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シンガポール通信
旅行
ホーチミン市再訪
2017年11月24日ー26日 
 2009年11月であるので、ちょうど8年前、一人旅で訪れたベトナム、ホーチミン市を、今回は日本から合流した妻と二人で再訪した。ベトナムとしては、昨年(2016年)の5月に、中部の古都ホイアンを訪れたが、8年振りに訪れたホーチミン市の変化には驚かされることになった。

11月24日(金)

 今回も、金曜日1日だけ休暇をとった2泊3日の気楽な小旅行。午後11時にチャンギをJetstarで出発、ホーチミン空港には定刻の正午ちょうどに到着した。

 8年振りのホーチミンでまず驚かされたのは、新しくなった空港である。前回はやや田舎くさい空港であった記憶があるが、今回到着したのは近代的な空港であり、入国もほとんど列はなく、直ぐに済ませることができた。入国に際して、帰りのフライトの予約確認と「前回ベトナムに来たのはいつか?」という質問があったが、日本パスポートのビザなし要件は、@観光、業務目的は15日以内。A往復航空券または、第三国への航空券の提示が入国時に必要、B前回のベトナム出国日の翌日から起算して31日以上の期間が経過している事ということであり、特段の問題はなく通過した。

 空港でホテルまでのタクシーを捜す。取りあえずベトナム・ドンは、チャンギ空港でS$50=Don750千(1円=約180ドン)だけ換えてきたが、旅行中の換算イメージは、1円=200ドン、という感じ。市内のホテルまでの空港タクシー料金が300千ドンということで、約1500円。そんなものだろうということで、直前の出張時にマニラ空港で乗ったタクシーよりはずっとましな、きちんと冷房の効いた車に乗車した。空港からの景観は、やはり8年前の印象とは随分異なっている。バイクが多いのは以前と同じであるが、車窓から見える町並みは、結構整然としている。そしてすぐに中心部に入り、以前に訪れた旧大統領官邸(統一記念会館)脇を通り過ぎると、午後1時前に、今回の宿泊ホテルである「Norfork Hotel」に到着した。

 チェックインを済ませてから、部屋には入らず、そのまま昼食に出かける。今回のホテルは、「銀座通り」であるドンコイ通りやベンタイン市場が徒歩数分圏内という便利な場所にある。昼食は、まずはベンタイン市場の近所を探してみようということで、そちらに向かった。歩いて5分ほどで、かつても訪れたことのある大きな市場が見えてくる。8年前、この市場の近所で、ベトナム麺であるフォーを食べて美味しかったことから、この時のレストランがまだ残っているか、も確認できるかもしれないと考えたのである。

 かつて入った番号のついたフォー屋は直ぐには見つからなかったが、市場の向かいにこじゃれたレストランがあり、フォーもメニューにあったので、そこで昼食を取ることにした。

 ここのところ雨季に入ったシンガポールが涼しかったこともあるが、外は結構な暑さであったことから、まずはサイゴン・ビール、そしてフォーと豚焼肉+ライス、そして生春巻きという、典型的なベトナム料理を注文。豚焼肉と生春巻きもたいへん美味であったが、驚いたのはフォーであった。通常はビーフンで調理される透明な麺であるが、このレストランで出てきたのは、日本のラーメンと同じような卵麺のフォーで、さっぱりした鶏スープとマッチした絶妙な味である。価額は、ビールも合わせて250千ドン。いきなり満足の昼食であった。食後、ベンタイン市場を覗いてからホテルに戻り、荷物を解き、翌日のツァー予約等で夕方までゆっくり過ごした。今回のホテルは、「ブティーク・ビジネス・ホテル」というコンセプトで、プールはなく、また部屋も広くはないが、清潔で快適である。経営が豪州系ということで、豪州や欧米の利用者が多いという。

