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名もなき者
監督:ジェームズ・マンゴールド 
 週半ばの温かい気候が一転し、冷たい雨の降りしきる日曜日。予定されていたテニスも中止となったことから、最近友人に薦められていたこの新作映画を観ることになった。2024年制作のアメリカ映画で、監督はジェームズ・マンゴールド。米国フォーク界に彗星のごとく現れたボブ・ディランが、そこで絶大な人気を得ていくが、1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルでエレクトリックに転向し、大騒ぎを引き起こすまでを描いた作品である。映画の原題は「A Complete Unknown」、彼の初期の代表作である「ライク・ア・ローリングストーン」のサビの一節である。日曜日ではあるが、こんな映画を観に来る物好きも少ないだろうと思っていたが、以外と観客は多く、9割がた席は埋まった。私と同様に、寒い雨にうんざりして、このノーベル文学賞受賞者の若き姿を観に中高年が集合したということだろうか?

 ボブ・ディランについては、2018年8月、シンガポールで77歳となった彼のライブに参加している(別掲)が、個人的な彼に対する好みなどはそこでも書いたので繰り返さない。しかし彼は、私が洋楽ポップ・ロックを聴き始めた1960年代末のサイケデリックを含めた音楽革命では様々な形で影響力を持ったミュージッシャンであったことは間違いない。更に、若い頃のバイク事故(1966年7月)で重傷を負ったり、当然ながら当時のドラッグなどにも相当手を出していたと思われるが、それでも現在84−5歳となっても健在で、まだライブ活動も行っているというのは、M.ジャガー、K.リチャード、P.マッカートニー等と共にロック界長寿者「七不思議」と言っても良い。そんな彼が主人公ということで、その「七不思議」の一端にでも触れられればということで映画館に出かけていった。

 1961年冬、若き無名のディラン(ティモシー・シャラメ)が、ギターを片手にニューヨークを訪れるところから映画が始まる。彼は敬愛する米国フォーク界の大物ウディー・ガスリーが入院したという新聞記事を持っており、入った小さなライブハウスでガスリーが入院している病院を教えてもらい、そこを訪問する。ベッドに横たわるガスリーの横に、これまた米国フォーク界の大物ピ−ト・シーガー(エドワード・ノートン)が見舞いに訪れている。そのシーガーは、ベッドサイドで、ガスリーのために一曲弾き語ったディランに一目惚れし、その後彼のパトロンとして、自身のTV番組やCBSレコードへの紹介などのサポートを行い、それを受けてディランは次第に売れていくことになる。以降、彼が業界でのし上がっていく行く様子が、時のキューバ危機やケネディー暗殺、黒人運動といった社会的背景と共に描かれることになる。

 その過程では当然ながら彼の女性関係も色を添える。無名の彼を支えた恋人シルヴィー(エル・ファニング)―彼女はディランの初期のアルバム「フリーホイーリン」のジャケット写真で腕を組んでいる女性がモデルであろうーとの出会いから同棲、別れ、そして再会から最終的な別れーそれは、最後の場面で、彼の音楽的転向の誘因になったように描かれているー等。また様々なミュージシャンとの関係も語られるが、その中では、前述のとおり終生彼の支援者となったピート・シーガー(及び彼の日系の妻)に加え、彼より先にフォーク界のスターとなっていたジョ−ン・バエズ(モニカ・バルバロ)との関係が克明に描かれる。バエズは、ディランの作品を取上げ、肉体関係も含めて親密であったとされるが、次第に愛憎共存していくことになる。しかしその後もライブでは二人で合唱するなど「大人の」関係を続けたように描かれている(私は知らなかったが、二人のこの関係は有名な話とのことを後で知った)。また音楽面で彼に影響を与えたシガゴ・ブルーズの黒人歌手に始まり、エレクトリックに転向していく過程でのマイク・ブルームフィールドや、彼のレコーディング・セッションに飛び込んできたアル・クーパーとの出会い等。このセッションではアル・クーパーが、「ギターを弾かせろ」と言ったのに対し、ディランが「ギターはマイクがいる」と返したので、アルが仕方なく即興でハモンドを弾いたという有名な逸話が映されている。言うまでもなく、このセッションでのマイクとアルの出会いが、その後の「スーパー・セッション」、「フィルモアの奇跡」という二人の名作を生み出し、それは当時の私にとっても驚愕をもたらす作品となったのであった。

 そうしたミュージシャンとの関係を通じて、ディランがエレクトリックに関心を強めていく過程が後半の主題となる。時は「ブリティッシュ・インベージョン」の時代で、背後にキンクスの曲が流れたりしているが、米国フォーク界はそれを苦々しく感じている。「ビートルズなんて無視しろ」等というセリフが関係者から語られる。しかし、ディランは自分自身の変化を望んでいた。そしてピートを含めた周囲が危惧する中、1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルに登場したディランは、関係者が固唾を持って見守る中、エレキ・ギターを取上げステージに向かい、大音響のロックを演奏するのである。聴衆も強烈なブーイングで答えるが彼はお構いなくステージを終える。しかし、ピート等の要請に応じ、アンコールではアコースティックの弾き語りを披露するのであった。その直後、彼はエレキ主体の新作「追憶のハイウエイ61」を発表し、再び物議を醸するが、ピート等はその後も彼を支え続けたというルビで映画が終わることになる。

 何よりも、ディラン、バエズ、ピートという3人の歌とギター(あるいはバンジョ)が秀逸である。ディラン役のティモシー・シャラメというのは初めて聞く名前であったが、ディランの内省的な性格を巧みに演じると共に、「風に吹かれて」や「ライク・ア・ローリングストーン」といった挿入される歌も彼に似せて歌っている。実際に歌やギターを彼が自演しているということであれば驚きであるが、その歌と演奏はバエズ役やピート役についても言える。更に、日頃自室で小さなCDプレーヤーで音楽を聴いている身からすると、映画館での音響は素晴らしく、歌も、ギターも克明に耳に入ってきたのが感動的であった。

 そんなことで、映画の中では(ドラッグとの関係は描かれていなかったが)ひたすら煙草を吸いまくるディランの「七不思議」長命の理由は分からなかったが、映画は堪能した。ただ帰宅後、ディランは音源を持っていないので、アルとマイクの「フィルモアの奇跡」を聴きながら、この感想を記しているのであった。

鑑賞日:2025年3月16日