アジア・ドイツ読書日誌と
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川崎通信
イギリス1960年代
著者:小関 隆 
 1960年生まれのイギリス・アイルランド近現代史研究者による、英国1960年代論である。@大衆消費を基盤とする英国の1960年代の文化革命の経験が、「サッチャリズムの描くポピュラー・キャピタリズムの夢に惹かれる個人的な国民を形成」すると共に、Aその「許容する社会」の広がりが、政治の世界でのサッチャーの栄達を可能にする条件を整え、B同時にその「許容」を批判するモラリズムの台頭が、サッチャーへの追い風となった、という仮説を、ビートルズの成功に象徴される「スウィンギング・ロンドン」の隆盛とその終焉を中心に論証しようとしている。著者自ら書いている通り、私よりも6歳年下のこの著者は、私以上に、同時代的にこの「スウィンギング・ロンドン」を経験した訳ではないが、私と同様に、サッチャー時代を英国で過ごしており、そこから遡ってその前史としての1960年代英国に入っている。その点で、著者の経験と感覚は、私も容易に共有することのできるものであることから、半分頷きながら読み進めると共に、反面やっかみではあるが、ちょっと違うな、という感覚も抱くことになった。そのあたりの両義的な感覚を含めて、この懐かしき英国の時代を記録しておこう。

 1960年代、特にその後半に、欧米中心にいわゆる「カウンター・カルチャー」という言葉で象徴される、若者たちによる「反権威主義・反体制」の機運が高まったことは言うまでもないが、相互に影響を与え合いながらも、夫々の国での表現形態には当然のことながらも格差があった。米国では、ヴェトナム戦争への徴兵もあることから、それは若者による反戦運動や徴兵拒否という政治的運動を核に、そうした体制への批判をベースにしたヒッピー運動のようなある意味現実逃避的な動きとなる。他方、フランスやドイツでは、時の冷戦構造を反映した反戦運動が核になり、またその反乱を担ったのは主としてエリート知識人や主要大学のエリート学生たちであった。それに対し、英国の動きは、むしろ政治的主張はそれほど前面に出ることはなく、中流・下層労働者階級の若者による文化運動的な色彩が濃いものになる。著者は、この時期の「カウンター・カルチャー」運動の共通項として、@ヴェトナム反戦、Aドラッグの使用を通じた精神的な啓示や精神世界の拡張をもとめるサイケデリック志向、そしてB資本主義と近代合理主義のアンチテーゼとしての神秘主義志向やコミューン志向を挙げているが、英国では、米国や独仏に比べると@の現れ方が弱く、またABについても、米国ほど強くなかったというのが私の印象である。そしてそうした雰囲気の中で、一躍「労働者階級の英雄」に上り詰めていったビートルズも、ある意味たいへん「英国的」な特殊な動きであったように思われる。

 私以上に「遅れてきたビートルズ」ファンとして、著者は彼らの成功の要因を上記の文化革命(ファッションでのメアリ・クアント、ヘア・ドレッシングでのヴィダル・サッスーン、写真家のデヴィッド・ベイリー等)と重ねながら説明しているが、これについては特段目新しい指摘はない。労働者階級出身を前面に出しながらも、ほどほどに小綺麗な、しかし適度な「行儀悪さ」でエリートを皮肉る言動等が、彼らの人気の大きな要因であったことは疑いない。そして、ライブ活動から撤退し、スタジオでしか作れない音楽のレコード制作に集中した彼らの後期の活動の「前進性」もそのカリスマ性を増幅させた。しかし、こうした音楽面での後期の活動は、私自身の音楽体験がそうであったように、その後の「プログレ」音楽―演奏技術のみならず、スタジオでの音楽をライブでも再現するーは、ビートルズのこうした実験を容易に超えていってしまった。その意味で、音楽的には、彼らが実質的に解散した1970年には、音楽面では彼らの役割は終わっていた。著者は、「1970年代のロックには(中略)ビートルズ的な冒険の精神は概して希薄である」としているが、これはあくまでも、「時代の文化運動総体」という側面からだけ見た議論であるというのが個人的感想である。

 欧米に比較して文化革命の政治的な表現が限られていた英国であるが、そこには、「ニューレフト」と呼ばれる「修正主義的」な、政治・社会思想(「抑圧的・硬直的なソ連型コミュニズムとも、資本主義の枠内に安住するイギリス型福祉国家(社会民主主義)とも違う社会主義のあり方を模索」)が現れたことも著者は指摘している。 ここでは、公式的なマルクス主義では、経済的な条件の従属変数(上部構造)に過ぎない文化が、「自律的・自発的に自らを労働者階級として形成していく人々の経験」として議論されたが、これはマルクーゼ等、米国での社会哲学と共鳴する発想である。ただ英国のこうした議論は、当時はあまり日本では紹介されず、むしろこうした論者が批判した、「豊かな労働者=労働者の『消費者』化」と、それによる「コミュニティ生活の総体に対する全般的な損失=階級意識の希薄化」を前提とした労働党内の、「社会的公正、経済的安寧、産業における新たな精神」といった社会主義的の目的は既に「実質的に達成された」という「楽観的」な「修正主義的」な動き(「無階級の神話」)の方が注目されたように思われる。そして、私自身の印象としては、それは、著者がこの本の最後に指摘している、この時代が、後のサッチャーによる「保守主義への回帰」をもたらした、という見方と同様に、ブレアに象徴される労働党内のその後の新たな動きの源泉となったように見える。それはある意味、英国の現実的・経験主義的な政治過程の時代的な表現であったと言えるのではないだろうか。

