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川崎通信
日本の黒い霧 / 小説帝銀事件 松本清張全集30 / 17
著者:松本清張 
 年末に2日に渡り放送されたNHKの番組で、帝銀事件に対する著者の対応が、初日はドラマ仕立てで、そして2日目はフィクションとして描かれていた。もちろんこの事件は「一般常識」として知られているが、具体的に事件の公式対応がどう進み、それに対し著者がどのような議論を展開していたかには、今まで個人的には接することがなかった。しかし、この番組を観て、改めてそれを確認しておこうということで、図書館から関連図書を借りてきた。テレビ番組の直接のテーマとなった「小説帝銀事件」は貸出し中でまだ読めていないが、この事件を含め、著者が1960年にシリーズとして発表したこの作品が、全集の一冊に収められていた。そしてそれは「帝銀事件」のみならず、終戦直後の日本で発生し、一部は迷宮入りしている数々の事件に関わる疑惑について、著者が細かく調査した結果を反映したたいへん面白い読み物となっている。ここではまず取り上げられている事件の概要と著者の議論を確認しておこう。

 下山国鉄総裁謀殺論

 1949年7月発生の下山国鉄総裁轢死事件についての疑惑。公式には自殺説で決着したが、著者は、GHQが要求した国鉄合理化への下山の反対を理由とする他殺説を推理。理由としては、死体の検証を巡る様々な疑惑に加え、失踪日に立ち寄った銀行貸金庫に残っていた春画。自殺する人間がそうしたものを残していくか?また一時休憩した旅館で、ヘビースモーカーであった下山に喫煙の後がなかったことも、「替え玉」の存在を想像させるという。

 「もく星」号遭難事件

 1952年4月に発生した日航定期便(羽田―福岡)「もく星」号の大島での墜落事故。衝突の原因がGHQのジョンソン基地からの管制情報に関連するのではないか、との疑惑。当初米軍が発表した「全員救助」という誤報が、救援活動を遅らせた。米軍の権威を維持するための情報操作であったのではないか、との推理。

 二大疑獄事件

1948年に顕在化した昭電疑獄と1953年に表面化した造船疑獄の背景。特に前者は、GHQ内の参謀部と民政局の対立があったのではないかとの推理。当時の興銀頭取等も事情聴取されたことが記されている。

 白鳥事件

 1952年1月に札幌で起こった警察官の銃による殺害事件の裏側。当時の共産党関係者による犯行でっち上げと左翼組織壊滅に至る過程の検証。

 ラストヴォロフ事件

 1954年に発生した在日ロシア大使館二等書記官の米国亡命事件の背景推理。当人のベリアとの関係や、ゾルゲ事件との類似性。

 革命を売る男・伊藤律

 共産党幹部の伊藤が当局(及び戦後はGHQ)のスパイ疑惑を受けながらも党内要職に留まった(最後は中国に亡命)経緯。ゾルゲ事件(特に尾崎秀実との親密な個人的関係)との関係も。

 征服者とダイヤモンド

 終戦直後、GHQの占領下で、GHQ担当官が突然日銀に監査のため、と称して訪れる。その目的は、日銀の地下倉庫にあったダイヤモンド等の貴金属の査察であったという。そしてその後、帰国した別のGHQ担当官が、日本からダイヤモンドを密輸していたことが判明する。この事件の背後には、占領軍による日本の保有するダイヤモンド等を収奪するという政策があったが、その実態(実損)は未だに闇に埋もれているとする。終戦直前のS.ボーズの飛行機事故も、彼の保有するダイヤ等が裏で絡んでいたと推測する。

