J.ル・カレ スマイリー三部作
2021年2月24日
昨年9月末に帰国後、このHPに、日本からの報告を掲載しようということで、「川崎通信」フォルダーを設けたが、なかなか掲載するような素材に出会うことがなかった。実際、帰国後、2週間の自宅隔離、そしてその後、帰国に伴う各種行政手続き、自宅自室の整理やリフォーム、シンガポールからの荷物受領とその整理等々で過ごし、それなりに日常生活が始まったのは、既に11月に入っていた。そして11月には、まず半ばには、帰国前から家族が計画していた宮古島への三泊旅行、月末に一泊の京都旅行と、それなりに帰国後の日本の国内を楽しんだが、シンガポールからの旅行のように、あえてHPに残そうという気持ちにはならなかった。そして年が明けると、コロナ第三波の襲来と共に、ウイークデイのスポーツクラブ通いと平均週2回のテニス、そして歯科を中心とした病院通いを除くと、自宅で時間を過ごすことが圧倒的に長くなってしまった。そんなことで、いつものように、アジアやドイツに関わる読書や偶に観る映画を除けば、あえて記録に残す素材がないまま現在に至ってしまったのである。
もちろんその間、読書に関しては、特に昨年4月以降、シンガポールで厳格なコロナ対策が実施されたことで枯渇していた日本語の本を、思う存分読み続けることができたし、映画については、劇場で観るだけではなく、レンタルDVDで、見逃した作品や現地で英語(そして中国語字幕)で観たことから、必ずしもきちんと理解していなかった作品も見ることができ、日本にいることの有難さを感じることができた。シンガポールでの最後の時間を、ほぼ英語の本だけで過ごしていた反動がいっきにでた、というのが正直なところであった。そしてそうした中で、多数の作品に触れることになったル・カレのスパイ小説は、HPに掲載したアジアやドイツの著作とは別に、この期間の余暇の大きな楽しみとなった。
ル・カレの作品には、古くからの思いがある。かつて1980年代、ロンドン駐在時に、J.アーチャーのペーパーバック小説に入れ込んだ。当時、小説家としてのみならず政治家としても、スキャンダルを含め多くの話題を提供していたこの作家のペーパーバックを次々に読んでいることをある英国人に話したところ、彼から「そうだね、彼の小説は12歳を過ぎてから習う英語は使っていないからね(だから外国人でも簡単に読めるのだ)」との返答が返ってきた。それが英国人特有の皮肉だと気がついた私は、「それでは、12歳を過ぎてから習う英語を使った同種のミステリーは、どんな作品があるのか?」と聞き返したところ、彼が引き合いに出したのは、このル・カレやレン・デイトン等であった。そこで早速ル・カレ(そしてレン・デイトン)のペーパーバックを購入。それは当時映画化されたことでも評判になっていたイスラエルと中東紛争を舞台にした「リトル・ドラマー・ガール」(1983年刊)であったが、確かに「12歳を過ぎて習う英語」で書かれたその作品の英語は難しく、最初の10数ページで挫折し、そのまま放り出すことになったのであった。
その後、ル・カレの作品には、翻訳でも触れることがないまま30年近くが経った2018年、久々に彼の「Our Kind of Traitor(邦訳「われらが背きし者」)」(2010年刊)をペーパーバックで読むことになった。この作品も一回挫折した後、偶々日本での一時帰国からシンガポールに戻る機内で映画を観たことから、再度挑戦し、読了したのであるが、当時の評を観てみると、やはりペーパーバックだけでは、ほとんどその展開を追えていないことが分かる。そして今回の帰国後、この邦訳を図書館で見つけ、改めて読み直し、ようやくこの小説の細部の描写を理解することができたのであった。そしてそれを皮切りに、図書館にあった彼の翻訳小説を読み続けることになる。「繊細な真実」(2013年刊)、「誰よりも狙われた男」(2008年刊)、「スパイたちの遺産」(2017年刊)、「ナイロビの蜂」(2001年刊)、「シングル&シングル」(1999年刊)、そして彼の遺作となった「スパイはいまも謀略の地に」(2020年刊)。「ナイロビの蜂」と「誰よりも狙われた男」は、映画版をDVDで観ることができたことから、HPは映画評に掲載済であり、また「スパイたちの遺産」は、これを読了した朝、著者の89歳での逝去の報道(実際の逝去は12月12日)に接したことから、HPでは、無理やり「ドイツ読書日記」に掲載した。