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シンガポール通信
旅行
クラビ滞在記(写真付)
2013年9月5日ー9日 
 今年(2013年)の遅い夏休みとして、日本からやってきた家族と、タイのリゾートであるクラビで4泊5日ののんびりとした休暇を過ごした。

 クラビは、以前に何度か訪れたことのあるタイでは有名なリゾートであるプーケットから海を略東に向かった対岸の大陸にある。プーケットほど名前は知られていないが、こじんまりした街で、プーケットとクラビから略同じ距離の位置にある、スキューバのメッカの一つで、ハリウッド映画の「The Beach」の舞台として知られるビビ島などに向かうツアーの基地にもなっている。

9月5日(木)
 
 今回のシンガポールークラビの往復フライトは、シンガポール航空のLCC子会社であるタイガーエアーである。シンガポールからクラビへの直行便はこの会社しかないが、予約後ネットを見てみると、この格安航空会社は、結構評判が悪い。機内サービスが悪いのは格安航空会社であるので止むを得ないが、それ以上に出発の遅れが頻発しているようである。かつてロンドンでの格安便の遅れでひどい目にあったことなどを思い出しながら、幸運を祈ることになった。しかし、出発の当日、それ以上の苦難が待っていたのであった。

この日の出発便は午前10時25分発。8時の自宅出発に向けて準備をしていると7時過ぎ、一転にわかに空が掻き曇り、猛烈な雨が降り始めた。ここのところ数週間はシンガポールの天気が安定していたことから、やや油断して事前のタクシー予約をしていなかったのであるが、時既に遅し。出勤時間とも重なったこともあり、空港までのタクシー手配はまったくできず、止むを得ずその大雨の中を最寄の地下鉄駅まで歩くことになった。徒歩で5分もしない距離であるが、傘も全く役に立たず、ほとんど全身ずぶ濡れ状態になり、家族は駅に入ったところで、人目を避けて着替えを行う羽目になった。

 それでも地下鉄を乗り継ぎ、9時には空港に到着。既にネット・チェックインを済ませていたことから、列に並ぶ必要もなく、空港内のスタバでのお茶を済ませて予定通りゲートに到着。懸念していた遅れもなくタイガーエアーTR2182便は定刻に出発し、そして定刻の11時10分前後にクラビ空港に到着した。時差を考えると、実際に飛んでいた時間は1時間程度であり、プーケットよりも更に近く、機内サービスがなくとも全く痛痒は感じない。

 空港では、他の小さなリゾート空港と同様、バスでの空港ターミナルまでの移動かと予想していたが、きちんとゲートへ接続。ターミナル自体も綺麗な新しい建物であった。しかし、ほとんどが観光客のフライトである。奥の席に座っていた我々は、入国審査の最後尾に近い位置で列に並ぶことになり、結局それを通過するのに30分近くかかることになった。しかし偶々前で待っていた中国系のおばちゃんと目が合い話し始めると、台湾出身の彼女と、連れ合いの西欧系のおじさんの二人も我々と同じホテルに宿泊することが分かり、雑談で盛り上がることになったことから、待ち時間の長さは感じることがなかった。

 通関後、ホテルのあるアオナン・ビーチまでのタクシーチケットを600バーツで購入、30分ほどのドライブで目的地に到着したが、その途上で、とんでもなく切り立った絶壁が道路脇に聳え立つ風景に接することになった。石灰岩でできた隆起ということであるが、まさに地面から垂直に聳え、ある岩は丁度屏風のように延々と続いている。以前に見たタイが舞台のハリウッド・コメディー映画「Hangover Part U」のオープニングで、主人公たちが車でリゾート・ホテルに向かうシーンで、飛行機から撮影された映像として使用されていた絶壁そのものである。映画を見た際に、この景観はどこのものなのだろう、と考えていたたが、それはまさにここクラビで撮影されたものだったのだ。そんなことを考え、まさにホリデイ気分が盛り上がる中、昼を少し過ぎた頃に、宿泊場所である「アオナン・ビーチ・リゾート」に到着した。

(道路わきの絶壁)





