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シンガポール通信
旅行
コタキナバル滞在記(写真付)
2012年9月2日ー5日 
 久し振りにシンガポールにやってきた家族と共に、3泊4日のマレーシア・コタキナバルに向かった。この街のすぐ南西に位置するブルネイには、ここのところ頻繁に仕事で訪れているが、ボルネオ島のマレーシア領を訪れるのはこれが初めてである。またマレーシアのリゾートとしては、以前にペナンとランカウイに夫々一週間ほど滞在したことがあるので、これが3か所目ということになる。

 ボルネオ島のマレーシア領には、コタキナバルのあるサバ州とサラワク州という二つの行政区があるが、マレーシア独立の経緯から、この二つの州には相当の自治権が認められている。半島部のマレーシア人がこれらの地域を訪れる際はパスポートが必要で、なお且つ一般の滞在であると期間も限られ、また就労するにはしかるべき労働許可が必要ということである。反対に、こちらの人間が半島部に行く場合は、パスポートや労働許可は不要、という非対称の関係である。確かに、帰国時にパスポート・コントロールの入口を見ると、「一般国民」の窓口と「半島部、及びその他外国人向け」が別々になっていた。半島部とボルネオ島の二つの地域からなるこの国の、国内政治上の大きな特徴がこんなところにも表れていると感じたのである。

9月2日(日)

 前日、日本から到着したばかりの家族と早朝7時に自宅をタクシーで出発してチャンギ空港に向かう。往路は9時10分発のシルクエアーで、定刻の11時10分、晴天のコタキナバル空港に到着。最近マレーシアは、入管に指紋認証を導入したことから、クアラルンプールへの出張などでも入国カードは不要になっているが、ここサバ州への入国に際しても入国カードは不要である。空港からタクシーで15分程、値段にして30リンギ(約750円。滞在期間中の為替はS$1=2.5リンギ、1リンギ=25円といったところ)で、町の中心部にある「ル・メレディアン・ホテル」に到着した。こうしたリゾート的な滞在地には、郊外型のリゾート・ホテルと町の中心部にあるホテルの二種類がある。リゾート型のホテルは、多くがプライベート・ビーチと広いプールなどの設備が揃っているが、ちょっとホテルの外に出て気楽に一般の人々の生活に触れられるという楽しみはなく、街の中に出るにもシャトルバスなどで小一時間移動し、また何らかの手段で帰らなければならない。それに対して都市型のホテルは、ホテル内の施設は限られているが、簡単に街の中に出ることができる。今回、我々が選択したのは後者のタイプのホテルである。

(Le Meridien Hotel)


 チェックイン後、簡単な荷物の整理をした上で、早速街の中に出ることにした。ホテルの正面が港であり、そこに「フィリピノ・マーケット」と呼ばれる、庶民向けの市場が広がっている。午後1時、強い陽射しが照り付けていることもあり、市場はこの時間は閑散としている。しかし、早速我々の好物であるピサンゴレン(バナナを揚げたスナック)の屋台を見つけ、それを頬張りながら、今度はホテルの横にあるCentre Pointというショッピング・センターに移動した。冷房の利いた建物に入ると、さすがこちらは日曜日の午後とあって、たいへん込み合っている。シンガポールでもそうであるが、暑い日中は、こうした冷房の利いたショッピング・センターで過ごすというのが、こうした熱帯の住民の日常生活なのだろう。一階のロビーの広場では、ステージが設営され、何かのイベントが行われ、大勢の人々が集まっている。

 機内で遅い朝食を食べたこともあり、あまりお腹は空いていなかったことから、地下1階にあるフードコートで、 麺とチャーハン(10リンギ)の軽い昼食を食べてから、建物の中を散策する。ショッピング・センター自体は、アジアのどこにでもあるような、しかしそれなりにきれいな造りである。この建物の3階がマッサージ屋街になっているということで、それを探すと、奥に少し入ったところに、小奇麗なマッサージ屋が並んでいる通路があった。その通路の入り口で、既に客引きの男女がすぐに声をかけてくる。直ちに値段交渉を始め、午後2時、その一軒で早速マッサージを開始した。1時間のボディーマッサージが、定価55リンギが45リンギに、足マッサージが、定価40リンギが35リンギと、タイやインドネシアよりやや高いけれども、シンガポールでの価格の約半分。私のやったボディーマッサージの腕はまあまあというところである。因みに、先日シンガポール近郊のマレーシア領ジャホール・バルにフラっと日帰りした際のマッサージが1時間55リンギだったので、これがマレーシアでの定価ということなのであろう。マッサージ終了後、地下1階のスーパーで、ビール等の飲み物を購入し、一旦ホテルに引き上げた。

