シンガポール Covid-19 雑感
2020年5月24日
4月21日、シンガポール政府は、4月7日より5月4日までということで導入されていた、新型肺炎対策の自粛措置(Circuit Breaker-CB)を、更に6月1日まで、4週間延長することを発表。そして先週5月19日には、6月1日にCBは終了するが、各種の規制は引続き継続されることも明らかにされた。
1月末に、シンガポールで最初の感染者が確認された直後から、2月の初めに中国からの入国や乗継ぎを禁止したり、14日以内に中国に渡航歴のある者の2週間の自宅待機を要求する等、政府の対応は早かった。かつてのSARS感染拡大の際に、対応の遅れから多くの被害を出した経験から、特に感染の輸入を徹底的に管理するという教訓が生かされている、というのが、その際の一般的な評価であった。反面、3月に入り、国内での感染者が100人を超えてきた際も、まだ危機意識は大きくなく、例えば、3月の第一週に予定されていたジャズ(Pat Metheny)やロック(Whitesnake/Scorpions)の大規模なライブは、チケットを購入し楽しみにしていた私も、開催を心配していたが、略予定通り開催された(別稿「シンガポール音楽通信」参照)。それどころか、後者のロック・ライブは、当初の屋外の公園(こちらの方が感染リスクは低いのではないか?)から屋内のホールに変更され、また2つのバンドの幕間に、保健省も担当する国会議員の男がステージに現れ、聴衆に「新型肺炎にも拘らず、シンガポールの生活は続く!」と呼びかけたのも、この国が、新たな感染症の管理に自信を持っていることを示したのではないか、というのも、上記の評に記載した通りである。しかし、実際には、その後、この国もたいへん厳しい状況に追い込まれることになる。
個人的には、3月の終わりに、日本から1年振りに当地に来る妻と、近隣で、スキューバ・ダイビングを核にした短い休暇を予定していた。当初は、昨年行ったタイのピピ島でのダイブを予約し、クラビへのフライトと、そこからのフェリーの往復、そして一日おきに変えるホテルの手配等、やや面倒なアレンジを全て完了していた。しかし、3月の半ばに、タイがいち早く、シンガポールや日本を含む海外からの短期滞在者にも「隔離」を要求すると発表。その実効性については、タイらしくやや曖昧で、シンガポールのタイ大使館からの、「健康者については適用されない」といった回答も新聞に掲載されていた。しかし、その後、タイ側の措置も厳しくなったことから、タイのアレンジを全てキャンセルし、そうした規制のなかったマレーシアはランカウイ島でのアレンジに切換え、取り敢えずシンガポールーランカウイのフライトだけ予約した。
3月21日、シンガポールで初めての死者2名が発生したこともあったのだろう。3月23日、シンガポールは、全ての短期滞在者につき、無制限で入国・トランジットの禁止を発表。これで、私たちの旅行は全て不可能となり、妻の日本からのフライトを含め、すべてのアレンジをキャンセルすることになった。そしてその4日後の3月27日、私のような労働ビザ所有者も、一旦出国した場合の再入国が制限することが公表されて、当面、個人的にもこの国に閉込め状態となることが確定することになった。この時期、国内での感染者も400人台から800人台に急拡大し、死者も3月末には3人となっていた。
それでも、一足先に在宅勤務が導入され始めていた日本とは異なり、当地では強制的な在宅要請もなく、また週末も通常通り、午前中の水泳と午後のテニスは続けられており、また友人たちとの夜の集まりも、3月末の時点で、10人までとする、という指針が公表されていたが、厳しく管理されるという状態でもなかったことから、取り敢えずこの国でいつもの日常を続けることで、この時期を乗り切ろうと、個人的には気楽に考えていたのである。
それが大きく変わったのは、4月3日(金)の夕刻であった。リー首相の演説が予定されているということで、事務所でWebを通じて聞くことになったが、そこで、翌週4月7日(火)より、5月4日(月)までの4週間の自粛(CB)が公表されることになった。まずは勤務関係の各種連絡を済ませながらも、その日も相変わらず友人たちと遅くまで飲食を楽しみ、またその週末も、いつもの通りプールとテニス、そしてその後の夕食等で過ごし、翌週からの自粛に向けた気持ちを固めることになった。但し、自粛開始前の最後の出勤を終えた月曜日、自宅に戻ると、扉の隙間から、この自粛期間中、コンドミニアムのプールやテニスコートも使用禁止となる、という通知が差し込まれており、「私的な住居のファシリティは、ジムのような室内はともかく、外のそれは認められるのではないか」という淡い期待も裏切られることになったのであった。
