転換期の国つくりー雑誌寄稿記事
2008年8月記
8月9日(土)、シンガポールでは43回目の「ナショナル・デー」の式典が、当地の名所マーライオンを対岸に望むマリーナ地区で開催された。各種のパレードや戦闘機の曲芸飛行が色を添え、そして最後は打上花火が夏の空に舞った。1965年8月、シンガポールが、それまで所属していたマラヤ連邦から、半分追放される形で独立した記念日。資源を持たない都市が、周囲から放逐されるように独立してから半世紀近い時間が流れ、シンガポールはASEANの最先進国と言われるまでに成長してきた。しかし、その苦難の歴史は、その独立を祝う催しの数々からはほとんど感じることができない。人々は、今の豊かな生活を当然のこととして、式典を楽しんでいるように思える。
この日、私はこの地に着任して、ようやく2ヶ月を過ぎたところだ。過去に何度かこの地を出張で訪れる機会はあったが、そこで勤務するのは全く初めてだった。それでも、到着直後からこの町が活気に溢れているのを感じていた。
丁度1年前から広がった、米国サブプライム関連商品への不安とそれを契機とする世界経済の後退懸念。金融界だけで世界的に8万人近い人員削減が行われたと報道されている。しかし、その削減の太宗を占める欧米系の投資銀行も、ここではプライベート・バンキング業務を中核に、むしろ大幅に人員を増加させており、私がこれからこの地でのビジネスを立ち上げようとしている資産運用業界では、7月末に公表された当地金融庁の統計によると、2007年は、預り資産で7年連続二桁%の伸びを示している。その資金の源泉は86%が海外からで、アジア・欧米の資金のみならず、石油収入で潤う中近東の資金流入も急速に加速しているという。
他方で、総人口460万人という、国家としては小振りな町の至る所にある大規模ショッピング・センターは、夕刻や週末ともなれば人で溢れかえり、不動産価格や賃料は、商業用、居住用共に、欧米諸国以上の速さで、過去2年間上昇してきた。オフィスエリアや有数のショッピング街であるオーチャード通りを中心に、オフィス用、商業用、居住用ビルの建築工事もいたるところで行われている。これだけ町にクレーンが溢れている光景は、かつて勤務したドイツで、壁が崩壊した直後のベルリンを見て以来という気がする。
もちろん、この国も、欧米経済の減速や石油を中心とする資源価格の高騰とインフレの昂進といったグローバル経済に影を落とす懸念材料から無縁ではない。日本以上に天然資源を持たず、例えば農業人口はゼロ%というほど第一次産品を輸入に依存していることもあり、ガソリンや農産物の価格上昇は顕著であり、冒頭の記念日に先立ちテレビ演説を行ったリー・シェンロン首相も、今年の経済成長率を、4−5%へ引下げると共に、「これから年末まで、浮き沈みの激しい日々が待っている」と国民に檄をとばしている。それでも、それらの悪材料が他のアジア他国ほど、経済ファンダメンタルズの懸念につながっていないのは、まだ引続き堅調な雇用環境と国内消費故であろう。
独立記念日が過ぎ、次の話題は、来る9月26日から3日間開催される、町の中で行われるアジア初のF1レースに移った。そのメインストレッチの向かいでは、来年のオープンが予定されている当地初のカジノの建設工事が順調に進んでいる。先の演説で、リー・シェンロン首相は、この国が生き残るための条件として、@新たなリゾート開発とソーラーエネルギープラントへの投資等による経済成長、A少子化対策としての子供に暖かい環境の整備、そしてB教育や市民生活のインターネット化の推進を打ち出した。1819年に英国人ラッフルズ卿が上陸して以来始まったこの国の歴史で、基幹産業は、仲介貿易から、戦後の重工業中心の加工貿易、金融オフショア市場と形を変えてきたが、今また次の時代に向けて、この国の指導者たちは新たな知恵を絞っているように思える。資源を持たない都市国家が変化の激しいこの時代を如何に生き延びていくか。この国の行き方は、今や変化への対応がいたるところで袋小路に入り込んでいる日本が参考にできる多くのものをもっているのではないだろうか。これから当地とそこでのビジネスを学んでいかなければならない私の第一印象である。