 夕方、熱気が少し冷めるのを待って、今度は市場とは反対側にあるドンコイ通りに向かって出発した。徒歩数分でドンコイ通りに突き当たり、右折して通りに沿ってサイゴン川の方向に向かう。ここも8年前に、徒歩で散策した場所であるが、当時はしゃれているが、高層建築もほとんどない田舎通りであった記憶があるが、今回はもう一段洗練された商店街になっていた。かつて簡単な屋外コンサートが行われ、広場でバイクに乗ったまま観客がそれに聞き入っていたオペラハウスは昔のままであったが、そのすぐ横に、近代的な高層ホテルが聳え立っている。その横では地下鉄の工事が行われており、工事現場の壁には完成予想図と共に、日本(JICA)―ベトナムの共同プロジェクトであり、鹿島や前田といった施工する日本のゼネコンの名前が大きく印刷されていた。昔覗いた小物を売る商店も軒を連ねているが、これも皆洗練された店舗で、あまりアジアの途上国という感じはしない。翌日のツアー料金でドンの現金が必要ということで、通り沿いの両替屋で調達。そしてそこを出ると、暗くなってきた空から、ぽつりぽつりと雨の雫が落ちてきた。軒下に入るいや否や、雨はいっきに勢いを増し、横風にも煽られて、歩いているどころではなくなり、そばにあった大きめのホテルのロビーに避難した。シンガポールでも慣れている天候であるので、そこでしばらく雨宿りをすることになった。日本人観光客も多く宿泊しているホテルのようで、日本人の一段も、外出のタクシーが見つからず、ロビーで待機していた。

 30分程で小雨になったので、歩き始めた。それまでも幾つかマッサージ店があったが、ドンコイ通りから少し入った場所に小奇麗な店を見つけ、ここで1時間のマッサージをすることになった。「Golden Lotus」という店であったが、1時間のボディーマッサージで375千ドン。タイやマレーシアに比べるとやや高めの値段であるが、腕はまあまあで、十分満足できた。

 再び歩き始めると、数分でサイゴン川に面した片側4車線の広い通りに突き当たる。メコンの支流ではあるが、それでも川幅は結構広い。川沿いが公園になっているので、川岸まで行ってみようということで、通りを渡る。信号はないので、スピードを出している車やバイクの切れ目を狙って渡ることになるが、往路は、ローカルの通行人に従って二人とも何とか渡り切った。ただ川岸に行っても、佇んでいる何人かのカップル以外、何もなかったことから、すぐ戻ることにしたが、これが行きとは比べ物にならないくらいたいへんであった。一人、ローカルのおじさんが渡ったので、私は彼について渡りきったが、ふと見ると妻はまだ対岸に残っている。一緒に渡るタイミングを失したようである。その後はローカルの通行人もなく、結局通りの双方で別れ別れになってしまった。交通はまったく途切れない。結局20分ほど渡るチャンスを探したが、最終的には妻は、交通警察官を見つけ、もう一人渡れなかった西欧人の男性と共に、その警察官に導かれて、ようやく渡りきることが出来たのだった。「もう二度と信号にない大通りは渡らない!」というのが妻の感想であった。

 相当の緊張感があったのだろう、これ以上歩くのは勘弁、ということで、ホテルの方向に戻りながら、夕食場所を探すことにした。時間もそろそろ午後9時に近くなっている。ただドンコイとホテルの間には、あまりこれといった店がなく、結局ホテルに近い場所で、通りにメニューの看板が出ていた、ビル2階のカジュアルなレストランに入ることにした。入ってみると、まあ清潔ではあるが、タイ料理であった。これ以上探すのも面倒、ということで、それぞれ簡単な肉の一品料理とビールで済ませる。値段は二人で250千ドンということで安上がりであったが、今回の滞在の仲では、もっとも特徴のない食事であった。10時過ぎにホテルに戻り、そのままシャワーを浴びてから就寝した。

11月25日(土)

 6時過ぎに目覚めたが、妻はまだ休んでいるので、朝の散歩に出かける。ドンコイ方向に向かい、昨日と同じようなルートを歩くが、空気が乾燥して爽やかな朝である。シンガポールではまだ暗い時間であるが、ここでは陽は出ていないものの、既に明るくなっている。広場で体操している老人たちなどを眺めながら、7時前に部屋に戻ると、妻も起床してきたので、ブッフェの朝食をとる。今日は1日観光である。

 前回の一人旅では、クチにあるベトコン・トンネルの半日ツアーに乗ったが、今回はメコン・ツアーである。昨日ネットで評判のよい、日系の業者でアレンジした、二人で2,750千ドンの豪華ツアーである。

