巨人たちの落日 上/中
著者:ケン・フォレット
(巨人たちの落日 上)
20世紀3部作の第一作を、順序を変えて読み始めることになった。手元にあるペーパーバックも時々眺めながら、やはり邦訳を先に読み進めることになった。この上巻では、1911年から第一次大戦の勃発までが扱われるが、先に読んだ「凍てつく世界」と「永遠の始まり」で登場していた人物の父母や祖父母が主要な役割を演じることになる。彼ら、彼女らのみならず、その子供や孫たちが、その後どのような運命をたどるかがまだ頭に残っていることから、それを想起しながら読み進めることになったのである。
まずは「プロローグ」として、1911年6月の英国はウェールズの労働者の家に生まれた13歳の息子ビリー(彼は、その後の続編で登場した記憶がないので、今後中下巻でどのような展開になるかは興味深い)が、中学を卒業し、炭鉱労働者としての初日を迎えるところから物語が始まる。地下深い炭鉱に入る恐怖と期待。暗闇の中での、新入りに対する指導者の嫌がらせを何とか乗り越えるビリー。そして「第一部」は1914年1月に飛び、ビリーが働く炭鉱の所有者で大富豪且つ貴族院議員でもあるフィッツハバード伯爵とそのロシア貴族出身の妻ビーや、彼の妹で過激な社会主義者・女性参政権運動家のモード、そしてその家に家政婦として勤め始めたビリーの姉エセルといった、主要人物が紹介される。ドイツ大使館勤務のワルター・フォン・ウルリヒとその弟でオーストラ大使館勤務で同性愛者のロベルトも重要な役どころである。
この伯爵家で、この地方を訪問した国王夫妻の大晩餐会が開催され、そこで体調のすぐれない家政婦長に変わり全てを取り仕切った20歳の美人家政婦エセルが伯爵の眼にとまる。晩餐会は成功裏に終了するが、その国王滞在時の炭鉱大事故で、ビリーが活躍し、また国王もエセルの提案を受け入れ、被害者への弔問なども行っている。そしてそれが一段落したところで、一回流産し、後継ぎができず不機嫌な妻ビーに違和感を覚えていた伯爵はエセルと関係を持つようになり、エセルもハンサムな伯爵に想いを寄せるが、エセルが妊娠。同時にビーの妊娠も分かったことから、伯爵は結局家系支援を理由に、エセルを家から追い出すことになる。また伯爵のイートン時代の同級生で、ドイツ人のワルターは、国王晩餐会で幼馴染のモードと再会し恋に落ちる。また屋敷を追放され、自宅にもいられなくなったエセルは、ロンドンはイーストエンドに移るが、そこで伯爵が支援している低所得者向け病院でモードと再会している。屋敷にいた頃から親近感を感じていたモードとエセルの二人であるが、その後第一次大戦の兆しが強まる中、ワルターとモードが小さな町の役場で、夫々の猛反対する近親者には内緒で結婚するが、ロベルトと共に、エセルはその立会人の一人となるのである。この二人の関係は、1930年代を舞台にした「凍てつく世界」の冒頭、ワルターとベルリンに住むモードの下を、エセルと彼女の息子ロイズが訪れる場面に繋がることになる。またビリーは、炭鉱事故で主を亡くした遺族が、宿舎を追い出されることに反対するストに参加している。
ロシアはザンクト・ペテルスブルグの重機製造の鉄工所にいるグリゴーリイ・ペシュコフとその弟レフも登場し、グリゴーリイの工場見学にバッファロー出身のアメリカ人で、上院議員の息子ガス・デュアーやフィッツハバード侯爵等が訪れている。10代の頃に、ロシアの警察に父親を処刑され、母親を1905年の「血の日曜日」事件のデモで警察に撃たれて殺されたグリゴーリイは、そう下支配を行う皇帝一族に怨念を抱くと共に、ロシアに愛想をつかし、米国へ移住することを考えている。警察に因縁をつけられていたところを救ったカトリーナに想いを寄せながら、彼女は弟のレフに関心を持っていることに気がついている。そしてグリゴーリイがようやく有り金全てを使って米国行きの船を予約して出発しようとしたところで、レフが官憲に追われ、そして最後の瞬間にグリゴーリイのチケットを譲り受けたレフがその船に乗る。残されたグリゴーリイは、カトリーナがレフの子供を妊娠していることを告げられ愕然とするのである。しかし、船に乗り込んだレフも降ろされたのは米国ではなく、英国カーディフの港であり、そこで、フィッツハバードが所有する炭鉱労働者による、そしてビリーも参加しているストライキ破りに駆り出され、小金を稼ぐことになる。この二人は、「凍てつく世界」では、グリゴーリイが育てたレフの子供ヴォロシーロフと、レフの娘デイジー及び腹違いの弟グレッグの話に受け継がれていくのである。
