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川崎通信
スパイの世界
著者:中薗 英助 
 ル・カレを中心に、スパイ小説を読み続けている日々であるが、1992年にこんな新書が出ているのは知らなかった。著者は、1920年生まれで、満州や北京を経てジャーナリストとなり、その傍らスパイ小説も出版し、2002年に逝去している。戦前から戦中・戦後にかけての、日本を含む多くの国でのスパイや、彼らを動かしてきた組織の戦略を紹介している他、出版時点までに知られていたーそしてその内の幾つかはまさに私がこの1年で読んだ作品であるースパイ小説とその作家たちについても言及している。この著作の出版時期が米ソ冷戦終了直後であったことから、戦中からその時期まで激しく続いた東西のスパイ戦争が、特にソ連KGBの解体と情報公開に象徴されるように終焉に向かうといった議論も紹介しているが、それにも関わらず産業スパイ等の新たな形での情報戦は続くと予想する等、出版後30年弱という時間を忘れて読み進めることが出来る作品である。またこうしたスパイの実像は、決して「おどろおどろしい異形のものではなく、意外やその本質はサラリーマン社会にあって刻苦奮励するあなたの有能な隣人、もしくはあなた自身でもある」という、多少笑ってしまうコメントも散見される。

 最初の「スパイ小史」では、モーゼの時代から情報・諜報活動はあったという話から、16世紀のダニエル・デュフォーの隠密活動や日露戦争時期の日本人福島安正のシベリアでの活動などが紹介される。また明石元次郎のように、ロシア・ツアーの背後を脅かすべく、エス・エル等の反ツアー勢力に武器弾薬等の支援を行ったという活動もある。彼がこの活動の過程でレーニンとも接触したという噂もあったようだが、これは確認されていないという。しかしこのように、日本でもこの時期までに諜報活動的な動きも出てきたということは確かである。しかし、その後日本人として、この世界で名を成した人物は、「満州のジャンヌ・ダルク」と呼ばれた川島芳子を除けば、ほとんど耳にしない。他方、世界では、アラビアのローレンスと彼の対抗者であった「ペルシアのヴァスムス」に始まり、第二次大戦のカナリス提督と英国メンジス少将の闘い等、英独諜報戦でのスパイが有名になっていく。もちろん日本ではゾルゲが、大きな衝撃をもたらす事になるが、大戦後は、英米対ソ連の対抗関係の中で、英国のフィルビーやロシアのペンコフスキーらも世間を騒がすことになったのは言うまでもない。この辺りは、まさに私もル・カレの小説等で接してきた世界であることから、多くはコメントしない。

 こうした諜報活動の基本に関わるコメントが、例えばCIA第5代長官のダレスの回想なども含め紹介されている。「スパイ活動の本質は、接近することである」とした彼は、「情報活動における諜報活動の必然性を、限りなく強調したスパイ・マスターであった」という著者のダレス評価は興味深い。

 対敵情報活動と対敵諜報活動といったいわゆる防衛的保安活動(カウンター・インテリジェンス)にも言及しているが、この面では、米国や英国のそれは、国外での活動に比較して、より泥臭い対応が必要で、前者のエリート階層出身者に比較すると、「叩き上げ」が担うことが多かった、そしてこれが両者の関係に、ある種の緊張感をもたらしたというのもよく言われるところである。他方、二重スパイを使った「偽情報・逆宣伝」の活用も知られているところであるが、戦後の日本駐在のGHQのキャノン機関が、戦時下の中国本土で反戦活動を行った日本人文学者を強引に拉致してスパイに仕立てようとして失敗した「鹿地事件」は、私は初めて知る事実であった。
 
 前述したダレスは、スパイの適性についてのコメントも残しているが、著者は、これをゾルゲ、マタハリや川島芳子等々の例を挙げて論評している。日本の忍者教育などにも言及しているのには笑ってしまうが、もちろん「情報に対する接近力」は言うまでもないが、他方で前述したとおり「平凡で目立たない日常生活」を送れることも重要であるという。この辺りが、007のようなスーパーマンではなく、冒頭に述べられたような「サラリーマン類似」のスタイルの方が適性を有しているという見方に繋がるのであろう。他方で、フィルビーの様に、それなりに目立つプレーボーイであっても、長期にわたって素性を暴かれなかった例もある。そして趣旨はやや異なるが、戦後米国のスパイであることを暴露された後に見捨てられた鈴木基次という、著者が面談したことのある日本人スパイの話なども、私は初めて知る逸話であった。

 その他、南北朝鮮を巡る謀略戦(それに関し、日本側が、国民に北朝鮮工作員の活動への警戒感を促すために、国籍不明死体を日本海側の沿岸に漂着させる、日本型「ミンスミート作戦」を実施したことがあるという)やKGB解体に伴う「レフチェンコ証言」、あるいはウォーターゲート以降のCIAの変化、そして現在むしろ謀略の中心となりつつある「経済・産業・ハイテクスパイ戦」の例(フリーマントルの小説「産業スパイ」は読んでおきたい。その他東芝機械のココム違反事件等)など、様々な事案が紹介されており、この世界が、依然、分野や活動家主体を変えながら続いていることが示されることになる。
 
 そして最後の章は、こうしたスパイの世界の表現に尽力してきた小説家の作品が取り上げられている。まさにG.グリーンやル・カレの世界で、著者は彼らを含めた多くの作家と作品を評価しているが、ここでは既に記載した作品以外の、今後読みたい気にさせる作品を記載するに留めておく。J.コンラッド「スパイ」(1906年刊。ダレス元CIA長官推薦)、G.グリーン「ハバナの男」(1958年刊)と「ヒューマン・ファクター」(1978年刊)、J.グレイディー「コンドルの六日間」(1974年刊。R.レッドフォード主演の映画もある)、E.アンブラー「インターコムの陰謀」(1969年刊)、フリーマントル「別れを告げにきた男」(1973年刊)と「消されかけた男」(1977年刊)等々。いやいやこの世界は過去の遺産を含め、まだまだ際限のない宝庫であることを再認識させられた。この内、これからどこまでをカバーできるのだろうか?

読了:2021年11月7日