巨人たちの落日 下
著者:ケン・フォレット
ワルターは、ベルリンで、モニカの求愛を拒絶しながら、レーニンらを乗せる封印列車のドイツ国内通過を含めた、ロシア革命でのボルシェヴィキへの支援が、米国が連合軍側で参戦した中、ドイツが勝利するために必要だと主張している。モニカは、ワルターに愛人がいることに気がつき彼を諦め、ワルターは英国にいるモードへの手紙を、中立国から出そうと試みている。そしてワルターは、封印列車のドイツ通過の実務責任者としてチューリッヒに赴き、46歳のレーニンを含めたロシアの亡命活動家が列車に乗車する手配を行っている。彼が見たレーニンの様子―外見の風采は上がらないが、とんでもない勉強家で、革命に没頭し、指示も的確であるーが語られる。そして一行が列車から降りて船でストックホルムに移ったところで、ワルターは、レーニンに革命資金提供を申し出て、レーニンはそれを受入れている。これも歴史的事実なのだろうが、二人の会話の中で、レーニンが初めは「賄賂か」と言い躊躇しながら、最後は提供された資金が詰まったバッグを黙って受け取る様子が臨場感をもって描かれるのである。そしてレーニンが去った後のストックホルムで、ワルターは、女性参政権のためのインタビューと称してそこに来たモードと3年振りに再会するのである。
ペトログラードのフィンランド駅に到着するレーニンらを迎えるグリゴーリイ。そこに集まった群衆に対し、「革命は盗まれた。臨時政府は倒さなければならない」と演説するレーニンに、グリゴーリイも共感し、そして以降、グリゴーリイの眼を通した、2月革命から10月革命に至る過程が詳細に描かれることになる。
同じ頃、米国バッファローでは、妻オルガに不満を持つレフが浮気をして、任されているクラブに出演している歌手のマルガとの情事に夢中になっているところを、義父のヴィヤロフに目撃され、彼が所有する別の戦時物資を製造する工場長に左遷されている。自宅では14か月になった娘のデイジーが可愛い盛りであるが、彼女はその後の2作で結構中心的な役割を果たすことになる。その軍需工場は、劣悪な雇用状況から組合がストライキを起こしているが、欧州での戦争回避の工作に失敗して帰国したガス・デュアーが、ウイルソン大統領から、スト収束の交渉を依頼され、策略と恫喝でヴィヤロフとレフに条件を飲ませて、その任務を完遂している。その後、レフは再びマルガとの情事をヴィヤロフとオルガに目撃され、ヴィヤロフから米国軍に送り込まれるが、ガスも自らの意思で軍に加わる決断をしている。
同じ頃、ロンドンでバーニーと結婚し、幼いロイズを育てているエセルは、議会が婦人参政権を限定的に認める法律を検討していることに希望を見出しているが、それは不完全で禍根を残す法案だとして反対するモードと議論となり、彼女と絶縁している。そしてフィッツは、その女性参政権に反対の立場であるが、結局その法案は賛成多数で成立するのを目撃している。そしてビーの故郷ロシアがツアーリの退位で混乱する中、彼女の兄アンドレイを危惧するビーの希望を叶えるため、ロシアを訪れることに合意している。また東部戦線でドイツ軍に加わっているワルターは、ロシア軍の厭戦気分を確認するため、単身ロシア軍部隊に接近し、ロシア軍兵士たちのそうした気持ちを確認している。そしてペテログラードでは、グリゴーリイが自分の子供を妊娠しているカトリーナを愛撫しながら、ドイツのスパイとして逮捕状が出たレーニンにいち早く身を隠すよう通告し、彼の逮捕を阻止することに成功している。そのレーニンには、ワルターが、その後も工作資金を届けているが、その受取りに現れたのはグリゴーリイで、彼からトロツキーのボルシェヴィキへの合流を含めた政局の現状と今後の政権奪取に向けた策略などを聞いている。金を渡した後、警察に尾行されたワルターは、その警察官を殺害し河に投げ込むのである。