こうした個人的な恋愛関係やロシアからの移住の話に、大状況である当時の欧米での緊張の高まりが、登場人物の視点で描かれていくのは、その後の作品と同様の手法である。まず、世界漫遊旅行から米国に帰国した後、ウイルソン大統領の補佐官となったガス・デュアーは、大学教授の妻キャロラインと不倫関係を持ちながら、米西戦争の現場に立ち会っている。ロンドンでは、音楽界に出席しているワルターがモードと共にロイド・ジョージ首相と、その戦争でドイツが米国に恥をかかせたと話している。そしてカーディフにいるレフは、街で彼の親を殺した皇族の娘が住んでいることを知り、憎しみを蘇らせているが、同時にそのメイドからサライェヴォで、オーストリアのフェルディナンド大公が暗殺されたというニュースを聞いている。1914年7月以降、この事件を巡るセルビアとオーストリアの緊張が、ロシア、ドイツ、そして英国、フランスを巻き込む危機に連なっていくことが、夫々の個人の動きを通じて展開されていくことになるのである。
ワルターは、ロシア大使館勤務で、彼が操縦しているツァーリに恨みを持つロシア人スパイとの接触と、彼からのロシア政府の動きに関する情報。オーストリア大使館で勤務するロベルトからの、暗殺に使われた銃と爆弾がセルビア軍情報部から与えられ、犯人はそこで射撃訓練まで受けていたという話。ドイツ大使館では、ワルターと同様、ドイツが参戦する戦争を避けたいと考える大使が、本国のカイザーに、冷静に対応してもらうよう工作を行っている。しかし、ワルターらの期待に反し、オーストリアからセルビアへの最後通牒は拒否され、ロシアはセルビア支援のための兵力動員を、そしてドイツはオーストリア支援の立場から、ロシアと軍事協定を結ぶフランスへの進撃を準備。そのためにドイツがベルギーの中立を侵犯する可能性から英国も参戦の意図を固めるのである。当初は戦争回避に向けて動いていたアスキス政権が、次第に主戦論に傾いていく様子などが、ワルターとモードの結婚を困難にするという個人的な事件と共に詳細に描写されていくのである。ドイツがベルギーに侵攻したという知らせが入る中、その翌日ワルターはドイツに帰還せざるを得ない状況での二人の秘密結婚で、二人は式後ロンドンの小さなホテルで初めての肉体関係を持つところで、この上巻が終わるのである。
第一次大戦が、サラィエボでの暗殺事件により、当時の欧州での軍事条約の関係で欧州の大国全てを巻き込む大戦になったことは、現代史の常識であるが、開戦に至る微妙な交渉や諸国家の関係が、それに関わった個人の運命と共に語られる手法が、この最初の作品で既に完成していたことが分かる。そしてその後の登場人物の子供や孫に引き継がれていく物語を先に読んでしまったために、いわばそれらの前史として、それはそれで面白く読める。こうした過去が、1940年代から1960年代へと続く物語へと流れていく様子を、引続き中巻、下巻で楽しむことにしたい。
(巨人たちの落日 中)
1914年8月のザンクト・ペテルスブルグで、グリゴーリイに軍隊への招集令嬢が届く。そのグリゴーリイは、ピンスキー警部から、殺人容疑のレフと間違えられ暴行されているが、実はレフがグリゴーリイのパスポートで出国していたことが分かり、招集のみで許される。レフの子供を妊娠したカトリーヌの生活を支えるため、カトリーヌは愛情のない結婚を提案し、グルゴーリイはそれを受けるのである。しかし、彼はカトリーヌからの肉体関係の誘いを強引に断り、彼が「皇帝と貴族のための戦争」と考える招集に応じ戦地に向かうことになる。またロンドンでモードと秘密結婚したワルターもベルリンに戻り軍に招集されている。彼が、日本が英仏側で参戦したことを残念に思いながら、米国の中立に安堵する中、ドイツ軍はベルギーに侵攻しているが、迫りくるロシアの脅威も感じている。更に、フィッツも英軍に志願し、身重の妻ビーをロンドンに残しパリに赴き、娼婦と遊びながらパリ防衛の任務についている。そしてロンドンでは、家を追い出された身重のエセルが、モードの女性運動に参加しながら、同様に英軍に招集された弟ビリーの訪問時に自宅で長男を出産し、ロイズと名付けている。またカーディフでは、カード詐欺で金を貯めたレフが、そのビリーの助けで、騙された追っ手から逃れロンドンに向かうことになる。
