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蜷川マクベス シンガポール公演
2017年11月23日                                                                           会場:Esplanade Theatre 
 今年の6月にスタートした、舞台『NINAGAWA・マクベス』の世界ツアーの最終公演が、ここシンガポールで開催された。この舞台は、80年台のロンドン滞在時に、蜷川演出による初めてのロンドン公演が行われた際に一回見ているが、以来約30年振りの機会となる。この時は、マクベスを平幹次郎、マクベス夫人を栗原小巻が演じたが、この日本語で行われる演劇で、当時は英語のサブタイトルなどがなかったことから、これを見た英国人の友人に、「日本語の舞台が分かるか?」と聞いたところ、「筋書きは頭に入っているので、日本語であっても何が表現されているかは問題なく分かった」という答えが返ってきたのが印象深く残っている。

 ネットでの解説によると、「蜷川幸雄が手掛けた『NINAGAWA・マクベス』はウィリアム・シェイクスピアの戯曲『マクベス』をもとに、セリフや人物設定を変えず、時代を日本の安土桃山時代に移した作品。1980年の初演以来、国内外で上演されており、蜷川は同作でヨーロッパデビューを飾った。2015年には約17年ぶりに再演された。」と書かれているので、私が見た80年代のロンドン公演でも、既に舞台は日本ということだったようであるが、舞台やメイクが日本的であったという記憶はない。

 同じくネットによると、「今回の世界ツアーは蜷川の生前から計画されており、昨年に蜷川が逝去したことから、一周忌の追悼公演として実施されることとなった。6月の香港公演(6/23-25、Grand Theatre, Hong Kong Cultural Centre)を皮切りに、埼玉(7/13-29、彩の国、さいたま芸術劇場)、佐賀(8/4-6、鳥栖市民会館)、イギリスのロンドン(10/5-8、Barbican Theatre)とプリマス(10/13-15、Theatre Royal Plymouth)、シンガポール(11/23-25、Esplanade Theatre)を巡る」とのことである。これらの公演場所がどのような基準で選ばれたかは興味深い。例えば、ロンドンは、かつて初めての海外公演で圧倒的な評価を受けた場所であるが、何でプリマスなのか?あるいは、日本公演が、埼玉以外はなんで佐賀なのか?そして香港はともかく、あまり芸術的感覚のないシンガポールが、今回の公演地として選ばれたのも不思議である。ただいずれにしろ、その結果、30年振りにこの公演を見る機会をもてるのは幸運である。

 今回ダンカン王を暗殺して王座に就く主人公・マクベスとその妻を演じるのは、2015年の再演時にも同役を演じた市村正親と田中裕子。魔女に自身の子孫が王になると予言されたことからマクベスに殺されるバンクォー役を辻萬長、ダンカン王役を瑳川哲朗、マクベス討伐を狙うマクダフ役を大石継太がそれぞれ演じている。

 公演にあたり、主演の市村正親は以下のとおりコメントしている。

 「稽古では幾多のダメ出しを受けて、公演に入り、最後、台本にサインをお願いしたら、「頑張った。蜷川幸雄」と書いてくれました。これからも自分が演じる背景には、常に蜷川さんの魂が傍にいるような気がします。『NINAGAWA・マクベス』で海外公演に一緒に行けないのは無念だけど蜷川魂をこの胸に抱き、乗り込みたいと思っています。マクベスを本場ロンドンでというとプレッシャーは普通なら感じるでしょうが、僕にはニーナがついている。胸を張って乗り込みたいと思っています!」

 またマクベス婦人を演じる田中裕子は、

 「『NINAGAWA・マクベス』の稽古場で蜷川さんは「忘れないで。僕はいつもここに居るから。ここから見てるから」と、おっしゃいました。あの稽古場でまた稽古を積み直し、市村さんのもと皆で、2017年の再演に向かいます。楽しみにしていらしたイギリス公演にも、蜷川さんと一緒に挑みたいと思います。」とのことである。

 ということで、前日日本から入ってきた妻と、夕刻会場のエスプラネード劇場に向かった。雨季に入ったこともあり午後ずっと降続いた雨も上がり、清々しい夕刻である。今回私が取った席は、最も高いS$128のアリーナの中央部、前から20列ほどの場所。直前に、メールでの確認が入り、「7時半の開演に遅れた場合は、しばらく席につけないことをご了承下さい」とあったので、絶対遅刻はできないと、会場近くで軽い夕食をとって、開演30分前に入った会場は、まだガラガラである。しかしその開演の7時半直前に、大量の観客がなだれ込み、アリーナ席はほぼ満席になった。見る限り、日本人はそれほど多くなく、ローカル中心の観客である。シンガポール人にとって、シェイクスピア、あるいは、日本の演劇というのは、どの程度関心があるのだろうか?