(SC内のマッサージ屋)


 ホテルの部屋で、買って来たばかりのビールとつまみで喉を潤してから、午後5時、今度は夕食を兼ねて、もう一度街に繰り出した。夕食前に立ち寄ったのはCentre Point内にあるツアー・デスク。翌日のツアーとして考えていた幾つかの案をカウンターで相談するが、結局選択したのは、この地にある東南アジア最高峰であるキナバル山麓を観光するツアーである。現地の日系旅行会社がアレンジする日本語通訳付のツアーは一人250リンギ。ホテルのツアー・デスクで聞くと同じツアー(英語ガイド)が190リンギ。しかしこのツアー・デスクでは、定価170リンギを150リンギで出すという。これが底値と考え、翌朝ホテル・ピックアップのツアーを申し込んだ上で、海岸に向かう。

 到着後軽く散歩した市場の横に「Waterfront」と呼ばれるレストラン街がある。海岸プロムナード街といった感じでレストランが並んでいる。しかしひととおり歩いてみても、我々が好むような生簀に入った魚介類を出すような店は、ホテルの向かいにあったやや高級そうな大きなレストランを除くと見当たらない。結局何回か往復した後、一番客が入っていた店に落ち着くことにした。横の屋台で焼いているサテを含め、何皿かの地元料理を注文したが、ビールは店では出さず、隣の売店で別に買ってくるという。トータル100リンギほどの夕食代の半分はビール代ということで、ここでは料理よりもビールの方が高いことが分かったのである。食後、午後に散策したフィリピノ・マーケットを経由してホテルに戻ったが、さすがに夜は人が溢れており、民芸品の土産物屋に加え、生の業界類、肉、野菜の屋台、それらを調理した料理やフルーツの屋台などが溢れている。そこで買った料理を食べるテーブルも結構込み合っている。こちらはフルーツでもデザート替りにと考えていたが、美味しそうなマンゴがあったものの、6個単位でないと買えない、ということであった。「1−2個単位で剥いて出せば、観光客が買いやすいのにね」などと話しながら進んでいくと、市場の別の路上では、私の幼少期に母が家で使っていたような足踏み式のミシンで服を淡々と縫っているおじいさんがいたりと、ある意味昔懐かしい景色に接したのであった。9時頃ホテルに戻り、改めて窓からの港と海、そして路上マーケットなどの夜景を眺めながら就寝した。

9月3日(月)

 6時半起床。前日買っておいたパンで軽い朝食を済ませ、8時頃ピックアップに来た小型バスでホテルを出発した。既に乗車していたインド人夫妻に加え、途中のリゾート・ホテルでもう一組白人のオーストラリア人老夫婦をピックアップして、総勢8人となり、中国系の小太りの女性ガイドと共にキナバル山に向かう。社内でガイドが、今日のスケジュールや、町やキナバル山(4095メートル)についての簡単な説明をしていくが、英語は相当めちゃくちゃであり、私がした簡単な質問も、答えをはぐらかされる位だったので、その後はあまりまじめに説明を聴くこともなかった。また途中の道端にあった民家で、この地方にのみ生息する巨大な花であるラフレシアが見られるということで停車したが、一人40リンギ、と聞くと、我々のみならず、他の二組も、そこまでのお金を払って見るまでもない、ということで、しかとすることになった。最後の客を拾ってから1時間程で、キナバル山を正面に眺めるキナバル・タウンに到着し小休止。そこの売店で、おばさんが切り分け、一袋2リンギで売っていたパイナップルが、たいへん甘く美味しかった。