 いずれにしろ、この1960年代が、労働者の「消費者」化を通じた「個人主義」の台頭を促したことは間違いない。そしてそれは別の言葉で言えば「許容する社会=法的規制の緩和や撤廃、マナーの弛緩」が進むことになるが、著者は次に、それに対する反動も同時に起こっていたことを示すことになる。1960年初頭の「チャタレー裁判」で始まるこの「許容」の流れは、性的表現・行動や同性愛、中絶、避妊、離婚等々の規制緩和を促すことになるが、他方でドラッグの解禁や移民問題等ではそれを制限しようという動きも顕在化する。そしてそれを象徴する「保守派」からの反動の動き、「モラル再興の闘い」の先頭に立ったのが、「全国視聴者協会」を立上げ、BBCなどによるテレビでの性的表現(そしてそこから、例えばゲイの権利拡大を求める週刊誌からビートルズ「マジカル・ミステリー・ツアー」の歌詞等に拡大)などを徹底的に批判したメアリ・ホワイトハウスであったという。

 この名前は、正直私は初めて聞くことになったが、面白いのは、「キリスト教への敬意、愛国心、母性愛、節制、非暴力、権威の尊重」等の軽視についての彼女の批判がまずBBCに向かったという点である。当時のBBCがそれほど「リベラル」であったというのはやや意外であり、また当時のBBC会長であったグレアム・グリーンの弟ヒュー・グリーンが、彼女に対決姿勢で向かったというのも面白い。ピンク・フロイドの「アニマルズ」には、彼女を皮肉った歌詞の曲も収められているのも著者に初めて教えられることになったが、それだけこの運動が、賛否両論を問わず、社会的に大きな話題となっていたことを物語っている。ホワイトハウスは、2001年に91歳で逝去しているので、私がこの地に滞在した1980年代にはまだ70歳過ぎであるので、それなりの活動をしていた可能性はあるが、彼女の名前を耳にすることはなかった。それは既にその頃には、ある意味サッチャー政権の下で、60年代の極端な「許容」の修正が完了し、ホワイトハウスの運動自体も役割を終えていたということだろうか?60年代が、「彼女の凡庸なモラリズムと某弱無人にわが道を行く騒々しい運動も『許容』した」という著者のこの章の閉め言葉も皮肉に満ちている。

 こうして最終章の、「60年代が、サッチャーの台頭」をもたらした、という仮説の説明に入るが、これはあまりコメントする必要はない。ホワイトハウスは、サッチャーの教育相時代から接点はあったというが、サッチャー自身は彼女とはやや距離を置いて対応していたという。そして保守党党首から、首相に上り詰めた80年代、サッチャーは、表向きは「ヴィクトリア時代の価値への回帰」を主張したものの、政治的な方向性は、「(ヴィクトリア時代のような)倹約・節制を旨とするよりは派手な金使いを良しとし、隣人や公共の責務は二の次にして、キリスト教的な救済よりも眼前の利益の飽くなき追及を優先する徹底的に世俗化された社会」を目指すことであった。言うまでもなく、これは米国レーガン政権などと同様の規制緩和と競争強化という個人主義の徹底の英国版であった。もちろん60年代の「行き過ぎた許容」の修正という側面もあるが、他方で、むしろそうした「許容」社会がそれまでには一定程度成立していたということも言えるだろう。私がこの地に滞在した80年代は、まさにサッチャー政権の下で経済バブルが拡大した時代であったが、社会的には特にその前半、炭鉱労働者ストライキやIRAのテロ脅威等の社会不安はあったが、ホワイトハウスの名前を含め、モラリズムについての議論が聞こえてこなかったのは、その表れであったと思われる。サッチャー自身は、彼女の政権獲得・運営に際して、古い価値観を使える範囲で利用したということだったと思われる。そしてその結果は、自由競争という名の下での格差拡大と社会保障等のセーフティーネットの弱体化という、いわゆる「新自由主義」経済の進行であった。その後30年の英国の動きは、ブレアらに率いられた労働党政権による若干の修正はあったものの、基本的にはこの60年代や80年代に議論されたような大きな方向転換はなく、政策的関心は、むしろEU問題や国際テロ対策といったまた新たな課題に向けられていくことになる。その意味で、現在からみると60年代や80年代は、既に遠い過去になったのである。

 しかし、私自身が歳をとり社会的な関係が希薄になる中、こうした「原点」の時代に遡ることは、自分の「回顧趣味」的欲求を満たすだけでなく、自分の人生を振り返る良い機会になることは間違いない。この60年代が、私自身の「原点」であることは、いろいろな機会に言ってきたが、それは著者がここで描いている60年代の英国というよりも、その時代の米国であった。しかし、その米国に長期間滞在する経験をもつことがなく、むしろ80年代の英国、そして90年代のドイツでの滞在経験を持つことになった訳だが、まだまだそうした時代について自分が知らないことも多いことを痛感させられた。今後、そうした自分の人生を総括していくにあたり、こうした作品もまた消化していく必要があると感じたのであった。

読了:2021年7月16日