コルニーロフの反乱等の反革命の動きとそれに対抗するボルシェヴィキの動きが、グリゴーリイの視点で語られるが、既に何度も述べている通り、それは私がかつて勉強した一般的な歴史知識を越える、個人の動きや感情を踏まえた生々しい描写になっている。著者は、これを描くための詳細な情報をどのようにして手に入れたのだろうか、と感嘆させられる。そしてモスクワ郊外のアンドレイの所領を訪れたフィッツとビーは、アンドレイらが農民の反乱の中で虐殺されるのを目撃しながら、命からがら逃げだしている。ワルターが従軍している西部戦線では戦闘が膠着し、ペトログラードでは街に戻って来たレーニンの指導下、ボルシェヴィキの権力奪取が着実に進み、最後はグリゴーリイが冬宮に突入し、臨時政府首脳を拘束し、ロシア革命が完結する。その過程でのレーニンとトロツキーの対立やメンシャヴィキの動き、そしてスターリンの登場なども生々しく語られ、その中でカトリーヌは、グリゴーリイの子供の女の子を出産している。
西部戦線の様子が、ワルターが従軍するドイツ側と、ビリーが従軍する英国側、そしてガスが従軍した米国軍の視点を交錯させながら描かれる。英国では、フィッツが、チャーチルも招いたパーティーで、ロシア革命を妨害する工作について語り、シベリアでの活動を指示されているが、その時ビーは次男を出産している。そしてビリーの部隊はシベリアへの移動を命じられ、そこに彼の「天敵」フィッツが現れ、ビリーら兵士に訓示、ビリーはそれに皮肉でヤジっている。そこの米軍には、やはり米軍に押し込まれたレフが、久々に戻った「本国」で、軍事物資の密売で金を稼いでいる。これは歴史的には、ロシア革命に対する西欧諸国や日本による「シベリア干渉」として知られている事実であるが、これも夫々の登場人物による個人的視点で描かれることになる。その頃ロンドンでは、戦争後の総選挙への立候補を巡り、バーニーとエセルの間で相克が生じている。そして1918年11月11日、ついに第一次大戦の休戦協定が発表され戦争が終わり、その日の夫々の登場人物の休戦の受け止めが語られることになる。
「第三部新しい世界」が始まる。フランスの港に講和会議参加のために到着するウイルソン大統領を迎えたガスは、旧知の女性ジャーナリストのローザと再会しているが、彼女はウイルソンが、その講和会議に、直前の米国議会選挙で議会多数派となっている共和党議員を同行させなかったことについて懸念を感じている。国際連盟設立を含めた戦後の平和処理について、ウイルソンの「理想主義」の挫折を感じさせるのであるが、それは結局米国の国際連盟不参加という歴史的事実への布石である。英国では総選挙が行われ、ロイド・ジョージ率いる自由党と保守党の連立政権が再度勝利し、労働党から立候補したバーニーは落選している。それを慰めるエセルには、シベリアにいるビリーから、「議会の承認を得ない不当な戦闘」を知らせる暗号の手紙が届けられ、エセルはそうした事実を左翼系新聞に掲載している。一方フィッツは、そうした情報が洩れている理由がビリーにあると考え、彼の手紙を盗み見し、暗号を解読。軍事機密漏洩の罪で、即席軍法会議にかけ、彼の抵抗にも関わらず10年の懲役刑を宣告することに成功している。ベルサイユでの休戦・賠償交渉での連合国側からドイツに対する過酷な責任・賠償要求にあきれ返るガスであるが、英仏の反独感情は強まるばかりである。またそれを危惧するモードもフランスに来ているが、そこでドイツ側交渉団に参加しているワルターと2年振りに再会し、彼らの結婚を今や公表する時であると合意、新聞を通じて発表している。交渉の中で、日本代表の牧野男爵が、既に合意済の「宗教の自由」の宣言に、「人種差別撤廃」文言を盛り込むことを提案したが、長く植民地支配を行ってきた英国が強硬に反発し、先送りとなったことに触れられている。これも歴史的事実であるのだろうが、私は全く知らない話であり、著者がどこでこうした情報を仕入れたのかも興味あるところである。
ロシアでの反革命内戦で、米国軍の通訳を務めていたレフが赤軍側に拘束され、兄のグルゴーリイとの5年振りの対面を果たしている。レフの出国やカトリーナを巡るわだかまりにも関わらず、グルゴーリイは、レフを連合国側に逃がすことになる。
1919年6月、ベルサイユ宮殿で、ドイツにとって屈辱的な平和条約が調印され、ワルターとモードは、それを苦々しい思いで眺めている。そして調印後、ドイツに帰るワルターは、モードに、ドイツ・パスポートの用意をしたので一緒に帰ってくれ、と懇願する。突然の申し出に当惑するモードであるが、結婚公表後、英国で周囲から冷たい仕打ちを受けていた彼女は、一緒に帰る決断をするのである。
