栗坪良樹著「横光利一論」にふれて
著者:栗坪良樹
古希を間近に控え、ここのところ古い友人たちと昔話に花を咲かせることが多くなっている。この年末もそんな機会があり、旧友が実家の整理をしていたところ出てきた昔の試験の採点済解答などが披露されたが、その際に彼が併せて持参したのが、中高時代の国語教師のこの著作であった。
この教師は、同級生が最近整理した中学・高校のクラスごとの名簿で、高校1年の時の私のクラスの担任であったことを思い出していたが、実際の国語の授業で何を教わったかは全く記憶に残っていない。しかし、庄司薫が「赤頭巾ちゃん気をつけて」で芥川賞を受賞(1969年7月であるので、私が高校1年の時であろう)した際の彼の授業中のコメントを聞いてこれを読んだり、あるいは高橋和己の「わが解体」について、彼が「本当に解体しているね」と言ったのを受けて高橋の作品を読み始め、そしてその作品のほとんどを読むことになった等、私のこの時代の読書体験に多くの刺激を与えてくれたことは鮮明に記憶している。その意味で、私の中学・高校時代では最も敬愛した教師の一人であった。ただ、周囲にいた他の文学青年たちとは異なり、彼の家に行ったりといった個人的な交友は全くなかったのは、当時の私の教師との一般的な距離感の故であったと思う。またその後、彼が麻布学園を去り、青山学院短大(以下「青短」)に移ったと聞いていたところ、1990年代に私がドイツから帰国後、勤務先に新入社員でいた青短卒業生の女性と、彼の話しで盛り上がったこともあったが、彼と再会することはなかった。そして時は下り、数年前に彼が逝去した際は、何人かの同級生が葬儀に参列したり、墓参りに行ったという話も耳にしていたが、私がそれに加わることはなかったのである。
改めて、彼の略歴をネットで調べて見ると以下の通りである。1940年10月、満州奉天生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、麻布学園教師を経て、青短へ。1990年〜98年、学長を務める。2021年3月、心臓病で死去。80歳。この本(1990年2月出版)の後書で、麻布から離れて10年ほどと書いているので、青短には、1980年頃に移ったということであろうが、これは小生が就職して数年が経った頃のことである。
そんなことを思いながら、この本を読み始めた訳であるが、彼が授業で横光の話をしたことは全く記憶に残っていないことから、彼が、大学の卒論から始まり、この作家にこれほどまでにこだわっていたことは今回初めて知ることになった。そして横光自体も、私は恐らくこうした中高時代の休暇中の課題図書で「旅愁」を読んだくらいで、確かにそれは面白かったが、それ以外の作品を読もうという気にならず、結局他の作品は全く知らないことから、初めて耳にする作品が多かった。文芸評論で、評されている作品を読んでいないというのは、決定的に読者資格がないということである。
しかし、それにしても、彼がこれほどまでに横光の作品に入れ込んでいたというのは驚きであった。全ての評論は、彼が参加していた「評論と構想」という同人誌に、1975年から1980年にかけて掲載されたものであるというが、上記の彼の経歴から見ると、丁度麻布学園時代の最後の時期にあたる。彼は、言わばこれを勲章に青短に移籍し、その後そこの学長まで務めたということであろう。
内容的には、横光の、初期の作品から大正13年に「新感覚派」を高らかに宣言した「文藝時代」創刊への寄稿、そしてその後の作家としての地位を確立した略すべての作品を網羅しながらの評論となっている。それは横光が、それまでの私小説における自我の強調から、新たな試みとしての登場人物の「客体化」を核とした「純粋小説」を目指し苦闘する姿を辿ったものが多いが、正直議論は難解で、あまり面白くない。作品を詳細に辿っているが、前述のとおり、そのほとんどは私が読んだことのないものばかりで、逆に唯一読んでいる「旅愁」は、時々その他の作品との関係で言及されている程度である。ただそうして論評されている中で、彼の実験的長編で未完に終わったという「上海」は、1925年の上海での民族暴動を背景にした物語で、かつて学生時代に感動した、同じ暴動の広東での状況を扱ったアンドレ・マルローの「征服者」と比較する意味でも、今後読む機会を持ちたいと感じたのであった。
著者の記述の中では、小林秀雄、平野謙といった「文藝評論家」たちによる喧々諤々という議論が紹介されているが、これはまさにこの時代、こうした「文藝評論」が大きな分野として活況を呈していたことを示している。翻って、現在の文壇を見て見ると、芥川賞選定の評者コメント等は目にするが、この時代のような、本格的な文芸評論はほとんどなく、それを商売にする大物評論家もほとんど聞かなくなっている。最近の芥川賞受賞作を含め、こうした文壇の「大衆化」が進んだ現在を象徴していると感じざるを得ない。
ということで、今はこの恩師の思い出を心に刻みながら、有り余る時間を使いながら、かつて親しんだ昭和初期の読み残した文藝作品に触れてみようかと考えているのである。
読了:2024年1月6日