(キナバル・タウンからキナバル山を臨む)


(キナバル・タウンの売店)


 左側にキナバル山とその山麓を眺めながら、車は進み、10時半にキナバル公園に到着。そこでガイドに先導されて30分ほどのジャングル・トレッキング。ガイドはいろいろな植物などの説明をするが、記憶に残っているのは、日本の蛭、あるいはドイツの森にいるツェッケに似た生物についてで、これは、手足を覆っていても隙間から潜り込み、皮膚から体内に入ってしまうので気をつけろ、ということくらい。しかし幸いにしてこの生物にはお目にかかることはなかった。横にボタニック・ガーデンなどもあったが、これは時間の関係もあるのだろう、入らずにバスに戻ることになった。

 11時過ぎにここを出てボーリン温泉に向かう。12時20分ボーリン温泉着。温泉入口前にあるレストランで、8人の客で一つのテーブルを囲み、中華系の料理を分けながら昼食をとる。話が弾む中で、インド人夫妻はロンドンから、オーストラリア人夫妻はメルボルンからの旅行客であることが分かる。インド人夫妻は、男がデリー出身、奥さんがクアラルンプール出身で、ロンドンの不動産投資会社に勤務しているということである。奥さんの親戚がクアラルンプールにいることから、ほとんど毎年そこに立ち寄るついでに東南アジアを旅行しているとのこと。20歳半ばの同居している息子が二人いるというが、彼らは最早旅行に同行することはないと言っていた。ついでながらインド人の英国英語は聴きやすいが、オーストラリア人の英語なまりには時々ついていけなくなる。

 食後、ボーリン温泉の敷地に入り、その裏手の山にあるカノピー・ウォーク(Canopy Walk)に向かう。これは木の上30メートル(100ft)の高さに渡された細い吊り橋である。ガイドの女性が、そこまでは裏山を登るが、早く上って40分くらいかかる、と説明する。片道40分の山登りは結構たいへんかと思われたが、このツアーの目玉の一つでもあることから、これは行くしかないと、挑戦することにした。インド人夫妻とオーストリア人の奥さんは、下の温泉で待っている、ということになり、我々家族4人とオーストラリア人のおじさんの計5人で出発した。オーストラリア人のおじさんは、おそらく60台後半くらいの感じであるが、本国で時々トレッキングをやっているということで、それなりに脚力には自信がある様子。しかし、さすがに時々休みたいということになったが、それが丁度私にとっても良いタイミングであった。そんな感じで20分ほど山道を登り、また休憩場所かな、と思っていたら、そこがこの吊り橋の入り口であった。ガイドは、おそらく冗談で「早い人で40分」と言ったのだろうが、もし20分で登れるのであれば、インド人夫婦なども参加していたのではないかな、などと話しながら吊り橋を渡り始めた。

 吊り橋の底の幅はせいぜい30センチくらい。足を踏み出すと、確かに一瞬バランスを取るのが不安になるが、両側にロープの囲いがあるので、個人的にはあまり恐怖感は感じない。こうして両端の櫓から吊るされた20−30メートルくらいの長さの橋を渡るのであるが、大部分は熱帯のジャングルなので、下は深いが、うっそうと茂っている草木で、あまり高さは感じられない。一つの吊り橋を渡ったところで、視界が大きく広がり、キナバル山の裾野の雄大さを満喫できる。こうして結果的に5つの吊り橋を渡りきり、温泉まで下山したのは14時過ぎ。出発してから戻るまでで50分といった感じのトレッキング体験であった。

(Canopy Walk)


(櫓からの景色)


 ボーリン温泉は、第二次大戦中、ボルネオに侵攻した日本軍が発見し開発した硫黄泉ということで、屋外に温泉が幾つか作られており、それなりに観光客が水着になって浸かっている。我々は着替えが面倒なので水着を持って行かなかったこともあり、足湯に浸かりながら、待っていたインド人夫婦などと雑談をして、出発までの時間を過ごした。こうして15時半、ボーリン温泉を出発し、行きと同じルートを戻るが、車中で転寝をしているうちに18時頃ホテルに到着した。

