片腕をなくした男(上/下)
著者:B.フリーマントル
チャーリー・マフィン・シリーズの第14作で、原作、邦訳とも2009年の出版である。シリーズ前作の「城壁に手をかけた男」の出版は2002年であることから、7年振りの続編ということになる。舞台は再びモスクワ。前作で、モスクワでの米露大統領暗殺(未遂)事件を扱い、チャーリーは、事件を解決させるが、ナターリヤとの関係は悪化し、疎遠になっている。そこでモスクワの英国大使館で片腕のない男の射殺体が発見され、再びチャーリーがその捜査責任者としてロンドンから派遣されるのである。
ただ上巻は、やや展開の理解が難しい。捜査を進めるチャーリーに対し、英国大使を含めた一般大使館員に加え、駐在のMI5やMI6の情報担当官、更に米露の情報機関も夫々の思惑を抱えながら捜査に干渉し、人間関係が分かりにくいが、少なくともチャーリーが信頼しているのはロシアの民警の捜査官パヴロフだけのようだ。しかもその事件の捜査に加え、英国大使館のロシアによる盗聴問題も浮上し、大使館内部に、それに関連した協力者がいるのではないか、という疑惑も同時に捜査対象となっていくのである。ロシア側はこの事件はあくまでマフィア同士の抗争であり、事件の処理はロシアだけで行うと主張しているが、チャーリーは納得しない。大使の責任問題からの解任や、事件解決に向けてチャーリーが企画した大掛かりな記者会見等が絡み捜査は進められるが、上巻では、双方の事件とも解決の糸口は見つからないままである。またチャーリーはナターリヤとの関係を取り戻そうと、娘のサーシャと一緒に公園で再会しているが、ナターリヤは復縁には消極的である。
ということで、上巻ではなかなか動きがなかったが、下巻に入ると記者会見を受けた多くの目撃証言の中で、これはと思われる連絡が入り、チャーリーはそれを追求することになる。いきなり特ダネを狙うロシア大手テレビ局の美人キャスター、スヴェトラーナの陰部に隠した隠しマイクを巡るチャーリーとの駆け引きが行われるが、これは著者が良く使う妖艶なお遊び的挿入である。そうした中、まずチャーリーが信頼していたロシア民警捜査官パヴロフが公衆電話で「手に入れたぞ」という声を最後に射殺される。更にチャーリーが移動する際に囮として走らせた別の車が衝突されるが、これは明らかにチャーリーを狙った犯行であった。こうして彼の動きを妨害する動きが明らかになるが、もちろん彼は捜査を続け、記者会見を受けたある電話でかすれた声の女とコンタクトを取ることに成功する。その間、ロシア人キャスター、スヴェトラーナや英国大使館の美人駐在員(MI5)のポーラ・ジェインがチャーリーに色仕掛けで迫り、またロシア保安局の捜査責任者グーゾフからは、冒頭の射殺体の身元と犯人が判明し、マフィアの抗争という結論がチャーリー伝えられてが、彼はそれをすべて無視している。またスヴェトラーナが突然逮捕されたり、それに対し民主派大統領候補のルヴォフが大規模な抗議の大衆運動を起こし、彼女を解放したりしている。
こうしてチャーリーは、かすれ声の女イレーナとついに会うことになる。殺された男は彼女の愛人の、アフガン戦争で片腕をなくしたイワンというKGB職員で、彼が殺されたのは旧KGBの秘密情報を手に入れて、保安局と交渉しようとしていたからだという告白を聞くことになる。当然ながら、彼はその信憑性を慎重に検証すると共に、彼女が差し出したイワンが入手したという暗号文書を、ロンドン本部の上司であるスミス部長と共に解読する。その情報は、どうも米国CIAに関するもので、彼らがロシアに送り込んでいる大物スパイに関するものであることが徐々に判明してくるが、それ以上は分からない。そしてチャーリーは、イレーナの希望である、イワンの遺品と一緒の英国移住し、そこでの生活補助を受けるという条件を受入れ(但し遺体の移送と埋葬という希望は諦めてもらう)、ナターリヤに別れを告げた後、多くの監視を逃れ、ロシアを脱出するのである。しかし、話はまた著者特有のどんでん返しを迎えることになる。
ロンドンに戻ったチャーリーが部長のスミスから告げられたのは、今回のイワンのCIAの傍受記録は、彼がカイロに駐在していた時代のもので、当時カイロにいた、現在時期大統領の有力候補となっているルヴォフが実はCIAのスパイであったことを示すものであるが、それは米国大統領も含めた機密事項で、英国もそれを公表することはできない。そしてスミスは、今回の事件を解決できない責任を取って引退し、米国と結託した次長のスメイルがMI5の時期局長になるだろうという。スミスはチャーリーに咎めがないよう配慮するとのことであるが、チャーリーはもちろん納得しない。そしてロンドンにいるイレーナと最後の対決をする。テレビでは、英国からの放送で、スヴェトラーナが、ルヴォフがCIAのスパイで、彼が大統領になれば、ロシアはアメリカの手下となり繰られる存在となることを批判している。その放送をイレーナに見せながら、実は彼女はイワンの恋人でも何でもなかったことを追求し、彼女は全てを白状する。そこに米国情報部及び彼らと結託した次期MI5部長のスメイルたちが押し入り、チャーリーを拉致、尋問することになる。しかし、そこで、チャーリーはイレーナの最後の告白録音テープを再生し、実はルヴォフは、米国のスパイの振りをした二重スパイで、イレーナは彼を繰るロシア情報部の高官。しかしイワンがそれに気が付いたことから、米国の尋問中に死んだ彼を、事件を混乱させるために英国大使館に放棄したが、そしてそれを導いたのは、米国情報部員が名付け親であるポーラ・ジェインで、彼女は次長のスメイルの一派であった。そして民警のパヴロフを殺したり、自動車でチャーリーを襲ったのはイレーヌの指示である。しかし、チャーリーは捜査を辞めず、イレーナの構想が危機に晒されたため、彼女自身がチャーリーに接近して、最後の賭けを行ったということであった。その後、スヴェトラーナとルヴォフはそれぞれ殺され、スメイルは降格、ポーラ・ジェインもモスクワから召喚されるのである。
この二重スパイという設定を含めた入り組んだ構造のため、正直読んでいる最中は、時々何が何だか分からない状態になり、一時困惑したのが正直なところである。下巻に入り、イレーナが登場したあたりから展開は面白くなってきたのではあるが、それでも著者特有の遊びが随所に挿入されていることから、話はなかなか進まないのがじれったい。しかし、最後のどんでん返しで、そうした伏線がすべて一本に結び付くところが、著者の構想力と記述の素晴らしいところである。著者73歳の時の作品。現在の私の年齢を超えてもこうした作品を書いているというのも驚きである。チャーリー・マフィン・シリーズはまだまだ続くが、気分転換を兼ねてここで一休みし、著者のまた別の作品に手を付けることにする。
読了:9月10日(上)/ 10月2日(下)