「エピジェノミックス(仲野徹著)書評」ーシンガポール生活再開にあたって
2014年7月5日
5月1日、新しい職場に移り、日本と東南アジア、インド等との、科学研究連携を担当することになった。それから1か月、日本での研修として、多くの科学者の話を聞き、また粒子加速器やスーパーコンピューター等の最新の研究設備を見ることができた。37年に渡り金融業界に身を置いてきた私が、還暦を過ぎて、突然今までは一般常識程度の知識しかなかった自然科学の領域で仕事をすることになったのである。勉強することは山ほどある。しかし、素材は無限である。どこから手を付けるか、と考えていた時に、偶々新刊として出版されたのが、ゲノム研究の先端に位置する「エピジェネティックス」に関わる新書である。
6月15日、再びシンガポールに舞い戻った。4か月にわたる日本での激動の日々を終え、爽快な気分で飛行機から降り、とりあえずの宿りであるブギスのグランド・パシフィック・ホテルで今回のシンガポールでの生活を始めることになった。部屋はごく普通のホテルであるが、当座の気分転換に必要な音楽も十分にあるため、快適な空間ができている。そして、今回の滞在の最初の読書として、出発前から読んでいた、この新書を読み終えたのである。
今回の日本での研修の過程で、同じような研究をやっている研究者の話も聞く機会があった。この本の著者も書いているとおり、こうした細胞研究はここ10年ほどで急速に発展し、この分野に関わる研究者も増えているようである。しかし、それを一般の人間が正確に理解するのは簡単ではない。著者はそれを分かり易く解説することを目標としてこの本を書いた、としているが、実際これを読み終わった現在、自分がこの世界について何を理解したか、と問われると、なかなか答えられない。多少理解が可能なのは、最終的な臨床での実用可能性について触れている部分だけで、基礎理論の部分になると、相当難解である。従って、ここでは何が、この本を難解にしているのかを私なりに整理してみたい。
まず、著者は第二次大戦末期の飢餓が、その時期の胎児が成人して以降に現れた幾つかの疾患の原因と考えられるというオランダでの調査を紹介し、「遺伝でも、DNAの塩基配列の変化(突然変異)でもない」要因により「細胞における何かが書き換えられ、それが長期間により維持されうるメカニズム」がある。この「メカニズム」を説明するのが「エピジェネティックス」であるという。
ここで既に、「?」が現れる。遺伝によるある細胞特性が引継がれることは言うまでもない。他方で、「突然変異」というのも、まあそんなものなのだろう、と理解できる。しかし、その両者でもない性質が細胞に影響する、と言われても、あまりに曖昧模糊としている。それは言わば「後天的要因の細胞への影響」という程度しか、ここでは理解することができない。そして、そもそも、私も面談する機会があった「エピゲノム」研究者が対象としている「エピゲノム」や「ヒトゲノム」とはいったい何なのか?
分子生物学の世界での最近の成果の一つとして、ノーベル賞受賞者である山中伸弥のiPS細胞が「たった4つの因子を入れるだけで、既に分化した細胞が、どんな細胞にでも分化できる多能性の細胞へとリプログラミングされる」と紹介されている。そして、この「リプログラミング」の最初の成果として、50年以上も前のJ.ガードンによる「核移植」実験が説明される。この実験により「遺伝情報が核内に存在する」こと、そして「発生・分化の過程において、遺伝子そのもの、すなわちゲノムの塩基配列には変化がなく」、また「すでに分化が終了し、ある特定の機能しかもっていない細胞の核であっても、卵の中に移植されると、受精卵と同じような全能性を再取得する」ことが証明された、という。この「分化した細胞へとプログラムされてしまった核の状態を、どのような細胞にも分化できる受精卵の核の状態に再び戻せること=初期化」が可能である。そしてこれが可能であるということは、一つの受精卵から様々な細胞が生まれてくるのは、遺伝子そのものの中にプログラムがあるのではなく、むしろ「遺伝子相互の影響から後世的」に決まってくるということである。この「後世的=エピ」に「ゲノム」を研究するのが「エピジェネティックス」ということになるようだ。あるいはポパー的に言えば、「ゲノムですべての遺伝情報が説明できる」という仮説が、「エピジェネティックス」で反証されることになる。「エピジェネティックス」はその意味で、生命現象解明における「パラダイム革命」ともいえる議論であったということになる。ただこれまでの説明では、「遺伝子のみでは説明できないことを説明するための理論」という、消極的な定義にしかなっていない。
それを積極的に説明する試みに入るが、まず説明されるのは「ゲノム刷り込み」という現象である。そこでは、まず人の細胞が、「生殖細胞」と「その他の細胞」に分けられるが、これは前者のみが「その遺伝情報を子々孫々へと伝えていける唯一の細胞系列」であるからである。そしてその「生殖細胞」である「受精卵」に関しては、精子由来の核(雄性前核)と卵子由来の核(雌性前核)は、ゲノムの配列は同じであるが、両者の機能は異なっていることが発見されたという。これはこれらの生殖細胞が受精前に、「ゲノムの塩基配列の情報以外のなんらかの情報」が刷り込まれていることを意味する。これが「エピゲノミックスというものの存在を決定的に示している」ということになる。またラバなどの「異種間雑種動物」の存在も「精子と卵子がゲノムDNAの塩基配列以外の情報を有していることを示す分かりやすい例」であるという。その他、細胞の機能を規定するのはDNAではなく、タンパクであるが、その間で遺伝情報を伝達するRNAが生成され(転写)、RNAからタンパクがつくられる(翻訳)。この転写と翻訳により各種の異なった「遺伝子発現が制御される」、即ち各種の異なった細胞が生成されていく、というのが、私がフォローできる限界である。それ以降、「ヒストンの修飾とDNAのメチル化」の状態が遺伝子発現に影響する、というところまで行くと、もはや私にはついていくことができない。