 このホテルは、客室26室の小さなブティーク・ホテルであるが、アオナン・ビーチに面した絶好の位置にある。この町でのホテルの選択肢としては、それ以外にはクラビ・タウンという中心街のホテルとプライベート・ビーチを持つリゾート・ホテルという選択肢があったが、前者はビーチがなく、また後者は、車での移動がなく、アオナン・ビーチ等からのボートでのアクセスのみになることから、一旦落ち着くとホテルの施設のみでの活動になってしまう。それに対して、アオナン・ビーチ沿いのホテルは、気軽にビーチや地場の一般施設に動けるということがあり、このホテルを選択したのであるが、それは大正解であった。値段も朝食込み、4泊・4人で23,600バーツ(約74,000円。1泊・4人で18,000円)という手頃な値段である。チェックイン後、取り敢えず予約した二部屋中の一部屋が使えるということで、そこに荷物を集め、着替えた上で早速、昼食を兼ねて海岸沿いを歩くことにしたが、レストランのみならず、アジア特有の屋台も、暑い日中であるが幾つか通り沿いに店を出している。もちろん我々の大好きなマッサージ店も至るところで客引きをやっている。

 アオナン・ビーチは、片側に例の絶壁が聳える静かな砂浜で、沖合いにもいくつもの奇岩が浮かんでいる。もちろんここで泳ぐ、という海ではないが、波の音に耳を傾けながら散策するには心地よい海岸である。まずはいくつもあるタイ・レストランのひとつで、鶏肉の炒め物やチャーハンにビールで乾杯(値段は4人で僅か750バーツ)。その後波打ち際を散歩しながら、絶壁と反対側の方向に向かう。海岸線に沿って走る道路が内陸に向かう場所の小さな観光案内所にある、この地域の海の地図が書かれた看板などを眺めてから、道路の陸側の店を覗きながら、また途中にある屋台で売られていたパンケーキなどを買って食べながらホテルに戻る。もう一部屋が使える状態になっていたことから、荷物の移動を行った上で、その後は、そのまま水着に着替え、午後遅くなってもまだまだ強い陽射しの下で、プールサイドでゆっくりしたのであった。因みに、このホテルのプールは小さいが、若干の海水を含んだ水を使用しているということで、塩辛かった。

(アオナン・ビーチ)





(海岸通りの店並)



(アオナン・ビーチ・リゾート・ホテル)





 夕方、今度は、先程歩いたのと反対方向に向かう。通りはすぐに海岸からはずれ内陸に向かうが、そこでも延々と各種の店舗やホテルが続いている。幾つかのツアー・エージェントで、明日以降のツアーについての情報を得た後、その一角で客引きをしていたマッサージ・ショップで、まずは夕食前のマッサージをやろうということで値段交渉に入る。1時間のマッサージが種類により200-250バーツであるが、4人での値引きを行ったところ、最終的に700バーツでOKということになったので、そこでまずは1時間のマッサージ。私のタイ・トラディショナル・ボディー・マッサージを担当した若い少年は今一であったが、それでも値段が値段なので許せてしまう。

 マッサージ後、先程見たツアー・エージェントの中で、最も安く熱心であったおばちゃんの店に戻り、まずは明日のツアーとしてカヤック・ツアーを予約。その上で、同じ通りにあった小さな、しかしネットで取り上げられていた店(店内が階段状になっている)で、夕食をテイク・アウトした。席は10数人分しかないような小さな店であるが、人気店のようで、ほとんどのテーブルは埋まっている。そこで、幾つかのタイ料理(一皿だいたい60バーツ程度である)を持ち帰り、部屋で再びビールで乾杯しながら夕食ということにした。ただここで一つ失敗だったのは、スーパーで一番底値(25バーツ)だと思い2本買った大瓶(外見はビールそのものである)が、コップに注いだところ泡も立たず、飲むと甘い安ワインのような味がしたのである。「Siam Sato」というその飲み物は、後でネットで調べてみると、米から作った蒸留酒に砂糖を加えた飲み物のようであるが、とても夕食時の飲み物にはならず、これは全員一口飲んだだけで処分したのであった。その後、ビールを買う時は、50-55バーツ/大瓶1本は払うことにしたのであった。
 
