逢坂剛ーイベリア7部作 書評
2019年2月3日
逢坂剛のイベリア・シリーズの雑誌連載が始まったのは、著者の後書きによると1997年の秋のことであったという。それから約16年の歳月をかけて、その完結編である「さらばスペインの日々」の単行本が出版されたのが2013年11月。その作品を、私は、2002年7月から読み始め、そして約17年の時間を経て、今年(2019年1月)に、その完結編を読了することになった。もちろん、その間、日本からシンガポールに転居したこともあり、第4部の「暗い国境線」から第5部の「閉ざされた海峡」の間には、約5年のブランクが、そして第6部「暗殺者の森」の間には約6年のブランクがあることになった。昨年9月の一時帰国時に偶々「さらばスペインの日々」を購入したが、その間に「暗殺者の森」があることに気がつき、改めてそれを年末の一時帰国時に購入。こうしてようやく全編を読み通すことになったのである。そして今回、改めて過去の作品すべての評をまとめて読み返しながら、この第二次大戦前後のスペインを舞台にしたスパイアクション小説の全体像を反芻することになった。
読むだけでこれだけの時間がかかったこの作品であるので、これを書くには、それを数倍も上回るエネルギーを必要とする。また著者自身による後書きで、この作品を書くにあたり、驚くほどの資料(スペイン語を始めとする外国語の資料も含む)を参照し、また多くの関係者へヒアリングを行うことによって、歴史的な事件を巡る、個々の人々の感覚も踏まえながらフィクションとして再現しようとしている。中立国スペインを中心とする、日本、ドイツ、英米のスパイ戦争と、その中でのロマンス。その結果として出来上がったのが、私の知的関心と息抜きの双方の渇望を満たすこの作品であった。そんなこともあり、今、改めてこの作品の全編を再録する形で振り返ってみることにする。
言うまでもなく、私の欧州滞在時、この国は休暇で最も頻繁に訪れた国であり、マドリッドや郊外の死の谷、コスタ・デル・ソールの呑気なリゾートやアルハンブラ等の歴史的遺産、そしてバルセロナのダリ、ピカソ、ミロ、そしてガウディの作品等、今でもありありと回想することができる。
熱帯に暮らして10年、感覚的には今やこの国は遠くなっているものの、D.ブラウンの最新作「Origin」や、今回まとめて読んだ2冊だけでも、この国の魅力を再確認することができる。完結篇の最後で、北都とヴァジニアが交わしたように、近い将来、またこの国を訪れる機会があることを切に願っているのである。
(1)イベリアの雷鳴 読了:2002年7月8日
1999年6月単行本で出版された、週刊誌連載小説である。時代はスペイン内乱がフランコ派の勝利で終了し、他方でナチが欧州戦争を開始し、ポ−ランドとフランスを制圧した後、英国本土への攻撃を準備していた40年代初頭。舞台は、一部、日本とベルリンも使われるが、大方はスペイン。欧州戦争の本格化を前に、スペインを枢軸側で参戦させたいドイツと、それを阻止しようとする英国、そしてその情勢をじっと眺める日本の3カ国のスパイが、イベリア半島で繰り広げる諜報合戦を中心に、反フランコ派のテロリストによるフランコ・ヒトラ−暗殺計画も絡ませながら、物語は進行していく。
日本のスパイは北都昭平。日系2世のペル−人の真珠商人を装いながら、日本陸軍の命を受け、イベリア半島に潜入し、レストランで接触した貴族夫人を使いながら情報を収集している。また彼が投宿したスペイン人未亡人の家には、ドイツ人スパイが出入りしており、北都の動きをチェックしている。その家の娘は、貴族未亡人が出入りする高級レストランの雑用係を勤めているが、北都に思いをはせながらも、実は反フランコ組織の中核人物であったレストラン経営者と共に、反フランコのテロ計画に巻き込まれていく。そしてそのテロ組織の一員でもある、貴族夫人の弟で在ベルリンのスペイン紙の新聞記者と、英国MI6より送り込まれた若い女スパイ。それに、逢坂の小説での常連である、無常の暗殺者。これらの人間が、フランコのドイツ側での参戦の可能性を巡り蠢いていくのである。
逢坂が、この小説の舞台設定としている、スペインの参戦問題は、結果的にフランコの鋭い政治感覚を示すことになった問題である。「ゲルニカ」に象徴されるように、内戦をナチス・ドイツの強大な支援により勝ち抜いたにも関わらず、欧州戦争に対するドイツからの参戦要請については、内戦後の国力疲弊を含め理屈を述べ、確実な勝ち馬乗りのタイミングを計り、結果的にナチスが劣勢になったことから「鎖国」を決め込み、第二次大戦後もその独裁政権を維持することに成功したフランコ。この小説中にも、ヒトラ−からの秋波を、数々の理由と要求を出しながら、巧みに判断を遅らせていくフランコの姿勢が使われ、それが欧州戦争開始直後の関係諸国のスペインにおける最大の諜報課題となっていたことが分かる。
更に、そこには開戦と同時にフランスからスペインに移ってきた、王位を降りたばかりの英国ウインザ−公も登場し、英独の和平交渉の役割を負わせようというドイツ側の思惑を巡る情報戦も加わることになる。
そして最後は、フランコに対する暗殺計画。ヒトラーに対しても数々の暗殺計画が繰り広げられたが、フランコについても、実際こうした計画は多く存在したことであろう。英国諜報機関から譲り受けた最新型プラスチック爆弾が、実験では稼動したにも関わらず、本番では、英国の思惑で爆発を阻止され、計画は挫折することになる。
舞台自体が、私にとっても大変面白い時代を取り上げているだけに、この時期の欧州で繰り広げられた諜報戦という点も含め、充分楽しめる作品となった。但し、個々人、特に、余りに奔放で無用心の伯爵夫人や、純真な小娘からテロリストに返信する宿の娘、あるいは、新人ながら、北都に接近し、色仕掛けのテクニックも見せる英国の女スパイなどは、その個人的な感情と、その客観的な役割が余りに乖離している、という印象も否定できなかった。そしてフランコ暗殺計画の失敗によりやや突然終わる結末も含め、こうした大きなテ−マを個々人の世界まで落として表現するには、ミステリ−というエンタ−テイメントの枠の中ではなかなか苦しいものであること、そしてこれを表現するには、やはり本格的な歴史小説というカテゴリ−に進む必要があることを痛感した。最近はアメリカ西部劇にまで手を出している著者が、ここまで進むというのはなかなか考えがたいことを勘案すると、そうした仕事はフィクション/ノンフィクションを問わず、また別の著者による本格的作品を待つ必要があるのであろう。それはそれとして、エンタ−テイメントの枠内で、面白い課題を示してくれた点で、いつものように充分楽しめた作品であった。
(2)遠ざかる祖国 読了:2006年10月9日
久々の著者によるスペイン物である。最近エンターテイメント小説に接していなかったこともあり、最新作の「燃える蜃気楼」が文庫化されたとの広告を見て手にしたところ、これが「イベリアの雷鳴」に始まる3部作の3作目であることがわかり、この第2部を読んでいなかったため、まずはこちらから読み始めた。
