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川崎通信
映像の世紀 ロックが壊した冷戦の壁
2022年12月31日 
 2022年年末のNHKテレビが面白い。12月29日、30日と二晩連続でNHKスペシャルとして放映された「未解決事件 松本清張と帝銀事件」(29日はドラマ版、30日はドキュメンタリー版)も秀逸であったが、30日夜その放映後に続いた「映像の世紀 バタフライエフェクト ロックが壊した冷戦の壁」は、それ以上に感動的であった。それは、かつての学生時代の私の旧東欧地域への関心と、年末暇にまかせて聞き続けてきていた当時の音楽を、ベルリンの壁崩壊という歴史的事件の脈絡で結びつけることになったのである。

 番組に挿入された「音楽は世界を変えるものではない。しかし、それに大きく影響を与えることもある」といった趣旨のコメントのとおり、1989年から90年にかけてのベルリンの壁崩壊には、何人かのロック・ミュージシャンの影響があった。そして3人のロック・ミュージシャンーニナ・ハーゲン、ルー・リード、デヴィッド・ボウイーの活動とそれが壁の崩壊に大きな役割を果たした、と紹介されるのである。

 冒頭取り上げられるのは、まずビートルズで、彼らの音楽が当時のソ連や東欧当局からは西側の堕落した音楽として禁止されながらもこの地域でもファンが広がり、密造レコードが販売されたり、コピーバンドが現れたことが示される。

 そうした中、旧東独で既に人気歌手としての地位を築きながらも、そこでの活動に不満と危険を感じ、西側に亡命したニナ・ハーゲンが登場する。彼女は1974年に、当時の東独の若者の二人に一人は歌詞を覚えて歌えると言われた「Du hast den Farbfilm vergessen(邦題:カラーフィルムを忘れたのね)」のヒットを飛ばしたが、この曲は、統一労働者党の独裁下で国民管理が進む東独の暗く単調な社会を皮肉った歌詞として、当局に目を付けられることになる。そして監視に追われる中、結局1976年、音楽仲間で作家であるヴォルフ・ビアマンの逮捕を公然と批判したことから国内での活動を禁止され英国に亡命。以降はそこをベースに奇抜な衣装と化粧に飾られたパンクロック歌手として活動することになる。

 続いて米国のベルベット・アンダーグラウンドとそれを率いたルー・リード。当時の米国アングラ・バンドの中でも特異な存在であったこのバンドが、当時のチェコスロバキアで人気が出ることになったという。若手劇作家であったグスタフ・ハベルは、米国旅行(彼はそれが許される地位にあった、ということか?)の際に彼らのレコードを購入し、擦り切れる程聴いたという。そしてその影響を受けた地元のバンドPPIも活動を開始する。そして1968−9年のプラハの春では、こうしたバンドの活動が公然と行われる。しかし、ワルシャワ機構軍進駐によるその弾圧と再度の規制強化の中で、バンド・メンバーは逮捕。その救済活動を行ったハベル(当時は、作家活動を妨げられ、ビール工場での肉体労働に従事していたとされる)も逮捕され4年超の実刑判決を受けたという。

 そして3人目はデヴィッド・ボウイ。言うまでもなく、パンクの星として70年代末以降大スターとなっていたが、私も知らなかったが、一時活動を停止し、「自分を見つめ直すため」、西ベルリンに住んでいたということである。そしてその時の経験が、帰国後それまでのパンク色を薄めた「HERO」等のヒット作となったとされる。

 この3人の音楽や活動が、1980年代後半の東欧「自由化」の波の中で、大きな役割を果たすことになる。まずは、ゴルバチョフによるペレストロイカが東欧社会に流動化をもたらし始めていた1987年、デヴィッド・ボウイが、西ベルリンの壁の近くで、スピーカーの相当部分を東独側に向けた野外ライブを開催し、東独側でも多くの若者がそれを聴くため集まり、一部はそれを規制する治安部隊と衝突した事件が紹介される。

 ベルリンの壁の崩壊。東独閣僚の失言から、1989年11月の深夜、事実上壁が開き、そこで西側に出国した多くに人々の中に、当時科学アカデミーの研究者であったメルケルも含まれており、これを機会に彼女は政治家に転身することになる。また壁の崩壊を聞いたニナが、急遽ワールド・ツアーをキャンセルし、亡命後から強く希望していた自分の生まれ故郷であるベルリンでのライブを敢行することになる。1991年、統一ドイツの第4次コール政権で、初当選ながら女性・青少年問題相として入閣していたメルケルが、他のメンバーと共にあるテレビでの討論番組に出席するが、そこに参加していたニナ・ハーゲンが、より過激な立場からメルケルを非難する映像なども挿入されている(この時の映像で、激高するニナを、静かに皮肉っぽく見つめるメルケルの眼は印象的である)。しかし、そうした対立にも関わらず、2021年12月、ベルリンで行われたメルケル首相の退任式では、彼女は送別曲のひとつとして、「自分の青春時代のハイライトであった」としてニナの「カラーフィルムを忘れたのね」を選ぶことになる。また民主化されたチェコスロバキアの初代首相となったハベルは、米国訪問でのクリントン大統領主催の晩餐会での演奏者としてリー・リードを招待することになる。ハベルにとってルー・リードは青春時代の、そしてその後の苦難の時代を支えるヒーローであったのである。

 ここで「東欧革命」に影響を与えたとされる3人は、個人的にはあまり関心を払ってこなかった。ニナの名前は知っていたが、彼女の音楽は、今回初めて聴いたくらいである。また彼女のその後の波乱万丈の生活や活動も、余り関心を持てるものではない。ルー・リードについては、ベルベット・アンダーグラウンドの時代から知ってはいたが、やはり音楽的には全く興味を持てなかった。唯一、「パンク以降」のボウイだけは少し音源なども持っていたが、どちらかというと映画「戦場のメリークリスマス」での演技や、パット・メセニーの「This Is Not America」でのボーカルの様に、本来のバンド活動以外の部分が面白いと感じていた程度である。しかし、こうした3人が、歴史的事件としては、学生時代から私が強く関心を持ってきた東欧革命の流れの中に位置付けられるということを、この番組は教えてくれたのであった。その意味で、この番組は、私の個人的な歴史的関心と、趣味として半世紀以上聴き続けていたロックを架橋することで、深い感慨を与えてくれたのである。公私共に、多くの厳しい時間を過ごした2022年を締めくくる時期にたいへん心地良い気持ちをもたらしてくれたのであった。

 併せて、それに先立つ「帝銀事件と松本清張」についても、年が明けたら、是非関連する彼の著作―現在に至るまで彼の著作は「読まず嫌い」であったが・・―、「小説帝銀事件」と「日本の黒い霧」には目を通しておこうと考えている。