凍てつく世界 V 、W
著者:ケン・フォレット
(凍てつく世界V)
義母の葬儀も終わったことで、またこの第三巻を読み進めることになった。そしてこれは、1941年、赤軍情報将校としてベルリン大使館で勤務しているヴォロージャが、彼が繰るスパイで、かつての旧友且つ反ナチスであったヴェルナー・フランクを通じて、「バルバロッサ作戦」開始の情報を入手するところから始まる。彼はそれを本国に伝えるが、良く知られている通り、スターリンは、不可侵条約を結んでいるドイツがソ連を攻撃するという情報を信じることはない。一方、障害児の子供たちをナチスに殺されたカーラとフリーダは、その殺人が行われている施設を特定し侵入、確かに無差別の殺人が行われていることを目撃する。そしてそこで出会い、それに強い罪悪感を持っている看護師イルゼを保護しベルリンに連れ帰り、その告発を考えることになる。
ドイツがロシアに侵攻し、モスクワに戻ったヴォロージャは、自分が伝えた情報を無視し、その後も無策のまま行方知らずのスターリンに憤っている。ただそこで、ゾーヤという、美人の物理学者と親しくなるが、彼女は原爆開発の理論的可能性を知っており、ソ連もその開発を真剣に検討すべきと主張している。そしてヴォロージャは、将軍である父に同行し、モロトフ、ベリヤ、ヴォロシーロフらと共に、隠遁しているスターリンを訪問し、ドイツとの戦争を指揮するよう要請する機会を目撃ことになる。一時的に自信を失い自暴自棄となっていたスターリンが、周囲の説得を受け復活したこうした経緯は、歴史的によく知られている展開である。一方、ベルリンのカーラは、障害児殺害の事実を、友人の紹介を通じてあるカトリック牧師に告げ、彼はそれを説教で告発、その実態が一般に知れ渡る。その牧師は、親衛隊員マッケに逮捕・拷問されて死ぬが、ドイツ国内でのそうした殺人計画は中止される。ゾーヤは、一時的な達成感を抱くが、他方で想いを寄せるヴェルナーが、かつての反ナチスの姿勢を捨て、ナチス側の日常業務を粛々とこなしていることに失望している。また同じ頃、米国ワシントンでは、デイジーの父違いのグレッグが、上院議員ガス・デュアーとその息子ウッディらと接触し、東南アジアへの日本の侵略拡大と、それを踏まえた英米関係強化のためのルーズベルトとチャーチルの面談について議論している。グレッグは、かつて父親の買収陰謀で一夜を共にした黒人娘のジャッキーとの再会を期待し、探偵に居所を探させている。またウッディは、その後海岸沿いで、弟で海軍勤務のチャックと共に遊んでいるが、そこで、かつてパーティーでキスを交換した魅力的な娘で、現在は国務省に勤務しているジョアンと再会している。彼らは別の娘を入れたデートをし、ウッディはジョアンに惹かれていくが、チャックは、自分は女の子には興味がないと告げている。その頃、ニューファンドランド沖では、ルーズベルトとチャーチルの会談にガスやグレッグが参加しているが、そのグレッグはそれを終えワシントンに戻った後に、探偵が探しあてたジャッキーと再会している。
モスクワでは迫りくるドイツ軍を前に、ヴォロージャはスターリンの無策を懸念しているが、その彼の元に、かつてのベルリン時代の学友で、ソ連のスパイとなった後、ロンドンで物理学者となったフルンゼから、英米が新型爆弾の製造を進めているという情報が届けられる。彼はその専門情報をゾーヤに伝え、それがまさに彼女がソ連も開発を進めるべき原爆であることを確認している。このあたりは、ウラン分離のための気体拡散法といった原爆の理論的な可能性をゾーヤが議論する、科学的な知見も踏まえた記載となっていて、著者の幅広い知識を披歴している。他方、カーラの兄でナチス信奉者のエリックは、ソ連侵攻の最前線で衛生兵として参戦している。彼のヒトラーへの賛美は益々強まっていたが、同時にドイツ軍による一般人の大量処刑現場も目撃し、ドイツ軍に対する懸念も持つことになる。しかしソ連側で参戦して前線にいるヴォロージャは、極寒での闘いの中、ドイツ軍の一部が撤退を始めていることに気がついている。そして米国では、ジョアンと婚約したウッディは、上院議員の父親ガス夫妻も交え、弟チャックの勤務地であるホノルルに休暇で赴いている。1941年。もちろん展開は予想される。日本軍による真珠湾攻撃である。
