映像の世紀 ビートルズとロックの革命
2023年12月30日
2022年末のNHKで放送されたテレビ「映像の世紀 バタフライエフェクト ロックが壊した冷戦の壁」が感動的であったことは、丁度一年前に報告したが、この年末(2023年12月30日)に放送された同じ「バタフライ・エフェクトービートルズとロックの革命」も秀逸であった。
ビートルズの音楽は、ここのところ、ほとんど聴くことはなくなっている。彼らの全アルバムは、遅れて購入したアナログ盤があるが、倉庫に眠ったまま。「Anthorigy」と題された4枚組DVDも、全く観ようという気にならない中、唯一Walkmanをアルファベット順に聴いている時に、これに入れた「One」からの曲が時々流れる程度である。また彼らの軌跡も良く知られていることもあり、この番組も余り期待をしていなかった。しかし、昨年の番組と同様、旧ソ連圏への影響とその帰趨など、今回初めて聞く逸話もあり、年末のTV番組がどこも同じようで退屈していた中、楽しむことができたのであった。
まずは良く知られたポールとジョンの出会いから、ポールの友人ジョージの参加とハンブルグでの3か月の修行、そして帰国後のリンゴの加入、マネージャー、B.エプスタインとの出会いとレコード・デビュー等の良く知られた話が紹介される。そしてスティング、ジミー・ペイジ、ロジャー・ウォーターズ等によるビートルズへのコメント等。エリザベス2世主催のチャリティ・ショウでの「安い席の方は拍手を。高い席の方は宝石などをじゃらじゃら鳴らして下さい」というジョンのコメントも有名である。しかし、黒人音楽の影響を明らかにしていた彼らが、モハメド・アリとじゃれ合ったり、人種差別が画然と行われていたフロリダ州ジャクソン・ビル公演で、白人・黒人の席隔離を無くさなければ公演を中止するとして、保守派の猛烈な反対を無視して、2万3千人の観衆の前でそれを強行したことは知らなかった。
それ以上に面白かったのは、ビートルズを含めた旧西側のロック音楽を放送禁止していた旧ソ連圏での攻防である。ラジオ・ルクセンブルグの短波放送で流れる、妨害電波の混じった彼らの「Can’t Buy Me Love」の音。またそれに影響されて、エレキ・ギターを作るための材料として公衆電話の増幅器が盗まれた、という話も面白い。
1966年6月の初来日と、武道館使用についての右翼による反対と暗殺予告、続く翌月の米国公演時のジョンによる「キリストより有名」という発言が引き起こした米国保守派の猛反発なども知られている通りである。そして1966年8月のサンフランシスコ公演を最後に彼らのライブ活動は終わることになる。
夫々の勝手気ままな休暇を経て、変貌した彼らの姿は、当時初の「世界同時放送」であった「Our World」での「All You Need Is Love」の録画風景で届けられることになるが、ここからは私の同時代体験と重なってくる。早朝からテレビにかじりつき、彼らの登場を待っていた挙句の曲が、このつまらない曲であったことにがっかりした記憶は未だに残っている。画面に一瞬だけ、観客の中にいるミック・ジャガーが写ったのは記憶がなかった。そして実験的な「St.Peppers」アルバムの発表。この頃は、私の関心は既にビートルズから米国カリフォルニアの音楽からその後のハードロックに移っていたが、「A Day In The Life」や「Lucy in the Sky with Diamonds」が英国で放送禁止になったことはよく覚えている。しかし、この時期英米で放送禁止になった曲は他にも多々あったので、これらの曲もその一部に過ぎない。「LSDを4回吸った」というポールのインタビューも初めて見た。B.エプスタインは薬物の過剰摂取が原因で34歳で逝去。もちろんジム・モリソン、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックス等、この時期これが原因で早世したロック関係者は多いが、そのポール(やミック・ジャガー等)が80歳を越えた今も元気であるというのは、やはり個人差があることを痛感させられる。その後の彼らによるインド体験の影響をS.ジョブスが語っているのも初めて観た。
ジョンの離婚とヨーコとの再婚時に、ジョンの5歳の息子に贈った「Hey Jude」。曲の後半、同じリフが延々と続くこの曲が、当時毎日聴いていたFENのチャート1位として連日流れていたのにうんざりした記憶はあるが、これが旧ソ連圏のリトアニアや「プラハの春」最中のチェコで「反体制曲」として、夫々の言語でカバーされ、その後、その歌手(チェコのマルタ・クビチョヴァ)が音楽界から放逐されたという話しは初めて知った。彼らが、その後のゴルバチョフによる西側音楽の許容から壁崩壊を経て復活した逸話も、この時期を象徴する。続けて1970年のビートルズ解散と1969年8月に撮影された彼ら4人一緒の最後の写真、そして1980年12月のジョン、そして2001年11月のジョージの死から、今年の「新曲」「Now And Then」の発表までが簡単に語られることになる。
番組の最後は、S.ジョブスによる2001年のiPhone発表時に、彼が「年齢がばれるが」と断った上で、iMusicを通じて「I Should Have Known Better」が流れる場面、そして彼とB.ゲイツとの関係は、「Let It Be」収録の「Two of Us」で歌われているような特別な関係だ、とコメントされ、そして1975年4月のジョンのインタビュー、「Beatlesは60年代というタイミングで、船の見張り台にいた。そこで新しい大陸を見つけたのだ。」という言葉で締め括られることになる。S.ジョブスのコメント挿入は、Beatlesを現代のデジタル技術と無理やり結びつけようとする番組ディレクターの苦心の作だと思われるが、まあ許してあげよう。
彼らの音楽を聴くことは少なくなってしまい、AIを駆使した新曲「Now And Then」も、一回聴けば充分という感じである。しかし、我々の世代は誰でも、彼らについては一定の体験を持っており、それが時として懐かしい記憶として呼び出されることになる。彼らの音楽はそのようにこれからも「伝説」として何度も繰り返され、そして一定の感動を与えていくのだろうと、改めて感じたのであった。
2023年12月31日 記