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2015年 シンガポール総選挙
2015年9月11日 
 2015年9月11日(金)、シンガポールで、私の滞在中2回目の総選挙が行われた。前回総選挙が、2011年5月7日(土)であったことから、今回は5年の任期を半年以上残したタイミングでの実施となった。

 今年3月の「建国の父」、リー・クアンユー(Lee Kuan Yew)の逝去、そして8月9日のシンガポール独立50周年記念のNational Day式典と、大きなイベントが続いた今年のシンガポールであったが、既にNational Day式典の前から、式典後遠くない時期に総選挙が行われるとの観測が強まっていた。それは、一つには、リー・クアンユー逝去の際に、大々的に報道された「建国の苦難」及びそれを乗り切ったリー・クアンユーの功績、そしてそれを改めてお祭り気分の中で繰り返したNational Day式典の印象が薄れない内に選挙に臨むという、明らかな戦略に基づき計画されたものであった。National Day式典の後、直ちに新聞(The Strait Times)には、各選挙区の候補者紹介等、選挙関係の記事で溢れるようになり、その中には、「選挙日は9月12日(土)」という観測記事も掲載されていた。政府の意向を伝えることが使命のこの新聞が、あくまで「推測」という表現であるが、選挙日を特定したことで、おそらく選挙日はほぼそれで確定したと思われた。しかし、8月23日(日)夜の、リー・シェンロン首相による恒例のNational Day Rallyでの「所信表明」演説後の翌24日(月)、トニー・タン大統領による議会解散を受けて公表された選挙日は、1日早い9月11日(金)であった。通常は週末の休日又は祭日に行うのが通例であるこの国の選挙が、通常の営業日に行われるのは、1997年の総選挙以来ということであり、その結果、慣行によりこの選挙日は急遽祭日となることが決定されたのである。当初推測されたよりも1日早まったのは、新聞の解説によると、「9月12日は、中国の七夕(Chinese Seventh Month)の最終日にあたり、多くのTown Communityで各種イベントが予定されていたため、それを避けた」ということだったようである。解散時の議会構成は、人民行動党(People’s Action Party―PAP)が87議席中の80議席、野党が前回勝利した5人選挙区であるアルジュニード(Aljunied)を含め、労働党のみ合計7議席という状態である。今回の議員総数は89人に増え、各政党が4〜6人のチームで出馬する16の「グループ選挙区」と、個人が立つ13の「単独選挙区」で議席を争うことになる。与党人民行動党(PAP)は1965年の建国から国会で圧倒的な勢力を維持しているが、最近では支持率が下落傾向を辿っており、得票率でみると、2001年の総選挙(当時の首相は2代目のGoh Chok Tong)での75%をピークに、2006年の総選挙(2004年より現在のLee Hsien Loongが首相となっている)での66.6%、前回2011年総選挙では60%と過去最低まで落ち込んでいる。また2012年、2013年の補欠選挙でも与党候補は敗れている。

 こうして9月1日、公示日を迎え、選挙戦が始まった。前回の選挙報告でも書いた通り、シンガポールでは10人以上が集まる政治集会は「許可制」になっており、野党は通常時は事実上公然たる政治集会は行うことができないし、新聞やテレビなどマスコミも実質的に政府管理下にあり野党の主張が新聞等で取り上げられることも少ない。しかしこの選挙期間中は、政治集会や広報活動が許されていることから、与党PAPのみならず、野党も活発な選挙運動を繰り広げ、新聞も、それなりに双方の活動を報道していた。

