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2013年 マレーシア総選挙
2013年5月5日 
 2013年4月3日(水)、マレーシアのナジブ首相は、下院の解散を宣言した。前回2008年の選挙から5年、ナジブ首相は、現在の選挙制度が導入された1974年以来、任期を略満了して解散に踏み切った初めての首相になった。それは、それまでマレーシアの権力を実質独占してきた与党「マレー国民組織(UNMO)」とそれが主導する連立与党「国民戦線(NF又はBN(Barisan Nasional))」による支配構造が、野党の勢力拡大により脅かされてきたため、ナジブ首相が解散の時期を決断できずに引っ張ってきたことによる。4月末の任期満了を控え、ナジブ首相はついに決断をせざるを得なかったのである。こうして、マレーシアの約13.3百万人の有権者により、222議席の下院議員と、505議席の地方議員を決める選挙が近々行われることとなった。選挙日は、下院解散後約10日の冷却期間を置き、解散後60日以内のタイミングで選挙管理委員会が決定するが、この時点では4月27日(土)または28日(日)が有力視されていた。

 シンガポールと同様、マレーシアも1957年の独立以来、与党「マレー国民組織(UNMO)」が一貫して政権を維持してきている。シンガポール「建国の父」であるリー・クアンユー(Lee Kuan Yew)率る人民行動党(People’s Action Party―PAP)が、事実上の一党独裁を維持してきたような、一つの政党による圧倒的多数の確保という状況とは異なるが、マレーシアは、マレー系優先という原則の下に、華人系、インド系の政党の一部を「国民戦線」という形で与党連合に取り込み、その連立与党により議会の3分の2を確保するという構造を作り上げてきたのである。

 しかし、シンガポールと同様、国民の生活水準が上昇するに従い、こうした政権の膠着がもたらす汚職、癒着といった問題に、国民の関心が向かうことになる。そして前回2008年の総選挙では、国民戦線は、戦後初めて3分の2の絶対多数(148議席)を割り込む140議席(但し、その後の補選等の結果、今回の解散時点では137議席)を獲得するに留まり、当時のアブドラ首相が責任を取って、現在のナジブ首相に政権を引き継ぐという結果になった(当時、これは「Political Tsunami」が発生したと総括された)。しかしながら今回は、与党連合にとって状況は更に厳しく、ナジブ首相も略任期満了になるまで解散の決断をすることが出来なかったのである。

 野党連合(PR-Pakatan Rakyat)を率いるアンワル・イブラヒムは、波乱万丈の人生を歩んできた政治家である。1980年代に、マレーシア青年イスラム運動の代表として頭角を現し、時の首相マハティールの寵愛を受け、副首相にまで上り詰めるが、1997年のアジア通貨危機に際して、欧米ヘッジファンドを非難し、資本規制によりいったん国を閉ざしたマハティールに対し、IMF主導によるマレーシア経済の構造改革を主張したことからマハティールに解任されたのみならず、まず国内治安維持法違反で、またその後は同性愛の嫌疑で逮捕、拘留されるという辛酸をなめることになった。しかし、同性愛との告発に対しては、一貫して無実の主張を貫き、2012年1月に最終的に無罪の判決を勝ち取り、再び政界に復帰、それ以来野党連合PRの指導者として、反国民戦線の運動を率いてきた。現在63歳になるこの野党指導者の指導力が、今回政権交代という観測が流れるところまで与党国民戦線を追い詰めてきたのであった。

 選挙戦序盤では、野党連合は、前回選挙で82議席を獲得した下院での第一党を目指す他、地方議会では、現在押さえているペナン(Penang)、セランゴール(Selangor)、ケダー(Kedah)、ケランタン(Kellantan)の4州に加え、今回シンガポールに接したジャホール(Jahor)、そして東マレーシアのサバ(Sabah)及びサラワク(Sarawak)でも多数派を確保できると意気込んでいた。 