第1部を読んだのは2002年7月であるので、4年も前のことであるが、読み始めて直ちにその記憶は蘇ってきた。独ソ不可侵協定の締結を受け、第二次大戦が勃発した欧州。フランコが支配する中立国スペインを舞台に、スペインの参戦を巡る日本、ドイツ、英国のスパイ戦の第2部が繰り広げられる。第1部は、こうした情報戦の中、反フランコ派のテロリストとなった女が、主人公の日本人スパイ北都と偽装結婚した上でフランコとヒトラーの暗殺を企てるが、英国スパイから提供された自爆用爆弾が作動せず、しかし、それを北都に静止され、谷底に身を投げるところで終わったが、第2部は、この話を引きずりながら、独ソ戦の開始から日本軍による真珠湾攻撃と太平洋戦争の開始までの展開を追いかけている。
中心人物のうち、前回から引き続き登場するのは北都の他には、英国MI6のエージェント、ヴァジニアとドイツのアブヴェア長官のカナリス、そしてロマニジョス伯爵夫人のイネスら。今回新たに登場し、中心的な役割を果たしているのが、新たにスペイン駐在公使として着任した須磨、そして最後に登場し、次回以降に意味を持ってきそうな人物が英国エージントのキム・フィルビー(歴史的にはソ連の大物スパイとして戦後ソ連に亡命する男)である。
今回の物語の中心テーマは、日米開戦である。冒頭、ごく一般の日本人が、未来小説で読んだ日本軍による真珠湾攻撃のシナリオが、駐日ペルー大使館を通じて、欧州の関係者に伝わる。日本の陽動作戦か、はたまた現実の極秘情報か。スペインで活動する北都は、ドイツの度重なる本土空襲に辛抱強く耐えている英国の士気の高さと、英米による日本の公電の暗号解読を知るにつれ、非戦論に傾いていく。他方、次第に北都に惹かれていくヴァジニアは、英国が、日本の開戦により米国を第二次大戦に引き込もうという英国の作戦に、違和感を覚えながら、北都を守るべく奔走する。スペイン日本大使館に新たに赴任した公使の須磨は、基本的に主戦論ではあるが、次第に北都の情報の信頼度を認知しつつ、軍部の権力拡大の前に諦めに似た気持ちを高めていく。同様に、ドイツ情報部のカナリスも、ヒトラーと一線を画しながら、講和の道を探るが、果たせないでいる。こうした4人の動きに、それぞれの背後の司令部から届けられるミッションを絡めながら、1941年12月に向かって全てが流れ込んでいくのである。
相変わらず、フランコの優柔不断な、しかし実は計算された中立政策や、ドイツ軍のソ連での失敗という歴史的背景を使いながら、個性が際立つ個人の情報戦を展開していく著者の筆致は、なかなかスリリングである。また細部についても、北都によって体験される空爆下の英国の様子などは、おそらくは何らかの文献から引いてきているのであろうが、私が始めて目にする光景である。スパイは、宿命的に二重スパイとならざるを得ない。最後に個人の帰趨を決めるのは、ある時は愛国心であり、ある時は金であり、ある時は個人的な感情である。こうした人間の生身の姿を背後に潜ませながら、大状況の中で翻弄される人間を、中立国スペインという道具仕立てで展開していく著者の力量には改めて頭が下がる。直ちに、文庫最新刊の第三部に移っていこう。
(3)燃える蜃気楼 読了:2006年11月26日
そして第三部である。主人公は、第一部から引き続き登場する北都、英国MI6のエージェント、ヴァジニアとドイツのアブヴェア長官のカナリス、スペイン駐在公使の須磨、そしてロマニジョス伯爵夫人のイネスら。今回新たに登場するのは、米国の情報員シャピロと彼に日本側スパイと疑われている米国貿易会社マドリッド支店勤務の杉原ナオミ。時代は、真珠湾攻撃から1年間の時期。上下2冊であるが、時間はゆっくり過ぎていく。
1941年12月深夜、マドリッドのエル・パルド宮での、反フランコ・ゲリラ(第一部で北都と偽装結婚したペネロペが所属し、フランコ暗殺を試みた組織)による再度のフランコ暗殺未遂事件から第三部が始まる。著者が得意とする暗殺者側からのアクション描写。しかし偶々別室でカードに興じていたフランコ夫妻はベッドに打ち込まれた銃弾を逃れ、暗殺者は、逆に彼を宮廷内に誘導した家政婦ホアナに殺される。宮廷の警備のずさんさが明らかになることを危惧してか、事件は闇に葬られることになる。
歴史上の事実かどうかは分からないこの暗殺事件で幕を開けるこの作品は、フランコが殺されると、親ナチス派がスペインの政権を取り、地中海制海権を維持するための要所で英国植民地であるジブラルタルが攻略されることにより、第二次大戦の帰趨が大きく変わることになる、という想定で、フランコの中立を維持するべく奔走する英国側の思惑を軸に、戦況が悪化する前に講和を結びたい日独の諜報員、そして新たに参戦した米国の情報員の四つ巴で展開することになる。
真珠湾は、欧州の大戦への中立を公約して三選を果たしたルーズベルトが、世論を参戦に向けさせるため、情報を得ていたにもかかわらずあえて日本の攻撃を放置した、という仮説が語られる。チャーチルの政治力の結果である米国参戦により、大戦の力関係は決した。北都は、それを阻止できなかった自分に無力感を感じているが、それでも、ドイツ側で同じ発想を持っているカナリスと情報交換を行っている。
そうした中、マドリッドにある米国の貿易商社で働いているという日系人のナオミが、米国人に乱暴されそうになり、偶々居合わせた北都に助けてもらったことから、以来北都に頻繁に接触することになる。一方、日本公使の須磨は、スペインの親ナチス派に依頼し、彼らの英国でのスパイ網を利用し、米国についての情報網を構築しようと画策している。
ナオミを襲い北都に逆襲された男は、スペインに派遣された米国の情報員シャピロで、彼は同盟国英国の情報員ミーティングに顔を出し、ヴァジニアに接近する。ヴァジニアは、反フランコ地下組織に接近するシャピロを牽制する。シャピロはまた北都に接近し、日本のスパイであるナオミの情報を探って欲しいと依頼する。北都はヴァジニアにナオミとシャピロの話をするが、ヴァジニアは女の直感でナオミに嫉妬心を抱くようになる。
須磨が利用しようとしたナチスの英国情報網を仕切る男がヴァジニアに接近し、ナチス向けの情報は、英国の新聞情報をもとにスペインから送っているだけであることを明らかにする。男は、スパイ情報などは、「想像と創造の産物にすぎない」と看破し、英国側への協力を申し出るのであるが、これは情報戦というものが実は一般情報の適格な再構築に過ぎないという、一般に言われる話しを著者なりに利用したくだりである。須磨はまた、ナオミを日本の対米工作の民間協力者にできないかという相談を北都に持ちかけるが、北都は拒絶する。他方、カナリスの希望を受けて、北都がセットした対英講和のためのヴァジニアとの面談は、ゲシュタポに突入され、3人とも拉致されるが、イネスの息のかかったスペイン警備隊により救出される。イネスに危険を伝えたのはナオミであったという。
