Sapiens - 書評
2018年12月1日
イスラエル人歴史教師の書いたこの世界史が、ベストセラーになっている。元々ベストセラーを読むのはあまり気が進まないのであるが、今回は友人仲間でも話題となっていることもあり、遅ればせながら、このペーパーバックを手に取ることになった。
まず非常に読み易い作品である。基本的に、我々が耳にしたことのない目新しい歴史的事実を並べ立てる訳ではなく、むしろ我々が常識として知っている事実を、著者なりの視点で再構成することを主眼としている。従って読者は、事実の細部に拘らず、大きな歴史観として、著者の主張を追いかけることができる。その意味では、日本で言えば、池上彰が、事実としてはほとんど新聞を含めた公開情報だけを使いながら、それらを分かり易く解説しているのが受けたのと同じ理由が、この作品をベストセラーにした、と言えなくもない。ただ、やはり人類進化という観点から3万年近い歴史を取り上げるということで、それなりに広範な論点をカバーしている。現在の私の業務でも関わりのあるこの進化=人類の脳進化という課題に、歴史的なアプローチを行っていることから、著者の議論は、やや仔細に見ていく価値がある。そうした観点から、流れに沿って、主要な論点を見ていくことにする。
1, The Cognitive Revolution
ネアンデルタールやデニソヴァン等のヒト科が3万から1.2万年前に消滅し、サピエンスが残る。原因は、交配説と虐殺説だが、確認はできていない。ただサピエンスが、想像力と言語という特殊能力を持っていたのが生存の理由であると言う。それは、他の人々についての「ゴシップ」、あるいはフィクションを語る能力であるとする。会社形態などの「擬制」を開発する能力。150人を超える集団での共同能力。その能力が、何故サピエンスに備わったのか、という重要な点は説明されていない。
原初の狩猟民族集団は、労働時間という点でも、バランスのとれた食生活という点でも、その後の農耕社会よりも「豊かな社会」であった、という主張。これは、「質素な生活」への憧れ、という現代的病根。もちろん、その後、繰り返し展開される、飢餓、疫病、戦争といった災禍の克服という議論で、著者が単純にそう思っている訳ではないとしても。
オーストラリア等のユニークな生態系が変化したのは、サピエンスの移動が原因で、気候変動などの結果ではない、という主張。巨大動物は、サピエンスの格好の餌食であり、繁殖期間が長いそうした動物(巨大なまけもの等)は、数の減少が容易に絶滅に至る原因となったという。これは説得力のある仮説であるが、学問的に証明されているかどうかは疑問である。
2, The Agricultural Revolution
農業の開始(中東地域のジェリコといわれる)は、決して人類の労働環境を改善した訳ではないし、にも関わらず、農業生産が急速に拡大したのは何故か?農耕による定住で、子供の出産が増加、その結果更なる食料の増産が必要になるというパラドックス。生活水準の向上が、更なる過酷な労働を生むという、現代人にも共通する「罠」。農耕社会の定着は、「誤算の結果」であったとの主張。羊や乳牛などの家畜化という残虐性の指摘。農耕社会の最大の犠牲者は家畜であるとの主張。もちろん、生活の下方硬直性は、どの時代においても成長の誘因であることから、農業社会の定着が「誤算の結果」とまでは言えないだろうし、家畜化という動物にとっての災禍も、サピエンスの生存のためには必要であることから、「すべての生ける物への殺生を禁じ」た結果、餓死することになるジャイナ教徒となる以外は、これを阻止することはできない。動物愛護という範囲を超えた極論というのが、個人的な印象である。
農耕社会の大規模化を可能にした「想像の共同体」。ハムラビ法典や米国独立宣言の「虚構性」について。これは、B.アンダーソンの「想像の共同体」の受売りだろう。人間の脳の限界を補完するための情報システムとしての文字の開発。官僚制の発明。書かれた情報の整理の問題。これらは、現在のAI等の問題として最終章に引き継がれる。