これが、個人的にはこの第三巻の山場となる。野心的なジョアンとの、女性の社会進出とそれを前提とした夫婦関係等についての議論で気まずくなったウッディ。一方で同僚のエディと同性愛関係にあるチャックは、家族の訪問でその秘密が露呈してしまうのではないかと懸念している。その3つの「カップル」は、中華レストランで、日本の東南アジア進出の理由について議論している。しかし、その長閑な休暇は、その翌日朝8時過ぎの、日本軍による急襲で地獄と化し、ジョアンも日本軍の機銃掃射で不慮の死を遂げることになる。そしてこのアメリカ側から見た著者の真珠湾攻撃の描写はまさに圧巻である。
ホノルルの海軍基地に整然と並べられた巨大な戦艦隊と搭載機。そこにランチで向かう彼ら家族の前に、翼に日の丸が描かれた「97式」という日本軍の艦上電撃機が現れ、「演習か」と考えた彼らの思いに反し、実際の攻撃が始まる。チャックは、「これは本当の攻撃だ!」と叫ぶ。戦艦に魚雷が撃ち込まれ、また弾薬庫は引火爆発し、みるみる傾き、艦艇の乗員たちが次々に海に転落していく。攻撃機「ゼロ」からは、激しい機銃掃射が浴びせられている。岸に取って返した彼らも、「ゼロ」からの機銃掃射を浴びせられる。そして気がついた時には、ジョアンが即死することになるのである。もちろん有名な事件であるが、その攻撃の様子が、それに遭遇した彼ら家族の運命と共に克明に描かれているのは圧巻である。
翌1942年。ロンドンのデイジーは、かつての婚約者チャーリーから手紙を受け取っている。彼はパイロットとして、イングランド東部の英国空軍基地に所属し、北フランス上空での作戦に参加していた。休暇のチャーリーと会ったデイジーは、彼から、日本軍のパールハーバー攻撃と、そこでジョアンが死んだことを聞かされているが、彼女は「それで米国が参戦したのは、英国にとっては良かった」と返している。その日チャーリーの求愛を拒絶したデイジーには、後日彼が戦死したことが伝えられることになる。また米軍では、チャックが、「恋人」エディと共に日本軍の暗号解読の仕事に従事している。日本軍は、南シナ海で英国の戦艦2隻を沈め、香港、シンガポール、ビルマ等を占領していた。日本軍の侵攻を止める術はない、と感じながら、チャックはその暗号解読に全力を捧げていたのである。日本軍の暗号の様子と、その解読手法が、これまた詳細に描かれる。そしてこのチャックによる暗号解読で、日本軍の次なる攻撃目標がミッドウェイであることが判明し、そこでの米軍の反撃作戦がミニッツ提督により準備されていくのである。
ホノルルのバーで、エディとの関係を嫉妬する別の同性愛者の上司の嫌がらせなどを受けた後、空母ヨークタウンに乗船し、ミッドウェイに向かうチャック。そしてまたミッドウェイでの日本軍との戦闘が克明に描かれる。日本軍が、「命中の瞬間ではなく、一秒、あるいはそれ以上遅れて爆発する」「遅延信管」を使った爆弾で攻撃する、といった詳細はそのリアルさを伝えている。そしてこの激しい戦闘で米国は日本に勝利し、太平洋での闘いは艦上戦闘機の攻撃力が戦闘の帰趨を握るという教訓を得た。そして1943年から44年にかけて、米国は短期集中計画を策定し、90隻の空母を建造した。それに対する日本軍の大型空母建造は7隻だった、というのは事実なのだろうか?事実であれば、それはまさにこの戦争での日米の根本的な国力の相違を明瞭に示していると思われる。
同じ頃のベルリン。看護師カーラが、危険を犯し、医療器材や薬をくすねて、ユダヤ人の診療を続けるロートマン医師のもとに運んでいた。それは親友のフリーダも気がついている。その荷物を持って家に帰ると、父親をマッケらに殺された後、細々とピアノ教師で生計を立てている母親モードのところに、ドイツ陸軍の若い内気なコッホという中尉が、周囲に内緒でレッスンに来ていることを知る。モードは、ソ連戦線の前線にいる息子エリックの消息を懸念しているが、それを聞いたコッホは、後日エリックの消息を調べて伝えると共に、東部でのドイツ軍の新たな作戦である〈青作戦〉について口走っている。それによりコッホが、それなりにドイツ軍の内部情報を知る立場にあることが分かり、その情報はフリーダを通じて、モスクワのヴォロージャに伝えられている。しかし、その後カーラが医薬品を持って訪れたロートマン医師の自宅にはマッケらが侵入し、彼を不法医療で拉致、それを止めようとした息子のルディは指を全て折られ、カーラは、持ってきたモルヒネで応急治療をする羽目になっている。そのマッケは、東部戦線に関わる作戦本部で勤務しているヴェルナーと再会している。