下巻の最初に触れられるのは、ベルリンでの、カナリスとナチスのポーランド提督ハイドリヒの面談である。こりこりのナチスと、英国情報員と接触する軍情報部のカナリス(二人は旧知の友人という想定になっている)による、本音とも諫言とも分からない探り合いの後、ハイドリヒはチェコ郊外で暗殺される。東部戦線のソ連でもナチスは敗走し、また太平洋のミッドウェイでは大本営発表にも関わらず日本の海軍は大打撃を受け、大戦は大きな転換期を迎えている。カナリス率いるアプヴェアがジブラルタル国境付近に設置した赤外線船舶探知システムは、連合軍の知るところとなり、スペイン側も撤去を余儀なくされる。親ドイツ的なスペイン外交も変化の兆しを見せている。そんな中、ナオミは須磨の要請に応じて米国関係の情報を持ち込み始める。須磨を通じ、北都の情報も入手し、恋愛感情も絡めながら北都に揺さ振りを掛け始める。そしてナオミの動きを追いかけるシャピロは、北都とナオミの接近という情報により、今度はヴァジニアを揺さ振り始める。
連合軍の北アフリカ上陸作戦のタイミングや場所を巡る情報戦が、以降の展開の主要な鍵となる。ベルリンでの大島大使と通信社の駐在員との戦況を巡る議論、枢軸派から親英派へのスペイン外相の更迭、英米による北アフリカ上陸作戦の情報攪乱戦、米国内でのOSS(ドノバン大佐)とFBI(フーバー長官)との軋轢、上陸作戦を巡る北都と須磨、カナリスとの意見交換等。そしてシャピロとナオミは、ヴァジニアに対し、ナオミは米国の情報員で、北都に対する工作を仕掛けていることを明らかにする。ナオミから、米軍の北アフリカ作戦に関する偽情報を与えられた北都は、カナリスと共にジブラルタル至近のアルヘシラスへ視察に出かけるが、滞在していたアプヴェアのアジトが、シャピロが接近する反フランコ・ゲリラの襲撃を受ける。間一髪逃れた北都は、ゲリラの一人の女と遭遇するが、その女―冒頭で暗殺失敗者を逆に殺害した宮殿の家政婦の女ホアナーが、フランコ暗殺に失敗し谷底に身を投げたペネロペと瓜二つであることに驚愕する。その女に射殺されるところを襲撃に立ち会っていたヴァジニアに北都は救われることになる。北都の追求に対し、ゲリラ組織の一員であり、ペネロペの父親であるティモテオもホアナの素性は明かせないと拒む。そして連合軍の北アフリカ上陸作戦は、北都やカナリスの思惑から外れ、フランス領モロッコで行われる。スペイン領モロッコには一切干渉しないというルーズベルト信書がフランコ宛に届けられることになる。
そして1942年12月、北都とカナリスは改めてアルヘシラスを訪れ、レストランでヴァジニアを交えた英国の情報員一行と邂逅する。そしてエル・パルド宮では、クリスマス・パーティでの酒の勢いを借りてフランコの主任護衛艦のオルテガがホアナを口説きにかかるが拒絶されている。大陸での戦争の最中、スペインでは何事もないかのように時間が過ぎているのである。そして物語は、引続き多くの仕掛けが残されたまま、次の展開に移ることになる。
反ヒトラー運動の首謀者としての実際のカナリスと小説中の彼とのイメージ差がどの程度あるのか、あるいはそのカナリスと親しかったにもかかわらず、ヒトラーの信任を得てポーランド提督に登り詰め、しかしチェコで暗殺されるというハイドリヒの人物像といった、実在の登場人物についての関心が改めて喚起される。また、連合軍の北アフリカ上陸作戦等の歴史的事実も、当然著者は多くの資料にあたっていると思われるものの、是非機会があれば確認をしてみたい点である。そしてフィクションとしての、北都、ヴァジニア、そして米国諜報員であることが予想通り明らかになったナオミを巡る展開は、既に単行本として出ている続編への期待を持続させてくれる。しかし、これにのめりこむと、また他の本を読めなくなることもあり、続編に手を出すのは少し間を置いてからにしようと思う。そう思わせるほど、誘惑が強い作品である。
(4)暗い国境線 読了:2007年10月18日
スペインを舞台にした諜報ミステリー・アクション、第四部。おなじみの登場人物が、夫々の思惑を抱えながら、第二次大戦の中を生き抜いていく。時代は、今回は、第三部の展開の中心であった連合軍による北アフリカ上陸作戦直前の1942年8月から、イタリアでムソリーニが失脚する1943年7月までの時期。次なる大きな軍事目標である、地中海からの欧州上陸作戦をどこから展開するかを巡り、シシリー説、サルジニア説、あるいはペロポネソス半島説などが取り沙汰され、各国の当事者は、それを探る諜報活動を繰り広げている。そうした中で英国諜報部は、ドイツに対する一つの情報撹乱作戦を遂行する。この作戦を巡り、日本(北都)、英国(ヴァージニア、フィルビーら)、米国(シャピロ、ナオミ)、そしてドイツ(ゲシュタポと国防軍側のカナリスら)が交錯していく。
その情報撹乱作戦とは、死体を工作し、重要軍事情報を伝達する飛行機がスペイン沿岸の地中海で墜落し、その機密伝令情報がスペイン沿岸に流れ着く、というシナリオで、ドイツ側に偽情報を流そうというものである。(歴史的事実であるかどうかは分からないが、おそらくは著者の創作であろう)。ヴァジニアに横恋慕するMI5のモティマーが、この作戦に参加したことから、ヴァジニアは、この荒唐無稽の偽装工作に当初から巻き込まれることになる。
ロンドンでは、軍人に見える死体の入手と、それに似た人相の男の捜索が開始される。マドリッドでは、フランコが、従来のドイツ寄りの外交政策を少しずつ転換し、連合国側に色目を使い始めたという噂が流れている。1942年秋、連合国は北アフリカ上陸作戦を成功させ、そこでの攻勢を強め、他方2月にはドイツ軍が東部戦線スターリングラードで大敗北を喫し、太平洋でも日本軍がガダルカナルから撤退している。そうした中、マドリッドでは、北都、ヴァジニア、シャピロが、連合軍の次の作戦についてお互いの腹を探りながら、真珠湾でのルーズベルトの役割や、来るべき戦後秩序でのスターリンに対する懸念について議論している。また、北都はマドリッドに来たドイツ情報部長官のカナリスから、2月にノルウェーのリューカンにある、原爆素材である酸化重水素の生産設備が連合軍のコマンドによって破壊されたという話や、シュラブレンドルフ(子供は昔の我が同僚)によるヒトラー暗殺の失敗等を聞かされている(これは歴史事実なのであろうか?もしそうであれば、原爆開発競争でヒトラーが遅れをとった要因として重要な話である)。少し後、ベルリンでは、ジャーナリストの緒方が、ゲシュタポによるカナリス派の粛清阻止に活躍し、カナリスから、ヒトラーがスペインに侵攻しジブラルタルを攻略することを諦めたのは、カナリスがスターリンによる不可侵条約破棄とドイツ侵攻という情報を流したからである、という話を聞いている(これも事実であるのかどうか?そうであれば、ドイツ国内の反ヒトラー派の情報戦の成果であると言える)。マドリッドでは、日本公使の須磨と北都が、日本の外交電信の暗号が連合軍に解読されているかどうかについて議論を交わしている(意図的に流したワシントンでの反米行為を取り締まらないのは、暗号が解読されていないからか?