そして今回、彼の傑作と言われる1970年代発表の三部作を文庫版で、一部はブックオフで見つけた中古を含め、ようやく読了することになったのである。第一部の「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」(1974年刊)については、「裏切りのサーカス」というタイトルの映画版を観たことから、(そして小説は読んでいないが、彼の初期の作品(1963年刊)である「寒い国から帰ってきたスパイ」の映画と併せて)HPの映画評にも記載したが、第二作の「スクールボーイ閣下」(1977年刊)、第三作の「スマイリーと仲間たち」(1979年刊)については、映画化はされていない。今回、第二部、第三部については、その映画のイメージを思い浮かべながら読み進めることになった。
第一部の「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」は、英国情報部の幹部に潜り込んだソ連のスパイ(もぐら)を炙り出すスマイリーの活躍である。冒頭、コーンウォールの小学校に、ジムという新任教師が着任し、そこで丸々と太った訳あり転校生と親しくなるが、その冒頭部の意味が分かるには、相当読み進めなければならない。これは、著者のみならず、多くのミステリーで使われる手法で、幾つかの断片的な事件が次第に結ばれていく過程を、どのように描くかが著者の力量になる。また読者にとっては、その導入部を如何に飽きずに読み進め、かつその細部を記憶しておくことが、その後の展開を理解する鍵になる。しかし、かつて英語版で彼の作品を読んだ時の私がそうであったが、この導入部だけで、その英語にうんざりして挫折してしまう。少なくとも、邦訳では、ここで我慢が出来るという違いがある。
時は遡り、そのジムは、諜報部トップ(コントロール)の秘密指令を受けてチェコはプラハ郊外のブルノに飛ぶが、そこで待ち伏せに会い、銃弾を受けて拘束される。そして、この作戦の失敗もあり引責辞任するコントロールとその盟友スマイリー。それと時を同じくして、香港の情報員ターより、香港で接触した亡命希望のソ連スパイ女性から知らされた英国情報部高官の「もぐら」話が持ち込まれる。ターの通報を受けた情報機関監視役のレイコンの指示により、引退に追い込まれたスマイリーが、この組織内にいる「もぐら」を探る作戦を始めることになる。コンビを組むのが、やはり閑職に飛ばされているピーター・グラム。主要な素材は、新たな情報部幹部が進める「ウィッチクラフト作戦」。これが、ソ連にコントロールされた偽りの情報を提供する代わりに、米国の情報を含め、より価値のある西側情報を得るためのソ連側の策動であるという疑惑。「もぐら」の存在を指摘して解雇された古手の女性調査官コニーらの回顧情報を基に調査を進めるスマイリー。ここでターの報告が、本部で握りつぶされていることにも、スマイリーは気がつき、疑惑への確信を強めることになる。ギラムは、幹部から「ターは、ソ連の二重スパイで、口座にはソ連の金が振り込まれている」と言われターへの怒りを燃やすが、スマイリーは、それもターに嫌疑を向けさせるための「もぐら」の作戦であると説明する。そして彼に、「ウィッチクラフト作戦」全体を取り仕切るソ連諜報部幹部「カーラ」との、30年前のインドでのただ一回の出会いについて、切々とギラムに語るのである。
ジムが撃たれたチェコでの事件当日の当直電信官であった男の証言からビル・ヘイドンへの疑惑を強めるスマイリー。ジムとの再会で語られる、彼の逮捕・拷問を経て解放・帰国、そして組織引退に至る経緯の確認等。幹部の一人を脅し、「ウィッチクラフト作戦」での情報受渡し場所となっている家を突き止め、そこで罠を仕掛けるスマイリー。そこに「もぐら」が嵌り、彼の正体が晒されることになる。そのもぐら、ビル・ヘイドンは、スマイリーの妻アンと愛人関係になっているが、それはソ連の作戦で、スマイリーの目を晦ますための策動であった。スマイリーによりその正体を見破られたビルは、全てを告白。そして、その尋問の合間の休息時間に外に出たところを、何者か(幼馴染で盟友、そして恐らくはゲイの愛人であったジムであると匂わされている)により射殺されることになるのである。
二重スパイは、当然ながら、夫々に其々の情報を提供し、双方に忠誠心を示し続けなければならない宿命を帯びている。それを暴くには、その双方向の情報のどちらが決定的な情報であるかを証明しなければならない。ここでル・カレが描いたのは、そうした疑念を冷静に解いていくスマイリーの過程である。それを説得的に表現するには、膨大な細部が必要である。まさに、彼は、この作品でそうした細部を緻密に描いていくが、これは間違いなく彼のMI5/MI6勤務の経験が生かされている。