 投票日はその後、5月5日(日)に確定し、約1ヶ月に渡る両派による激しい選挙運動が繰り広げられることになった。与党連合は、現在87歳になるマハティールが、全国遊説に飛び回るなど元気な姿を見せ、また4月末にブルネイで行われたASEAN首脳会議では、ASEAN首脳ではナジブ首相のみが、選挙運動を理由に欠席するなど、この選挙に全身全霊を傾けていることを示すことになった。他方、野党陣営では、「美人」の評判の高いアンワルの娘(Ms.Nurul Izzah Anwar)が、「刺客」として、前回選挙に続き与党の地方大臣の選挙区に送り込まれるといったことも話題になっていた(結果的に彼女は与党大物を破り当選した。)

 そもそも選挙前に、私の仕事にも関連する、国営企業の民間への大型株式放出(IPO)が数件行われたが、これらは同時期に上場した、例えばフェイスブックのような欧米銘柄の上場後の株価が冴えない動きを示す中、マレーシア銘柄は、おそらく価格維持政策が取られたのであろう、上場価格を超える株価で取引が継続することになった。しかし、IPOに当たって購入することの出来る投資家は、所謂「ブミ」である個人のみで、我々のような機関投資家はアクセスができなかった。これは言わば、国営企業株を使った選挙民に対する「現金のばらまき」とも言えるものであった。

 また下院解散前の2月中旬、フィリピン南部の群島にあるスールー王国の私兵を自称する約200―300人の武装勢力が、以前からフィリピンとの間で領有を巡る議論があったサバ州北部の寒村に突然上陸、村を占拠するという事件が発生した。この事件は、マレーシア国軍が武装勢力を包囲、しばらく睨みあった後、3月に入り武力による掃討を開始、3月中旬までに略制圧することになったが、この武装勢力がどのようにして沿岸警備を潜り抜け上陸できたのか、あるいはこの侵攻資金が、どこから出たのかにつき憶測が飛び交うことになったのである。後者については、現在マニラ近郊に住むこの王国のスルタンにはそうした資金力はないことから、国民戦線側は、この資金がアンワル周辺から出たと主張、他方アンワル陣営は、これは危機感を高めるために国民戦線が自ら仕組んだ自作自演の芝居である、と非難するということになった。その真相は現在でも結局うやむやなままである。

 こうして5月5日(日)の投票日を迎えた。当方は通常の能天気な週末を過ごした後、投票終了後の日曜日午後9時頃から、当地のテレビで中継された開票速報の番組を眺めることになった。

 しかし、投票の風景や開票前の各地のレポーターの予想報告などは流れるものの、日本での同種の選挙と異なり、議席獲得の知らせはなかなか入ってこない。投票時に、選挙管理の担当者が有権者の爪の一つを黒いインクで塗りつぶす様子が映るが、同時にこれが薬品を使い簡単に落とすことができる、といったコメントが添えられている。本人確認と有権者登録リストがあれば、そんなことはやる必要がないのであるが、まだそうしたインフラは未整備なのだろうか。そうであるとすると、当然そこでは不法投票などの可能性が高まるのは間違いない。しかし、結局10時半を過ぎても、全222議席中、当選が伝えられたのは国民戦線の10議席ちょっとであり、これは最終結果が判明するまでには相当時間がかかると判断し、この日はそのまま就寝したのであった。

 翌朝、早めに起床し、テレビで結果を確認する。結果は国民戦線133議席、対する野党連合は89議席と、政権交代もありという予測にも関わらず、結局は国民戦線が1957年の独立以来56年にわたり維持してきた政権が継続される結果となった。また注目された地方議会については、獲得議席総数では、前回が、与党連合:306議席、野党連合:197議席に対し、今回は更に僅差となる与党連合:275議席、野党連合:229議席となったが、州ベースでは、野党はペナン(Penang)、セランゴール(Selangor)、ケランタン(Kellantan)の3州で勝利したものの、ケダー(Kedah)では敗れ、また接戦が予想された東マレーシアのサバ(Sabah)及びサラワク(Sarawak)も、引続き与党が押さえることになった。

