アジア・ドイツ読書日誌と
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川崎通信
第168回芥川署受賞作 「この世の喜びよ」「荒地の家族」
著者:井戸川射子 / 佐藤厚志 
この世の喜びよ                         著者:井戸川 射子
                               
 第168回芥川賞受賞作2作の内の一作。年頃の娘二人を持つ4人家族の妻の視線で、日常的な出来事を描いた作品である。その主人公である女性を「あなた」という「二人称」で語る、というところが新鮮味をもたらしている、というのが受賞のひとつの理由であるが、特段の展開がある訳ではなく、正直全く面白くない。

 デパートの喪服売り場で働いている主人公の周りで登場するのは、売り場で一緒に働くおばさんや若い男、そしてその売り場に頻繁に現れ時間を潰している中学生位の女の子、そして家族である、一人は先生として就職したばかりの、もう一人は大学生の娘二人。そうした人々との関係を淡々と描くことに終始する。そこでは特段の事件が起こる訳でもなく、読み終わっても全く印象は残らない。あえて言えば、主人公が、私と同様、年頃の娘二人を抱えていることや、その長女が家出して名古屋に向かう、という話、そして何よりも夫については全く語られていないー存在感がないーところが、我が家とそっくりだ、といったくらいか。ただ姉妹の関係がそれなりに良好であることが、我が家と異なっているとことかといったところ。そんなことで、我が家族についての苦い連想を抱いた以外は、ほとんど評に値しない作品であった。

読了:2023年2月18日

荒地の家族                            著者:佐藤 厚志
                               
 第168回芥川賞受賞作2作の内のもう一作であるが、こちらはなかなか読み答えがあった。大震災の被害を受けた東北のある地域で、造園業を営む一人の男の周りに起こる日常性を描いた作品であるが、こちらは大震災が常に生活に影響を及ぼしている、という点で、もう一作とは大きく異なる強い印象を残すことになる。

 主人公は、震災は生き延びるが、その後結婚した妻が早く病気で死去、小学生になった一人息子を、彼の母親の助けを借りながら育てているが、その後再婚した女も、子供を流産したのを機会に彼のもとを去る。そんな女に未練のある主人公は、彼女の職場を訪れたりしているが、会うことさえ拒絶されている。そんな彼の日常が描かれていくが、そこに彼の同級生で、かつては遊び友達であった男が現れる。死んだ父親の友人の息子でもある彼は暗い性格で、工場や会社勤めをしているが、一か所に落ち着かず職を転々としている。その彼との交流を回想しながら、距離を置いた彼との関係が語られるが、身体を壊していた彼は、結局違法である密漁に関わった後、縊死することになるのである。

 主人公の日常生活のところどころで触れられる震災の記憶が、それが大きく語られていない分、全体の通奏低音として重くのしかかっている。「海が膨れた」という表現が、その時私自身が実際に外地にいて、それを身近に体験していない分、益々痛々しくのしかかる。それが主人公や縊死した友人の生活の背後から消え去ることがないのである。あの体験は、実際にそれを体験した人々の人生から消え去ることがないことを改めて痛感すると共に、それをこうした形で語り継いでいくことの重要さを改めて感じるのである。足元のトルコ大地震もそうであるが、人類は、ウクライナせんそうといった人的災禍に加え、そうした自然災害と常に隣り合わせの生活をしている。それをこうした形で表現した著者の今後に期待したい。

読了:2023年2月25日