 9時に時間通り迎えに来た車で出発。クチ・トンネルに行ったときと同じ、セダン車の貸切で、運転手と日本語を話す現地ガイド。他愛のない雑談をしながらの能天気なドライブである。最初はサイゴン川に沿って走り出したが、以降はあまり特徴のない景観。1時間半ほど走ると、広大な土地に新しいコンドニアム等が建設されている地域があったが、そのあたりは工業団地が建設されており、主としてそこに勤務する外国人などをターゲットにした物件であるとのこと。もちろん外国企業の誘致はこの国の成長の鍵であることから政府も力を入れているのだろうが、結構町の中心からは離れているので、そこに駐在し、そうしたコンドに住むと、生活は退屈そうである。

 メコンも近いということで、11時前に、観光バスも終結するレストラン・観光拠点で、20分ほどのトイレ休憩。そこからメコンの船着場は10分程度の距離であった。

 船着場から、小さなエンジン付ボートで、広大なメコン川に繰り出す。我々二人とガイドだけの専用船であるが、他にも何艘かの船が川に浮かび、同じ対岸を目指す。対岸といっても、そこは大きな中洲であるとのこと。数分で中洲の桟橋に到着。土産物屋が並んでいる小道を歩くが、観光品ばかりで、特段購買意欲はそそらない。その内の一軒に入ると、そこが蜂蜜屋、ということで、入り口で少女が、抱えた蜂の巣を見せている。その横で、その蜂蜜やローヤルゼリーが販売されている。次にパイソンを巻いて写真を撮るか、というので、それも不要。そして席に座り、簡単なフルーツと蜂蜜のお茶が提供され、少し経つと、ギターの伴奏で、アオザイを着た女性たちが、簡単な民謡を歌う。まあ、若干の気分転換ということであるが、あまり洗練されていない。同じベトナムということで比較すると、昨年ホイアンの街中で遭遇した演奏の方が、圧倒的に見栄えがしたのは、やはり観光客の数の差なのだろうか?チップもあげず、席を離れ、また熱帯雨林の小道(果樹園?)を行くと、細い運河に出る。一応このツアーの目玉である、ボート・クルーズである。

 4人乗れば一杯になってしまうような小さな伝統的な手漕ぎボートにガイドと乗る。我々もオールを漕ぐのかと思っていたら、実際には船首に座った結構歳がいっていると思われる女性が漕ぎ出す。我々は、のんびりと座っているだけである。天気も直射日光はなく、またその運河も椰子などの木に覆われているので暑さはあまり感じない。狭い運河は、同じようなボートが並び、客を降ろして戻るボートがこれまた左側に続いて、大混雑である。余り風情があるとは言えない20分程度の運河トリップを終えると、次は「ココナッツ工場」。これも小さなストールで、ココナッツを割ってキャラメルを作っている。出来あがったキャラメルを女性たちがケースに詰める手作業を眺めると共に、横で、そのキャラメルやココナッツ・オイルが販売されている。値段は安いようであるが、質については?であることもあり、特段の買い物はせず、そのまま来た時の桟橋に戻り、広大なメコンを再び戻ることになった。正直、やや物足りないツアーの目玉であったが、こんなものなのだろう。対岸から、また車で、行きにトイレ休憩で立ち寄ったレストランに向かい、そこで昼食をとることになった。

 時間は既に午後1時に近くなっているが、ほとんど体を使っていないので、お腹は空いていない。しかし、日本の皇太子も案内されたというレストランの広い店内に席を取ると、次から次に大量の食事がサーブされることになった。春巻きやサテなどのお決まりの料理に加え、ここでのメインは、メコン川名物の「象耳魚」の唐揚。揚げると頭の後ろの鱗が象の耳のようにまくれることから、こうした名前がついたようであるが、確かになかなか立派な魚料理で、ウェイトレスが春巻きの皮に包んでくれた。川魚特有の匂いもなく、さっぱりした味。別にもち米を揚げて球体に仕上げた料理も初めて食べるものであった。最初は、膨れた皮を摘んでいたら、ウェイトレスが来て、球体を潰し、中にあったもち米を包んで食べるようにセットしてくれた。スープ麺も含め、味はどれもまあまあであるが、いかんせん量が多く、相当食べ残して昼食を終えることになった。午後2時前にレストランを出て、帰途に着く。満腹感もあり車内でうとうとしている内に市内に戻り、まず日本語ガイドが、バイクを留めている、ということで先に降り、そしてベンタイン市場で、我々も下車して、この日のツアーが終了した。前日眺めていたこの市場でお土産を買うことにして、いつものように値引き交渉をしながら、いくつか小さな買い物をしたのだった。

