身毒丸(しんとくまる)
2011年8月30日
夏休みの一時帰国時に、日本で家族全員で見た演劇である。このサイトでは演劇評のコラムはまだ設けていないので、やや例外的な扱いになるが、取り敢えずシンガポール通信に掲載することにした。
これは、寺山修二/岸田理生の原作を、蜷川幸雄が演出して過去何度か再演されてきた作品で、ベテラン女優と若手新進俳優の組み合わせが過去にも話題を呼んでいた。以前はベテラン女優が白石加代子。これに絡む若手新進俳優が、初代が武田真治、二代目が藤原竜也であり、特に藤原は、この舞台がきっかけでブレイクしたことは有名である。そして今回は、白石の代わりを大竹しのぶが演じ、若手は矢野聖人(まさと)という19歳の新人が抜擢されることになった。かの伝説的な大竹に、若手新人俳優がどう対峙していけるのかが、まさにこの舞台の一つの大きな関心事である。
会場の銀河劇場は、天王州アイルにある劇場で、私も初めて訪れる場所である。ウイークデイの午後2時開演のマチネであるが、席は略埋まっている。2階の最前列に席をとる。
実は、私は、会場に足を運ぶまで、この舞台が蜷川演出ということは家族から聞いていたが、寺山の原作ということは全く認識していなかった。開演早々、丁度明治時代の下町歓楽街を思わせるような、舞台装置と登場人物のスタイルに、若い頃時々見に行っていたアングラ劇団のムードを感じることになった。それが寺山の原作であるということを認識したのは、劇が終わって、改めてパンフレットを見直した時であり、なるほどそういうことであったのか、と妙に納得したのであった。
その舞台であるが、まず上記のような町の情景が、10人程度の俳優たちで表現される。リヤカーで仮面を販売する商人、小人、娼婦等々、明治期のトリックスターの勢ぞろいといった趣である。そして主人公の家族が登場する。父親と息子の身毒丸(矢野聖人)、それに家政婦。母親は亡くなり、少年は母親への想いから抜けられないようである。それを心配する父親(六平直政)は、息子のために新しい母親を見つけると告げる。娼婦の飾り窓のようなレイアウトに雑多な女たちが揃っており、一人一人値踏みしていくが、父親は、最後に残った仮面を被った女を新しい母親として選別する。仮面を取ると、そこに撫子(大竹しのぶ)が現れるのである。
撫子の連れ子「せんさく」を交えた一見幸せそうな家族生活が始まる。しかし、身毒丸は、依然亡き母への想いから抜けられず、撫子にはなつかないばかりか、事ある毎に反抗的な態度をとり続ける。4人は「家族合わせ」ゲームで遊ぶが、母親のカードは身毒丸が独り占めするので、何時まで経っても家族合わせは完成しない。そしてついに、ある時撫子は身毒丸に体罰を加え、二人の溝は決定的になるのである。
寺山独特の、暗い重たい場面が続く。撫子から逃げ出した身毒丸は、不思議な仮面売りに合うが、その男は持ち運びのできる穴を出し、これがあればどこでも行けると言う。身毒丸はそれを使って地下の世界へ入り、そこで亡き母を探すのである。そこでは多くの子供を亡くした母が蠢いているが、その奥には撫子が立っている。撫子の嬌声と共に身毒丸は悪夢から覚めるのである。
相変わらず亡き母の写真を大切に抱えながら磨く身毒丸。しかし撫子は身毒丸の思いを消そうとして、彼が目を離した隙にその写真を必死で磨くが、身毒丸がそれを取り戻すと亡き母の顔が消えているのである。怒った身毒丸は撫子を平手打ちする。父親は、その身毒丸の行動を非難し、撫子を母として受け入れるように再度命令するが、それを拒否して身毒丸は家を飛び出すのである。
