シルバービュー荘にて
著者:J.ル・カレ
一昨年(2020年)12月に逝去したル・カレの遺作で、邦訳は2021年12月の出版である。彼の主要作は全て読んだと思っていたので、図書館でこれを見つけた時はややびっくりした。図書館も最近仕入れたものと思われ、まだ新しい本を期待して読み進めることになった。
著者最期の舞台は、ロンドンとイングランド東部のイースト・アングリア(どこかと思って調べてみたら、北海に面したサフォークやノーフォーク辺りで、中心都市はノリッジである)。主要登場人物は、ポーランド生まれで元情報員のエドワードと、有能なスパイ・マスターで彼の妻であるデボラと二人の娘リリー、そして元シティの有能なトレーダーであるが、競争社会に嫌気がさしてそれを辞め、イースト・アングリアで古書店を経営することにしたジュリアン。それに現役の英国情報部の国内保安責任者プロクターといったところである。
癌の末期症状で、先の長くないデボラからの手紙が、リリーを通じてプロクターに届けられる。そこには、自分の夫で元スパイのエドワードへの疑惑が綴られている。他方エドワードは、新たに書店を開いたジュリアンの店を訪れ、店の経営について意見を出しながらジュリアンと親しくなっている。そしてジュリアンがロンドンを訪問する機会に、手紙をある人に届けて欲しいと依頼し、ジュリアンはそれを美人の女性に届けている。
それぞれの登場人物の過去が語られていくが、エドワードは、冷戦期の有能な英国のスパイで、それを繰っていたデボラと結婚することになった。エドワードは、前線で活動していたが、特にボスニア内戦では、悲惨な殺戮の現場を経験し、それ以来、行動が大きく変わったとされている。そしてデボラは、エドワードが、自分が管理している情報を、何らかの形で盗み、ボスニア内戦時に知り合ったアラブ関係者に提供しているのではないかとの疑惑を感じていたのである。デボラの手紙を受け、プロクターは、引退した英国情報部の元ベオグラード支局長夫妻などにヒアリングを行うなどして、エドワードの疑惑調査を進めている。他方、何も知らないジュリアンは、エドワードとデボラが住む邸宅―シルバービュー荘―での夕食会に招待され、そこでシングルマザーのリリーと親しくなる。そしてデボラの死期が近づくに従い、プロクターの調査はジュリアンにも及ぶことになる。
そしてデボラは死に、葬儀が、情報部の関係者も出席する中で行われる。そして葬儀の後、改めてプロクターはジュリアンに、ある書類をエドワードに届けるよう要請する。それは、エドワードに、今までの英国側の機密漏洩を認めさせ、罪を問わない代わりに、彼が情報を提供していたアラブ側の情報を提供することを承諾させる内容であった。ジュリアンの伝言に基づき、エドワードとの会談場所であるイースト・アングリアの海岸に向かったプロクターは、時間になってもエドワードが現れないことに気が付き、エドワードを探す。しかし、彼は、プロクターのチームによる監視を逃れ、シルバービュー荘から姿をくらましていた。
ということで、著者の最期の小説が終わる。冷戦時の有能なスパイは、冷戦終了後は別の陣営に寝返っていた。スパイは、必然的に「二重スパイ」となることを運命付けられる。どちらに忠誠であったかは、その時々の状況で決まる。そうした不条理を再確認して、著者が作家人生を締めくくったということになる。いつもの彼の回りくどい表現も楽しんだ小説であった。因みに、著者の末息子で、自身も作家であるニック・コーンウェルが、偉大な作家である父への愛情を感じさせるあとがきを書いている。
読了:2022年5月29日