 今回の選挙に当たっての具体的なトピックスとしては、まず、この選挙がすべての選挙区で投票が行われる初めての選挙ということが挙げられる。従来から、故リー・クアンユーが率いるTanjong Pagar複数選挙区では、野党の候補者グループに立候補はなく、その結果投票が行われたことはなかった。その意味では、この選挙区の住民は、実質的に「投票権がない」状態だったが、今回野党も対立候補を立てたため、初めて投票権を行使することになった。また「ポスト・リー・クアンユー選挙」として注目を浴びる選挙区であることから、他の選挙区では野党間で調整を行い、対立野党候補は一人ないし一グループに限っていたが、今回は、この選挙区には、従来から唯一の議席を保有する野党である労働党のみならず、前回選挙で27年間有してきた唯一の議席を失ったシンガポール人民党(SPP)も候補を立てることになった。そもそも与党が磐石な地盤であるので、リー・クアンユー亡き後とは言え、野党の票が割れるのは得策ではないと思われるが、これはおそらく単独野党でも負けることが必至であることから、むしろ世論の注目度を狙ったパフォーマンスではないかという気がする。また前回選挙で、前首相ゴー・チョクトン率いるGRCから当選したが、経験不足での便乗を批判された最年少の女性議員が、今回は「第一子出産後3週間後の出馬」ということを売りに、元のGRCから切り離され、新たに単独選挙区となった地域から出馬したのは、厳しい試練を課そうということか、あるいはそれほど安泰の選挙区であったということだったのだろうか?

 しかし、今回の選挙運動では、前回選挙でのリー・シェンロン首相の「誤りの告白」といった具体的な政策に関わる争点はあまり主張されず、与党側も、建国50年の節目を迎え、次の20年、30年の国の運命を決める選挙である、という情緒的な標語で選挙戦を繰り広げていた印象がある。また前回選挙で独立後初めて複数(5人)選挙区でPAPが敗れたアルジュニード(Aljunied)では、選挙前から労働党による公的資金の不透明使用が与党の攻撃にあっていた。この選挙区の奪還が、今回の与党の大きな目的であったことは確かであるが、選挙期間中も、この選挙区での戦いが必ずしも大きく報道されることもなく、その意味では、個人的な印象としても、前回選挙に比べて盛り上がりに欠けた選挙戦であった。

 こうして、9月11日(金)午前8時から午後8時までの投票が行われた。投票率は、いつもながら93.6%と高いが、これは、投票を行わない場合には、次回選挙のための再登録が必要になるが、その際、例えば海外出張中であったといった「合理的な説明」を求められ、これが認められない場合にはその登録のためにS$50の「罰金」を支払う必要がある、という制度のためである。これを払わない場合は、投票権を失うということになる。

 さてその結果であるが、結論的には、与党PAPが89議席中の83議席を確保するという「地滑り的勝利」を収めることになる。与党の投票率も、最近の低下傾向から反転し、2001年の選挙以来の69.9%に上昇した。ただ前述のとおり、与党による奪還工作が行われたアルジュニード(Aljunied、5人区)では、労働党(WP)得票率は前回の54.7%から、今回の50.95%と激戦となった(投票の再集計が行われ、最終結果発表は翌日未明になった)ものの、野党WPが議席を維持することになった。WPは、その他ホーガン(Hougang)単独選挙区で議席を維持したが、パンゴール・イースト(Punggol East)単独選挙区では、僅差で敗れ議席を失い、最終的に解散前の7議席から6議席へと1議席の減少となった。その他の野党は、前回同様、議席の確保は出来なかった。また前述した経験不足を批判され単独選挙区で戦った女性候補は、対立候補が、選挙戦の最中で、「彼女は、選挙民よりも赤ん坊の面倒を見る」と発言したことが、逆に「時代錯誤の女性蔑視」と世論の批判を浴びたこともあり、65.6%の得票率で議席を確保することになった。

 こうした結果を受け、与党側は、リー・シェンロン首相が、勝利宣言を行うと共に、新たな内閣人事の検討に入った。シンガポールでは、前回も初めて当選した、元通貨庁長官のHeng Swee Keatが、直ちに教育相に就任するなど、新任議員が直ちに大臣に抜擢されることがある。今回も、新たに当選した4人の新人の入閣が検討されているという。
 