こうして4月7日からの在宅勤務が始まった。私の業務は、政府の指定する「Essential Business」ではないが、個別の雇用省(MOM)への申請と許可取得により、4週間で4回の出勤が認められている。それに従い、原則一週間に一日、許可を取得し事務所に出勤することとした。リー首相の「CB導入演説」直後こそ、一部のスーパーなどでの買占めにより、米、カップヌードル、そしてトイレットペーパー等が棚から消える、という現象も発生したが、それは直ちに収まり、基本生活には何ら支障はない。但し、外出時のマスク着用や公共の場での「社会的距離(Social Distance)」維持等の規制は、自主規制型の日本とは異なり、罰金や懲役で厳格に実行されるということで、導入直後から、新聞等のメディアでも、違反者の摘発記事が「見せしめ的」に報道されることになる。マスクの義務化については、4月12日(日)から義務化されたが、私自身その日の昼時、近所のショッピング・モール入り口近くの店で、昼食の持ち帰りを注文したが、それは衝動的に立ち寄ったこともあり、マスクをしない状態であった。注文の品物を待っている時に、警備員が近づいてきて、「マスクをしていないので、直ちにモールから出ろ」と命令された。「分かっているけれども、注文した品だけ受け取らせてくれ」と懇請し、何とか罰金や逮捕の難は逃れたのであった。マスクについては、感染症の拡大直後は、品薄回避ということもあったのだろう、「症状のない者は、マスクはしないように」というキャンペーンを新聞なども含め行っていたのであるが、180度の急展開であった。そしてこの4月に入ってから、新たなクラスターとしての移民労働者の宿舎での感染が、この国の感染者数を一気に引き上げることになる。
CBが実施された4月7日時点の総感染者数は、1481人。この時点では、この内の移民労働者の感染者数は、現在拾える統計では示されていない。しかし、この総感染者数は、4月13日には5000人、20日には8000人を超えるという具合に急増し、その急増のほとんどがドミトリーにいる移民労働者の感染増加であることが明らかになる。シンガポール政府は、感染初期の段階では、冒頭に述べたように、所謂「輸入型」が中心ということで特に中国との国境閉鎖で対応したが、その後欧米等からのシンガポール人も感染を持ち込んだと言われ、それを一般市民のクラスター潰しで対応してきた。しかし、4月半ばからは、全く新しい移民労働者という国内要因による大量クラスター対策を行わざるを得ないことになったのである。これを書いている現在、5月23日時点では、シンガポールの総感染者数は31068人、その内移民労働者の感染者数が28806人ということであるので、一般の感染者数は約2300人ということである。4月20日時点の一般感染者数は約2000人であるので、約一カ月の増加は300人程度に留まっていることになる。しかし、この移民労働者の感染急増は、当初WHO等も賞賛していたこの国の感染対策の評価をいっきに変えることになる。
この移民労働者宿舎での感染を巡っては、評価が分かれることになる。上記の4月20日の感染急増の直後に、政府は、約18万人と言われる宿舎の移民労働者を直ちに別の施設に隔離すると共に、宿舎以外に滞在する者を含め、約30万人全員にPCR検査を行うことを発表した。当時にリー首相以下、政府首脳からは、こうした移民労働者はシンガポール経済を支えてきた貴重な労働力であるので、政府は彼らを見捨てることなく、徹底的にケアを行う、といった発言が繰り返し聞かれることになる。こうした対応を受けて、一方では、この国の指導者は対応が早く、且つ移民労働者に配慮するという姿勢を評価する声があげられることになる。他方で、この移民労働者の大量感染は、低賃金で、この国の一般市民たちとは全く異なる衛生環境も悪い宿舎に押し込められている彼らのこれまでの実態を白眉の下に晒すことになった、という論調も、特に国外のメディアから寄せられることになる。日系のメディアでも、週刊新潮(WEB版)が、マレーシア在住の日本人ジャーナリストによる「シンガポールの危機」と題した記事を掲載し、その中では、「こうした(低賃金労働に基づく)経済成長優先が(結果的に)コロナ感染の拡大をもたらし、最悪のマイナス成長を招く恐れ」をもたらすことになった、と皮肉っぽく報じることになる。私自身の意見も、後者に近く、今回の移民労働者の感染拡大で、シンガポールの国際的評価に大きく傷がついたので、政府としても、徹底的にその弁護策を講じざるを得なくなったものと考えている。もちろん、これを契機に、彼らの賃金や労働環境が改善されれば、それはそれで良いのではあるが、他方でコスト増加を通じて、唯でさえ現在の中期的低成長と、今回のコロナでの急減速に晒されているこの国の経済政策に大きな負担を強いることは間違いない。世界中が、コロナ要因で当面の経済政策に苦しむ中、シンガポールの場合は、特に、この問題をどう乗り越えるかが、大きな課題となることは間違いない。
