レン・デイトン 3部作
著者:レン・デイトン
かつて1980年代のロンドン滞在時に、現地の友人から薦められ、ペーパーバックを読み始めたが、直ぐ挫折してしまった著者の3部作3冊を、ようやく翻訳で読むことができた。しかし、日本語の翻訳で読んでも、話の展開がゆったりしており、あまり盛り上がりもないまま進むことから、夫々の読了までに結構時間を要することになった。ましてや英語でこれを読むなどは、全く問題外であったことを再認識した次第である。J.アーチャーのように、「優しい英語で展開も激しい」小説の対極にある作品であるが、英国の読者はこれをどのように評価したか非常に気になるところである。
それでも、今、こうして3作を読了したこともあり、改めてその第一作から、これらの連作の大きな流れを振り返っておきたい。
(1)ベルリン・ゲーム 読了:2021年11月24日
主人公のバーナード・サムソンは、しばらく現場を離れていた英国の秘密情報局局員であるが、ある日、ベルリンに潜入し、そこでのスパイネットワークである「ブラームス4」と接触せよとの命令が下される。あまり乗り気がしない彼ではあったが、ベルリンは、かつて彼が同じ職業で駐在していた父親の下で幼少期を過ごし、成人してからも情報活動を行っていた街であり、まだその時の幼馴染で、情報活動の同僚でもある親友ベルナーも残っていることから、極秘ルートでそこを訪れることになる。しかし、そこでのネットワークは多くが東側に摘発されている。裏切りの気配が漂う中、東独当局に拘束された彼を待っていたのは、同じ情報局で働いている妻のフィオーナで、彼女は、長らくソ連のスパイを務めた後、ついにソ連に亡命したのである。
ということで、途中からそうした展開となる雰囲気が漂い、その結末はそれほど意外ではなかった。しかし、そこに至るまでの流れは冗長で、ほとんど緊張感もないまま進むことで、読了まで多大な時間を要することになった。同じく低価格で購入した続編の2冊を読むことになろうが、直ぐに手を付ける気分にはならないのが正直なところである。
(2)メキシコ・セット 読了:2022年5月7日
そして第一部を読了してから約半年後、この第二作にようやく手をつけることになった。前作で、妻のスパイ活動と亡命という墓標を負ったサムソンの次のミッションが、今回の主題となる。第一作も読了まで時間がかかったが、この2作目も、話の展開が遅いことから、何度も中断しながら、時間をかけて読了することになった。
今回の主たる舞台はメキシコ。そこで活動するソ連KGB のスパイ、エーリッヒ・シュティンネスが、西側への亡命の意思を示している、との情報が、そこで愛人ツェナと暮らすドイツ時代の幼馴染で、情報活動の同僚ベルナーからバーナードにもたらされる。それは、本意なのか、それとも妻がソ連に亡命したバーナードを陥れようとする罠なのか。その思惑が交錯する中、ロンドン本部の横やりも入りながら、物語が進んでいく。前半は、そのシュティンネスの亡命を巡る関係者の駆け引きが、メキシコを舞台に延々と繰り広げられるので、ここで相当うんざりしてしまう。しかし、舞台がロンドンに移り、そこで、バーナードがソ連に亡命したフィオーナと再会したり、彼の助手の若者が殺されたり、そしてそれらを巡り、本部でバーナードのソ連スパイという疑惑を追及する査問委員会等が繰り広げられると、やや緊張感が増し、読み進めるスピードも速まることになる。そしてその査問委員会を乗り切ったバーナードは、メキシコに戻り、シュティンネスの亡命の完了に向けて邁進していくのであるが、そこでは当然 KGBによる妨害や、ツェナとシュティンネスの関係なども入り混じり、一気に読み進めることができたのであった。
(3)ロンドン・マッチ 読了:2022年7月11日
そしてその3部作の完結編。前作でメキシコを舞台に亡命させたKGBの高官シュティンネスの事情聴取が行われているが、そこでの課題は、ロンドンの情報組織に紛れ込んでいるソ連スパイ組織の摘発である。その過程で、彼の証言から、まずはベルリンにいる小物スパイであるイギリス人の女ミラーが浮かび上がり逮捕されるが、彼女は睡眠薬自殺を試み、病院に移送される過程で車が運河に落ち行方不明となる。
その女の伝達メモから、二つの識別コードが見つかるが、一つは既にソ連に亡命したバーナードの妻フィオーナ。しかしもう一つは?別の大物のソ連スパイが、英国の情報部にいるのか?それを巡り、この第三部が展開していくことになる。