ジェンダーの相違。狩猟社会や農耕社会での男女分業や出産前後の負荷が、男性優位の社会の基盤になったとの説。但し、明確な答えはない、という当然の結論。
3、Unification of Mankind
社会の拡大に伴う、共同体統合の仕組みの必要。その3要因が、お金、帝国、世界宗教として、夫々の成立と発展を論じることになる。但し、冒頭の、交換手段としてのお金の歴史と分析は陳腐。
次に帝国。一般に流布している否定的なものではなく、文化や言語を広めるという肯定的な共同体として紹介される。帝国が崩壊した時、それに支配されていた民族や地域国家と同じものが復活するのではなく、帝国の影響を受けて変化して復活したとする。しかし、これらは、英国人がインドの植民地支配について、「現在インドで残っている鉄道などのインフラはほとんどが、英国が残したものだ」という「植民地支配正当化」論に通じる議論。現代のグローバル化は別の形態での「帝国」化という。それでは「帝国」と「グローバル化」の違いは何か?また、現代の特徴である、グローバル化という求心力と、そこから地域の固有性を主張する遠心力(EU内での民族意識の拡大、あるいは米国第一主義等々)の間のダイナミズムについて議論する必要があるが、それについては触れられていない。
最後に世界宗教。農耕社会の拡大、帝国の成立に伴う、広域支配の手段としての宗教=超人間的価値の成立。当初は地域アミニズムの延長としての多神教、そして続いて、より熱狂的かつ使命感に溢れた一神教が生まれる。神の意志により世界が作られたとする一神教に対し、二神教は、善悪問題に対応し、多神教は「自然の摂理」を重視。その典型としての仏教が、長々と説明されているが、これは著者のある種のエキゾチズム嗜好の産物と思われる。
自然法則を崇める現代の宗教としての自由主義、共産主義、資本主義、国家主義、ナチズム、そして人類宗教としての「ヒューマニズム」。進化論的ヒューマニズムとしてのナチの人類優生論。生命科学の発展が、法的・政治的ヒューマニズムとの矛盾を惹起させるリスク。これも最終章に引き継がれる課題である。
歴史論。ある歴史的事象が“如何に”起こったかと、“何故”起こったかを分析することの相違。歴史は“混乱chaos”であり、将来の予見はできないという、当たり前の主張。
4, Scientific Revolution
15世紀以降の科学革命の核心は「無知の認識」。全能の世界宗教が「無視」していた分野での無知の認識と疑問の追及が、現代科学研究の基本姿勢。研究手段としての数学と統計手法(生命保険でのScottish Widowの例)の確立。科学論の入門的叙述。「科学と軍事の結合は、特殊現代的現象。科学と技術は、中世までは別物」というのも常識的な議論。
「ギルガメッシュ・プロジェクト」=「死」との戦い。世界宗教は、「死」の意味を教義の核に。科学は、それを克服の対象に。他方、研究資金の裏付けがない限り、科学の発展はなく、その配分は、時の政治的、経済的、宗教的判断に委ねられる=科学研究の対象は、宗教、あるいはイデオロギーに規定されるという、当然の話。
英国ローヤル・ソサエティによる金星観測と太陽との距離測定のために、多くの科学者を帯同しタヒチに送り出されたキャップテン・クックの航海が、壊血病の治療に成功したことが、その後の英国の世界制覇に繋がった(特に豪州とニュージーランドへの移住と原住民の虐殺)。1850年までは、西洋と東洋との生産力は差がなかったが、そこで、元々はギリシャ、中国、インド、アラブを起源とする科学と帝国主義、続けて資本主義との結合を可能とした西洋が、いっきに東洋との差を広げることになった。東洋が、それに失敗したのは、そうした文化―ウエーバー的に言うと「エートス」―がなかったから。この辺りは、何故欧州列強による植民地支配が可能であったのかについて、それなりに説得力のある説明となっている。