モスクワでは、ヴォロージャがゾーヤとの関係を深めながら、ベルリンのスパイ網を通じて入手した〈青作戦〉について父親の将軍に伝えているが、彼はそれをスターリンに上げるには、その作戦についてのより詳細な情報が必要と返している。
それをモスクワから伝えられたフリーダとカーラは悩むが、丁度一時帰国したエリックが、ドイツ軍による虐殺現場を目撃したことで、この戦争を終わらせるためには、情報をソ連側に伝えることが必要だと主張したことで、母のモードとも計らい、コッホを通じてその情報の入手を画策する。一方、ヴェルナーと再会したマッケは、ヴェルナーにスパイの疑惑を頂き、それを暴くべく、無線を使ったスパイ摘発現場に彼を同行させる策を練っているが、ヴェルナーはすんでのところでそれを逃れることになる。そしてコッホから〈青作戦〉の詳細作戦書を入手しようというカーラらの計画。それを鞄に入れてレッスンに来たコッホをモードが色仕掛けでベッドに誘い、その間にカーラがその資料をカメラに収めるという作戦である。しかし、写真を撮った後に、ベッドにいたコッホがそれに気がつき、騒ぎ立てる。アイダの手も借りて彼を殴り殺した後、その死体を衣装籠に入れて運び出す。丁度、灯火管制下の交通事故現場に差し掛かった時に、警官の眼をすり抜け、事故現場にコッホの死体を放置することに成功し、その殺人は知られず、〈青作戦〉の詳細情報がモスクワに伝えられることになるのである。
同じ頃の米国ワシントン。ハーバードを卒業したグレッグは、グローブス大佐という変人の指揮の下での原爆製造の秘密作戦〈マンハッタン計画〉に参画している。グローブスの特異な振舞が描写されているが、その合間にグレッグは新しい恋人マーガレットとデートをしている。しかし、そのレストランでかつての恋人ジャッキーと再会し、彼女が一回だけの関係で妊娠・出産した自分の子供を育てていることを初めて知る。そしてジャッキーが、かつての買収事件で父に使われた後、怯えながら生活してきたことを知ったグレッグは、父親レフと愛人グラディスの前で、今後ジャッキーを脅したらグラディスを傷つけると脅し、溜飲を下げている。その後グレッグは、シカゴ大学構内の実験室で、イタリアからの亡命者フェルミの指揮下、原子炉の臨界点を制御する実験が行われているのに立ち会っている。またグレッグは、母親とレフに、ジャッキーに自分の子供がいることを伝えている。
そして第三巻の最後は、スペイン国境でのロイズによる、ドイツ軍に拘束された連合軍捕虜の解放活動と、ロンドンでのデイジーの運命が描かれる。ボーイとの関係の修復を試みるデイジーであったが、不妊検査の帰りにボーイと立ち寄ったバーで、ロイズとデイジーの関係を知る男と遭遇し、彼がそれを漏らし、ボーイが激昂する。離婚を決意したデイジーは家を出るが、ボーイは離婚に応じようとしない。そして一時帰国したロイズがボーイを訪ね、「自分は、同じ父親を持つ兄弟だ」と伝え、デイジーとの離婚を説得するが、ボーイはやはり応じないところで、第三巻が終了する。
(凍てつく世界W)
そして最終巻である第W巻。1943年の大戦最中のベルリン。看護師となっているカーラは、ドイツ軍の負傷した将校を手当てしている際に、彼が軍部に不満を持っていることを知り、情報提供を求めることになる。他方ヴェルナーにスパイの疑惑を抱くマッケは、ヴェルナーを陥れるため、スパイ容疑で逮捕された若い女のギロチン処刑に彼を立ち会わせている。その娘を知るヴェルナーは、その光景を必死に耐え、帰宅した家で、カーラにその事件と、自分が依然ソ連側のスパイ活動を行っていることを打ち明ける。カーラは、ヴェルナーの真意を知り、再び彼への思いを新たにしている。そしてマッケの次の策略。連合軍の爆撃の最中の貧民街でのスパイ摘発であるが、そこでマッケはヴェルナーの正体を暴き彼を逮捕しようとするが、その瞬間連合軍の爆弾が一帯を破壊する。二人は傷つきカーラが勤務する病院に担ぎ込まれるが、先に回復したヴェルナーは、マッケをそこで殺すことになる。しかし、そのヴェルナーも東部戦線に送られることになり、そしてカーラが支援してきたユダヤ人ロートマン医師もゲシュタポに拘束されることになる。