(ボーリン温泉)




 ホテルで一休みし、すぐに18時半再びCentre Pointに向かった。また同じツアー・デスクで翌日のツアーを申し込む。午後2時発の、リバー・クルーズ/鼻長サルとホタルのツアーを、この日のツアーと同じ150リンギ/一人で予約。丁度、この日ガイドした女性が戻っていたので、夕食のレストランとして目星をつけていた店の場所を訊くと、我々が地図であたりをつけていた場所よりも、もっとこのショッピング・センターに近いところであることが分かった。5分くらいでそこに辿り着くと、そこはまさに生簀の魚介類を調理するレストランが数件集まった広いフードコート(スリ・セレラと呼ばれている場所)であった。我々は、その中でネットでの評判が良かった「双天」というレストランに席を確保した。海老のバター炒め、いかの炒め物、白身魚の空揚げに野菜、さらに別の屋台から売りに来た水餃子にビールで130リンギ。昨日同様、そのうち60リンギほどはビール代で、料理はせいぜい70リンギ。大満足の夕食であった。食後の20時半頃に、再び昨日行ったCentre Point内の同じ店で足マッサージを行い疲れた足をほぐしてから、更に隣にある、新しく、少ししゃれた店が入っているWarisan SquareというSCなども覗きながら22時頃ホテルに戻ったのであった。

(海鮮フードコートと双天)


(海鮮料理)


9月4日(火)

 朝はゆっくり起床。それでも子供たちはまだ寝ていたので、二人で近所の庶民が集う簡易食堂で朝食。焼きそば+目玉焼き等で二人分8リンギ。その後、子供が起きてきて三人で買い物に出たことから、私はプールで、シンガポールと変わらない、泳いでは軽く本を眺め、また転寝をするという時間を過ごした。天気は快晴、陽射しも強くなっているが、海岸を見下ろすこのホテルのプールは、午前中は日陰になることから、心地良いが、強い直射日光を愛する私にはやや不満であった。

(ホテルのプール)


 12時前に家族が帰ってきたタイミングでプールから上がり再び全員で街へ。Centre Pointで土産品等の買い物をしてから朝食を食べた食堂と同じような店で昼食。ただこの店は、現地在住の日本人が主催するネットでトムヤン麺が紹介されていたこともあり、それを中心に注文した。その他の料理も合わせ、4人で33リンギ。

(昼食で食べたトムヤン麺)


 一旦ホテルに戻ってから、14時に迎えに来た小型バスに乗車した。が、直ぐにホテルの横に停車していた大型バスに乗り換えさせられると、そこでは昨日のツアーに比較するとやや多目の客が既に乗車していた。更にもう2箇所、リゾート型ホテルで数名をピックアップしてから、バスは昨日と異なる方向に一直線に伸びる路を疾走していく。今日の道連れは、中国人:二組6人、韓国人:二組5人、ロシア人:一組3人、日本人:当方4人、合計18人ということであるが、我々以外は全て、最近日本が領土問題で軋轢を起こしている近隣国である。これはこの話は誰とも出来ないぞ、などと話しながら目的地に向かう。この日のガイドはマレー系の男であったが、英語のみならず、中国人向けに流暢な中国語を喋っていたのが印象的であった。

 2時間弱の走行で、16時頃、川沿いにある建物に到着する。乗船前に、ここでお茶ということで、ピサンゴレンやその他の甘みとお茶で一休みした上で、16時45分頃船で川を遡る旅に出発する。まずは猿ツアーである。我々のグループ18人とガイド及び若い船頭で丁度といった大きさのボートで、普通の場所の川幅が20−30メートル程度の静かな流れの上を進んでいく。数週間前、ブルネイのジャングルで訓練中であったシンガポール軍の若い兵士が行方不明になり、翌日川で溺死体となって発見されたという事件があったが、その現場として新聞に出ていた川の写真と同じような雰囲気である。人気のあるツアーらしく、行きかう船の数は多く、時には大勢の中国人団体客を乗せた2階建ての大きなボートともすれ違う。川の水は濁っており、ガイドに言わせると、鰐がいるので、絶対に水に手を近づけないように、とのことである(本当?)。両側にうっそうと茂るジャングルに、この地方特有の長い鼻をもった猿がいるということのようだ。10分ほど走ると、先に出たボートが川岸で止まっている。そこから猿が眺められるようであり、われわれのボートもそちらに近づいていくと、遥か先の木の上で、野生の猿が休んでいるのが見える。我々の視線に気がついたからかどうかは知らないが、動き始め、枝から枝にジャンプして消えて行った。その後、同様に猿が目撃できる場所でボートが泊まり、しばらく眺めてから次に移るということが繰り返された。残念ながら、動物園と違って、至近距離で猿を眺めるチャンスはなく、その特徴的な鼻なども肉眼では確認できなかった。同乗の中国人観光客などは、本格的な双眼鏡を持ってきて眺めていた。

