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川崎通信
第169回芥川署受賞作 「ハンチバック」
著者:市川 沙央 
 第169回芥川賞受賞作。著者は1979年生まれで、10代の頃に「ミオチューブラー・ミオパチー」という、筋力が落ち、心肺機能が低下する難病を発症し、そのため通常の学校教育は受けることができず、通信教育で早稲田大学人間科学部を卒業している。受賞のインタビューでは、姉が彼女以上に思い同じ病気を患っているということを告白しているが、いずれにしろ本人も厳しい環境下で、旺盛な読書から始まり、その後はネット関係の寄稿などで小銭を得ながら過ごしてきたようである。そしてこの作品では、そうした難病に苦しむ自己を投影した形で、そうした患者が抱く「夢想」を表現し、これで文学界新人賞に続き、芥川賞も受賞することになる。「ハンチバック(hunchback)」とは「せむし」のことである。

 確かに、重度の障碍者の世界を、その患者当人が描いたということで特筆されることは間違いない。人工呼吸器を常用し、好きな本を読む時にも、普通にそれを手で持ち、ページをめくることもできない障碍者にとっては、紙の本で溢れた読書文化は、「その特権性に気がつかない(健常者の)無私な傲慢さ」以外の何物でもない。そしてそうした重度の障碍者でもセックスへの関心は強いが、身体状態からは、妊娠と中絶を期待するのが精々である。そして、その願望を満たすために、この主人公は、介護者である男に金をちらつかせながら、不自然な性行動に突っ走ることになるのである。

 正直、そうした描写は、心苦しいと共に、相当醜悪で趣味の悪いものであるが、逆にそうした不自然さが、障碍者の現実を赤裸々に描写していると言えなくもない。その辺りが、この作品を今回の受賞作とした選者に与えた強い衝撃であったのだろう。その意味で、障碍者による障碍者の世界の表現として、純文学に新しい側面を加えたという意義のある作品ではある。しかし、やはりそこにエロティックな要素を挿入するというのはやや無理があり、その点でこの作者の今後の作品を読もうという気にはならない、というのが正直なところである。

読了:2023年8月11日