 帝銀事件の謎

 冒頭に記載したとおり、年末のNHKテレビでのテーマとなった事件で、死刑判決の出た平沢は真犯人ではない、という主張。遅効性のある毒薬の入手経路や、それを現場で使用した際の犯人の落ち着いた態度を考えると、その毒薬の使用に慣れた人物が真犯人であると考える。そこで登場するのが石井中将に率いられた731部隊である。戦後、この部隊の末端兵士はソ連に抑留されたが、石井を含めた幹部は終戦後直ちに帰国し、その責任を問われることがなかったのは、戦後米軍が彼らの「技術」を重視し、任用したためである。そして帝銀事件の捜査は、当初そうした旧日本軍関係者に向かっていたが、ある時点から突然その捜査が打ち切られ、一介の画家である平沢が逮捕・有罪となった。その際、GHQ関係派からも平沢逮捕を評価するコメントが出たという。それは米軍関係者が、石井部隊の細菌兵器開発を米軍が引き継いだことを表沙汰にしたくなかった、という意図が働いたものと見る。実際、朝鮮戦争でも、米軍は北朝鮮地域からの撤退時に細菌兵器をばら撒き、その細菌の感染が北朝鮮で広がったという事実もあったという。

 鹿地亘事件

 1951年、藤沢市で、左翼活動家で病気療養中であった鹿地という男が米国人のグループに拉致・暴行を受けると共に、関係者数人も日本の警察に逮捕されたという事件である。鹿地はソ連のスパイの疑いを持たれていたと共に、この拘束中に米国側の二重スパイとなることを強要されたという。鹿地を拉致したのは、当時のGHQ参謀本部の下で秘密活動を行っていたキャノン機関であったが、結局この拉致・監禁事件の真相は闇に葬られたという。

 推理・松川事件

 1949年夏、福島県の国鉄で、レールの枕木が外され、それが原因で列車が脱線し、機関士他3名が死亡した事件。下山事件、三鷹事件と並ぶ戦後の国鉄関係の3大事件と呼ばれるが、この事件では福島県の国鉄及び東芝の労働組合関係者が実行犯として逮捕され有罪判決が下された。この判決については広津和郎が、被告の無実を主張する論陣を張ったが、著者も広津と同じ立場から判決を検証・批判している。下山事件と同様に、背後には占領軍の動きがあったとされる。

 追放とレッドパージ

 占領軍の日本での主要任務の一つは、日本の民主化とそのための戦犯追放であったが、その遂行に当たっては、GMQ内部の参謀本部と民政本部の対立があった。そして朝鮮戦争を契機に、ドイツにおけるナチス関係者の取り扱いと同様に、旧日本軍関係者のGHQへの取り込み(前述の帝銀事件もこれを想起させる)や政界への復帰が進められると共に、左翼関係者の追放が進められていくことになった。

 謀略朝鮮戦争

 こうした一連の詮議直後の疑惑の背景となっているのが、朝鮮戦争で、これを機会に、日本でのGHQの占領政策が、「日本の民主化」から「冷戦の主要基地としての日本とそのための共産主義勢力への弾圧」への転換点であったことは良く知られているとおりである。この朝鮮戦争の開始から休戦に至るまでの過程を、主として公表されている米国側の文書を基に追いかけた論考である。1950年6月開戦直後の北朝鮮の圧倒的な進軍の要因、9月に国連軍(米軍)が仁川上陸を敢行し、逆に反攻に転ずる様子。そして面白いのは、この敗走過程で、T0万人に及んだ北朝鮮軍が忽然と姿を消してしまったこと(部隊単位ではなく、個人ベースでの分散した逃走であったという。武器も、その後のパルチザン闘争に使用できるよう分散して密かに隠されたというのは面白い。)。またトルーマンによるマッカーサーの解任については、彼が半島での核使用を主張したからではなく、むしろ台湾の蒋介石を焚き付け、中国に対する第二戦線を開くことを主張したからだというのは、私の今までの理解と違っていた。国連軍(米軍)傘下で、多くの旧日本軍兵士も動員されたことも指摘されている。「朝鮮は一つの祝福であった」という当時の米将軍の言葉が、この戦争の歴史的意味合いを端的に表現しているという。