結局、その後も、こうした移民労働者の感染者増加数は、一時期よりも減ったとは言え、例えば最新の5月23日の発表でも631人/1日の増加と、絶対数では、まだまだ高水準になる。そしてこの状況もあり、冒頭に述べたとおり6月1日にCBは終了するが、各種の規制は引続き継続されることとなるのである。
6月1日のCB「終了」後も、政府は3段階を踏んで、慎重に各種規制を緩和することを発表している。6月2日から「最低4週間」続く第一段階で緩和されるのは、出勤可能業務の拡大(これにより私の業務でも、これまでのように当局の個別の許可を取得せずに通常出勤できるようになるー但し業種定義が曖昧な部分もあり、依然どうするか検討中である)を除くと、例えば飲食店での店内飲食や、(私的コンドミニアムを含めた)スポーツ施設は依然閉鎖されるということで、少なくとも週末の私の行動は依然制約される。そしてこれらが(恐らく部分的に)解禁されるのは第二段階で、この期間は「数か月」続くとされ、そしてその後第三段階に移行するということになる。もちろん、この期間を通じて、引続きマスク着用や社会的距離の確保が要請されることは、(罰金等の対象ということを除けば)日本での対応と同様である。また国を跨る人々の移動―特に政治・経済的に必要性な者―については、日本を含む幾つかの国と、個別に交渉が行われているとされているが、日本と同様、これは対象国やその他世界全般の状況を見ながら判断されることは間違いないので、例えば私がASEAN域内に出張できるようになるのはまだ相当先になると想定せざるを得ない。
こうして、当初の自粛(CB)期間の終了まで、あと一週間強を残すばかりとなったが、実質的には、6月末までのあと5週間、出勤の可能性を除くと、引続き現在の生活を強いられることになるのに、さすがにうんざりしているのが正直なところである。
コロナを巡る対応はまだ道半ばであり、今後の展開は、まだまだ不透明なことも多いが、現時点でのこの国の対応評価と今後の課題をまとめてみると以下の通りである。
1、 多くのメディアでも報道されたとおり、今回のコロナ感染拡大にあたってのこの国の初動は早く、SARSの経験を受けたPCR検査体制の整備、あるいは小さい海で隔離された国であることもあり、一般の感染の抑え込みには成功した。高齢化が進んでいるにも関わらず、定住者の総人口約570万人に対し、現状の死者数が23人に抑えられているのも、早期の高齢者施設の隔離政策等が効果を発揮したと評価される。
2、 しかし、移民労働者の感染急増は、予想されていたとは言え、この国のある意味での「恥部」を晒すことになった。政府としても、このクラスター対策は、今後のこの国の経済再建のためのみならず、この国に対する国際評価という点でも重要であることを認識している。この対応の推移には、引続き注目する必要があろう(丁度、これを書いている5月24日の日経新聞に、シンガポールで外国人労働者の待遇改善活動を行っているNGOの一員による、「コロナ危機が、シンガポール社会を、彼らを理解し、彼らと融和できる社会に変えることを期待する」という趣旨の短い論説が掲載されている)。
3、 最後に、経済面への影響であるが、欧米、日本や中国を含め、経済力を有する国家全てが現在試行錯誤しているとおり、この国でも感染抑え込みと経済再建のバランスは当然最優先事項である。特に、この国は、経済規模も小さい上に、日本以上に自国に一次資源がなく、グローバル交易や資本移動を中心に経済を動かしていることから、コロナによるグローバル・サプライ・チェーン寸断や国際市場の急速な落ち込みは、より大きな危機をもたらすことは明白である。例えば、世界の航空業界は、今回のコロナで壊滅的な打撃を受けているが、それでも日本を含め、国内線の需要はかろうじて残っている。同じように世界的に打撃を受けている観光産業についても、そうした国内需要は、各国の今後の回復過程で最初に期待できるものだと言える。しかし、この国の航空業界は国際線のみの運行であり、また観光産業も国外からのそれに依存していることから、その分衝撃は大きいし回復までの時間は長くなると予想される。もちろん、政府は例えばシンガポール航空への徹底支援を公表しているが、それを含め、この国の指導者が現在まで蓄えてきた、しかし限られた財政的な蓄積を如何に的確に主要産業に注入していくかが、これからの課題として特に重要である。
こうした点を中心に、引続きこの国のコロナ危機への今後の対応を追っていきたい。
5月24日 記