モスクワでは、ヴォロージャが、ゾーヤに求婚している。彼は、ドイツのスパイ網から得た情報で、赤軍の勝利に貢献している。また彼が旧友であるフルンゼから得た原爆情報で、ゾーヤも開発チームで主要な役割を果たしている。彼は更に、モスクワで開催されている連合軍代表者との戦後交渉の機会に、米軍の関係者を、女を使って誑し込もうとしているが、その相手はウッディ・デュアーである。彼はヴォロージャに、彼の学友で同性のグレッグが縁戚ではないかと聞いている。彼はまさに縁戚であるが、西側にそれを持つことはソ連では危険であることから、ヴォロージャは知らないと答えている。
同じ頃ウッディの弟チャックは、太平洋での戦闘が行われている島々の地図を、航空写真等から制作しているが、嫌味な同性愛者の上司からそれらが不正確であることを指摘され、実際の前線に行くことを志願、「恋人」エディと共に南太平洋はブーゲンビルでの作戦に参加している。しかし、そこでの上陸作戦中に、日本軍の掃射を受け、チャックは戦死、エディも傷を負うことになり、その知らせがモスクワにいる父のガスとウディに届けられることになる。
1944年。エディがデュアー一家を訪れ、チャックの最期を語っている。同じ頃、軍属のグレッグは、私生活ではマーガレットという娘と付き合いながら、業務ではマンハッタン計画に関わる科学者の何人かをスパイ容疑で、FBTと共に尾行し、研究者と接触し、情報を受け取ったソビエト大使館員を逮捕している。同じ頃、ロンドンでは、ボーイの家を出て一人暮らしを始めたデイジーは、赤十字の仕事を通じて交友関係を深め、自宅で盛大なパーティーを開いている。休暇のロイズもそこにいて、戦争が終わったら国会議員に立候補するといった夢を語り、また米軍で駐留するウディやボーイもそこに現れている。デイジーは、改めてボーイに離婚を認めさせようと説得するが、逆にボーイの浪費癖を批判するロイズの親戚が書いた新聞記事を見せられ、彼は報復のため、ロイズとデイジーの不倫を明らかにし、ロイズの議員当選を妨害してやると脅している。そして、この巻の最初のハイライトであるノルマンジー上陸作戦が、落下傘部隊隊員として、フランス内陸部、ノルマンジーを守るドイツ軍の背後に降下したウディとその部隊の戦闘を通じて克明に描かれることになる。また同じ頃ロイズは、スペインでの脱走兵救出活動から、フランス国内でのレジスタンス支援に移っており、ノルマンジーに軍隊を輸送する列車の爆破を企てている。兵士が満載された列車が、ロイズが待ち受けるトンネルに近づいた時、一機の連合軍戦闘機がその列車への攻撃を始め、戦火を挙げた後に墜落するが、そこに駆け付けたロイズが見たのはパイロットのボーイであった。瀕死のボーイは、ロイズに気がつき、デイジーとの離婚を承諾して息絶えるのであった。ロンドンに帰ったロイズは、それをデイジーに伝えるが、彼女は、かつてナチスムの信奉者であった自分が労働党議員候補の妻になることが、彼に悪影響を及ぼさないかを心配することになる。
1945年。ベルギーでの戦線で膝を砕かれたウディは、ワシントンに戻り松葉杖に頼りながら、父親の念願である新たな国際組織の立上げの活動に参加している。その時、議会の廊下をトルーマンが全力で駆けていくのを目撃する。ルーズベルトが死んだのである。同じ頃、ベルリンに向かい進軍するヴォロージャは、ドイツ人は皆殺し、という赤軍部隊に溢れる雰囲気に懸念を抱いている。またドイツ軍の野戦病院で救護兵として働くエリックは、そこに負傷して担ぎ込まれてきたヴェルナーと再会している。その病院では、ドイツ兵のみならずソ連兵も治療している。そしてロンドンでは、新しい国際組織の設立に向けた国際会議にウディが父親と共に参加している。