アジア・ドイツ読書日誌と
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川崎通信
暗黒地帯(上/下)
著者:T.クランシー / S.ピチェニック 
 この作家については、デビュー作で、ソ連原潜の西側への亡命をネタにした「レッド・オクトーバーを追え」がベストセラーとなり、これが映画でもヒットしたことから一躍名前が売れることになった。私も、シンガポール時代に、この小説や、「Patriot Games」等をペーパーバックで読み、帰国直前に別の「The Sum of All Fears」という小説を読み始めたが、帰国と共に中座したままになってしまった。しかし、この作家は、多作で図書館にはその邦訳が溢れている。そんなことで、今回この邦訳に手をつけることになった。著者は、2013年10月に66歳で死去しているが、恐らく彼のチームがあったのだろう、彼の死後も、何人かの別の作家との「共作」ということで、新作の発表が続いている。この小説は、その一つで、「オプ・シリーズ」と言われている作品の一つである。多くの邦訳の中でこれを選んだのは、主題がまさに、2014年のロシアによるクリミア併合後のロシアとウクライナ間の新たな紛争であることから。現在進行中の両国の戦闘を念頭に置きながら読み進めることになった。原著の出版は2017年である。

(上巻)

 ニューヨークで、ウクライナの女性諜報員が、米国の元ウクライナ大使フラナリーと接触した後、ロシアの暗殺者に殺される。更にもう一人若い男のウクライナ諜報員も殺され、フラナリーが次のターゲットになっている。ウクライナは、ロシアとの紛争の最前線である東部のロシア国境付近のロシアの基地に対する攻撃を考えていて、女性諜報員は、そのための情報提供をフラナリーに求めた後に暗殺されたのである。フラナリーに危険が迫る中、彼から通報を受けた「オプ・センター」が彼を保護することを含めた活動を開始。この上巻は、フラナリーの暗殺がすんでのところで阻止され、そしてウクライナによる東部での作戦が進行するところで終わることになる。

(下巻)            

 そのウクライナによる東部での計画が次第に明らかになってくる。それは、ウクライナの伝説的な将軍クリモーヴィッチが、ロシアによるクリミア併合後、突然姿を隠した後、内密に進めてきたもので、ロシアに事実上占領されているウクライナ東部ハルキウ州にある「戦車の墓場」にある車体を密かに修理して、大規模な戦車部隊を再編し、事実上ロシアに占領されている北東部スームイという町の空軍基地に攻勢をかけるというもので、オプ・センターの所長ウィリアムズらは、入手したヴァーチャル・リアリティを使った訓練映像で、その計画を察知していたのである。ウクライナの動きは、プーチンを刺激して、ウクライナとロシア間での全面戦争に突入し、アメリカが態度を決めなければならない危険な事態となる。それを避けるために、ウィリアムズが指名したオプ・センターの戦闘員たちが、傷ついたフラナリーにも同行を求め、それを阻止するべく、ウクライナとロシアの国境地域に乗り込むことになるのである。

 ということで、まさに現在、ウクライナの「反転攻勢」の舞台となっている東部が登場することで、その進行中の事態を想像しながら読み進めることになった。この小説では、クリモーヴィッチによる戦車部隊がデモ行進し、ロシアを攪乱するための歩兵部隊が林に放火する中、オプ・センター要員と、通訳として動いたフラナリーの活躍で、またロシア側もプーチンが攻撃阻止命令を出し、戦闘は回避されることになるのであるが、実際には現在もこの地域では激しい戦闘が行われている。この小説を読み終わる直前の8月24日は、今回のロシアの侵攻後丁度1年6か月となるタイミングであったが、これを報道する新聞では、ウクライナによる「反転攻勢」が、ロシアによる強力な防衛線を突破できず、戦争の長期化が避けられない見通しとなっていることがコメントされている。ロシアでは、まさにこの8月24日に、ワグネル指導者プリゴジンが搭乗する自家用ジェット機が墜落し、プーチンによる暗殺説が広まる(その後ⅮNA鑑定で彼の死亡は確認された)と共に、彼に同情的であったロシア航空宇宙軍のスロベキン総司令官が解任される等、国内的な動揺とそれに対する引締めムードが強まっている。他方、欧米側の「ウクライナ支援疲れ」も取りざたされており、特に米国は来年の大統領選に向けた支援の修正可能性も考慮せざるを得ない状況である。こうした不透明要因が渦巻くウクライナ情勢は、クランシーとその共著者がこの小説を発表した2017年よりも、より複雑になっていることは間違いない。そんなことを考えながら、次にこの作家の膨大な作品群のどれに手をつけるか思案している状態である。

読了:2023年8月21日(上)/ 8月27日(下)