1915年6月〜9月。ニューヨークに渡ることができたレフが、早速煙草の密売で金を稼いでいるが、そこでロシア移民で富豪のヤクザ、ヴィヤロフの一味に因縁をつけられる。一時は拘束され殺されそうになったレフであったが、機転でヴィヤロフに気に入られ、彼の元で運転手として働くことになっている。そのアメリカは、中立から戦争に一歩近づいており、ウイルソン大統領の補佐官となっているガス・デュアーは、ドイツ軍による、米国人の乗った英国船の撃沈等で米国世論の参戦ムードが高まっているのを感じている。彼は、ある講演会でオルガという可愛い女性と出会い関心を抱いているが、彼女はヴィヤロフの一人娘であった。そのオルガは、その後ガスと婚約することになるが、彼女は、親に内緒で煙草を吸っていた車庫でレフと関係ができ、結局妊娠する。激怒しレフを拷問するヴィヤロフであったが、妊娠中絶を嫌う彼は、最後はレフにオルガと結婚しろと告げるのである。
1916年6月。英国では、ビリーが軍隊への入隊を決め、父親は、「この戦争は資本家のための戦争だ」と言いながらも、最後は彼を送り出している。ドイツ軍に従軍しているワルターは、激戦地であるフランスはソンミの戦いの最前線で、連絡が途絶えているモードを想っている。そしてそのモードは、ロンドンでエセル、そしてエセルが紹介したバーニーという労働運動家と共に、低所得者層の軍人の扶養家族の待遇改善を求める反政府的な新聞を発行しながら、個別の交渉等を行っている。出征前にエセルの下を訪れたビリーは、彼女の同居人であるミルドレッドに想いを抱き、童貞を捨てている。そしてモードの兄、フィッツハバードも軍隊に参加し、フランスで100人規模の小隊の指揮を任されている。こうして、1916年7月、フランスの激戦地に、英国側ではビリー、フィッツハバード、ドイツ側ではワルターが対峙した戦闘が行われることになる。一進一退の戦闘の様子が詳細に描かれるが、この辺りは現在進行形で行われているウクライナでの戦闘を連想させる。もちろん使われている武器は100年前と現在のものでは大差があるが、戦闘員たちの苦しみは同じである。戦場でフィッツハバードと出会い、敵愾心を燃やすビリー。フィッツハバードの無謀な攻撃命令で、英国側には多くの死者が発生し、フィッツハバードも瀕死の重傷を負う。ビリーは何とか生き延び、ドイツ軍砲撃隊を殲滅させる功績をあげたりしているが、一方で戦闘から逃れようとした少年兵が逃亡の罪で、自軍により処刑されているが、ウクライナの戦線でも同じようなことが行われているのだろう。戦争はいつの時代も悲劇である。
英国では、ビリーの生死が分からない中、エセルが幼いロイズを連れて久々に里帰りをしているが、父からは冷たく撥ねつけられている。しかし、従軍した多くの若者の戦死の方が届けられる中、ビリーは生き延びていることが分かり、そしてエセルは父親とも和解している。彼女は、町で、顔と左足に傷を負い、かつての颯爽とした美男子の風貌を失ったフィッツハバードを目撃している。そしてソ連側では、タンネベルグの戦いで左耳を負傷したグリゴーリイは、味方兵を撃てと指示した上官を逆に殺害した後、ペトログラードに配置替えとなり、民衆の悲惨な生活を感じながらカトリーヌと再会している。レフへのカトリーヌの思いを依然感じているグルゴーリイにカトリーヌは愛を告げ、彼もそれを受入れることになる。ロンドンでは、バーニーがエセルに愛を告白しているが、エセルは直ぐにそれを受入れることができないでいる。また米国ではウイルソン大統領が再選され安堵しているガスが、大統領の命令でベルリンに飛ぶことになっている。そしてバルリンでガスは、戦場から一時帰国した旧友ワルターと会い、ウイルソンの和平提案を内密にドイツ皇帝らに伝えることを依頼している。そのワルターは、私生活では、モードとの結婚を隠している両親から、貴族の娘との結婚を強要され、言い訳に苦労している。ワルターは、英国に戻るガスに、モードへの手紙を託し、英国に戻った彼は、フィッツハバード家のパーティーでモードにそれを渡している。しかし、ガスがワルターに託した休戦提案はドイツ皇帝により撥ねつけられることになる。