それを象徴する逸話で、私が初めて目にしたもの。宇宙飛行士ニール・アームストロングたちが米国西部の砂漠で訓練していた時に出会ったローカルとの逸話。ローカルの老人は、彼らが月に行く訓練をしていると聞くと、ローカルの言葉を月の霊に届けてくれと言い、彼らが覚えるまで繰り返した。後でその言葉を翻訳できる人間に意味を聞いたところ、それは、「彼らの言うことは一言たりとも信じるな。かれらは土地を奪うためにきたのだから」。
西洋が、自分たちの領土を広げる野望に燃え、遠隔地に出向いたのに対し、東洋は、自分の周辺の支配しか念頭になかった。航海術を含め、技術的には東洋は遜色がなかったが、遠隔地を支配しようという意欲がなかった(鄭和も、渡航先を支配することはなかった)。それが、列強による分割の一要因。そこで、帝国主義と、実務知識・イデオロギー的正当化・技術的小道具が結びつくことに。
英国のインド支配が続いたのは、各種の科学者によるインド研究の結果。インド-アーリア語(人種)の発見も英国人のインド(サンスクリット)研究の一環。その功罪は、どちらの側に立つかで、いくらでも示せる。これらも、上記の西欧列強による植民地支配を可能にした理由についての追加的記載。
人種偏見は、今日、表立って主張できないことから、「(人種ではなく)文化の相違」という主張に変貌。新たな文化帝国主義、あるいは「ソフト・パワー」。影響力伝搬に際しての手段の変化であるが、それが、裸の権力と表裏一体となっていることは忘れることはできない。
将来の生産力が、現在を越えるという楽天主義が、金融システム(信用供与)の基礎となり、個人の利益を追求することが、他者の利益も生むという発想(A,スミス)が資本主義の精神的基盤となる。限定責任による株式会社の考案と、それによる植民地の収奪。奴隷貿易が、自由貿易の名のもとに、利益追求のための株式会社により行われ、ナチスによる虐殺以上の、膨大な犠牲者を出した歴史。他方でのミシシッピ・バブルを先駆けとする、恐慌の定期的勃発。「台所の秘密=やかんの水蒸気」が蒸気機関という産業革命の発端であった。その後、エネルギーの変換が、産業革命の核心に。限りある資源に対し、太陽エネルギーや重力による汐の満ち引き等は無限。このエネルギー転換技術が将来の課題。
産業革命は、「農業革命」による食糧増産と、それにより農業労働から解放された工場労働者の増加がなければ発生しなかったが、その中で家畜虐待が進んだ、との指摘。Harlowによる孤児の猿の実験。冷たいミルクを出す機械の母より、ミルクを出さない布の母を好む。動物は、客観的な食料で生存するが、主観心理ではストレスを感じるという(あたりまえの)研究。同時に、大量の生産物を販売するための消費革命。節約は美徳ではない世界の誕生。資本家が生産し、大衆が消費。国家と市場の支配と、家族と共同体の崩壊。しかし、紛争で命を落とす人数は激減(交通事故や自殺の人数が増加)。平和は、過去に比較すれば長期間持続し、帝国の崩壊(大英帝国、フランス、ソ連)も平和裏に実現したのは、現代的現象。この辺りは、近代科学・技術・産業・金融革命の通俗的な解説。
それでは、こうした発展で人類は「幸福」になったのか、の議論。あらゆるタイプの人々の幸せ、そして将来への不安の除去。更には、他の動物の犠牲の上での人類の幸福?「幸せ」論を延々とやるのにはやや食傷!
そして最後に、近代科学が生んだ3つの新しい世界。バイオ技術の生命体への適用、サイボーグ(昆虫サイボーグ!)を含むロボティックス、そして革新脳(AI)。夫々が、従来の人類の限界/境界を超える可能性。フランケンシュタインの現実化。神になった動物としてのサピエンス。自分たちが何を求めているかを知らない、不満足で無責任な神ほど危険な存在はない。読了日に中国から届いた、遺伝子(ゲノム)編集により生まれた双子のニュース。サピエンスはどこへ行くのか、そしてサピエンスは生き残ることができるのか?D.ブラウンも「Origin」で取り上げたこの課題は、著者の自作「Homo Deus」に引き継がれることになる。
読了:2018年11月28日