9月6日(金)

 朝7時起床。ホテルのブッフェ朝食をふんだんに食べて、8時半迎えに来た車(と言ってもトゥクトゥク型のトラックの荷台である)でカヤック・ツアーに向かう。途中別のホテルでマレーシア人の若いカップル(後でクアラルンプールからということが分かった)をピックアップし、30分ほど走ると、静かな海に面したカヤック乗り場に到着する。途中で小雨が降ってきたが、到着する時には止んでいた。但し、何時降り出しても不思議ではない天候である。

(カヤック乗り場)



 お茶を飲みながら、そこでしばらく過ごしていると、他のグループも到着し、全部で20人程度が集まることになったが、実際に海に出ると、当方の6人3隻に一人のガイド兼インストラクターが付き、他のグループとは別に海に漕ぎ出すことになった。

 カヤックに乗るのは、以前にプーケットで短時間経験した時以来であるが、今回のそれは、以前のものより一回り大きく、安定感がある感じである。まずは海に出て、曇天の中、対岸の岩場を目指す。少なくとも快晴で直射日光を浴びるよりは心地よい気候である。昨日陸地で見たのと同じような垂直に切り立った絶壁や、緑に包まれた通常の岩山など、海からの景色もなかなか壮観である。岩場に着くと、今度はそれに沿って右に回りながら漕ぎ進める。岩場を体長1メートル以上あるかと思われる大きな爬虫類がのっそりと歩いているが、ガイドによると、この岩場には相当数が生息しているということである。そしてしばらく漕ぎ進めると、岩場に空いた入り口から小さい砂浜が視界に入り、そこに上陸した。見上げると、周りに広がった絶壁の上方に僅かに空が覗く「秘密の浜辺」である。他のグループも到着し、やや人が多くなるが、家族はガイドの助けで、木の幹や枝を伝い岩の上に上り写真を撮ったりしていた。

 15分ほどそこで過ごした後、再びカヤックで出発。ガイドは、「これで準備運動は終わり。これからが本番で、人によってはここで疲れてしまうが、今日はこの先に行くぞ」ということで、絶壁に剃って左回りで進んでいく。両側にマングローブが茂るあたりから次第に両側の崖が狭くなり、ガイドが「これから渓谷に入る」と伝えてくる。オールを漕ぎながら、しばらくその景観を楽しむことになる。そして更にしばらく進むと、海は更に狭くなる。今度はガイドが「これからジャングルだ」というと、まさに海というよりは、雨林の中の狭い川を行くような感じになる。ここに入ると、まさにマングローブの枝をすり抜けながら進むことになり、時々カヤックのスピードを上げ過ぎると、カーブを曲がりきれずマングローブの枝に突っ込むこともある。小さな洞窟の横で小休止をした後、再び狭い水路を進むと、小雨が降り出した。しかし上方に木の枝が生い茂っているので、雨はそれほど苦にならない。ただ、また大きな海に出るのは明らかであるので、その時に大雨に会うと、それこそ雨を避けるものはない。既に海に出てから1時間半以上経ち、オールを漕ぐ手も疲れを感じ始めていたが、気持ちスピードを速めながら進むと、ある地点で眼前に海が開けてきた。そこからは、出発地点を目指し、最後の力を振り絞ったのであった。幸い雨はまた止み、曇天の中、出発点に辿り着いたのは正午。丁度2時間かけて、大きな岩場を一回りしたことになる。カヤックからの景観に加え、天候に恵まれたこともあり、充分満足したツアーであった。

 午後1時過ぎ、ホテルに戻り、路上の屋台で簡単な昼食(カラ揚げや春巻等)を仕入れた後、午後は部屋でゆったり読書などをしながら過ごした。そして夕方、近所の散策に向かい、海岸沿いに出ていた屋台の一つで、おかずを3品(各60バーツ)とビールを仕入れ、再びホテルの部屋で酒盛りとなったのであった。

(夕方の海岸通りと夕食を買った屋台)





9月7日(土)