それとも取り締まると、暗号解読が露呈してしまうからか?実際には、ドイツのエニグマと共に、日本の暗号も「パープル暗号機」により解読されていたことが語られている)。ヴァジニアら英国のグループでは、4月にゲッペルスが公表したカチンの森でのポーランド将校の大量虐殺が、ゲッペルスの主張のとおりスターリンによるものか、それともナチスの謀略かが話題となっている(父親がこの事件の犠牲となったA.ワイダの「カチン」は見なければいけない!)。議論の中で、フィルビーだけは、これがソ連によるものという立場に対し、強行に反論している(独ソ開戦後、ソ連で捕虜になっていた将校を中心にポーランド軍を再編しようとしたところ、多くの不明者がいることが判明。亡命政府首班のシコルスキらに問い詰められたスターリンは、「彼らは満州へ逃亡した」と説明した、と言う。チャーチルは、これがソ連によるものと確信しながらも、連合軍の関係維持のためノーコメントで通すことになる)。そして、ヴァジニアは、ロンドンで、これから重要任務に就くという軍人のカップルとの観劇につき合わされている。
スペイン沖での死体放流作戦が実施され、次は、それを巡るスペインでのスパイ戦となる。トランクを回収しろという指示を受けヴァジニアは、ポルトガル国境に近いウェルバに跳ぶ。その頃、ナオミと会っていた北都を、ゲシュタポのスパイが襲い、ナオミを人質に、北都に対し、漂着した機密文書を入手しろと脅迫、北都も同じ場所に向かうが、死体を見た北都は、偽装工作の疑いを持つことになる。
ヴァジニアの返還交渉が手間取っているうちに、ドイツ側は機密文書を手に入れている。そして、既にナオミから、人質としての価値はヴァジニアの方が高いと聞かされたゲシュタポは、今度は北都をベルリンに拉致し、ヴァジニアに対し北都の命と引き換えに、死体とされている軍人が実在したかどうかを調べ報告するよう脅迫する。ヴァジニアはロンドンでその調査を行うが、ここでゲシュタポの連絡員と接触する。それは何とフィルビーであり、フィルビーも死体が本物かゲシュタポに報告するが、ヴァジニアの報告と異なっていた場合は、北都を殺す、ということになっていたのである。驚くヴァジニアに対し、フィルビーは、自分は二重スパイであり、ドイツには自分の確信と違う偽情報を送るのだ、という。二人は、こうして軍人の実在を確認するためロンドン市内を回るが、略確実に実在する、従ってゲシュタポには二人とも「軍人は実在せず、文書は偽情報。従って文書にあるサルジニア上陸作戦は囮で、本当の目標はシシリー」と逆の情報を流すことに略合意する。しかし、その場合は、偽りの情報であったことが判明した段階で北都は殺されるのである。そして1日の終わりに入ったパブで、偶然死体の写真と同じ、そしてヴァジニアが飛行の直前の観劇に同席した軍人と瓜二つのバーテンと遭遇してしまう。そして彼女は、これが囮作戦であるということを認識してしまう。国に忠実であるには、ゲシュタポには「軍人は実在する」と言わねばならない。するとフィルビーの報告と異なり、北都は直ちに殺されることになる。ヴァジニアは国に忠実を尽くすため「軍人は実在する」という苦渋の決断をするが、驚くべきことにフィルビーは同じ報告をしていた。北都の命は取り合えず救われたが、彼女はフィルビーの真意が分からず困惑する。1943年6月、北アフリカではロンメル軍団が駆逐され、太平洋ではアッツ島の日本軍が全滅し、暗号解読により待ち伏せされた山本五十六の搭乗機が撃墜されている。ロンドンのザ・タイムズには、囮作戦の軍人の死亡記事と共に、有名俳優レスリー・ハワードの死亡記事も掲載されている。スペイン・ポルトガルで、反ナチス講演を行った帰途、搭乗した民間機がナチスにより撃墜されたのだが、これはチャーチルの偽者が乗った飛行機をナチスが襲った可能性があるという。そして英国は、ナチスのこの作戦を暗号解読により知っていたにもかかわらず、解読の事実が明らかになるのを恐れ放置した、という疑惑が語られる。ハワードの撃墜死が歴史的事実かどうか、そしてそれが情報戦の犠牲であったのかどうかも興味のあるところである。
そしてこの第四部の大団円は、北都のベルリンからの脱出行。空爆の混乱の中、カナリスに助けられた彼は、彼の部下に付き添われピレネー越えを試みたところで、スペイン国境警備隊に捕捉されるが、同行したカナリスの部下の活躍と犠牲で、かろうじて救われる。救ったのは反フランコのゲリラ部隊で、北都の死んだ妻に生き写しのホアナ。ゲリラ部隊は、英国情報部と共に、スペインに逃亡してくる連合軍の捕虜の救助にあたっていたのである。そしてジブラルタルを訪れていたポーランド亡命政権の首班シコルスキ(しかし彼の乗った飛行機が、そこでの離陸に失敗し、彼は死亡する。裏で仕組まれた謀略の可能性が示唆されている)に同行していたヴァジニアと再会を果たすのである。
1943年7月、連合軍のシシリー上陸が敢行される。サルジニア上陸を装った情報戦が効果を発揮したようだ。上陸作戦の偽情報に怒ったゲシュタポは、ナオミを囮に、ヴァジニアと北都がいるマンションを襲うが、著者お得意の激闘の末、二人に殺される。そしてイタリアではムソリーニが失脚していくのであった。
著者による第二次大戦秘話の第四部ということであるが、益々フィクションとノンフィクションの境界が分からなくなりながら、その世界に引きずり込まれてしまうという点では、相変わらずの面白さである。しかし、今回は、「死体放置による撹乱情報の流布」というやや荒唐無稽の作戦が物語の中核に据えられていることから、全体のリアリティは、前のシリーズと比較するとやや落ちてしまったことは否定できない。それでも、ヴァジニアとフィルビーの駆け引きのように、著者が頭で色々トリックを考え、読者のサプライズも誘いながら話しを展開させていこうという試みは、小説としては成功している。いつものとおり、読了後、爽快感を感じさせる作品であることは確かである。
(5)鎖された海峡 読了:2012年8月11日
久し振りに手にした著者のスペイン現代史を素材にした大河小説の第五部である。前作の「暗い国境線」を読んだのが2007年10月のことであるので、この世界に帰るのは実に5年振りである。前作では、第三部の展開の中心であった連合軍による北アフリカ上陸作戦直前の1942年8月から、イタリアでムソリーニが失脚する1943年7月までの時期が取り上げられ、いつもの通り、マドリッドを拠点に活動する日本の諜報員北都、英国諜報員(MI6)ヴァジニア、そしてドイツ国軍情報部(アプヴェア)のカナリスなどが登場する。実在の事件としては1943年のイタリア降伏とそれを受けた連合軍のイタリア半島上陸地点を撹乱するための、水死体に託した秘密文書を使っての謀略作戦と、それを巡る彼らの虚々実々の駆け引きが描かれている。そしてそれに続くこの作品では、敗色濃厚なドイツと、東方から迫り来るスターリンに対抗する意味も持った「史上最大の作戦」と呼ばれるノルマンジー上陸作戦が話の鍵を握ることになる。時期は1943年7月から1944年6月までの約1年である。