同時に、スマイリーを含め、夫々の登場人物が凄まじい程「人間的」に描かれているのも、彼の人物描写の特徴であろう。スマイリーは、風采の上がらない小太りの男で、決して007のようなスーパーマンではなく、ビルと愛人関係にあったアンに対する愛憎共存に悩む普通の人間である。また情報部の「生き字引」コニーも、今や足腰の不自由な、ただの「老いさらばえた雌豹」である。この両人、そしてその他の何人かの登場人物は、そうした俳優に演じられた映画でのイメージが、その後の第二部、第三部でも、引継がれることになる。
また、ここでその後も使われる小道具も巧みに使われている。その典型は、アンからスマイリーに送られたライターであろう。カーラとの香港での最初で唯一の出会いの際に、スマイリーが渡し、そのままカーラが持ち去ったこの小道具が、その後も随所でカーラとスマイリーの関係を暗示することになる。こうして第二部「スクールボーイ閣下」で、舞台は香港、そしてアジアに飛ぶ。
第一部で、英国情報部に潜り込んだソ連のスパイ(もぐら)を摘発する作戦を主導し、情報部のトップに復権したジョージ・スマイリーであるが、情報部自体は、長きに渡るもぐらの活動で壊滅的な打撃を受けていた。共産圏のスパイ網を壊滅させられた他、同盟国である米国情報部の信頼も失い、その打撃からの回復が彼に課された大きな課題となっていたのである。そうした中で、ソ連から共産中国に送り込まれたスパイの存在が浮かび上がり、彼を拘束することで、もぐらを繰って英国情報部に打撃を与えたソ連のスパイ・マスター「カーラ」に報復しようという作戦が始まる。中国に入り込んだもぐらは、香港の富豪である華人ドレイク・コウの実弟(ネルソン・コウ)。その富豪の信託口座には、ラオスはビエンチャンにある口座を経緯して、その報酬と思われる大金が振り込まれている。スマイリーが考案したのは、ドレイクを揺さぶることで、中国に潜り込んだ彼の弟ネルソンを誘き出そうという作戦。そのために、フランスの片田舎に引退していた元「新聞記者」で、情報部の臨時工作員であったジェリー(スクールボーイ)が呼び戻され、現場である香港に復帰する。
こうして上巻では、ジェリーの、新聞記者という立場を利用した陽動作戦を中心に、それを繰るスマイリーや本部の動きと共に物語が展開する。鍵を握るのは、コウの愛人で、それまでも東南アジア在住の英国情報部員(サム。元ビエンチャン駐在の英国情報部スパイで、今回、ソ連からコウの信託口座への送金の事実を確認した人物でもあり、今回前線に復帰する。彼はその後米国情報部との緊密な関係で、最後のどんでん返しに絡むことになる。)や麻薬取引関係者のパイロット等と関係を結んできた英国女(リジー)。彼女の最初の結婚から失踪までを確認するための元夫や両親、そして幼いコウ兄弟を助けた牧師への事情聴取で、コウに関わる東南アジアでの関係者が炙り出されていく。
下巻では、その情報を基に、まず香港で、新聞記者を装いリジーと接触するジェリーが描かれる。その動きの中で、彼にコウの口座情報を漏らした香港の銀行員が惨殺される。そしてジェリーは、スマイリーの命を受け、戦争最中のヴェトナム、ラオス、カンボジアに飛び、タイ東北部で、コウと密約を結んだ英国人パイロット(リカルド)を突き止める。リカルドは、かつてコウの依頼で、「あるもの(それはネルソンであった)」を中国から運ぶ依頼を受けたが、危険を感じて失踪。その後のコウの追及に対し、当時の自分の愛人リジーを差し出して許してもらったという過去がある。「一緒にコウを強請ろうぜ」というジェリーの提案を聞き流すリカルド。しかし、そこからの帰りに、ジェリーの車が爆破され、リカルドはコウと繋がっていることが明らかになる。コウが動き出す。「ジェリーよくやったが、君の仕事はここまでで、ロンドンに戻れ」というスマイリーの指示を無視し、ジェリーは失踪、香港に戻る。彼は、リジーへの想いを捨てきれなかったのである。