 ホテルで一休みしてから、夕食の場所を探す。もちろん昼食を食べ過ぎたので、お腹はあまり空いていないが、折角なので、近所にあるネットで評判のよい、「Huong Lai」という店に行くことにした。ホテルからは、徒歩で10分もしない距離にある。

 夕方の混雑した道の歩道には、時々バイクが乗り上げて走っているが、それをもろともせず歩いていくと、すぐにこのレストランの看板を見つけた。目立たない看板がかけられた小さな扉を開けると、二階への階段があり、それを上ると、屋根裏のような、こじんまりとしたレストランがある。時間は午後7時前で、土曜日夜ということもあり、予約なしで入れるかどうか心配していたが、ラッキーなことに最後の2人用のテーブルが空いていた。

 ネットによると、このレストランは、ベトナムの路上生活者の支援事業を行っていた日本人が、そうした若者の支援のために、彼ら彼女らを雇うことで2001年にオープンしたベトナム家庭料理の店だという。その後も、個人経営の孤児支援施設への寄付を続けており、お店の売上やお客から、また旅行をきっかけに支援するようになった日本人からの寄付活動を行っているということである。日本人の経営で、日本語のネットの評判も高いことから、この日も日本人客は結構多かったが、同時にローカルの家族連れやカップルも多く、現地に根を下ろしている様子が感じられた。

 肝心の料理であるが、昼を食べ過ぎたので、やや控え目にしようということで、海老の炒め物、魚のから揚げ、そして焼き茄子を注文。どれも薄味で、たいへん美味であったが、特にネギがたっぷり盛られた焼き茄子は絶品。以前、カンボジアで食べた大きなナスと同じ材料であろうが、カンボジアのそれが皮を残した大雑把な作りであったのに対し、こちらは実だけ取り出し焼いた上品な味わいである。どちらも美味しいのであるが、軍配はこの日の茄子の方だろう。ビールも進み、二人で4缶、それぞれ違うベトナムビールを頼んだが、値段は締めて484千ドン、とたいへん良心的。店内で忙しく動いている日本人男性がいたので、声をかけてみると、彼がこの店のオーナーの白井さんであった。すでにベトナムには20年いるということだったので、まさにローカル化している方なのであろう。

 そんなことで、たいへん良い気分でホテルに戻り、この日が終わったのであった。

11月26日(日)

 最終日。チェックアウトは正午ということで、ゆっくり朝食をとる。昨日から、日本語を勉強したいということで、席に何度も立ち寄って雑談をしていたウエイターの若者に別れを告げ、簡単に荷物の整理をしてから、町の散策に行くことにした。8年前に散策したルートと逆に、まずは至近の統一記念堂(旧大統領官邸)に向かう。既にオープンしていたが、ここには外から眺めるだけに。前の広場では、お揃いの制服を着た若者の集団が、あちこちで記念写真の撮影をしている。女学生は、赤や黒のパンツの上に、白のアオザイを纏っているが、学校によって色が異なっているようだ。その内の何人かと妻が話をすると、彼ら彼女らは大学生で、ちょうど卒業式を終えて、その記念撮影に訪れたということ。全員揃った写真や個々のスナップを撮ったりしているが、皆楽しそうである。記念堂の前に広がる公園にも、多くの学生の集団が集っている。公園を抜けると、まずホールの上の壁にホーチミンの肖像画が飾られた郵便局。そしてその隣がカトリック教会。これらの前にも、観光客に混じり多くの制服の学生たち。信者ではないが、その振りをして、短時間教会のミサを聞きながら小休止し、再び通りへ。教会の横にしゃれた小物屋があり、妻はそこで小さな革製品を購入。そしてドンコイ通りに向かう。時間は10時を少し回ったところ。12時のチェックアウトまでにホテルに戻らなければいけないので、それからどうするか相談したところ、妻は、昨日覗いたホテル近所の瀬戸物屋(「Authentique Home」)などに立ち寄りたいということで、別れて、私は一昨日行ったドンコイ脇のマッサージ屋に向かった。朝10時の開店直後の店で、また1時間のボディーマッサージをして、ホテルに戻ったのが11時半前。妻はもう部屋に戻っていたことから、そこで着替えと最後の荷造りをしてチェックアウト。午後4時前のフライトのためには午後1時半頃出る必要がある、ということだけ確認し、荷物を預け、最後の昼食に出かける。