章が変わり、このエピジェネティックスに基づく様々な生命現象、例えば江戸時代から行われていたアサガオの変種作りが、エピジェネティックスで説明される。またスターリン時代にソ連でもてはやされたルイセンコ学説(春化現象)の遺伝学的な批判もある。人為的な突然変異による遺伝学の進化では、ショウジョウバエ研究から始まり、各種植物でのX線照射を含めた突然変異誘発の手法(動物では重要な遺伝子を変異させると致死的になってしまうことが少なくない)、そしてシロイヌナズナでの実験などが取り上げられるが、これらはこの一か月で私も説明を受けたものであり、まだ分かりやすい。ミツバチの脳に対するエピジェネティックスの影響、北アメリカに住むプレーリーハタネズミの「一夫一婦制」、ラットによる「快感刺激とDNAメチル化(=幼児期における影響が成体にまで及ぶ例)」等も、(理論的な説明はともかく)とりあえず現象面だけは面白く読める。そして続けて病気の発症におけるエピジェネティックスの関与。例えば悪性腫瘍である「がん」は、「突然変異、すなわち染色体の異常やDNAの塩基配列の変異」により、「細胞が正常な制御機構を逸脱して増えつづけてしまう」ことにより発症するが、ここでもエピジェネティックな異常も関与しているという。ただここでは、「ヒストン修飾酵素の異常」が遺伝子の発現異常に関係するという推測まではできているが、そのメカニズムの解明はできていないとのことである。しかし、「エピジェネティックな状態に影響を与える薬剤が治療に有効であること」を利用した治療や創薬の研究が進んでいる、というのは、最近も以前の職場の後輩が50歳で白血病のため夭逝した、という話もあり、更なる研究の進化が望まれる分野である。またメタボのような生活習慣病にも、エピジェネティックスが関係しているということで、研究が進められている。「歌舞伎症候群」と名つけられた疾患も紹介されている。
こうしたやや身近な現象面の説明の後、再び理論的な説明に入るが、ここでは、私の現在の職場でも、知り合いがその研究チームにいる「エピゲノム解析」について確認をしておこう。「エピゲノム解析」とは、「塩基配列に依存しない遺伝子発現調節を包括的に解析してしまおう」という試みとされている。それを可能にしたのが次世代シーケンサー(塩基配列決定装置―読取装置か?)の発展で、これにより膨大な数のゲノム解読が可能になったという。これも今回の研修課程で、実際に見ることができた装置である。しかし、それで実際にどのような研究をしているのかは、この本での説明を読んでもまだ霞がかかった状態のままである。
結論的に言えば、「ゲノムは個人のなかでは基本的に同一であるし、生まれてからずっと変わらない」という意味で「決定論的」であるのに対し、エピゲノムは「安定したものではあるが、時に変わっていく、あるいは変わるべきものである」という点で「可変」であるのが大きな違いである、と著者は述べる。そしてこの理論の発展で、「ゲノム決定論的な生命観」は過去のものになり、病気の原因や、記憶や情報といった高次生命現象の解明の新たな可能性の地平を開いたとされる。しかし、それは結局、「エピジェネティックを前提にしないと説明できない現象が多い」という、ある意味最近話題の、「STAP細胞の存在を前提にしないと説明できないことがある」と類似した議論のように聞こえる。STAP細胞がまだ存在することが証明されていないように、エピジェネティックスについても、まだその積極的な理論化は行われていないということなのではないか?そうだとすると、この本が言おうとしているのは、いろいろ専門的な理論を駆使しているが、結局のところ単に「ゲノムだけでは説明できない生命現象が多いので、それ以外の要因を研究する必要がある」、そしてそれが大きな生命科学の将来に向けての課題となっている、ということだけなのではないのか?そして私は、それを言うだけのために、この本の難解な部分につきあったのか?もちろん、それはそれで人類に大きな夢を与える研究であるのは確かである。しかし、残念ながら、「エピジェネティックス」についての具体的な内容については読み終えた今も、表面的にでも理解できたとも言えない状態である。それが単に私の理解が不足していることだけが理由なのだろうか?私が科学の世界を理解するには、まだまだ多くの障害が越えなければならないようだ。
この評を書き終えた時点で、前任からの引継を終え、シンガポールでの仕事を正式に開始。またホテルから新しい住居への転居も終えた。その意味で、これは私の今回のシンガポールでの新しい仕事の出発を画する作品である。しかし、やはりこの世界は一筋縄ではいかない。しかも、この本で取り上げられているのは、その広大な世界のほんの小さな一部でしかないのである。こうして私の二回目のシンガポール滞在は、この作品と共に、大きな興味と不安の双方を抱きながら開始されることになったのである。
読了:2014年6月19日