 この結果を受けて、6日(月)未明、ナジブ首相は勝利宣言を行うと共に、速やかに新政権の承認を野党側に求める演説を行った。また選挙明け第一営業日の同日のマレーシア株式市場は、それまでは政権交代を懸念し周辺諸国に比較し低迷していたにも関わらず、与党勝利を受けてFTSE-KLコンポジット・インデックスで3.4%の急騰、リンギ為替も主要通貨に対し強含むことになった。しかし、他方で野党指導者アンワルは、直ちに選挙に際して与党側に多くの不正があったとして、この究明を行うことを主張。併せて今週半ばにそのための大規模な街頭行動を行うことを示唆している。

 野党側が指摘している不正は、例えば投票所に不審な車が横付けされた後、突然停電が発生したが、その間に不正な票が紛れ込んだのではないかといった疑惑や、バングラデッシュなどの外人労働者(当然選挙権を持たない)が選挙に併せて大量にマレーシアに運び込まれ、彼らが不正投票をした、といった疑惑である。7日(火)には、こうした外人の「ゴースト・ボーター」を輸送したのではないか、と噂された格安航空の雄、エアアジアのフェルナンデス会長が疑惑を否定するコメントを出すことになった。また一貫してマレーシアの汚職を告発してきている非政府組織(NGO)の「Bersih―ブルシ(清廉)」は、国民戦線が「選挙期間中に票の買収や景品の当たる抽選会などを何度も実施」したとして、「真相究明まで新政権は認められない」との発表を行っている。

 今回の投票分析で指摘されているのは、当初からの予想通りであったが、「ブミプトラ(土地の子)政策」(=マレー系優遇政策)に批判的な華人系の与党離れが一層明確になったという点で、華人系政党として与党連合に参加しているマレーシア華人協会(MCA)が現有議席15を大きく減らし7議席を確保するに留まったのに対し、野党連合に参加している華人系政党である民主行動党(DAP)は、前回28議席から、今回38議席に伸ばし、この傾向を明確に裏付けることになった。開票後の記者会見で、ナジブ首相はこの現象を「Chinese tsunami」と表現し、それがまた物議をかもしている。

 更に、単純な得票数(Popular Vote)で見ると、2008年選挙では与党連合:51%、野党連合:49%であったのに対し、今回は与党連合:46.5%、野党連合:49.9%と、こちらも44年振りに与野党が逆転するという状況で、日本でも多かれ少なかれ同じ状況ではあるが、選挙制度による「1票の格差」で、与党連合がかろうじて多数派を確保したというのが実態である。従って、取り敢えず与党連合が引続き政権を維持することになったとはいえ、前回同様議会の3分の2の絶対多数の確保ができなかったのみならず、更に前回よりも議席を減らしていることから、ナジブ首相の求心力が弱まることは確実で、それが今後のマレーシアの政局に及ぼす影響が懸念されるのは間違いないことだろう。特に選挙後、与党系の新聞で、今回の華人系の野党シフトを批判する記事が掲載され、それがマレー系と華人系の人種論争を再燃させるのではないか、といった懸念も頭をもたげている。

 5月8日付の日本経済新聞では、この選挙結果について報道した記事の中で、「韓国と台湾、マレーシアの一人当たり国内総生産(GDP)は1980年時点では2000ドル前後で並んでいた。その後に韓国と台湾は急成長を遂げ、今では同1万ドル前後のマレーシアの2倍程度の水準だ。マレーシアはおおむね年率5%の安定成長を遂げているが、都市部住民には『成長を実感できない』との不満が多い」と、今回の与党連合の退潮を説明している。しかし、今回の選挙結果は、そうした経済的な不満以上に、この国が従来から維持してきた「ブミプトラ」に基づいた「民族政策」そのものが再検討を迫られる状況にきていることを示唆していると考えたほうが良い。しかしその転換に失敗すると、再びかつてこの国が経験した民族間の軋轢をいっきに高めることになりかねない(1969年5月の総選挙後、クアラルンプールで、野党支持の華人系と、与党支持のマレー系が激突した5月13日事件は、この国の民族問題の原点である)。ナジブ首相の年内退陣の噂も流れる中、この国の今後の政策運営には、今まで以上に注意を払う必要があると思われる。

2013年5月8日 記