家を飛び出した身毒丸に、撫子は藁人形を使い、呪いをかける。実は撫子は、女として身毒丸に惹かれているのである。母としても女としても思いを遂げられない撫子。そこに母を探す身毒丸が現れる。暗闇の中で、身毒丸は、母と間違え撫子に抱きつくのである。
呪いで両目を失った身毒丸。身毒丸のいない家では、顔を失った親子3人が、終わることのない家族合わせゲームを行っている。地の果てを彷徨った末に再び戻ってきた身毒丸が義理の弟「せんさく」を誘い出して殺す。家は崩壊する。そして身毒丸と撫子はついに男と女の関係になる。「お母さん、もう一度僕を妊娠してください。」「もう一度、もう二度、もう三度、お前を生みたい、お前を妊娠してやりたい。」抱き合いながら叫ぶ二人に群がる人々。彼らが離れていくと、そこに残ったのは身毒丸の骨を抱きしめる撫子だけであったのである。
そもそもこの作品は、寺山主催の「天井桟敷」で1978年に初演されたが、その後1995年に岸田理生が台本を改訂し、蜷川幸雄演出で再演されたという。その際の身毒丸を演じたのは当時アイドルとして人気を集めていた武田真治、撫子は白石加代子であったが、1997年には新人の藤原竜也が二代目の身毒丸となり、ロンドン公演等の海外公演でも絶賛され、藤原が一躍ブレイクすることになったことは、前述したとおりである。今回の公演は、主役の二人が変わったことに加え、劇終盤の展開が異なる他、新しい楽曲が追加されるなど、大幅な変更が行われているというが、それは過去の作品を見ていない私には分からない。
今回の舞台に関して、まず初めて舞台を見た大竹しのぶは、やはりさすがという存在感であった。家族合わせゲームの中で、高速のセリフを各人が交互に繰り返すようなところで、少し噛むこともあったが、当初は身毒丸の良き継母であることを繕いながら、次第に愛憎入り混じった魔性の女に転じていく変化を、鬼気迫る雰囲気で演じていた。他方で身毒丸を演じた矢野であるが、確かに頑張ってはいたものの、絶叫調のセリフになると言葉が聞き取れなくなるなど、まだ大竹に対峙するには力不足という感は否めなかった。前半の裸で湯浴みをする場面など、この舞台の話題となったシーン等はそれなりに大胆にこなしていたが、あまりにセリフが若々しく、撫子の妖魔に取り込まれ狂気の世界に入っていく若者という切迫感はなかなか伝わってこなかった。実際、これで評価を受けた藤原の舞台と比較することが出来ないので相対評価はできないが、大竹のセリフにはそのまま観客として没入できる何かがあるが、この若者のセリフは、あくまでセリフとして傍観者的に聞いていたというのが実感であった。また意外ではあるが、撫子の連れ子「せんさく」を演じた子役が、なかなか良い味を出していたようにも感じた。
蜷川の演出が、オリジナルの寺山のそれと比べてどうか、というのも、寺山自身の演出作品を見たことのない私には分からないが、蜷川が天井桟敷のイメージを抱きながらこの演出していたことは間違いないだろう。25年以上前に、ロンドンで蜷川演出、栗原小巻主演の「オイディプス」を見た記憶があるが、その舞台では結構大きな舞台装置の中で、栗原が延々と過去の恨みを述べていくところが印象的であった。今回の舞台も、それと同様、撫子のある種の狂気への変貌を如何に表現するかが見所の一つであり、実際、寺山風のおどろおどろしい明治の場末を思わせる舞台設定とも相俟って、まさに非日常的な空間に没入しているようなカタルシスを感じることができたのである。ただ、第二部の始まり近くで、登場人物10人ほどがラインダンスを踊るが、その中の一人の太ったお姉ちゃんが、(タイツで覆われていたようであるが)醜い乳房をブラブラさせながら踊っていたのは、演出上本当に必要だったのだろうか、という若干の疑問も残ったのであった。
2011年9月13日 記