 朝ゆっくり起きて、遅い朝食ブッフェをゆっくり取り、午前中は家族全員プールサイドで過ごした。お昼も、一昨日行った階段食堂で、麺中心の軽い昼食を済ませた後、午前中のプールでの疲労を和らげるマッサージということで、一昨日とは異なる、海岸沿いの店で料金交渉を行う。ここでも結局4人、一時間700バーツで手を打ち、私はいつものボディ・マッサージをやったが、この日のおばちゃんは一昨日の若い少年よりも上手く、満足できる水準であった。帰途、場所を変えて営業をしていたー昨日のおばちゃんと遭遇し、明日のツアーとしてラフティングの予約を行ったが、今回はそもそも1400バーツ/一人のツアーが、交渉の結果800バーツ/一人まで下がることになった。

 その後は部屋でゆっくりした。クラビでは、週末金曜日から日曜日まで、中心街のクラビ・タウンでナイト・マーケットが出ているので、夕方まで休んで夜はそこに行こうというプランである。私はまたプールでちょっと泳ごうかなと考えていたが、午後4時過ぎから外は激しい雨に見舞われることになった。昨日のカヤックの時間にこれが来なかったことを感謝しつつ、他方でこの雨の中、ナイト・マーケットは大丈夫だろうかと心配していると、出発予定の6時までには、うまく雨が止み、予約していたホテルの送迎バス(往復200バーツ/一人)で出発した。

 20分ほどで、クラビ・タウンの中心である「原始人信号」を経緯してナイト・マーケット入り口に到着。降車した場所で9時にその車にピックアップされるまで自由時間である。ナイト・マーケットは、車を降りた表通りから奥に広がっているが、直前まで雨が降っていたからだろう、多くの店が丁度屋台の準備を整えている最中である。入り口の通りでは、小物を販売する屋台と軽い食事の屋台が通りに沿って並んでいるが、昼食を軽く済ませた我々は既に空腹感を感じ、すぐ屋台で売られている鳥の空揚げなどに手が出てしまう。それを頬張りながらなおも奥に入っていくと、奥に広場があり、そこにセットされたステージとテーブル席を囲みながら、更に多くの食事の屋台が広がっている。焼きムール貝を食べた後、テーブルの一つを確保し、メインの食事とビールを探しに出かけた。ステージでは、カラオケ大会風に、男女の歌手が、日本の演歌にも通じるタイの歌を歌っているが、そのうちの何人かは、明らかに素人である。

(ナイト・マーケット)





 ステージで、今度はロー・ティーンと思しき少女が、場慣れした歌とダンスを披露するのを眺めながら、家族の夫々が選択し持ち寄ったメニューとビール等で食事を済ます。食後は、また歩きながらデザート替りの「焼アイス」なども頬張りつつ散策。近所にあったVogueというデパートがまだ開いていたので、そこでシンガポールへのお土産の一部を仕入れた後、定刻9時に迎えに来たホテルの車で帰宅したのであった。

9月8日(日)
 
 早朝、2020年のオリンピックが東京に決まったというニュースを聞いた後、昨日予約したラフティングのため朝8時にホテルを出発。途中今度はシンガポール人のカップルをピックアップして北に向かう。このツアーでは、ラフティングの前に、「Monker Cave」(当初は「Monkey Cave」だと思っていたが、パンフレットによると、この名前であった)という寺院に立ち寄るということで、10時前にそこに到着する。車を降りるとすぐに、クラビほど垂直ではないが、切り立った岩場に刳り抜かれた寺の入り口が見え、その前の広場や木の上、更には切り立った崖の至る所に野生のサルが群生している。猿の餌として売られていたピーナッツで、しばらく猿と戯れた後、入り口から内部に入る。洞窟の中に、金色の寝仏や、僧侶の祈祷所などが設置されている。そして更に奥の階段を上ると、裏側に抜け、空を臨めると共に、その奥にもう一つ小さな洞窟が延びている。そこは奥まで入らなかったが、入り口近くでは蝙蝠が無数に生息している別の洞窟なども眺めることになった。

(Monker Caveの内部)