(桟橋から川を臨む)


(ボートより)


(木の上の猿ー分かるかな?)


 川面をボートが進んでいると風で心地よいが、猿を見るため停泊すると、救命胴着を着ていることもありいっきに暑さを感じる。30分もすると個人的には猿見学には飽きて、猿を眺める人間観察などで暇つぶしすることになった。そして次第に夕闇が落ちてくる中、ボートは速度を上げて出発点に戻っていったが、この時のスピード感が、このツアーで最もエキサイティングな時間であった。

 ボートは出発した波止場を少し越えた別の場所で停泊する。時間は17時半を過ぎ、既に夕闇が周囲を包んでいる。その波止場の広いロッジが今晩の夕食場所である。夫々のグループに分かれて席をとりビッフェの食事を済ます。一休みして次に召集がかかったのは、18時45分。同じボートでホタル・ツアーに出発する。

 空が曇り、月明かりもないことから、川面は真の闇である。シンガポール軍の訓練は、日の出前に行われるものもあるということなので、遭難した若い兵士は、こんな雰囲気の川で溺死したのだろうな、などと考えていた。闇の中時折強力なライトで川面を照らすのは、単に自分のボートの方向を確認するためだけではなく、他の多く行きかう船との衝突を避けるためでもあるのだろう。しばらく行くと、猿の時と同様に、先に出た船が、岸に近づき停泊している。船の照明が時折河岸にある木を照らしている。そして近くに行くと、まさにそれがホタルが群生している場所だったのである。

 暗闇の中に、無数の弱い光が一面に広がっている。私は日本のホタルの光の強さについての記憶はないが、細々と、しかしクリスマス・ツリーの照明のように一面に広がっている光景はなかなか素晴らしい。時折、その弱い光がひとつ、ふたつ川面を流れて、こちらに向かってくる。偶々船頭の若者が、手の中に一匹ホタルを確保し、我々に見せてくれる。光で照らすと、ほとんど小さな羽虫といった感じの生物である。これまた日本のホタルの姿の記憶も薄れてしまっているが、日本のそれはカナブンのようなイメージで、そのお尻が光るというタイプであったと思うので、こちらのそれとは種類が異なるのだろう。この光景はカメラでの撮影は困難なので、記憶しておくしかない。その後何か所か同じようにホタルが群生している場所を眺めた後、波止場に戻ったのが19時半頃。これでツアー終了である。帰途もバスは猛スピートで走り、21時過ぎにはホテルに到着したのだった。ホテルの部屋で、またビールと摘みで乾杯した後、就寝した。

9月5日(水)

 最終日。ゆっくり起きて8時過ぎに、昨日と同じ近所の庶民向け食堂で、全員で朝食。4人で18リンギ。前日家族が見つけた、ホテルの向かいにあったワッフル屋で、デザート代わりにいくつか購入し、それを食べながらホテルに戻る。

(朝食の食堂)


(ワッフル屋)


(ホテルの部屋)


