであった米国の科学者オッペンハイマーを描いた大作である。原爆、あるいはその後の水爆開発は、人類に大量破壊兵器をもたらしたことで、戦争の様相を変えることになった。当然ながら、広島と長崎以降は、こうした核兵器は単なる「抑止力」として「使えない兵器」となったが、現在のプーチンによる限定核兵器の使用の脅しに見られる通り、本当に「使えない兵器」かどうかは依然不安のあるところである。この作品では、そうした兵器を、プロジェクトの指導者として開発した科学者の野望と苦悩が描かれることになる。
映画は、戦後にこのオッペンハイマーが、ソ連のスパイとして機密を漏らしたのではないかといった疑惑を巡る米国での聴聞会(裁判ではないようである)の様子から、彼の過去に遡っていく。若き理論物理学者としての台頭や、ドイツでのハイゼンベルグ等の著名な科学者との交流、弟等を通じての共産党や組合活動への接触とそこでの党員である精神医学者の女ジーンとの恋愛関係等。そして1939年、彼の核融合に関する彼の論文が注目される中、第二次大戦が始まる。核融合を使った「新型兵器」開発が検討される中で、彼はある日、その後彼と歩むことになる軍人の訪問を受け、原爆開発である「マンハッタン計画」―そのためにニューメキシコは、ロスアラモスの砂漠にその研究・開発拠点を設けることになるーの指導者となるよう説得される。科学研究が大量破壊兵器開発に使われることに懸念を抱きながらも、自分と同じユダヤ人を迫害しているヒトラーのドイツよりも先にこの兵器を開発する、ということが、彼がこの計画に賛同した最大の理由であったように描かれる。彼が軍人に向かい、「唯一の期待は、ヒトラーが、ハイゼンンベルグ等の優秀なドイツの科学者をユダヤ人として信用しないことだ」と返すところは印象的である。
この計画に参加する前に、ストロ−スという政治家に依頼され、高等研究機関の指導者に採用されるが、そこでの、既に米国に亡命していたアインシュタインとの会見の模様や、ストロースは、戦後の聴聞で、再び登場することになる。またその頃出会い結婚する元共産党員の女性キティは、元の夫がスペイン内乱に共和国軍として参加し、そこで戦死しているが、こうした過去や、彼の若い頃の愛人であるジーンとの再会やその後の彼女の自殺等も、戦後の聴聞の対象になる。
こうして映画はロスアラモスでの原爆開発とそこでのオッペンハイマーやその家族の生活に移ることになる。もともと彼はニューメキシコの出身であった。私は彼は亡命ドイツ人と考えていたが、ユダヤ系ではあるが、彼は米国人であったことを知ることになった。また彼の弟や、開発グループの中の一部には、この大量破壊兵器が使用されないよう大統領に進言する嘆願書を準備する動きもあったが、彼はそこへの署名を拒否している。
開発が進む中、1945年4月、ヒトラーが自殺しドイツが降伏したとの報が届けられる。「もう原爆開発は不要だ」という主張に対し、軍関係からの「まだ日本がいる。これ以上の戦死者を防ぐためには、日本を降伏させるためのこの兵器が必要だ」という議論が凌駕し、そしてポツダム会談の前にこの開発を成功させるべく完成に向けたアクセルがかかることになる。そして砂漠での核爆発実験。暴風雨で当初の実施が遅れながらも、最後は天候が回復したある朝の5時半、実験は成功し、その知らせはポツダムにいる大統領に届けられることになる。そして広島と長崎にこれが落とされ戦争は終結し、オッペンハイマーは一躍「英雄」に祭り上げられることになるのである。大統領との会見で、広島、長崎でこれが多くの人々を殺したことにこだわる彼に対し、トルーマンは、「核を使う決断を下したのは、君ではなく私だ。私がその責任を負う」と返しながら、オッペンハーマーが退出した後で、「あの男は二度とここへ入れるな」と、同席していた側近に呟くのである。
しかし戦後は直ちにソ連との冷戦に突入。そしてソ連もやはり原爆の開発に成功したことにより、マンハッタン計画が、ソ連のスパイを通じて漏れていたのではないか、という疑惑が広がり、その犯人探しが始まる。彼のチームに加わっていた英国の学者が、ソ連のスパイであり、開発に関わる科学的な情報がソ連に漏れていたことも明らかになる。そこで前述したように、共産党関係者とのコンタクトがあったオッペンハイマーも告発されることになる。映画ではその告発を企てたのは、かつて高等研究所に彼を採用した政治家ストロースで、彼は自分にその疑惑がかかり、閣僚が手の届くところまで来ている自分のワシントンでの政治生命が立たれることを懸念し、オッペンハイマーを血祭りにあげようと試みたように描かれる。そしてオッペンハイマーが、多くの科学者の支援も受けてそれに対抗していく様子が、映画後半の中心になる。そして最後は、彼の疑惑は晴れることになり、かつては夫の不倫等いろいろあったにも拘らず自身も証言台に立ったキティと腕を繋ぎ、静かに家に入っていくところで映画が終わることになる。
この作品には、核兵器問題を取り上げているのに、広島、長崎の惨状が映されていないー彼らが政府関係者と共に、投下後の広島、長崎の様子を写した映画を観る場面はあるーといった批判もあるが、それなりに説得力を持ってアメリカの核開発を巡る様々な思惑と、それに翻弄される科学者を描いた作品と言えるだろう。主演のオッペンハイマーを演じたキリアン・マーフィという俳優は初めて聞く名前であったが、この悩める科学者を好演している。妻のキティや不倫相手ジーンを演じた女優はさして美人ではないが、夫々存在感を醸し出していた。知っている俳優ではマット・デイモンが出ているようであるが、彼には気がつかなかった。量子力学や核分裂を扱っているところから、ところどころに挿入されるその世界を象徴する映像は、ご愛敬であろう。
冒頭にも述べたとおり、核問題は、以前よりも現実味を帯びて我々の前に現れている。既に主要国が保有し、冷戦終了直後に期待された保有核弾頭の削減といった国際的な努力も、今は過去の話になり、中国の増強や、北朝鮮、イランの開発疑惑も含め、現在はむしろ保有が拡大する事態となっている。そうした中で、ノーラン監督が敢えてこのタイミングでこうした作品を制作、公開した意義は大きく、また多くの賞を受賞したのも納得できる。この監督には他にSF的なものもあるようであるが、機会があればそうした作品も観ようという気になっている。
鑑賞日:2024年4月11日