アジア・ドイツ読書日誌と
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川崎通信
ガラスの城
著者:松本清張 
 正月の退屈なテレビ番組の中で、唯一観ようという気になったのが、3日(水)、4日(木)と二晩続けて民放で放送された松本清張原作のスペシャル・ドラマだった。3日は「顔」、4日は「ガラスの城」であったが、後者は、そうした放送を知らず年末に文庫本を購入し、まさに読み始めていた時に、年初会った友人から、このドラマのテレビ放送を知らされたのである。ただ放送開始時点では結局読了することができず、本は途中の状態のままこのテレビドラマを観ることになった。

 原作は1979年12月の出版ということなので、著者は現在の私に近い70歳頃、私が就職して間もない時期の作品である。この著者の小説としては晩年の作品ということであるが、都心の高層ビルに入っているある大手製鋼会社の東京支社を舞台に、その修善寺社内旅行で起こったエリート課長殺人事件を、そこに勤務する二人の女性の手記という形で綴った推理小説である。

 まずは、その二人の女性社員による手記、という形を取っているところが面白い。二人は、夫々社員の中では容貌が悪く、男に余り見向きもされず、女同士の付き合いもない孤独で暗いタイプと設定されているが、この殺人事件に強い関心を持ち、夫々が、警察による捜査とは別に、個人的にその犯罪のトリックと犯人の推理を進めていく。そしてまずはライバル関係にある二人の次長の内、殺されたエリート課長から干されていた野村に近い三上田鶴子の手記が展開され、野村のライバルである富崎への疑惑が強まることになる。しかしその田鶴子も行方不明になったことから、もう一人の的場郁子の手記に移っていくのである。私がテレビドラマを観たのは、丁度田鶴子の手記を読み終わるタイミングであった。

 テレビドラマでは、舞台は大手商社、殺された課長は「部長」ということになっており、半世紀の時間を経て、現在の実情にそぐわない部分を少し作り直している。それは、社内旅行という、私が就職したこの小説発表時点でも既にやや古臭くなっていたものを、あるプロジェクトの開催に合わせて企画されたものとしたようなところに、ディレクターの工夫が垣間見られる。しかし、話の展開は原作に概ね忠実で、それは著者の作品がいまだにこうしたドラマの素材となり得たことを物語っている。そしてテレビドラマで三上田鶴子を演じる木村佳乃の観点から展開していた場面が、彼女の失踪を経て、波瑠演じる的場郁子の視点に移っていくのも原作通りである。双方の推理で次第に明らかになっていく真実。しかも三上田鶴子の推理には、ある隠された意図があったことが明らかになっていく。それを受けた結末は、危機に晒された郁子を助けに来るのが、原作では会社の同僚であるのに対して、ドラマでは途中から彼女を監視していた若い刑事であることだけが違っていた。また原作では田鶴子も郁子も、相当醜い外見という想定になっていたが、木村佳乃も波瑠も、そうした部類ではないのはテレビドラマ故である。殺されたエリート部長の見境のない女関係、特に波瑠との借金を通じた関係は、原作でもやや無理があると感じられたが、それでも死体移送のトリックや、殺人現場の異なった土壌の混在への推理等、70歳に近い著者の衰えることのない想像力と知識に裏打ちされた作品であると言える。

 前日放送された、「顔」は、私はまだ読んでいないが、こちらはもっと古い1956年発表の短編集に収められている作品であるという。テレビドラマは、俳優は後藤久美子と武井咲のコンビで、こちらもなかなか面白かったので、機会があれば原作に接してみようと考えている。

読了:2024年1月7日 / テレビドラマ鑑賞:1月4日