ウディは、戦時中そこで出会い想いを寄せるベラの家族を訪問し、彼女と再会するが、会議は、米国ステッティニアス国務長官(ハルの後任ということであるが始めて聞く名前であった)とモロトフが激論を交わしながら、取りあえず前に進んでいる。そして戦争の最終局面を迎えたベルリンでは、カーラがユダイヤ人病院の収容者たちの虐殺をゲシュタポから守るべく奮闘しているが、そこにソ連兵が押し寄せる。解放か、と思われたのは束の間で、彼らはドイツ女と見ると強姦を始めることになる。そこで出会った親を殺された孤児レベッカという14歳の娘を救うべく、カーラは、ソ連兵士数人の前に自分の身体を差し出すのであった。
4月末、ヒトラーの自殺で大陸の戦争は終結し、ロンドンではデイジーが、帰国したロイズや親友エヴァの家族と共に戦勝祝いのパーティーを開いている。そこでは首相ウィンストン・チャーチルが、日本の敗戦を待たずに総選挙に打って出ようとしている。ロイズは、予定通り労働党からの出馬を決め、街で庶民の感触を聞くが、保守党支持者からは、元ナチスの連れ合いと一緒であることを非難され、それにデイジーが猛然と反論している。そしてチャーチルは、労働党政権は、英国にゲシュタポの支配をもたらすと演説している。そして、その頃、米国エル・パソに程近いメキシコ国境に近い砂漠で、オッペンハイマーが主導する原爆実験が行われ、グレッグがそれを目撃している。そこには開発に参加したドイツからの亡命者フルンゼも立ち会っている。その実験のリアルな描写が、この第W巻の2つ目のハイライトとなる。
印象的な著者の注釈は、この「マンハッタン計画」に参加した科学者たちは、皆左翼思想にかぶれており、FBIは多くの人間をスパイと特定していたが、彼らを拘束してしまうと開発が進まないというジレンマを抱えていたとされていることである。そして実験は成功するが、その後、原爆開発に遅れを取ったソ連は、ヴォロージャを秘密裡に米国に派遣し、かつてベルリン時代に学友であったフルンゼを通じ、長崎型の原爆技術の機密書類の入手に成功、それがソ連の核開発を成功させたという展開に繋がることになる。ヴォロージャとゾーヤの結婚式に参列したスターリンが、広島への原爆投下のニュースを聞いて真っ青になって式を中座する様子や、その後第3部の冒頭で語られる、ゾーヤが秘密警察に拘束・人質となり、脅されたヴォロージャが米国でフルンゼを説得し原爆関係書類を入手する経緯は、もちろん著者の空想世界である。しかしフルンゼは、後日機密漏洩で妻と共に電気椅子送りになったというのも、良く知られている事実である。そして物語は、その第3部の「冷たい平和」へと移行する。
ヴォロージャは、原爆の機密書類を手に入れるが、同時に米国の豊かさについても気づかされている。そして1946年のベルリンでは、赤軍兵に犯されたカーラが妊娠しているが、彼女は、同じく赤軍兵士に犯され妊娠したフリーダが違法手術で中絶したのに対し、孤児レベッカを養女にすると共に、その子供を生み、育てる決断をしている。4か国の管理地域に分断されたベルリンでの生活。母親のモードらと共にカーラは逞しく生き、そして男の子を出産している。その頃英国の総選挙で、予想に反しアトリー率いる労働党が大勝し、ロイズも当選し、国会で処女演説を行っている。ロイズは外務次官ベヴィンの秘書となり、そしてデイジーは彼の子供を妊娠している。
ベルリンでは、カーラの兄エリックが瀕死の状態で帰還するが、何とか回復。しかし、元ナチス信奉者の彼は、東部戦線でのドイツ軍の悪行に失望し、今度は共産党支持に転向している。ソ連のスパイとしてカーラと共に闘った親友フリーダは、米軍兵士の情婦になり、カーラの家族を助けている。そしてそこにヴェルナーも帰還。彼はカーラの赤ん坊を見て激高するが、事情が分かるとカーラとその子供を受入れる。英国では、労働党政権下、フリッツ伯爵家の美しい庭園が石炭露天掘りのために破壊され、伯爵が泣き崩れている。
