中国語雑感
2012年4月18日
去る3月25日(日)に受験した中国語検定3級の試験結果が公表され、昨年6月に失敗した後の2回目の試験で、何とか合格することができた。受験者数6095人中、合格者は2165人、合格率35.5%という全体結果であるが、試験後の自己採点では、文法はともかく、四声に関わる設問を全敗したり、独立した評価対象であるヒアリングの合格レベル65点は確実に下回っていたりと、まず合格は無理だろうと考えていただけに、この結果はやや意外であった。しかし、これで2年前の旧正月明けに一念発起し、週一回3時間の授業に参加してきた結果を、ようやく形として残すことができた。
ここシンガポールは、もちろん人口の75%が中華系であることから、町の至る所で中国語を耳にする。もちろん中国語と言っても、多くの方言があり、シンガポールは南部の福建省や潮州等広東省からの移民の子孫が多数を占めていることから、おそらく日常的に聞くことができる中国語は、こうした地域の方言の影響を受けているものなのであろう。
しかし、英国の植民地として発展し、1965年のマレー連邦からの独立後は、事実上の一党独裁をひいた人民行動党、なかんずくその指導者であったリー・クアン・ユーの強力な指導で、この国は所謂「バイリンガル」教育を貫いてきた。別掲の彼の自伝でも触れられているが、独立後はまず「多言語主義」を基本として、国語はマレー語、公用語は、マレー語、中国語、タミール語、英語の4つとするが、実際には自分が受けてきた教育言語で、特に経済発展のためのビジネス言語として有用と考える英語教育に力を注いだのである。しかし、それが特に中国語教育にこだわる華人社会からの抵抗に直面すると、それをなだめながら、しかし実際には中国語教育の中心であった南洋大学卒業生の就職難といった形で圧力をかけ、この大学を南洋工科大学として再編するなど、斬新的な英語化を進めていく。またその過程で、中国語についても「標準中国語化=マンダリン化」を進める運動を行い、徐々に方言を駆逐していったとされている。この言語政策については、私はまだ読む機会がないが、リーは、昨年11月、新たに「My Lifelong Challenge:Singapore’s Bilingual Journey」と題された著書を出版し、彼の考えをより詳細に説明しているようである。
いずれにしろ、そうした言語政策の結果、ここシンガポールは、私が勤務する金融業界のみならず、町の屋台のおじさん、おばさんからタクシー運転手に至るまで英語で事が足りるので、外国人にとっては非常に気楽な町である。例えば、かつて90年代に私が7年滞在したドイツのフランクフルトでは、もちろんビジネスの世界は英語で全く問題がなかったものの、一歩町に出ると、特に年長者を中心にドイツ語しか通じない世界が広がっており、そこで生き延びる最低限のサバイバル・ジャーマンを身につけなければならなかった。それはおそらくその時代の東京で外国人が経験した世界も同様であったであろう。また一昨年久々に香港を訪れた際には、空港からのタクシーで必ずしも英語が通じない、ということが分かり、同じ英国植民地でも、シンガポールと香港の間で、一部の教育層と一般民衆との間で、英語の浸透度に大きな差があることを感じたものである。
そのように、ここシンガポールでは、かつていたドイツのように、ドイツ語を学ばなければ日常生活に支障が生じるといった懸念はない。しかし、他方で中国語が出来れば世界は広がる可能性がある。また語学は、勉強しても使う機会がなければ、ただ頭で勉強した知識に過ぎないが、ここではそれを使う機会はいくらでもある。そうした点で、この国は、プレッシャーなく中国語を学ぶ上で、絶好の機会を与えてくれるのである。もちろん、プレッシャーがないことで、勉強がいい加減になるということも確かであり、また初心者として勉強を始めた者にとっては、実際に中国語だけで会話が進むというレベルに達するにはまだまだ時間を要することは言うまでもない。
会社の同僚であるシンガポール人に話しを聞くと、現在シンガポールの学校教育は原則全て英語で行われ、その他の公用語である中国語、マレー語、ヒンドゥー語等は、語学として勉強をするようである。しかし、実際には家族の中には例えば年配者を中心に中国語の方が楽な人がいるので、自然とその家族との間では中国語での会話になるという。その中国語も、当然先祖の出身地により広東訛りや福建訛りが入ってくるし、それにその他のマレー語等も混在した「シンガポール訛り」になることも多いという。実際、町で聞かれる中国語は、この「シンガポール訛り」の中国語が圧倒的に多いのであろう。その意味では、リーらが推進した「標準中国語化=マンダリン化」は、必ずしも民衆に浸透したとは言えず、そこでは現在までに脈々と作り上げられた「シンガポール訛り」の中国語の世界が生き延びているといえる。そこでは、私等が限られた単語を使い、いい加減な四声と発音で話す中国語は、相手には理解してもらえるにしても、相手が話す言葉をこちらが理解するのは極度に難しいという現実が存在することになる。そして恐らくは、例えば標準語の世界である北京に行ったとしても、この状況はそれほど変わらないのであろう。実際前回の試験のみならず、今回の試験でも、四声に関わる問題は、ほとんど全滅に近い結果であったし、ヒアリングが厳しかったことは前述のとおりである。
しかし、それにも関わらず、今回の試験結果が、引続きこの地で中国語の勉強を進めていこうという大きなモティベーションになったことは確かである。ここシンガポールに滞在していることの大きなメリットの一つが、こうした機会が与えられているということであると考えながら、還暦も近づき、益々硬くなってきた頭を何とか騙し騙し、もう一段の中国語能力の向上を図りたいと考えている今日この頃である。
2012年4月18日 記