こうして香港に戻り、リジーに一緒に逃げようと誘う。もちろんコウがそれを許すはずがないが、彼には策があった。ネルソン脱出に動くコウ。ジェリーが画策したのは、スマイリーを裏切り、その上陸地点である島に向かい、コウに、英国情報部によるネルソン拉致の危険を告げ、その代償にリジーを受け取るという計画。浜辺でネルソンと再会するコウ。しかし、その瞬間、情報部(実行部隊は、米国CIAのように読めた)の武装ヘリが飛来しネルソンを拉致すると共に、ジェリーを射殺するのである。そして結局、ネルソンは米国情報部の管理下に入り、スマイリー率いる米国情報部は一切関知できない結末となるが、それを画策したのは、スマイリーが本件で呼び戻したサムであり、情報部ヘッドから引退したスマイリーの後釜にはサムがつくことになるのであった。
相変わらず複雑な展開を理解するのに苦労する作品であるが、これが当時各種の賞を受賞し、著者の知名度が更に上がったことも納得できる。中国革命の混乱を生き延びた弟と香港で財をなした兄。その弟を中国に対するもぐらに仕立てたカーラと、それに打撃を与えようという英国情報部の作戦。その中で、前線で辣腕を発揮するが、生来の女好きから最後には英国情報部を裏切り射殺されるジェリー。そしてそうした犠牲にも関わらず、獲物を米国情報部にかっさらわれるスマイリー。こうした冷徹な情報活動が、その内部意思決定プロセスを含め詳細に描けるのは、情報部OB故の著者の力量である。
そしてこの第二部で特に印象深かったのは、舞台となっている70年代後半の香港や東南アジアの姿である。カンボジアでのロンノル政権とポルポト派の戦闘、1975年のサイゴン陥落、そしてヴェトナム戦争後背地としてのタイ。シンガポールから訪れたこうした地域が半世紀前には、過酷な戦場であった訳だが、著者はそうした状況を、巧みに物語の展開の中に組み入れている。当然著者は、この地域について綿密な取材を行ったのだろう。事実はどうか分からないが、それこそ戦場に足を運んだかのようなリアルさと、著者独特の皮肉も交えた視線で描かれている。改めてこの地域の過酷な歴史を再認識しながら、物語の展開も楽しむことができた作品あった。
そしてスマイリー三部作の完結編である「スマイリーと仲間たち」。共通するのは、ソ連情報部で、英国等に潜入させたもぐらを繰るカーラとスマイリーの闘い。第一部では、スマイリーが、その大物もぐらであるビル・ヘンドンを摘発するまでの奮闘と、それにも関わらず、ビルの長期にわたる暗躍で、英国情報部が、国内的にも、また米国情報部の信用という点でも危機に晒される。そして第二部では、そこからの復活をかけて、カーラが共産中国に送り込んだもぐらを香港で捕獲する作戦が繰り広げられる。そしてこの第三部は、そのカーラ自身を捕獲するため、スマイリーが最後の闘いに挑むことになる。
展開は、相変わらず紆余曲折を繰り返しで、多用される著者特有の遠回しの表現から、邦訳でも正確に、例えばその人間関係等の細部まで理解が出来ているかどうかは心もとない。しかし、大きな筋書きは以下のとおりである。
パリに亡命しているソ連反体制派の寡婦オストラコーワの下に謎の男が現れ、彼女が故国で生き別れた娘アレキサンドラを西欧に移送する提案をするところから始まる。彼女は、その提案について、亡命ソ連人(バルト人)グループの長老でロンドンにいる「将軍」ウラジミールに相談、ウラジミールは、彼の腹心でハンブルグにいるオットーを寡婦の下に送る。彼らは、ソ連からオストラコーワに届けられた提案に、カーラが影を落としていることを見抜いたのである。そしてそれは将軍から英国情報部に伝えられるが、その直後に将軍がハムステッド・ヒースで惨殺される。またそれ以前に、ある男が、ハンブルグの湖の上で、内密の文書の受渡しを行っている。ここで引退しているスマイリーが呼び戻され、この将軍殺害事件をあくまで隠密に調査する使命を託されることになる。しかし、彼が動き出した直後に、オストラコーワがすんでのところで車にはねられ殺されそうになっている。
スマイリーのウラジミール遺品の捜索。ハムステッド(この邦訳では「ハンプステッド」となっているが、発音的には「ハムステッド」だと思う。懐かしい場所である。)の殺人現場では、将軍がすんでのところでソ連の殺人者から守ったネガを見つける。そのネガには、ほとんど裸の男女4人が映されている。二人の男は何者なのか?それを調べるために、スマイリーは、かつての対ソ連諜報活動の相棒で、現在は美術商であるトビーを訪ねる。そこでトビーが、パスポートを持たない将軍から、自分の替りにハンブルグに行き、オットーからある文書受渡しの伝令を依頼されたことを確認する。トビーはそれを断るが、将軍によると、その文書は、「カーラが一人の女のために伝説をこしらえている」ことを物語るものであったという。