 今回の選挙結果は、おおかた予想できた。事後的な新聞記事でも、今回の与党PAP支持率回復の要因として、シンガポール独立50周年のお祭り気分と、そこで強調された建国以来のシンガポールの歴史、そして何よりもその立役者であったリー・クアンユーの春先の逝去が、シンガポールの特異な「成功物語」を国民に刻印したことを真っ先に指摘している。リー・シェンロンが、勝利宣言の中で、「これで彼(リー・クアンユー)はよく眠れると思う」と述べたのは、彼の死を最大限に利用できたことの正直な告白であった。そしてその点では、まさに冒頭に記載した通り、特段明確な争点がないこの選挙は、いかにもこの国らしく事前に綿密に計画され、それが情緒的な標語と共に喧伝され遂行されたものであった。その意味で、今回の選挙はPAPによる国民心理の操作が、PAPの政権維持に飽きた国民感覚を凌駕したと結論付けることができるのであろう。

 個人的には、この選挙結果を受けて、政府の外国人政策の変更が期待されるのではないかと期待している。前回選挙は、高所得外国人の受け入れ政策が、コンドミニアム家賃や物価の高騰を招き、一般のシンガポール人に対し所得格差を感じさせたことが、得票率減少の一つの大きな要因と考えられた。そのため、選挙直後に政府は、外国人の労働許可につき引締めを図り、取得のための低所得労働者の最低賃金引上げに加え、資産家や熟練労働者に与えられる永久滞在ビザ(PR)の発行を抑える政策転換を行った。後者の政策の象徴として使われたのが、Facebookの創業者の一人で、50億米ドル以上の資産を有すると言われるEduardo Saverinのケースで、彼によるPR申請を、シンガポールが拒絶したことは「シンガポールは金持ちであれば直ちにPRとして受け入れる訳ではない」というメッセージを国民に送ったと考えられている。この2009年からシンガポールに、「米国での課税逃れ」目的で在住している富豪は、今年6月、華人系インドネシア人女性と結婚したことが、当地の新聞でも話題になったが、その記事の中で、彼が現在どのようなステータスでシンガポールに滞在しているかは明確に触れられていなかった。個人的には既にPRを取得しているが、それを明確に表に出すことは、シンガポール政府は控えているのではないか、と考えている。そうした大富豪の取扱いは別にしても、私の周辺にいる知り合いで、ここ数年内にPRを申請したが、拒絶されている、という話を多く聞いている。しかし、この国にとっては、資産・資本を持ち込んでくれる「高額所得者・資産家」は、この国の経済を回していく上で必要である。ただ、前回選挙の結果を受け、政府がこの問題についてやや慎重に取り扱っているという印象は否めなかった。今回の選挙結果を受け、この政策に変化があるのではないか、それが私自身の今後のステータスの変更も可能にしてくれるのではないか、という淡い期待を感じている。

 週明けのマーケットは、今回の選挙結果には、全くといって良いほど反応を示さなかった。中国の景気停滞と米国の金利引き締め懸念から乱高下していた株式市場は、結局週明けも選挙結果を無視するかのように、上海株式の低下を受け下落。前回選挙と同様、この国の政治要因は、マーケットには全く影響を与えないことを改めて示したことになった。そしてこうした中国経済の悪化に伴い、この国の景気も今後低迷していくことが予想されることから、政府による選挙タイミングも、その悪影響が出る前に実施するという意図を改めて実感させることになった。

 建国50周年の節目に、そのお祝い気分を与党が存分に享受した今回の選挙であったが、シンガポールが今までの成功体験を今後も維持・継続できるかどうかは、今回まさに名実共に開始されることになったポスト・リー・クアンユーの時代を、現在の指導層がどのように生き抜いていくかにかかっている。今回は、偶々戦略的に支持を増やすことができたとしても、それはまた簡単に剥げる性格のものである。前回の選挙後も書いたとおり、経済と社会の成熟と共に、人々の考え方や嗜好が多様化していくのは、この国も例外ではない。私がまだしばらく滞在することになったこの国が、引続き大きな岐路に立たされていることは間違いない。

2015年9月14日 記