 なぜ「日本の黒い霧」を書いたか

 こうして1960年の1月から12月までに文芸春秋などに掲載された、GHQ統治下での一連の「黒い霧」を追いかけた彼のシリーズが終わることになる。そこで取り上げられた幾つかの事件について、その後改めて加えられた論考が付録で収められているが、それらはここではコメントしない。しかし、それまでに「一般常識」としては知っていたこうした事件について、著者の論考を読むことで、当時の日本が抱えており、その後ほとんど歴史から忘れられてしまったこうした事件が、戦後の日本の現実を示していたことを改めて痛感することになった。そしてそれをとことん追いかけていった著者の詳細で鋭い分析には改めて深く敬服する。「読まず嫌いで」この歳まで、ジム・トンプソン事件を素材にした「赤い絹」以外はほとんど無視してきたこの作家の業績を、まだ読むことができていない「小説帝銀事件」を含め、しばらく追いかけてみようと考えている。

2023年1月19日 記

(追記)

 年初に読んだ、「日本の黒い霧」(1960年発表)に収められていた「帝銀事件」についての「小説版」(1959年5月―7月、文芸春秋に発表)を、ようやく図書館で借りて読むことができた。読み始めて、直ちに、この事件が発生したのは1948年1月26日で、読了日がまさに75周年のその日であったことを知ることになったのである。

 小説版ということで、仕立ては、既に容疑者として逮捕された平沢に対する最高裁での死刑判決も確定し、過去のものとなってしまったこの事件について、ある新聞の論説委員が、京都で偶々出会った元警察の捜査員がふと漏らした、それにGHQ高官が絡んでいるという話を聞き、改めてこの事件についての詳細な捜査記録などを取り寄せ、その内容を解析する、という形をとっている。しかし、内容は、「日本の黒い霧」に収められたものが、こちらの「要約版」と思えるくらい、精緻で徹底的である。年末のテレビ番組の「フィクション版」で描かれていた通り、この事件に賭けた著者の執念が溢れた力作になっている。

 一通行人が目撃した事件の現場の描写から始まり、この未曾有の凄惨で非情極まりない事件に対する警察の大規模な捜査、そして犯人が使った名刺の調査から画家である平沢が容疑者として浮上し、それを担当警察官が執拗に追いかけていく様子、更には、平沢の逮捕と、彼の過去の詐欺事件を契機にいっきに彼の主犯説に傾いていった警察内部の様子などが詳細に描かれることになる。しかし他方で、遅効性のある特殊な毒薬の入手経路や、実行時の犯人の手さばきや落ち着いた様子から考えると、一画家である平沢が犯人とはとても考えられず、むしろ軍関係の特殊部隊関係者の犯行と見做すべきであろうという推論。そして「日本の暗い霧」で主張されていたような石井731部隊関係者関与に辿り着くが、これがGHQからの圧力で消されたという可能性に辿り着くが、小説では、それを調べていった新聞社の論説委員が、社の論説委員会でもこのテーマが敬遠されて断られることになる。「とに角、個人的なおれの力ではどうにもならない」という論説委員のつぶやきで、この追跡が終わることになる。

 「日本の黒い霧」では挿入されていない、捜査線上に浮かびあがった他の容疑者と彼らが外れていった過程の詳細などもあり、事件とその捜査の全貌が事細かに描かれている。まさにこの小説で事件を調べていく新聞社の論説委員は、著者そのものである。テレビ番組では、出版社との議論の中で、当初はフィクションとしてこの事件を取上げたかった著者が、出版社の意向に押し切られ、小説の形で発表することになったように描かれていたが、その結果としてのこの作品は「小説の形をとったフィクション」であり、著者にとってのギリギリの表現形態であったことが想像される。小説中では、エミール・ゾラの「ドレーフュス事件」、広津和郎の「松川事件」への批判的対応にも言及されているが、まさにこれは著者による戦後最大の闇のひとつに対する全存在を賭けた挑戦であったことを改めて感じさせられたのであった。やはり彼はとんでもない作家である。

読了:2023年1月26日