冒頭、英国に亡命したポーランド臨時政府首相シコルスキの事故死とカチンの森でのポーランド将校の集団殺戮事件が取り上げられている。連合国内でのスターリンと、チャーチル、ルーズベルトの思惑が、これらの事件の真相解明の障害になったと言われているが、この三者の関係は、最早敗戦が必至であるドイツ、そして日本にとっては早期の講和を行う上での鍵になっている。マドリッドにおける北都らの活動もそうした政治情勢の中で風雲急を告げる状況になっていくのである。
スペインではフランコが、「非交戦状態」と「中立」の間を行ったり来たりしながら、蔭ではナチスを支援するという老獪な外交を続けていたが、イギリス等がそれに対し「中立違反」の事例を突き付け、非難を強めている。イタリアが離脱し、ドイツの敗色も濃厚になる中、フランコの政策も徐々に親ドイツ色を薄めることになっていく。
カナリスと北都がマドリッドのレストランで話し込んでいる。カナリスは連合軍のイタリア上陸地点がシシリーであることを知りながら、反ヒトラー運動支援のためヒトラーに告げなかったことで、政治的には徐々に窮地に陥っている。しかし、連合国が日独両国に無条件降伏を突き付けている限り、其々の国は最後まで戦い抜かざるを得ないし、他方で戦争の早期終結のためにはヒトラーを排除するしかないという状況は変わっていない。
カナリスとの密会が終わったところで、北都はレストランで、かつての妻であるペネロペと瓜二つで、前作で彼のピレネー越えを助けた反ファシスト組織のホアナと遭遇する。そのホアナは、やはりかつてフランコ暗殺に失敗し、崖から川に身を投げたペネロペが記憶をなくして生まれ変わった姿であることを、店の主人でかつての反ファシスト運動の闘士より明かされるが、そのペネロペ=ホアナを巡る運命の展開もこの第5部での一つの挿話になるのである。またペネロペがフランコ暗殺に失敗したのは、フランコをその時点で排除することの危険を感知した英国情報部の思惑であったが、それを受け、爆発しない爆弾を直接ペネロペに渡したのは、現在の北都の愛人、MI6部員のヴァジニアであったことがもう一度語られる。
そのヴァジニアは、マドリッドの英国大使館で行われている英米情報部の合同会議に出席している。米国情報部(OSS−戦略情報局)は、歴史は新しいが、ここマドリッドでも次第に力をつけてきている。しかし、フランコが、「青の旅団」解体等、徐々に親ドイツ政策を転換しつつある中で、英米両国とも大使館側からは、情報活動の行きすぎを抑制するよう指示が出されている。また近々実行される予定の「オーバーロード作戦」についても噂話が語られている。更に食後のOSSマドリッドのシャピロとヴァジニアの間では、ドイツの和平を巡る反ヒトラー派の様々な動きと、彼らと英米諜報機関との二重スパイ疑惑も含めた虚々実々のやり取りについての情報が交換されている。そこでも反ヒトラー派の鍵になるのはカナリスである。
会議からの帰途、ヴァジニアは彼女を待ちかまえていたナオミと遭遇する。ナオミは米国育ちの日本人で、シャピロのアシスタントをしているOSSの情報員であるが、北都を横恋慕し、ヴァジニアに敵愾心を燃やしている。前作では、ナオミが誘導したゲシュタポに北都とヴァジニアは危く殺される事件もあった。ナオミは、ヴァジニアを、日本のスパイ北都と通じて敵国に情報を流す女として非難するが、ヴァジニアは動じない。
その北都はレストランで、日本公使の須磨及び彼が繰るスペイン人のスパイを交え情報交換をしている。イタリアでのバドリオ政権による無条件降伏の受諾と、ヒトラーによる幽閉されたムソリーニの救出と政権奪還の可能性に加え、連合国との様々な和平の可能性など。特に、英米を説得しての反スターリン連合の形成や、ソ連を通じての英米との和解を斡旋する可能性なども議論されているが、これはまさにこの時点で日本でも検討された可能性のある議論であろう。須磨との会食の帰途、北都は待ち伏せしていたナオミに言い寄られ、自分がOSSの情報員だと打ち明けられるが、彼は取り合わない。
その頃ベルリンでは、日本の通信人の尾形が、カナリスと密談していた。ベルリンへの空襲が激しくなる中、アプヴェアはその南方40キロほど郊外にあるツォセンに移転していたが、カナリスはそこから出てきたようである。その4月に、アプヴェアをゲシュタポが急襲し、カナリスの部下の何人かを為替法違反等で逮捕したが、それは名目で、反ヒトラー運動の弾圧が目的であった。彼らの逮捕により、カナリスの立場は厳しくなっている。前作で繰り広げられたゲシュタポによる北都の拉致とピレネーを越えての逃亡、そしてマドリッドでのヴァジニアへの襲撃が話題となる中、国家保安省の長官が突然現われ、カナリスに数々の疑念を突きつけ、その上でアプヴェアの統合を促すが、カナリスのほうが上手で尻尾を掴ませることはない。
マドリッドでは、北都が、彼のパトロンの一人であるロマニジョス伯爵とその妻イネスと会食をしている。イタリア情勢や連合国からの圧力を受けた、フランコによる親ナチス政策からの転換(「非戦闘状態」から「中立」への転換)等が話題になる中、北都はトイレでOSSのエディと遭遇し、エディを伯爵夫妻に紹介することになる。エディは伯爵の質問に応じ、フランコの翻意のきっかけになったのは、米国大使が、このままだとスターリンがスペインに宣戦布告する、と嘘をついたことによると答える。極東で日本軍の支援を受け「独立」したフィリピンのラウレル大統領あてに発信されたスペイン外務大臣の祝電に対し、米国が厳しく抗議した、という話も出るが、これがフィリピンをアメリカに奪われたスペインの意趣返しである、というのは面白い。そしてエディの口からは、直近にモスクワで行われた連合軍の外相会議で、スターリンの口から対日参戦の可能性が語られたことが伝えられるが、北都はこのとんでもない情報を俄に信じることはできない。
ヴァジニアは、ロンドンでの英米諜報部の合同会議で、最近のスペイン情勢を報告している。そこには英領シエラレオネで活動するグレアム・グリーンの顔も見える。会議後、ヴァジニアは、ゲシュタポと通じているフィルビーに対し、前作でのシシリー上陸作戦情報戦での彼の動きを問い詰めるが、彼は詭弁を労し、真意を明かさない。更に、その会議にはエディと共にナオミが出席していることが分かるが、ヴァジニアに横恋慕するモティマーも加え、彼らと夕食を共にするはめになる。その夕食の席では、北都を巡るヴァジニアとナオミの鞘当に加え、Dデイについても話題になる。この計画実行時期と上陸地点に関する情報撹乱は、これからの諜報部の最大の任務である。会食終了後、ナオミは色仕掛けで、モティマーにヴァジニアを北都から取り返すことに協力すると、持ちかけるのである。