 10時半過ぎにこの寺を出発し、山道を登っていくと、道が川に沿って伸びている。これからこの川を下ることになるのだろうと考えていると、ガイドの男が、このラフティングを始めるところにある村の来歴について説明を始めた。それは以下の通りである。

 このKang Long Chengという村は30年ほど前までは、電気も学校もない自給自足の集落で、大人は狩猟と若干の農業を営む程度、子供は2時間歩いて最寄の学校に行くという状態であった。ところがその生徒のうちの一人が大学まで進学し、卒業後村のために出来ることがないかと考えた末、川を使ったラフティングを始めることを思いついた。それから彼はクラビなどの観光事務所と協議すると共に、2年かけて村人と協力し、川の中の岩を自力で撤去してラフティングが出来るようにした。その結果、村は観光業で潤い始め、村人には多くの仕事ができたという。この日も、男の若者はラフティングの漕ぎ手、若い女は写真やビテオの撮影、年長の男は客の案内、年長の女性は昼食の調理といったように、このプロジェクトにより各世代の雇用が創出されているのが分かる。その指導者であった男性は、数年前に老齢で亡くなったということであるが、その一家はいまだにこの村の名士になっているという。そして聞いてみると、その話しをしたこの日のガイドも、この村の出身者であった。彼の話しに熱がこもっていた理由が、そこで理解できたのであった。

 こうして11時、救命衣を着てラフティングを開始する。以前バリで2回やった時よりも一回り大きなボートに、我々4人と、その前後に現地の若者2人、合計6人が乗り込み出発である。我々4人は5キロのコースであるが、車で一緒だったシンガポールのカップルは9キロのコース。丁度この時間に、上流のダムから水が放出され、普段は少ない川の水量が増えてきているのが分かる。その水に乗って出発。同時に上流からも別のグループのボートも流れてきて、ボート数にすると30隻位はいるだろうか。流れに沿って、時折岩や他のボートにぶつかり、その都度ボートからは悲鳴があがるが、二人の漕ぎ手は巧みにボートを操っていく。前の漕ぎ手は、身体も細く、女性のような整った顔をした少年。後ろの漕ぎ手は、乗っている間はあまり見る機会がなかったが、こちらは男っぽいがっしりしたタイプ。我々もオールを渡されているが、実際には使う必要はなく、彼らが全てコントロールしている。そう考えた瞬間、水飛沫が大きく我々にかかってきた。波ではない。それは他のボートの漕ぎ手や乗客が、オールで近くにいる我々のボートに水をかけているのである。そう我々のオールは、そのためのものだったのだ。それからは我々も、川下りを楽しみながら、同時に「戦争だ!」などと叫びながら、他のボートに水を掛けまくったのである。流れの静かなところでは、私の娘が、他のボートの漕ぎ手のオールで救命衣を引っ張られ、水中に落ちるということもあったが、その漕ぎ手はすぐに手を差し伸べ、自ら引き上げてくれた。また最終地点では、当方の漕ぎ手が娘に抱きつき、一緒に水に落ちたりしていたが、娘たちは大興奮であった。こうして約1時間のラフティングはあっという間に終わり、濡れた身体のままトゥクトゥク型トラックの荷台の座席に乗って乗船地点まで戻った。9キロ・コースの人々は、我々が下船した地点から更に下流までいったが、ガイドによるとそれ以降は流れも静かで、ラフティングの醍醐味はあまりない、ということであった。

 空は曇っているが、気温は高いので、濡れた水着のままでも寒くはない。そのまま、村のおばちゃんたちが横のキッチンで料理していたタイ・フードの昼食を食べていると、8キロ・コースのシンガポール人やその他のグループも帰ってきて、同じ食事がサーブされる。壁に取り付けられたTVでは、ラフティングの準備段階から、ラフティングの最中に途中の橋の上から撮影された映像も含めて編集された我々の姿がビデオで映し出されていたが、購入するほどではないので、取り敢えず写真だけ買うことにした。

 食後しばらくのんびりした後、今度は午後の部に移る。シンガポール人たちは、午後はATVという四輪車でのジャングル・ツアー。我々は滝ツアーである。ラフティングで我々のボートに乗った二人の若者も、トゥクトゥク型トラックの外に立って乗り同行する。川を15分ほど遡り、そこから徒歩で10分ほど歩き、滝に到着する。