 最後の昼食は、やはり近所にある、ネットで評判のよかった「隠れ家的レストラン」と紹介されている「Secret Garden」に行こうということになった。ただネットによると、探すのは結構難しいという。
 
 昨晩のレストランの近所なので、徒歩10分もかからない。まず狭い路地に入るということで、ネットの写真にあった入り口の感じを探すと、鉄格子の色がネットと違うが、似たような格子戸の路地があったので、そこに入る。その路地から入る建物の5階ということであるが、その入り口は直ぐには分からない。通行人に尋ねると、ある小さな入り口を示したので、そこに入っていくと、階段に続く。ただレストランのサイン等はなく、「本当にこの階段で良いのだろうか」と不安に襲われるが、また階段の途中ですれ違った人は、ここで間違いない、ということで更に上っていくと、この「隠れ家」に行き着いた。古い建物の5階テラスに設けられた、いかにも「隠れ家」という感じのしゃれた雰囲気の店である。この日も予約はないが、二人席が空いていたので問題なく着席。まずビールを注文してから、メニューを眺める。昨晩のレストランと違うのは、こちらは、雰囲気からすると、旅行客というより、在住と思われる欧米人の客が結構多かったこと。テラスには緑が溢れ、直射日光は避けられるので、冷房はないがたいへん心地よい。我々が注文したのは、あさりの酒蒸しとイカの炒め物、そして一風変わったお米のスナック。この日もどれも美味であったが、特に面白かったのはお米のスナックで、やや焦がしたもち米の上に、薄味のひき肉炒めを乗せたもの。朝食ブッフェもしっかり食べていたので、それで十分かな、と思ったが、時間もあったので後でベトナム風卵焼きを追加注文した。こうして出発までの時間をのんびりと過ごしたのであった。

 ホテルに戻り、予定通り午後1時半、タクシーで空港に向かった。日曜日で道が空いていたのだろうか、この日は30分ちょっとで空港に到着。午後3時55分発のJetstarに搭乗するまで、ゆっくり過ごし、そして予定通りシンガポール、チャンギには午後7時に到着した。ホーチミン空港の通関で、妻が、「シンガポールから日本に戻るフライト・チケットが確認できないと、シンガポールに入国できない」などと脅され、日本にいる娘に日本へのフライトの予約番号などを確認することになったが、実際のシンガポール入国はまったく問題がなかった。

 8年振りのホーチミンを総括するとすれば、市内の変化は大きく、町の景観やレストランは一段と洗練されたが、ツアー用の観光資源の整備はまだまだだな、というところであろうか?道を埋め尽くすバイクの群れは相変わらずで、時々歩道にまで乗り入れてくるのには癖癖したが、それでもサイゴン川沿いの大通りなどを除けば、街中の交差点等には信号も増え、車両通行の無秩序は改善に向かっているという印象である。またホテルの従業員や商店の店員など、たいへん親日的で、市内の地下鉄工事での日本の協力などが歓迎されている様子が感じられた。最終日に出会った学生たちも表情が明るく、ASEAN中進国の中でももっとも勢いのある国の一つであることは間違いない。8年前の訪問、あるいは昨年のホイアン訪問でも同様であったが、この国が社会主義国家であるということは、人々の生活からはほとんど感じられない。その意味では、今後公私に渡り、この国との関係が増えていくことは予想され、まだ訪問していない首都ハノイなども、近いうちに一回訪れておきたいと感じた、今回の短いホーチミン市滞在であった。

2017年12月14日  記