一方、ヴァジニアは、彼女の機転もあり、二重スパイとして英国側に取り込んだパストールから連絡を受け、スペインにいる親に自分の安否を知らせて欲しいとの依頼を受ける。またパストールを繰るハリスからは、彼女の北都やカナリスとの関係を利用して、英国で活動するドイツのスパイは全て英国に寝返った二重スパイであることを示唆して欲しいという指示を受ける。マドリッドに帰った彼女は、まず個人的にパストールの依頼を実行すると共に、北都との逢引の機会に、ハリスに指示された情報を伝える。しかし、パストール訪問については、彼女より一足早く彼の居所を探りに来ていたゲシュタポを尾行してきた別の英国諜報員に、そして北都との逢引の場を出る時には、彼らを追ってきたナオミとモティマーに夫々目撃され、マドリッドの上司に伝えられる。ヴァジニアは、ナオミの罠にはまり、本国へ送還されることになるのである。ナオミとの最後の対決、北都との最後の逢引を経てロンドンに帰任した彼女を待っていたのは、今度は敵国の中心部ベルリンに潜入し、カナリスと直接接触し、反ヒトラー陣営を支援する情報を伝達するという、厳しい特別任務であった。ゲシュタポと通じているフィルビーに裏切られればひとたまりもない危険な賭けであったが、結局受けることになる。
パラシュート降下を含めた訓練を受け、屈強な相棒であるフレーベとハンブルグ郊外に降下したヴァジニアは、彼とはぐれた上、潜伏中の納屋でドイツ官憲に逮捕され危機に陥る。しかし移送中の連合軍機からの機銃掃射とその後のフレーベによる救出で九死に一生を得た彼女は、ベルリンに辿り着き、そこで尾形の仲介でカナリスと密会することになる。だが、まさに彼女と会う直前に、カナリスは国家保安法部長官からアプヴェア長官を事実上解任され、これから軟禁される場所に向かうところであった。彼女の任務は全く無駄なものであったのみならず、会合が終わったカナリスにフレーベが突然襲い掛かる。ヴァジニアは全く組織に騙されていたのである。カナリス側近の返り討ちに合い殺されたフレーベを始末し、ヴァジニアは、尾形の助けを受け、ドイツに入った時よりももっと困難な、そこらの脱出行を試みる。そして先にマドリッドに入った尾形からの連絡を受け、自分がベルリンから脱出しピレニーを超えたときに助けられた反フランコ派のゲリラの手を借り、北都はヴァジニアの越境を成功させる。しかし、この時、反乱軍ゲリラに参加していたペネロペは、国境での政府軍との戦闘で殺されることになるのである。ペネロペの遺体を葬りながらヴァジニアと再会する北都。ノルマンジーでは激戦が始まっているが、それが本来の作戦であるのか、連合軍の陽動作戦であるのかはまだ明らかにされていない。
こうして第五部が終了する。日独の敗戦は既に明らかであるが、講和の可能性は全く残されていない。カナリス解任は、ドイツ国内の反ヒトラー運動の終焉を示唆している。そして、我々はまさにドイツの敗北を受け、ソ連が、日本との協定を一方的に破棄して、対日宣戦布告を行ったことを知っている。そうした既に我々が歴史的知識として知っている事実に加え、まだ私が偶々知らなかった逸話も交えながら、そこで構築されたフィクションとしての細部の世界は、引続きとてもエキサイティングである。北都とヴァジニアの夫々の愛国心を失わない活動とその愛の行方がどうなるか、予断を許さないまま、物語は次の「暗殺者の森」に引き継がれていく。現在はまだ単行本であるこの続編にも、また近い将来帰っていくことになるのであろう。
(6)暗殺者の森 読了:2018年12月31日
「イベリアの雷鳴」、「遠ざかる祖国」、「燃える蜃気楼」、「暗い国境線」、「鎖された海峡」に続く、著者の「イベリア・シリーズ」第六作で、2010年発表の作品である。実は、前回9月の一時帰国時に、この完結編である「さらばスペインの日日」を購入し持ち帰ったのであるが、これを読み始めようとしたところで、実はこの第六作を読んでいないことに気がついた。それもそのはず、シリーズ第五作の「鎖された海峡」を読んだのは、6年以上も前の2012年。その後、この作家の作品に触れる機会は、今年9月に一時帰国するまでなかった。どこまで読んでいたかが全く記憶から抜け落ちている時に、完結編をアマゾンで見つけて注文したが、その後にこの第六作を読んでいないことに気がついたのだった。
こうして今回の帰国直後からこの文庫(上下)を読み始め、大晦日に読了した。一連のシリーズと同様、基本は、第二次大戦前から戦中の時期、マドリッドを中心に繰り広げられる日本、ドイツ、英国、米国らのスパイ合戦で、日本人の北都、ドイツ人カナリス、英国人ヴァジニア等、おなじみの登場人物が、実際の歴史的背景の中で巧みに絡み合いながら物語が展開していく。しかし、今回の主要な事件は1944年7月のヒトラー暗殺未遂事件である。この実際に起こった、終戦直前のドイツにおける一大事件の発生から収束までを、著者は、その実行者であるシュタウフェンベルグ大佐を核に、詳細に描いていく。そこで描かれている実行犯の心理状況や、現場での詳細な動きが、どこまで「歴史的な真実」であるかは定かではないが、少なくとも著者が、多くの資料を消化しながら、彼なりにこの事件を小説として再現しようとしたことは間違いない。その意味で、このシリーズについては、今までは特段のHP掲載はしていなかったが、今回はドイツ現代史の一断面としてのこの事件を中心にまとめ、「ドイツ読書日記」に掲載することにしたい。
1944年6月、日本やドイツ等枢軸国の敗戦色が色濃くなる時期のマドリッドからこの第六作が始まる。まずは、前作の終盤に展開した、フィクションである、北都やヴァジニアのスペイン国境越えの苦難の話に、ドイツでの反ヒトラー運動や、連合国による、ドイツへの無条件降伏通告の動きが織り込まれている。国防軍情報部(アプヴェア)長官であるカナリスは、北都との友情で結ばれているが、彼は長官職を解かれ閑職に追いやられている。北都たちは、英国でのアプヴェアのスパイが大部分逮捕され、二重スパイとなり、ノルマンジー上陸作戦での撹乱情報を送っていることを告げようと試みるが、最早それも意味がなくなっている。日本が、不可侵条約締結国であるソ連を通じて英米と和平する動きについても語られるが、むしろドイツ降伏後は、ソ連は条約を一方的に破棄し日本に参戦する、というのが、ドイツ駐在の通信社所長である尾形の見方である。そうした中、ヴァジニアは、北都に何も告げず、マドリッドを脱出しロンドンへ帰還。前作で語られた彼女のベルリンでの秘密任務の謀略を本部に報告している。ドイツのロケット爆弾、V1に怯える英国の情報部内での様々な思惑。相変わらずキム・フィルビーが不穏な動きをとり、ヴァジニアの疑念が深まっている。
