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リヒテンスタイン王室美術展(写真付)
2013年8月11日 
 6月27日から9月29日まで、ナショナル・ギャラリーで特別展として「リヒテンスタイン王室美術展ーPrincely Treasures from the House of Liechtenstein」が行われている。2011年末のオルセ美術館展以降、一流の西洋美術に触れる機会がなかったことから、この特別展はやや気になっていたが、なかなか出かけていくきっかけがなかった。しかし、8月の「ハリ・ラヤ」と「独立記念日」が続く4連休の最終日の午前、夜明け前に激しく振った雨がなかなか止まず、いつものようなプールサイドでの心地よい時間を持てなかったことから、ようやくこの展覧会に出かけていく気になったのであった。

 小雨がまだ残る日曜日の午前10時過ぎのナショナル・ギャラリーは閑散としていた。10ドルのチケットを購入し、地下一階にある展示場に向かう。展示場に入り、鑑賞を始めるが、外も涼しい上に、人もほとんどいないことから、冷房が結構きついように感じられた。しかし、一旦展示を見始めると、オスセ美術館展と比較すると規模は小さいにも関わらず、その内容は、予想していたよりも格段に濃いことが分かってきた。スイスとオーストリアに挟まれた、タックス・へブンとしての金融業以外には特段の産業基盤を持たない小国の王室でさえ、こんな資産の蓄えがあるのかと、改めて認識することになったのである。

 展示は、この王室の別荘である「House of Liechtenstein」関係の説明や、その風景を中心とした何気ない絵画やエッチングでスタートするが、二部屋目からは、大きな油彩やタペストリーが登場し、それが時代に合わせて整理された、歴史的な有名な画家の作品に移っていく。

(油彩やタペストリー等)









 まず目に付いたのはオーストリアの宗教画家クラナッハの小品。聖書を題材に、騎士がキリスト教に改宗する姿を描いた「St.Eustace」という作品である。小さな絵であるが、その鮮明な筆致と動物の生き生きした表情が印象的である。

(Lucas Cranach, The Elder – St. Eustace 1515/20)



 その横にある人物画は、筆致がよく見覚えがある。確認すると案の定それはラファエロの作品であった。構図自体はただの人物画であるが、一目で彼の作品と分かる筆致で、かつてフィレンツェのウフチで思う存分楽しんだが、その後接する機会のなかったこの画家にこんな場所で出会えるというのも驚きであった。

(Rafael – Portrait of a Man – 1502-04)



 続く一部屋には、バロック期の大きな作品が掲げられている。絵としては印象的であるが、私が名前を知っている画家の作品はない。

(バロック期の作品群)



 そしてその隣の一画で、この日最大の感動が待っていた。遠めにも分かる独特の画風。まずは小品の風景画であるが、それでもあのミスティリアスな雰囲気を漂わせている。それは、あの有名なブリューゲル(Peter, The Elder)の作品であった。

(Peter Brueghel, The Elder – Landscape of the Tobias 1598)


 
 そして30号ほどの大きな作品二つ。一つは暗い色調の、もう一つはあの有名な「狩人の帰還」を連想させるような白を基調とした冬景色の作品。そして夫々、傍に近づくと、まさにこの画家の特徴である個々の人物などの詳細な描写が施されているのが分かる。

 この二つは夫々、Peter, The Elder の二人の息子JanとPeter, The Youngerによる作品であるが、素人目にはあのブリューゲルの作品である。特に「Triumph of Death」は、私が若い頃に強い印象を受け、その後マドリッドのプラドで実物に接してたいへんな感動を受けたボッシュの「歓喜の園」に匹敵する(そしておそらく彼の影響を受けたのであろう)17世紀フランドル派の「シュール」な作品である。解説によると、老衰、病気、犯罪、処刑、戦争等々、あらゆる形での死を表現している、とのことであるが、確かにブリューゲルの他の作品に見られるような、細部の描写と、奔放な想像力が見事に合体した作品である。もちろんその雰囲気はまさに「欧州的な死」であり、この熱帯のシンガポールでの「死」とは異なるが、それを別にしても、久々に味わう感動と共に、この作品にはしばらくの間見入ってしまったのである。

 もう一つの「The Numbering of Bethlehem」前述のとおり、白を基調とした冬景色。デザインとしてのすごみはないが、欧州の冬とその中で生活する人々の表情を生き生きと描いた作品である。双方ともThe Elderによる作品が残されているので、これらは二人の息子によるコピーであると思われるが、前述のとおり、素人目には全く父の有名な作品と変わらない。

(Jan Brueghel, The Younger – Triumph of Death c1620)



(Peter Brueghel, The Younger – The Numbering of Bethlehem 16.7)



 因みに、私がブリューゲルの作品に接するのは、記憶にある限りでは、80年代にウイーンの芸術歴史博物館を訪れたのが初めての経験で、ここではあの「バブルの塔」や「狩人の帰還」など7−8点が一室にまとめて展示してあり、感激した記憶が残っている。また90年代に訪れたブラッセルの古典美術館にもまとまったコレクションがあった。後者には、今回の展覧会を見た後、かつてこの美術館で購入したカタログを見ていたところPeter, The Elderによる「The Numbering of Bethlehem」があったようであるが、これは記憶には残っていない。

 続くスペースのメインの作品はルーベンスである。この北ヨーロッパの大家は、大作を、しかも数多く残している。ルーブルやアムステルダムで、これでもか、これでもか、という彼の大作に接したのも懐かしい思い出である。しかし、その作品の大きさや多さにも関わらず、あるいはその大きさと多さ故に、私の欧州滞在時代は、彼の作品に強い印象を受けた記憶はない。ただ、こうして久し振りに彼の作品を眺めていると、それはそれで素晴らしさを感じるから不思議である。やはりしばらく接していないと、自分の感覚の中にそれなりの希少価値が出てくるのだろうか?

(Peter Paul Rubens - The Lamentation 1614/15)



(Peter Paul Rubens – St.Anne Adores the Virgin with Flowers 1609/10)



 こうして主要な作品が終了し、最後のスペースは、あまり変哲のない肖像画だけの展示であった。両手で数えられる程度しか人のいない会場を、改めて入り口まで遡り、もう一度印象的であった作品を眺めてから出口に向かった。略1時間、会場にいたことになる。2年前のオルセ美術館展に比較すると出品された作品の数は少なかったが、ブリューゲルに接することができたことで、思いがけず心に残る美術展になったのである。

(展覧会入口)



 帰りがけに横を通り過ぎた全体の受付窓口に、チケットを求める人々の若干の列が出来ていた。人がいなかったのは雨の日曜日の午前中ということのためだったのだろうか、などと考えながら家路についたのであった。

2013年8月14日 記