ワシントンに戻り、双方の両親の承諾を得てローザと婚約したガスであったが、国際連盟参加条約の批准のために遊説するウイルソンは、持病の悪化で倒れ、連盟参加が困難になるのを苦々しく思っている。一方バッファローでは、戦争から戻ったレフが、4歳になった娘のデイジーを溺愛しながらも、愛人のマルガにグレゴリーという男の子を出産させ、それを知って怒り狂った義父を殴り殺し、カナダに逃亡している。しかし、カナダで酒が安く売られていることに気がついた彼は、それを禁酒法の米国に持ちこむ計画を立て、家に戻りオルガを、家族のビジネスを続けるためにはその計画が必要で、義父が死んだのは、彼に殴られたからではなく、心臓発作のせいだと証言させる説得に成功、窮地を逃れ、義父が作り上げたビジネス帝国を引継ぐことになる。
英国に戻ったが、監獄で懲役刑に服しているビリーは、外との連絡ができないままであったが、エセルの工作で左翼系新聞に、彼が非公式に進められている戦争を告発した英雄であることが報道されている。そしてその結果契機を短縮され釈放、エセルの友人であるミルドレッドと結婚し、故郷に戻っている。他方、貴族院議員であるフィッツは、それに加え、ボルシェヴィキの外交団を受入れるロイド・ジョージ首相の政策に苦言を呈しているが、首相に軽くいなされている。そしてエセルとバーニーの間では、バートランド・ラッセルが、「ロシア共産主義」という著作で、左翼の立場からボルシェヴィキ独裁を批判する彼の論調を巡り喧嘩委の相違が起こっている。そのロシアでは、グルゴーリイの労働者仲間の一人が、メンシェヴィキの集会に参加したということだけで銃殺刑になるところを彼が救っているが、同様の罪を着せられた他の人々は銃殺されている。
話は1923年のベルリンに跳ぶ。そこではワルターとモードが、厳しい経済環境の下で細々と暮らしている。英国人と結婚したワルターの外務署での出世の見込みはなくなり、モードは、ナイトクラブのジャズバンドでピアノを弾きながら、客からマルクではなく、ドルのチュップを引き出している。天文学的なインフレが進んで、報酬として払われるマルクの現金を運ぶには大きなカバンがいる。しかし、その紙幣も翌日はインフレが進み何も買えなくなっているのである。そんな中ミュンヘンでは、アドルフ・ヒトラーと呼ばれる男に率いられた暴動が発生し、ワルターの縁戚で戦争から戻った同性愛者のロベルトは、その国家社会主義者の党に加わっている。同じ頃の英国では、総選挙にアバローウエンから立候補したビリーとロンドン近郊から立候補したエセルの二人が労働党から当選している。労働党党首ラムゼイ・マクドナルドが首相となる労働党政権は誕生している。9歳の息子ロイズを連れて議会を訪れたエセルは、そこの階段で、ロイズと同じ歳の息子ボーイを連れたフィッツと出くわすことになる。エセルの紹介で、フィッツは嫌々ながら、自分の子供であるロイズと初めての握手を交わすところで、この壮大な物語の1911年から1923年までを描いた第一作が終わるのである。
1933年から1949年までの第二作「凍てつく世界」、1961年から2008年までの第三部「永遠の始まり」を先に読んでしまった後で、この第一作に遡ることになってしまった訳だが、それはそれで、この第一作での登場人物(の、主として子供や孫たち)のその後を知っていることで、それなりに面白く読み進めることができたのである。唯一、この第一作では主人公の一人であるビリーが、第二作ではほとんど登場しないこと(それがあるので、彼はここで死ぬのかな、と思っていたが、結局彼はここでは労働党議員として終わることになる)が、最後に、「どうして?」という疑問として残ることにはなった。
歴史的な背景としての第一次大戦からその終了、ロシア革命と大戦の講和条約を巡る関係各国の絡み合いが、それに直接関与したとされる個人の視点を通して描かれ、それに主要人物の因縁が巧みに挿入されるという、その後の作品に共通する手法で描かれることになる。第一次大戦での戦線が膠着した中での攻防は、現在のウクライナーロシア戦争を連想させ、また戦後のドイツ賠償責任を巡る攻防は、恐らく今後のウクライナ戦争終結後の動きの参考にもなるのだろうと感じながら読了したのであった。以降は、同時に読み進めているペーパーバック版で、ゆっくりとこの話を反芻していきたいと考えている。
読了:2023年7月9日