そうした中で、ドイツでのヒトラー暗殺計画に移っていく。東プロイセンにある総統本営「狼の砦」に、チュニジア戦線で受けた重症から奇跡的に回復した「英雄」シュタウフェンベルグ大佐が、副官を従え、爆弾を仕込んだスーツケースを持ち到着する。到着から、会議の進行と爆弾の設置。副官が窓を閉めて、爆発の効果を高めようとするが、当日の暑さで、会議の開始時に窓は開け放たれた、といったおそらく想像によると思われる細かい描写が描かれる。爆弾の時限装置の設定と、彼の会議の中座から、爆弾の爆発。空港への逃走途中での警備兵との際どい会話を含め、著者のサスペンス的描写が続く。そしてベルリンに戻ったシュタウフェンベルグらによる戒厳令―ヴァルキューレ作戦の発動。しかし多くの関係者は、ヒトラーの死亡確認を求め、それに手間取っている間にヒトラーの生存が確認され、シュタウフェンベルグらのクーテターは失敗する。そうした経緯を、ベルリンに戻った尾形も刻々と追いかけているところで、上巻が終わる。
クーデターに失敗したシュタウフェンベルグらが逮捕、処刑されるところから下巻が始まる。その処刑を偶然目撃した尾形。そしてこのクーデターでのカナリスの関与が次の展開の焦点となる。逮捕者の拷問による自供から、芋ずる式に共犯者が摘発されるが、カナリスもその一人として尾形の目の前で逮捕される。カナリスは、取調べに対し、理詰めで、関与がないことを主張している。
そうした中、ヴァジニアが、キルビーの妨害を逃れ、再びマドリッドでの勤務を勝ち取り、北都と再会する。しかし、それもつかの間、一緒にいることころを、前作から因縁のあるゲシュタポに襲われ、北都は、ヴァジニアを逃がすために、「自らすすんだ」かのように、彼らに拉致され、ドイツに移送されるのである。
ベルリンにいる尾形は、ドイツ敗戦後の身の保全を画策するゲシュタポのハルトマンから、各種の情報を得ているが、そこで、ヒトラー暗殺への関与を疑われたロンメルの自殺の話に加え、北都が、逮捕されたカナリスとの接触を試みるため、「自らすすんで」再びドイツに拉致されてきたことを知る。カナリスと同じ収容所で拷問を受けながらも、秘密の暗号で、カナリスの動静を知り、そして接触に成功するが、結局カナリスは有罪判決を受け処刑される。一方、尾形は、北都の生存をマドリッドのヴァジニアに連絡すると共に、北都救済のために動き回る。最終的に北都の解放を勝ち取り、収容された施設に向かうが、そこには連合軍の前線部隊が迫っている。尾形が到着した時には、既に看守を含めた管理者側は逃げ出しており、北都もその他の解放者と共に、収容所から出て尾形と落ち合うが、そこに因縁のあるゲシュタポが現れ、二人を殺害しようとする。すんでのところで彼らを救ったのは、連合軍の銃弾であった。
1945年5月、マドリッドに戻った北都は、ヴァジニアに再会する。既にヒトラーは自殺し、ドイツは無条件降伏している。そこに北都に電話が入る。そこで聞こえてきたのは、収容所で使用していた暗号の打電。それはカナリスからのメッセージのように思えた。というところで、この第六作が終了する。
ヒトラー暗殺計画は、ここで描かれた「7月20日事件」以外にも、何度か試みられているが、これが最大にして且つ最後の暗殺計画であった。そのため、この事件を取り上げた歴史書も数多く出版されている。残念ながら、それらは私は目にする機会がなかったが、ネットでざーとそれらの要約を眺めてみると、逢坂のこの作品は、会議室の窓が開け放たれていたり、会議が時間より早まったため、爆弾が一個しか破裂しなかったこと、そして爆弾を入れたスーツケースを、参加者の一人がじゃまに感じ移動させたといった、後世の暗殺失敗の要因分析を含め、ほぼ史実をそのまま利用しているようである。その意味では、この作品は歴史書としての価値はない。
それにも関わらず、この作品が読者を魅了するのは、著者が、実行犯のシュタウフェンブルグなどの確固たる態度や、ヒトラー生存情報の真偽を巡る関係者の優柔不断など、人間の本性を刻々と変わる状況の中で巧みに描いていることによるのであろう。そしてそれに、フィクションとして、このシリーズの主要人物を、現場の目撃者や、関係者の救済に向かう者などとして絡ませながら、歴史の大転換の中で翻弄される人間たちを追いかけていく。スパイ戦の中での数々の謀略やそれに対する対応は、一貫したこのシリーズの醍醐味である。
こうして10年以上の歳月を経て、再びこの世界に味をしめてしまった。約一週間後に戻るシンガポールで待っている、このシリーズの完結編を楽しむことにしたい。
(7)さらばスペインの日々 読了:2019年1月30日
そして完結編の第7作である。物語は、ヒトラーが自殺し、ドイツが無条件降伏した直後の1945年5月のマドリッドに始まり、1946年4月のお茶ノ水で大団円を迎えることになる。
北都、ヴァジニア、イネス、シャピロ、ナオミの5人が、マドリッドのレストランで顔を合わせている。スペインは、ドイツ降伏の直前に、日本によるフィリピンのスペイン権益を犯したことを理由に、日本に断交を通告しているが、それを含めた戦後のスペインの立場が夕食の話題である。ナオミはスペインに厳しい見方をするが、ヴァジニアは、戦後の冷戦を見据えた対応を行うというチャーチルの見解で応酬する。いずれにしろ、結果的には、スペインの対応は、フランコによる風見鶏外交の面目躍如となるのである。そしてその結果、須磨公使を始めとするスペイン在住の日本人の身柄も事実上の軟禁状態に入ることになり、国籍を偽っている北都の安全も脅かされることになる。ヴァジニアの助けを得て、北都はその須磨と接触し、現下の情勢について意見をかわす。ソ連の日本との断交も伝えられている。北都の盟友、通信社の尾形ら敗戦国ドイツにいる日本人も米軍などの捕虜となって、米国への移送を待つばかりとなっていた。尾形はそこで知り合った米国人ジャーナリストがマドリッドに向かうと聞き、自分の消息について北都に伝えてほしいと依頼している。その男は、マドリッドで北都とヴァジニアと会い、尾形の消息を伝えることになるが、そこで彼を交え、改めてシャピロと接触し、日本の戦争終結努力が失敗し、米国は決定的な兵器開発に成功したことを匂わせられている。他方でヴァジニアは移送前の尾形と会い、北都の無事を伝えるが、尾形は、今度はヴァジニアに、北都や尾形を助けてくれたナチスの軍人ハルトマンを寛容に扱ってもらいたいと告げている。
マドリッドでは、スペイン人の英国二重スパイの男やカナリス提督の部下であったドイツ情報部員の残党が北都と接触している。誰もが戦後の新たな世界を睨みながら自らの保身に奔走している。ソ連の対日参戦も伝えられている。そうした中、ヴァジニアに英国への帰国命令が出される。ヴァジニアにとっては、北都との別れは辛いが、家族との再会や、ソ連のスパイ疑惑のあるフィルビーとの対決も避けられない運命である。ロンドンでの、対ソ連情報の責任者となったフィルビーとの対決。ヴァジニアは、フィルビーが、ソ連を支援するために、英米との単独講和を目指すカナリスの暗殺未遂を踏めた妨害活動を遂行し、その過程で自分に疑惑を持つヴァジニアも処理しようとしたと追及するが、彼は巧みに疑惑を否定していくのである。この辺り著者は、その後の冷戦期にソ連に亡命することになる、この英国最大のソ連のスパイとされる彼のつかみどころのない人柄を巧みに描いている。