1916年12月、フィッツは、ホワイトホールの陸軍省で、ドイツ軍の暗号解読の仕事をしている。この「暗号解読」は、後の第二部では、米軍による日本軍の暗号解読に繋がっていくことになる。ロンドンの政界では、アスキス首相とロイド・ジョージやボナ・ロー等による、膠着する戦争遂行を巡る駆け引きが活発になっているが、フィッツは和平反対、モードは和平賛成の立場である。フィッツの幼い息子ボーイを巡る妻ビーとの微妙な関係、モードに従って参加した政治集会でのフィッツとエセルの再会や、そこでのビリーやバーニーとの遭遇等。フィッツはエセルに、家や金を与える代わりに関係を戻す提案を行いエセルも一旦誘惑にかられるが、最後はそれを拒絶している。トラファルガー広場のナショナル・ギャラリーでは、ガスとモードが、ワルターの近況や、休戦を巡るドイツの動きを議論している。そして議会では新たな首相に就任したロイド・ジョージがドイツとの和平に反対する演説を行い、それを聞いていたエセルやガスを失望させることになる。
そして運命の1917年に入る。ベルリンでは、ワルターがドイツ軍による更なる戦闘激化の方針を聞き、アメレカ参戦の危険が高まったと懸念している。ロンドンでは、ドイツ軍の暗号を解読し、ドイツがメキシコをそそのかし、アメリカの関心をそちらに振り向ける内容の電報をフィッツがガスに伝え、アメリカの世論を動かすよう示唆している。そしてエセルとバーニーは、ついに結婚し、小さな式をあげ、モードが花嫁の付添人となっている。そして米国に戻ったガスは、旧知の女性ジャーナリストに、ドイツによるメキシコの対米扇動を手渡すが、彼女は「たったいま、あなたがアメリカを(欧州の大戦に)参加させたのよ」と返している。
3月のソ連、ペトログラード。病気で苦しむウラジミールとそれを看病するグリゴーリイは、街で人々がパンを始めとする食糧不足等で不満が高まっているのを感じている。工場ストライキが始まり、人々はデモで通りへ繰り出し、軍との衝突が始まる。グリゴーリイは、「我々は、ドイツ人は殺すが、ロシア人に向けて発砲はしない」と心に決めているが、指揮官はそれを命じ、そしてグリゴーリイは、その上官を射殺する。後戻りできなくなった彼は、民衆側に参加して、軍の武器庫を襲い、民衆を武装させる。そしてそれは、最終的に皇帝(ツアーリ)の退位となるのであるが、この中巻は、その過程を、グリゴーリイの活躍と指導者としての地位を確立していく様子を中心に、克明に描いて終わることになるのである。この記述は圧巻である。グルゴーリイが見た、緑脱を含めた無政府状態と化した街の様子。あるいはケレンスキーを含めた改革・革命勢力と皇帝派との微妙な交渉。そして軍隊内部での裏切りや、権力を握ったソヴィエトでの、彼による具体的な法律等の策定等々。ロシア革命の第一段階である「(旧暦)2月革命」であるが、かつて学生時代に、この革命とその運命を必死で勉強した私にとっては、当時学んだ一般の歴史記述にはない、個人の視点からの革命の推移が臨場感をもって描かれていることから、いっきに読み進めることになったのである。ツアーリ退位の知らせは世界を駆け巡り、ベルリンではモニカとの結婚を押し付けられているワルターが、彼女とのパーティー会場でそれを聞いている。フランス北東部の戦線ではフィッツとビリーが、その評価で対立し、英国ではビーがショックで倒れ、モードが開放し、「新婚旅行」でウェールズを訪れたエセルとバーニーは、パブでお祝い会に参加している。米国バッファローでは、皇帝に同情的な義理の両親に対しレフが、皇帝とその警察による残虐な仕打ちを語っている。そして最後、ウイルソン大統領にロシアの今後の予想を聞かれたガスが、かつてペトログラードの向上で出会った逞しい男(グリゴーリイ)のことを思い出しながら、「最期は、労働者が勝利を収めるだろう」と返すのである。そして10月革命を含め五大戦の展開は、下巻へと引き継がれていくのである。
いやあ、面白い。読む順序は逆転してしまったが、これだけの小説にお目にかかったことはない、という思いを改めて感じている。下巻も楽しみである。
読了:2023年6月11日(上) / 6月28日(中)