 10時10分、ホテルをチェックアウトし、タクシーで空港に向かう。10時半空港着。料金は行きと同じ30リンギ。チェックインを終えて、出発ゲートの横にあったスターバックスでコーヒーを啜っていると、一人の小奇麗な格好をした若い可愛い女性が、偶々一人でテーブルにいた私に近寄り声を掛けてきた。何かと思ったら、この地の観光局のアンケートをやっているということで、質問に答えて頂けないか、ということ。もちろん、喜んで、ということで、今回の日程や予算、参加したツアーの概要など、聞かれるままに答えていった。最後に、「その他何か気がついたことは」ということだったので、「たいへん楽しい滞在であったが、公衆トイレ、特にツアーで郊外に行ったときのトイレはもう少し何とかした方が良いのではないでしょうか」と付け加えておいた。私の家族は、アジア旅行の年季が入っているので、それなりに慣れているとはいうものの、「それでも、ちょっとこれは」というような場所も多い。このあたりが改善されると、もっと一般の旅行客を呼べるのであろう。実際、この搭乗時に短い会話を交わした松本からシンガポール経由で来たという日本人の熟年カップル4人は、ここではリゾート型のホテルに滞在し、あまり外には出なかったようだった。12時定刻にシルクエアーは出発したが、チャンギ上空でしばらく待機・旋回し、14時半、定刻から20分ほど遅れてチャンギ空港に着陸したのであった。

 最近の当地フリーマガジンの記事によると、昨年サバ州を訪れた外国人観光客は前年比23.5%の増加の234万人となり、マレーシア全体での外国人観光客の伸び率0.1%を大きく上回ったという。キナバル山や国立公園などの豊かな自然が外国人にも注目されているということではないか、とその記事は推測している。

 コタキナバルの街を歩いていると、例えば同じマレーシアのリゾートで、私が過去に滞在したペナンやランカウイ等と比較しても、街の中がこざっぱりしていて、「アジアの混沌」が余り感じられない。例えばペナンの場合は、私の滞在が、もう10年以上も前のことであり、それから変わっている可能性はあるとは言え、世界遺産指定のとおり、確かにエキゾチックな町並みや様々な宗教寺院などの歴史的建造物の遺産は数多いが、中心街であるジョージタウンの街中は騒然としており、また通りを走る車やバイクは、運転も乱暴で、ある種の無秩序を感じたものである。またランカウイの場合は、人工的なリゾート島ということもあり、地元民の生活感があまり感じられなかった。

 それに対し、このコタキナバルは、街の中心部で、それなりに人々の日常生活を感じられると共に、シンガポールとまでは行かないものの、それなりにこざっぱりしている。そして短い滞在ではあったが、クアラルンプールやジャホール・バルを歩いていて時々見かける都会のスラムといった地域は、今回の旅行中ほとんど目にすることはなかった。通りを歩いている人々の表情は心なしか柔和で、半島部のマレーシアで、人々の流れの中にいると時として感じる緊張感もほとんど抱くことがなかった。あえて街ののどかな感じが似ているということでいえば、これまた世界遺産都市であるマラッカを思い起こさせる。

 もちろん、コタキナバルの街中にはマラッカのように歴史を感じさせる観光資源はほとんどなく、観光の中心はコナバル山とそれを中心とした自然、そして今回は事情があり出なかった沖合いの島々にあるきれいな海岸と海ということなのであろう。その意味で、単にリゾートに閉じこもるのではなく、気楽に地元の人々の生活も感じながら、同時にリゾート的な気分も味わえるという場所としては、それなりに評価できる。我々も、シンガポールの都会から逃れ、しかし「アジアの混沌」に紛れることもなく、のんびりとした街と雄大な自然を楽しみながら、束の間の能天気な休暇を過ごすことができたのであった。

 しかし外人観光客の増加率は高いとは言っても、マレーシア全体を訪れた昨年の外人観光客数は2460万人と公表されているので、ここサバ州はその1割弱ということで、絶対数ではまだ半島部の観光地やリゾートには及ばない。空港でインタビューをしていた女性も含め、それを何とか増やそうという努力をしているということなのであろう。以前就航していた日本の航空会社による日本からの直行便が廃止された後、おそらく日本からの観光客なども減っているのだろうが、こうした到着ルートやツアー時のインフラがより改善されれば、豊かな自然を持ったこの地を訪れる観光客ももっと増えていくのだろう。

2012年9月15日 記