ヴァジニアは、反フィルビーの仲間であるジェーンから、ヒトラー暗殺未遂事件の生存者で英国に亡命したオットーなるドイツ人を紹介されるが、ある晩、彼からの約束に出かけていった人けのないレストランで謎の大男二人に拉致されることになるのである。ヴァジニアの失踪は、MI6の別の女友達から、マドリッドの北都に伝えられ、北都は悩んだ末、危険を覚悟でロンドンに向かい、ヴァジニアが失踪したレストランの主を脅し、オットーの存在を確かめ、今度はオットーを締め上げることになる。(以上、上巻)
北都は、オットーから、カナリスは、ヒムラーがユダヤ人という秘密を握っていたため、ヒムラーの命令で処刑されたのは替え玉であったという話を聞いている。しかし、ヴァジニアの拉致についての口を割らないことから手荒な対応をしようとしていたところに、彼らを拉致した日本人(実は中国人)二人が現れる。他方拉致・監禁されたヴァジニアに、その男は、英国日本大使館の指示を受けた情報活動を行っており、今回の拉致は、敵国日本と共謀した疑いで逮捕が確実なヴァジニアを、英国から逃がすためのものであると告げる。そしてそこに北都も現れ再会、二人は疑惑を抱えながらも、この計画に乗ることにする。偽造パスポートを与えられ、彼らの手引きで、英国から脱出するため車でブライトンに向かう。ブライトンの寂しいレストランから、実家に最後の電話を入れたヴァジニアは、自分が手配などされていないことに気がつき、中国人の意図は、自分が英国から逃げる行動をとったところで、それを理由に逮捕しようとすることだと見抜く。中国人に、自分たちは船に乗らない、といったところで、スコットランドヤードの警部が現れる。彼は、中国人たちとつるんだ逮捕のためにきたのだった。しかし、そこに少し遅れてブライトン警察署長が到着する。ヴァジニアは別にブライトン警察に、自分たちが拉致され国外に連れ出されようとしているということで、保護を要請していたのだ。スコットランドヤードとブライトン警察の間での管轄を巡る争いは、ブライトン警察に軍配が上がり、ヴァジニアと北都は、まずブライトン警察の事情聴取、続けてロンドンに移送され、スコットランドヤードの取り調べを受けることになる。
ヴァジニアは、取り調べに対し、今回の英国脱出が、MI6のフィルビーにより画策されたものであることを匂わせ抵抗している。そこに米国情報部員のシャピロが現れ、北都は彼が取り調べるため引き取り、マドリッドに連れ帰るという。ヴァジニアは再び北都と離れ離れになることで落胆するが、英国で裁かれるよりも良いだろうと納得している。
こうして北都は、シャピロと共にマドリッドに戻り、戦犯容疑で軟禁されている公使の須磨等と共に日本へ送還されることになる。シャピロは、須磨の戦犯容疑は、彼が通常の外交官の活動範囲を超えて、中立国スペインからスパイ網を運営していたことであるという。しかし、北都は、その容疑を立証するためには、アメリカ側が、須磨の外電の暗号解読を行っていたことを公に示さねばならないが、大戦後の国際情勢はそれを許さないだろうと反論している。面会に現れたMI&のベントンからは、ヴァジニアは訴追されることはないが、軍籍は剥奪されるだろうと聞いている。そして1945年の大晦日には、イネスが豪華な夕食を携えて面会に訪れ、北都との6年間を回想している。そして翌年1月、北都を含めた日本人の帰還が始まる。
帰国船ブルス・ウルチラ号は、イネスら、スペインの友人が見送りに訪れる中、北都や須磨ら、スペインとポルトガルからの外交官、新聞記者等、そしてドイツ人やイタリア人の捕虜を乗せてバルセロナを出港する。ナポリで、ドイツ人やイタリア人が下船。日本人のイタリアその他欧州諸国からの日本人が乗船。パレスチナのハイファからスエズ運河をとおり、コロンボへ。引上げ船の中での人間関係の悪化や、あるいは日本人による音楽とスラメンコによる息抜き等の逸話が語られるが、このあたりは著者が多くの資料で吸収してきた戦後史の実話なのであろう。マラッカ海峡を通過し、シンガポールには寄稿せず、マニラへ。そこで日本船筑紫丸に乗り換え、浦賀に到着したのは、3月26日の早朝であった。こうして北都の足かけ7年に渡るスペインでの任務は終了したのだった。
以降は、日本に帰還した北都を巡るフィクションの世界に戻る。この長いスペイン物語を治者はどのように終えるのだろう、というのが最後の関心であったが、それはそれなりに著者が頭をひねった跡が垣間見られるものであった。
日本上陸時の屈辱的な身体検査と取り調べ、そして尾形との再会。お茶の水にある高級収容施設(岡の上会館)に向かう途上で、北都は戦争に敗れ廃墟と化した東京の街とそこでの人々の悲惨な生活を目にすることになる。彼は、ゲシュタポの収容所も経験したが、ほとんどの日々をマドリッドで優雅な日々を過ごしていたことに慚愧の念を感じている。お茶ノ水での取り調べの過程で、再びそこを訪れた尾形から、自分の上巻であった神山少将が東京大空襲で亡くなったことを知らされ、自分の任務を報告する者も今やいないことを知る。またカナリスの逮捕を目撃した尾形の話から、カナリスの生存説を巡る憶測について話を交わしている。そして次に北都に会いに現れたのはナオミであった。彼女は、改めて北都の気を引くような素振りを示すが、実は自分の婚約者であるヴァジニアのMI6での同僚ダグラス・モティマーを同行させていた。彼はナオミの甘言に乗せられて北都とヴァジニアを陥れようとした男である。その彼から、北都はヴァジニアが、祖国裏切りの疑惑では不起訴となり、軍籍を離れ、外務省に新たなポストを受けたことを知らされる。そしてそのナオミから、ヴァジニアからの贈り物があると告げられ、家探しをする北都の前にそのヴァジニアが現れるのであった。彼女の外務省での新たなポストは日本駐在であったのだ。そして今回の再会劇は全てシャピロが筋書きを描いたことを知らされるのである。ヴァジニアからは、カナリスの家族が密かにスペインに移り、マドリッド郊外のサラマンカという町で暮らしているという情報を聴かされる。その家族には白髪の老人も同居しているという。そして二人は、近い将来再びスペインを訪れることを誓う。多くの友人たちに再会するために。(以上、下巻)
こうしてお茶の水での大団円で、この長大な連作小説は幕を閉じる。著者は、この第二次大戦前後のスペインでの情報戦の関係者一同をお茶ノ水に集結させ、一見ハッピーエンドの結末を演出している。しかし、この完結篇で著者が本当に描きたかったのは、戦争に敗れた国の人々の外地からの引上げの風景と、彼らが目撃した、それ以上に悲惨な日本の人々の姿であったのではないだろうか?その意味で、日本、ドイツ、英米のスパイたちの目を通した第二次大戦前後のスペインでの虚実入り混じった情報戦の歴史は、ここで敗戦国日本の個々の人々の姿になって完結するのである。エンターテイメントと戦中戦後の歴史を結合させた著者の渾身の大作を、心底楽しませてもらうと共に、戦後日本の原点に改めて思いを馳せることができる作品であった。