かつてのソ連分析官で、現在は引退し、老境に差し掛かっているコニーを訪問し、彼女の記憶を確認するスマイリー。そこで、かつてスマイリーが極東駐在で不在であった時期に、オットーが抱き込んだキーロフという男がもたらした情報の取扱いを巡り、英国情報部内で議論が行われたが、結局情報部幹部により無視されたことがあったことが語られる。それは、彼が、ソ連の離散家族の再会を支援する計画という名目で、カーラの指示を受け、フランスに送り込む一女性工作員のための偽装経歴を求めていた、というものであった。それが、今回の将軍の動きと繋がることをスマイリーは直感する。ネガに映っていた二人の男は、キーロフと、彼を抱き込もうとしているオットーであった。スマイリーは、ネガが撮影されたと思われるハンブルグのクラブを訪れ、それを撮影したと思われるオットーの協力者のクラブ経営者と接触する。彼の情報を基に、オットーを探すスマイリー。しかし、彼は、オットーが仮の宿りである小さなボートの船室で殺されているのを発見する。カーラは、彼の計画を察知したスパイたちの抹殺に入っていたのである。クラブ経営者から、オットーとキーロフの会話を録音したテープを受け取ったスマイリーはそのままパリに飛び、当時パリ駐在であったギラムの支援を受け、オストラコーワを保護する。同時にパリ駐在であったキーロフが、急な「栄転」のためモスクワに召喚されていたことも知る。
キーロフのテープから浮かび上がってきたのは、カーラの娘を西欧に移送するための偽装工作としてのオストラコーバの利用と、その娘をスイスの施設に入れて療養させる費用の秘密送金をベルンのソ連大使館員(グレゴーリエフ)宛に行い、彼がその面倒を見るという計画であった。しかし、その情報が漏れたことで、カーラは関係者の粛清に入っていたのである。
こうして、カーラの計画をだしに、カーラを捕獲するスマイリーの最後の作戦が開始される。そのために、美術商トビーを含めたチームが形成され、ベルンでカーラの娘の世話をしているグレゴーリエフの拉致・脅迫を実行。彼の告白を引出し、カーラの計画の細部が確認される。そこでは、オストラコーワの死んだ夫は、二重スパイで、ソ連に貢献したが、その家族は、見せかけ上離散家族としての悲惨な暮らしを余儀なくされた。そして今回、その可哀想な娘をスイスの療養施設で受け入れさせることにしたとされる。スイスの療養施設に収容されているその娘の錯乱した精神状態も描かれる。彼女は、カーラの最大の弱点であるが、スマイリーは、施設にいるその女にも面会する。そして最後の一手。スマイリーは、グレゴーリエフを通じて、娘についてのカーラの計画の全てを把握しでいること、そしてそれをソ連公式筋に公表されたくなければ(それはカーラの破滅を意味する)、今すぐスマイリーの下に身を預けること、そしてその場合は身の安全は保障するという手紙をカーラ送るのである(この手紙は、誰も実物を見ていないということになっている)。そしてカーラは、ついにベルリンで、スマイリーの待つ西側に逃亡するのである。その姿を見ながら、「ジョージ、あんたの勝ちだ」と呟くギラムに、スマイリーは、「うん、そうだな、そうかもしれない」と答えるのである。
私の理解では、スイスの療養所にいる娘は、カーラの娘で、オストラコーワの娘ではない。彼女は、カーラの作戦のための偽装として使われたに過ぎない。そして彼女が、カーラの「かけがえのない存在」であることに賭けたスマイリーが最後に勝利する、というのが、この三部作の結末ということになる。スマイリーが未練を捨てきれない妻アンの放蕩癖が、かつてジム・ヘイドンを通じてカーラに利用されたのと同様、ここではスマイリーが、カーラの人間的な弱点を突くというのも、ここでの主要な展開の鍵になっている。スマイリーとカーラは鏡に映った其々の姿であった。
映画化された第一部と重複する登場人物の映画での姿を思い浮かべながら読み進めることになったが、ル・カレの描くスパイたちは、スマイリーを含め、皆「人間的」である。家族や友人関係に問題を抱え、相手の言葉をそのまま素直に受け取ることなく、常に斜に構えている。それにもかかわらず、ここぞという時は、強い忠誠心と集中力を示す。ここで英国情報部に身を預けたカーラや、匿われたオストラコーバ、あるいはスイスの施設にいるカーラの娘の運命は描かれることはないが、そうした余韻も、またこのシリーズの意図であるのだろう。まだまだある彼の作品をこれからも続けて読み続けていくことになるのだろう。
ということで、コロナ巣篭りの日本での生活で、大きな気晴らしとなったル・カレの翻訳小説であった。
2021年2月24日 記