1947年、欧州全域での共産主義の勢いが高まっている。ヴォロージャには、ゾーヤとの子供も生まれ、彼はドイツ、ひいては欧州の将来を決めるモスクワでの外相会議の情報責任者に出世している。その会議に米国側カメラマンとして参加していたウディと再会するが、ウディはまた、彼の知合いの米国人の同性の家族が縁戚ではないかと問い質している。またそれをはぐらかしたヴォロージャであったが、帰宅後母親に自分の出生を問い質し、彼の実の父親が、デイジーとグレッグの父親レフであることを聞き驚愕している。そしてそのグレッグもロイズとそこで再会し、異母兄妹であるデイジーの近況が話題になると共に、戦後のドイツ及び欧州の復興は、ソ連を無視して進めることを議論している。そのロイズの議論を聞いたベヴィンは、米国側の指導者であるマーシャルにその構想を伝え、それが後日マーシャル・プランとして発表されるという展開も面白い。しかし、1948年、赤軍代表団とチェコスロバキアに滞在していたヴォロージャは、そこで秘密警察が、米ロを天秤にかける中道路線を進めていたヤン・マサリク外相の排除に動いていることを知る。ヴォロージャは、むしろ東欧諸国がマ−シャル・プラン受入れに動くことで、むしろ米国民がそれに反対すると考えていたが、彼らはマサリクの暗殺を実行。その結果米国民はマーシャル・プランが、これ以上の共産主義の拡大を阻む戦略だと納得し、それに賛成することになったというのが著者の推論である。同じ頃、米国ではグレッグがジャッキーとその子供と公園で遊んでいるが、その現場を目撃した婚約者ネリーから婚約解消を告げられている。そしてベルリンでは、西側地域にだけ新通貨ドイツ・マルクが導入され、反発したソ連側はベルリンを「封鎖」するが、西側は大量の物資を飛行機で運び込み、ベルリン市民を助ける(所謂「ベルリン空輸」)ことになる。ヴェルナーの子供を妊娠すると共に、社会民主党の市会議員になっているカーラは、議場で共産党員との衝突に巻き込まれるが、何とか無事帰宅、そこで18歳の時以来、初めてその家を訪れたロイズとも再会している。
そして最後は1949年8月。ソ連は核実験に成功。他方米国ではその機密を漏らした罪でフルンゼとその妻は電気椅子で処刑されている。外務副大臣となったロイズに同行したデイジーは、ホワイトハウスで開催されたダンス・パーティーに参加し、ベルリンでは、ヴェルナーとカーラがその3人の子供―養女、強姦した赤軍兵士の子供、そしてヴェルナーとの子供―と共にクリスマスを祝うところで、この第W巻が合わることになる。
こうして1933年から1949年までの、英米ドイツそしてソ連を舞台に、そこでの人々が相互に触れ合う物語が収束することになる。しかし、巻末の訳者による解説を読むと、この続編として、2014年9月に、1960年代から80年代、東西冷戦、キューバ・ミサイル危機、ベトナム戦争、ベルリンの壁崩壊に至る歴史の中で、ここでの登場人物の子供たちが繰り広げる物語「Edge of Eternity(邦題「永遠の始まり」)」が発表されているという。そして更に、この前編として1911年から1924年までを綴った「巨人たちの落日」もある。これは参った。この大河小説はまず「巨人たちの落日」から読み始めるべきであった。しかももの「巨人たちの落日(Fall of Giants)」は、シンガポール帰国時に、分厚いペーパーバックを内容も知らないまま購入し、横の本棚に眠っているのである。これをこのペーパーバックで読むか、それとも翻訳で読むかであるが、恐らく安易な翻訳に手をつけてしまうのではないだろうか?そしてその次には、「永遠の始まり」も控えている。
三世代にわたる「大河小説」としては、大昔ロンドン時代に読んだJ.アーチャーの「カインとアベル」、「プロディガル・ドーター」、そして「大統領に伝えましょうか?」3部作を思い出すが、WASPの東部エリート家族とポーランド移民のシカゴの成り上がり家族の3代に渡る因縁を描いたアーチャーの小説は、舞台も米国、主要登場人物もその2つの家族がほとんどであった記憶がある。それに対しこちらは、舞台も英米ドイツ、そしてソ連と広く、登場人物も多様で、しかもそれらが巧みに因縁付けられるという壮大な設定になっている。いやはや、弱い70歳に近くなってとんでもない小説に出会ってしまったものである。お陰様で当面退屈することはなさそうであるが・・・。
読了:2023年4月13日(V)/ 4月19日(W)