 滝自体はさほど大きくないが、ここは滝つぼで泳ぐことができる。マスの類だろうか、泳いでいる魚が見え、トラックを運転してきた「ゴリラ」が、持ってきた食事の残り物を水に撒くと、いっせいに魚が集まっている。そして彼が滝まで行こうと急かし、まずは娘たちが水に入り、ラフティングの二人も着衣のまま続く。最深で2メートル程度という深さの「プール」を泳ぎ、滝つぼに向かうと、先に着いた「ゴリラ」が彼らを引き上げてくれている。私も遅れて冷たい水に入り、滝つぼまで行ったが、滝の真下は思った以上の水圧で、滝つぼの岩に登るにはやはり「ゴリラ」に引き上げてもらわなければならなかった。丁度10人ほどのモスリム・グループが我々と同時に到着し、当初は周辺が込み合っていたが、彼らがいなくなると、静けさが戻ってきた。ただ水が冷たいので、我々も30分程度の滞在で引き上げた。ラフティングの集合場所に戻り、着替えた上で、3人の若者たちと写真を撮ったりしているうちに、別のグループも戻り、午後2時過ぎ、帰宅の途についた。車内で皆熟睡しているうちに、午後4時過ぎホテルに戻ったのである。

(滝つぼプール)



 しばらくゆっくりした後、最後の夕食は、初日にあたりをつけていた海岸を見晴らすシーフード・レストラン街に行くことになった。5−6件並んでいる店の夫々を見た後、すずき、キング・タイガー、貝、イカのセットを提供していたレストランに決め、海岸沿いの席に着く。もう少し早ければ夕陽も見られたのであるが、今はすっかり陽も沈み、月の光だけの暗闇に波の音が広がる。今回唯一の、如何にもリゾートでの夕食という感じの時間であったが、それでもビール込みで、S$76相当/4人と、格安の値段であった。食後は、また海岸通を散策。途中にあったバーでカクテルを飲みながら、ちょっとしたゲームに興じ、9時半頃から、地元ロック・バンドのライブを1時間ほど聴いた後、ホテルに戻ったのであった。

(夕方のアオナン・ビーチとフィッシュ・レストラン)





9月10日(月)

 帰国日である。8時にゆっくり最後のブッフェ朝食を取り、荷作りをした後、9時45分にホテルでアレンジした車で空港に向かった。道も空いており、運転手もふっ飛ばしたこともあり、絶壁の景観に別れを告げるうちに、20分もかからず空港に到着。空港で暇な時間を過ごした後、11時50分発タイガーエアーで出発、定刻の14時40分にチャンギ空港に戻ったのだった。

 クラビは、プーケットなどに比べると町が小さく、その分観光客も少なくゆったりとした時間を過ごすことができる。また今回我々の宿泊したホテルは位置も良かったことから、徒歩圏内で全てのファシリティーが揃っており、たいへん快適な時間を過ごすことができたのである。

 一方で、時折モスクから朝晩のお祈りがスピーカーで流れてきたり、スカーフを纏った女学生の登下校を見かけたりと、宗教的にはモスレムが多数であるというのは、やや以外であった。実際、我々の宿泊したホテルも、経営者はモスレムであり、我々にとっては変わりないが、朝のブッフェも「ハラム」フードということで、おそらくマレーシアからだと思うが、宿泊者にもモスレムが目立っていた。確かに地図で見ると、バンコクよりもマレーシア国境に近いくらいなので、モスレムの影響があってもおかしくはない。むしろプーケットではほとんどモスレム色がないのが不思議なくらいである。しかし、それを除くと、食事も雰囲気も、そして物価も間違いなくタイなのである。そして、やはりマレーシアのリゾートと比較すると、タイは日本人にとってはより快適に過ごせる場所である。参加したカヤックやラフティングも良く考えたアレンジになっており、また近い将来再訪して、今回は参加しなかったアイランド・ホッピングなども含め楽しんでみたいという気持ちにさせてくれたのであった。

2013年9月21日 記