劇団湘南山猫 「星の路」〜奇跡の森の物語〜
日付:2023年8月5日 会場:大倉山記念館ホール
猛暑が続く週末の夕刻、旧友の奥様が、作曲とピアノ演奏で参加しているという、劇団湘南山猫による「山尾三省追想公演」と題した舞台を観ることになった。
山尾三省という詩人は、当日のパンフレットによると、1928年東京神田の生まれ。早稲田大学文学部西欧哲学化を中退した後、1967年対抗文化コミューン運動を起こしたが、その後1973-4年インド・ネパールを巡礼で回ったり、帰国後は東京西荻窪で無農薬野菜の販売を行ったりしたが、最後は1977年家族と共に屋久島に移住し、そこで詩作を中心に静かに暮らし、2001年8月に逝去したということである。まさに60年代終わりの学生運動・対抗文化華やかなりし頃に青春期を過ごし、その影響を受けたままその後の人生を送った詩人で、多くの著作や詩集を残しているということである。私は、全く初めて聞く名前であったが、考えてみると、演劇は、2017年11月、シンガポールで行われた「蜷川マクベス」以来、久々であったこともあり、楽しみに出かけていくことになった。
会場の大倉山記念ホールは、東横線大倉山駅から急な坂を登った丘の上にある、西欧教会風のなかなか趣のある建物である。その前に別グループでの呑み会に参加し、ほろ酔いとなっていた身体には、猛暑の登り坂はきつかったが、なんとか辿り着き、そこで会った旧友と共に開演を待つことになる。会場は、50人程度の収容力のある小さな空間である。舞台には、左奥にグランドピアノとその前にシンセサイザーが置かれ、右側は団になったステージに椅子と譜面台が幾つか並べられ、それと別に正面左の少し離れた場所に枯れ木のオブジェとスタンドマイクが設置されているだけのシンプルなものである。予定時刻の午後6時、当日の演目についての簡単な紹介と共に、この日の舞台が始まった。
中央通路から、当日の出演者が入場し、夫々の配置につく。8人全員が女性で、同じような法被ともんぺ、頭にバンダナ、足は足袋といういでたちである。旧友の奥様も、同じような衣装でピアノの前に席を取る。そして正面右前の女性の朗読で、舞台が開始される。
舞台は、作者である山尾三省が人生後半を過ごした屋久島の自然を思わせる雰囲気の中、朗読とピアノ・シンセサイザー演奏・歌が挿入されながら、地上に降り立った〈星のカケラ〉を巡る人々や森の生き物たちとの交歓が表現されることになる。山尾の詩のイメージを語りと音楽に託したと思われる静かな舞台は、自然と人間・生物の協和に心を洗われる思いである。ここのところ、都会を離れることがなく、静かな自然とはご無沙汰している自分にとっては、貴重な感覚をもたらしてくれる。時折挿入されるシンセサイザーや各種の小道具を使った効果音も、そうした雰囲気を盛り上げてくれる。こうして展開した舞台は、最後に全員のコーラスで盛り上がり、1時間5分ほどで終わることになる。
こうした朗読劇を観るのは人生初めてで、こうした舞台があったのかと、改めて新鮮に感じるが、一方でやはり物語の大きな展開や出演者の動きがない分、途中でやや集中力が切れて、言葉を追えない瞬間もできてしまったのは残念であった。そうした自分の感受性の弱さを別にすれば、こうした朗読劇は、言葉のインパクトが最大の武器で、それを音楽や効果音、照明といった付帯装置で支援していくという構造になるのだろう。その意味では、やはり言葉に対する感受性が、こうした舞台を楽しむための最も必要な条件ということになる。そして詩というのがまさにそうした言葉の感受性を表現している訳であるが、そもそも今の今に至るまでほとんど詩には関心を払わず、詩集を読んだこともない私にとっては、心底楽しむのは難しかった舞台であると告白せざるを得ない。
それは別にしても、こうした活動を進めている舞台関係者には敬意を表しなくてはならないだろう。舞台後、旧友から聞いたところでは、この日の出演者たちは、皆「セミプロ」の俳優・演奏家であるが、劇団としては30年近く続いているということである。そして劇団はNPOの形態で、公演ごとに採算を取るということで、現在まではきちんと黒字を続けているという。またこの日の入場料は、山尾三省のコミューン運動をヒントとした「カンパ制」を取っているというのも面白い。私自身のカンパ額が妥当であったかは自信がないが、何とかこうした支援でこうした劇団が今後も活動を続けていけることを祈っている。
ということで、私の感受性不足から、脚本家や俳優・演奏家の意図を私が十分に受け止めたかはやや自信のないこの日の観劇になったが、また機会があれば是非この活動に参加したいと考えている。
2023年8月6日 記