ケン・フォレット 針の眼
著者:ケン・フォレット
先日「レベッカへの鍵」を呼んだ著者の出世作で、1978年夏の初版出版。当時著者は29歳で、この作品が英米(英国では「ストーム・アイランド」、米国では「針の眼」とのタイトルが使われた)、特に米国でベストセラーとなり、著者は一気に名声と富を獲得したという。
確かに面白く、いっきに読めてしまう。1940年のロンドン。そこに潜伏しているドイツのスパイ、ヘンリー・フェイバー(彼はドイツ軍内部では「針(ディ・ナーデル=ニードル)」と呼ばれている)が、下宿の若い未亡人を殺害するところから話が始まる。彼がベルリンと通信中に、彼女が刺激を求めて突然入ってきたのがその殺害の理由であった。フェイバーは別のアジトに逃走し、その殺人事件は迷宮入りする。同じ頃、第一次大戦の退役将校で、現在は考古学研究者であるゴドリマンが、親類の男からスパイ逮捕に協力してくれと頼まれ、それを受諾しMI5に入り、ロンドン警察特殊部隊員のブロッグスと組んでスパイ摘発活動を始めている。そして別のところでは、デービッドとルースという若い家柄の良い二人が結婚式を挙げているが、新婚旅行で旅立った車で大事故を起こし、デービッドは両足を失い、一族が保有するアバディーン沖にある孤島で、新婚生活を始めている。そこでは事故前に身籠った男の子ジョーが生まれている。この3組の主人公たちが、物語の進行過程で交錯することになるのである。
1944年、戦況が一転し、連合軍の大陸侵攻が近づく中、フェイバーに、連合軍の上陸拠点を探る指令が下る。英国に潜入したドイツのスパイは、ほとんどが逮捕されるか二重スパイとなっており、彼らを通じて連合軍はカレー上陸作戦を準備しているという情報が流されている。しかしヒトラーは、それは偽情報で、実際はノルマンジーが目標になっているのではないかと疑っており、個人的に信頼しているフェイバーに、その真相を探らせるのである。それをロンドンでフェイバーに伝達したスパイが、既に英国側にマークされていることに気がついたフェイバーは、彼との接触を慎重に進めると共に、彼と接触したことを、後に彼が捕らえられて英国側に漏らすことを避けるために、接触後彼を殺害まですることになる。
こうしてフェイバーの情報収集と、彼を追いかけるゴドリマンらとの闘いが始まる。フェイバーはバードウォッチャーを装いカレーの対岸にあるイースト・アングリアにある軍事基地を探る。そこはカレーに侵攻するために軍隊が集結しているとドイツが認識している地域である。しかし、フェイバーがそこで発見したのは、軍隊に見えるのは全て張りぼての偽物で、軍がそこに集結というのは、二重スパイ等が流している偽情報であった。その写真を撮影した後、警備兵を殺してロンドンに戻ったフェイバーは、写真をポルトガル大使館経由の外交便で送ると共に、ネガを持ち、自分も英国を脱出し、ヒトラーに直接真実を報告するべく、アバディーン沖にUボートを送るよう依頼している。他方ゴドリマンらは、昔の下宿屋未亡人殺害後に姿を消した男の素性を確認するため、当時同宿の少年であったが、4年後の今はイタリア戦線で闘っているパーキンをロンドンに呼び戻し、彼による写真の確認から、彼フェイバーがドイツ軍スパイであることを確認している。彼らは、ポルトガル大使館の外交文書の移送を阻止し、それによりフェイバーが英国軍の偽装を見破っていることを把握している。
列車を使ったフェイバーの北への逃走。車掌として乗り込んだパーキンによるフェイバーの目撃と、フェイバーによるパーキンの殺害。フェイバーは、更に盗難車やヒッチハイクを使いアバディーンに辿り着き、そこで漁船を使い、Uボートと接触するため、嵐でしける海に繰り出すが、難破し、瀕死状態で孤島に打ち上げられることになる。
最終局面。その孤島に暮らすルースに助けられたフェイバーは、彼女の介抱の結果回復し、デービッドとの関係に悩むルースも彼に好意を寄せて肉体関係まで持つことになる。しかし、デービッドが、フェイバーの保有していた軍事基地のネガを盗み見たことで、彼がドイツのスパイと気がついたため、フェイバーは彼を殺害。そして海に捨てられたデービッドの漂着した死体を発見したルースもフェイバーの正体に気がつき、二人の最後の闘いになるのである。全てが決着し、英国軍の攻撃を受けたUボートも引き上げた後に、フェイバーを追って島に到着したゴドリマンとブロッグスは、フェイバーの遺体を回収すると共に、呆然としているルースを保護することになる。物語の落ちは、1970年のロンドン、そのブロッグスとルースが夫婦となっている。サッカーのワールドカップで、英国がドイツに敗れたニュースを見ながら、ブロッグスがジョーの子供―ブロッグスとルーシーの孫―に語り掛けている。「おばあさんは英雄だったんだよ」、と。
ノルマンジー上陸作戦という、第二次大戦の帰趨を決した歴史的事件を背景に、「レベッカへの鍵」と同様、戦況を巡るヒトラーと将軍たちとの軋轢なども交えながら、英国捜査当局の追跡や、それから逃れるドイツ側スパイの策略が臨場感を持って詳細に描かれる。まさに戦後世代であるこの作家が、直接は知らないそうした歴史を勉強し、フィクションとしてそれを克明に表現しているという点が、彼の特徴であろう。そうした手法は、彼のその後の著作でも使われることになる。
私が1982年にロンドンに赴任した時には、本作や「レベッカへの鍵」等で、既にこの作家は地位を確立していたにも拘らず、当時私は彼の名前を知ることはなかった。それから数10年を経て、まずはシンガポールでのペーパーバックに始まり、今回これら初期の翻訳を続けて読むことになったが、彼の作品はまだまだあるので、当面ネタには困らない。むしろ次に何を読むかを悩むことになるのだろう。
読了:2023年3月17日