 こうして、7時半定刻に舞台が始まる。舞台前面を覆っている日本風格子模様の扉に、観客席通路から二人の老婆がゆっくりと現れ、その両脇一部を覆っている木製扉を開けると、格子戸が全面に広がる。そこで、まずは3人の魔女たちの、呪文を交えた踊りが浮かび上がる。有名なプレリュードであるが、ドライアイスの煙が漂う中、格子戸越しの魔女たちの踊りから、格子戸が開き、舞台を彼女たちが跳ね回るという演出である。そしてダンカン王の宮殿。そこではマクベスが勇猛果敢な戦いで、ダンカン王に勝利をもたらしたことが報告されている。ダンカン王以下、武士たちは完全に日本の武士のいでたちであるが、30年前のロンドン公演では、そこまで日本風の衣装であったという記憶はない。そして戦場から帰還するマクベスの登場。魔女たちから、バーナムの森が動かない限り、そして女の腹から生まれた者に、彼が倒されることはない、との予言が告げられる。ここで気がついたが、魔女たちのセリフは、完全に歌舞伎の言い回しで表現されている。また舞台左右にあるスクリーンには、英語の翻訳が映し出されているが、それはおそらくシェークスピアの原文を使った古語英語である。

 主演の市村正親を見るのは、今年初めの一時帰国時に、ミュージカル「紳士のための愛と殺人の手引き」を見て以来である。このミュージカル公演が4−5月、そして「NINAGAWA・マクベス」の香港公演が6月ということなので、ミュージカル終了後、直ちにこの公演に入ったようである。彼は1949年1月生まれであるので、現在68歳。身長は、ネットによると170cmということなので、私とほとんど同じであるが、舞台ではなぜか大きく見える。

 そしてもう一人の主役は、マクベス夫人を映じる田中裕子である。言うまでもなく「おしん」でブレイクした女優であるが、この日は、勇猛果敢ではあるが、ダンカン殺しによる王位奪取につき優柔不断で悩むマクベスをけし掛ける悪女、という難しい役どころである。もともと性格女優ではあるが、ややコミカルな表情の女優であるので、前半はひたすら強気を貫く強い性格の女を演じるにはやや無理があるかな、と考えていたが、さすがに蜷川に鍛えられたのであろう、そのあたりはあまり不安なく演じていた。

 ダンカン殺しをしたところで、8時50分に前半が終了する。

 20分の休憩後、後半が始まる。魔女の乱舞と、国王となったマクベスの自信と不安。逃げた敵たちの妻子を殺すマクベスの圧政と、それを聞いた敵たちの嘆きと憎悪。手を汚した彼らのうち、まずマクベス夫人が狂気に襲われるが、このあたりの田中裕子は、一生懸命艶かしさを出そうとしていたが、やや迫力不足か。そしてマクベス。舞台中央の地蔵像が、時折彼が殺したバンクォーの顔に換わり、家臣や客の前で取り乱すこともあるが、それでも敵が迫り来る中、魔女の予言を信じている。しかしまずバーナムの森が動き、そしてマクダフとの最後の戦いで、マクダフが「腹を割って出てきた」と告げられ、最後を遂げるのである。この最後の殺陣などは、明らかに歌舞伎の演出である。普段はミュージカルなどをやっている市村も、やはりこうした訓練を受けているのであろう、その立ち回りはなかなかの迫力であった。ちょうど、石川五右衛門といった歌舞伎の悪役が最後に討伐される、といった趣の舞台である。ただ勝利したマクダフが、最後にマクベスの首を持ち帰り、皆の前で広げるのは、ややグロテスクな演出であった。特に日本軍の占領期に、こうした処刑を体験したこの国の人々の末裔が、その演出をどのように感じるだろうか、という懸念は禁じえなかった。

 こうして今回の蜷川マクベスの最終公演である、シンガポール公演の初日が終わったのは午後10時20分。最後の演出に対する懸念はあったものの、全体としての舞台は素晴らしく、特に70歳に手が届くばかりの市村の体力と気力は恐るべし、というのが率直な感想であった。

 会場で、「寄付」ベース(実質無料)で配布されていた英文プログラムの中で、生前の蜷川は、1980年のエディンバラでの初めての蜷川マクベス海外公演の時に感じた緊張を、次のように語っている。「英国の人々は、英国人以外によるシェークスピア劇は、本当に素晴らしいものでなければ受け入れない。従って、その作品は、単に『点数を稼ぐ』程度のものではダメで、観客を『ノックアウト』するくらいの力を持っていなければならない。」最初のエディンバラでの成功が、その後の私も見ることができたロンドン公演につながり、そして30年の歳月を経て、彼の死後一周年に再び蘇ったのである。30年前の演出の記憶はもはや残っていないが、それでもかつてロンドンで抱いた感動を、改めてこのシンガポールで追体験することができた。この30年間の自分の人生で起こった多くの出来事に、僅かながらの思いを馳せながらではあったが・・。

2017年11月28日 記