妻フィオーナがソ連に亡命したことから、バーナード自身にその疑惑が懸かっている状態は続いている。それもあり、バーナードは、前作でシュティンネスの英国亡命を主導したのであるが、それも意図された芝居ではないか、という者も組織内にはいる。他方、バーナードは、かつてフィオーナとの愛人関係を疑っていたアメリカ人上級職員のブレッド・レンセイヤーが、二人目の識別コードの主ではないかと疑っている。
二人の子供や、愛人関係となった若い情報部職員グローリアとの落ち着いた生活。そうした中、運河に転落した女スパイ、ミラーの車の引き上げを確認するため、クリスマスにベルリンに派遣されるバーナード。しかし、車からミラーの死体は発見されず、逆にバーナードは、KGBの工作員モスクビンに拉致され、精神的拷問を受けるが、最終的には解放されている。
ロンドンに帰ったサムソンは、シュティンネスの尋問にも駆り出され、また彼の情報を確認するべく隠密の証拠集めをするが、その過程で年長の僚友を爆死させる。またもう一方で疑いの晴れないブレッドと共に英国内ソ連組織と接触し、銃撃戦などを繰り返すことになる。ただこの辺りは、戦闘の相手や背景を今一つ理解することができない。
ドイツ課長のディッキーとフィオーナの妹で人妻のテッサとの不倫やら、そのテッサが、フィオーナとオランダで会い、サムソンの二人の子供と休暇を過ごしたいと言ってくる話などが挿入されながら、次第に展開は、裏切り者はシュティンネスなのか、ブレッドなのかという核心に向かっていく。ベルリンにいる旧友ベルナーが、運河で沈んだはずの女ミラーが生きているのを目撃した、という情報でサムソンを驚かせることになる。それを確認するために再びベルリンに移動したサムソンの元に、みすぼらしい容貌となったブレッドが駆け込んでくる。英国内で拘束されそうになり、逃げてきたと言ってサムソンに助けを求めるのである。ミラーが生きていたことで、全てはシュティンネスが仕組んだ筋書きーそしてその裏には亡命したフィオーナがいるーと考え始めていたサムソンは彼と協力し、ベルリン機関長フランクの支援も得て最後の闘いに出る。折も折、ミラーの再確認に東ベルリンに入ったベルナーは、東独の機関に拘束されている。
その最後の闘いは、フィオーナを交渉相手にした、シュティンネスとベルナーの交換である。しかし、フィオーナの意図は、上司であるモスクビンの排除で、二人だけでの交渉時に、彼女はサムソンに彼を殺すよう示唆する。チャーリー検問所近くでのその最後の闘いでモスクビンは殺され、シュティンネスとベルナーの交換は無事完了、この三部作が集結することになるのである。この最後の局面で、バーナードは、元妻でソ連に亡命したフィオーナの意向に従い、モスクビンを殺すことでフィオーナのモスクワでの地位を確保することに協力した、ということになるが、二人の別離はそのままとなったことで、やや残尿感を残す終末となったことは否めない。
著者は、私が愛読してきたフォーサイスやル・カレと並ぶ、現代英国を代表するスパイ・スリラー作家と評価されているが、話の展開は、その中では最も遅く、細部にこだわる傾向が、英語は論外、日本語でもややなかなか集中するのが難しいのは繰り返し書いてきた。ただこの第二作や第三部の後半は、この作家の力量を感じさせるに充分であった。
第三部巻末の訳者あとがき(1986年6月)で、この年に発生した西ドイツ保安機関員の東ドイツ亡命や、それに関連したスパイ容疑のある女性3名の失踪と、米国の原子力発電所でのスパイ疑惑者のソ連逃亡と、その摘発の根拠となる証言を行ったソ連からの亡命者ユルチェンコが、その後前言を翻し、自分は米国側に拉致されたと主張し、再びソ連に逃げていったといった逸話が紹介されている。この著者と三部作を英国人から聞いたのはこの頃であったと思うが、まさにペレストロイカが始まりつつあり、ソ連崩壊直前のこの時期、依然欧州ではこうした共産圏とのスパイ合戦が激しく繰り広げられていたということにある。その中で誰が裏切り者なのか、という疑惑は常に渦巻いていた。この作品は、そうした時代を表現した三部作ということになるのだろう。ただ繰り返しになるが、日本語で読んでも饒舌で、回りくどい展開には翻弄された。英語でなど、とても読めない小説であった。それにも関わらず、英国滞在時に、初めてこのペーパーバックを買ってから約40年、ようやくこの時の懸案を済ませることができたと、ほっとしているのが正直なところである。
2022年7月13日 記