アジア・ドイツ読書日誌と
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川崎通信
著者:松本清張 
 既に読了した、同じ原作者による、正月に放映された「ガラスの城」(別掲)の前日に放映されたテレビドラマの原作である。「ガラスの城」とは違って、こちらは、文庫本で僅か60ページほどの短編なので簡単に読み終わることになった。しかし、この1956年発表の作品は、読み始めるなり、テレビドラマとは設定が全く異なっていることが分かる。

 テレビドラマでは、武井咲演じる女性歌手の卵が、同棲していた女癖の悪いDV男を山林に連れ出し、崖から突き落として殺すが、その帰途、ある家族と一瞬すれ違うことになる。その事件はその後迷宮入りし、女性歌手はプロダクションに認められデビューするが、有名になることで、現場で自分の顔を覚えている可能性のある家族に正体を知られることを恐れ、顔を出さないことを条件としたことで、逆に人気が高まる。しかし女性歌手は、ある事件をきっかけに、山道ですれ違った家族の母親で、シングルマザーの弁護士である後藤久美子演じる女と偶然再会。事件発生時、警察の事情聴取を受けた女弁護士は、山林で出会った顔を、逆光であったこともあり良く覚えていないと供述していた。他方、女性歌手は、彼女が事件現場にいた自分の顔を覚えているのではないかと懸念しながらも、女性弁護士の登校拒否の娘が気にかかり、その家族との絆を深めていくが、女性弁護士は、彼女が山道で会った女とは分からないことで安心している。そんなこともあり、ついに彼女が顔を出してメディアに登場した時に、女性弁護士は、彼女が山道で出会った女であることに突然気がつく。女性歌手は、女性弁護士の供述が手掛かりとなり逮捕されるが、女性弁護士は、その女性歌手の弁護を申し出ることになるのである。

 しかしこの原作は全く違う、井野良吉というある劇団員の男の手記で始まる話であった。良吉は売れない劇団員の若い俳優であるが、北九州にある飲み屋のミヤ子という女に、妊娠を告げられ結婚を迫られている。丁度、新しい映画やテレビへの出演の話が舞い込み、つまらない飲み屋の女との結婚など考えられない良吉は、ミヤ子を山陰の温泉旅行に誘いだし、そこの山林で殺すが、その途上の汽車の中で、ミヤ子が偶然会った客の男と言葉を交わすことになる。ミヤ子の殺人事件は迷宮入りするが、良吉は、捜査過程で「ミヤ子と同行していた男を見た」と証言した石岡貞三郎という男が、自分と事件を繋げる唯一の接点として警戒することになる。

 こうして良吉は、興信所を使い石岡の住所や動向を調べるが、自分が有名になり、出演する映画が全国で上映されることになったことから、石岡を誘い出し殺すことを考えるようになる。そして考えた末、良吉は、匿名で「ミヤ子の殺人犯を見つけたので、是非顔を確認して欲しい。京都で会いたい。」という手紙を、旅費を同封し石岡に送りつけるのである。

 続いて、その手紙を受け取った石岡の手記となる。彼は、事件直後の警察の事情聴取で、汽車で目撃したミヤ子と同行していた男の顔を思い出すよう促されたが、結局それを正確には思い出せなかった。それから時間が過ぎた後に届いた突然の手紙を不審に思った彼は警察に相談するが、警察は、その手紙の差出人はミヤ子殺人犯の容疑者である可能性があるとして、二人の刑事同伴でその申し出に応じることになる。京都での待合せ時間まで余裕があったことから、三人で京都名物の昼食料理屋に入ることになるが、そこには一人で先に食事をしていた男がいた。

 以降は、良吉と石岡の手記が交互に展開される。まずは良吉。京都の店で、一人で食事をしていた彼は、入って来た3人組の男の一人が、汽車で自分の顔を見た男であることに気がつくが、男は自分に気がつかなかったことで、男は自分の顔を覚えていないと確信し、約束を反故にすることを決める。一方石岡は、約束の時間になっても手紙の主が現れず、刑事とも別れる。そうして良吉はスターへの道を歩むことになり、主演映画が全国で公開されるが、彼の出演する映画を観た石岡は、その俳優が汽車で目撃した男であることに突然気がつき警察に通報するという結末を迎えるのである。

 まず原作小説についてコメントすると、殺人犯が、自分の顔を目撃した男を、自分の夢を叶えるために、その男の個人情報を執拗に集め、そして彼の殺人計画を練る、というのがやや突飛な発想である。しかし、その男と京都の店で遭遇したにも関わらず、男が殺人犯とは気がつかなかったことから、犯行を止めるが、その後、結局男は殺人犯の正体に気がつき警察に通報することになる、という皮肉は、この話の思いがけない展開で、著者の物語作家としての工夫が示されている。こうした作品が、私の幼少時に既に発表されている、というのも驚きである。「ガラスの城」もそうであるが、今から考えると、舞台環境には古さは感じられるが、それを現代に移して再構築しようという気を起させるに十分な面白さは失われていない。

 他方、テレビドラマは、それを全く異なる二人の女性主人公を設定し、全く違う舞台に置き換えたことに、脚本家やディレクターの苦心の跡が伺われる。例えば、武井咲演じる女性歌手が、後藤久美子演じる弁護士に接近するのは、彼女を殺すためではないが、自分の殺人現場を目撃した可能性のある人物を確かめるため、という設定になっている。しかし、そうして交際している時には気がつかなかった女性弁護士が、テレビに顔を晒したとたんに女性歌手の正体に気がつき警察に通報することになる、という部分は原作の展開を踏まえたものになっている。ただ最後に、女性弁護士が、女性歌手の弁護を申し出るという結末は、原作とは全く異なり、観客に安堵感を与える趣向になっているのも、脚本家・ディレクターの配慮を感じさせる。

 ネットでは、テレビドラマについては、久し振りに芸能界に復帰した後藤久美子の「セリフ棒読み」が酷評されたりしているが、まあ面白い作品に仕上げたと言えるだろう。

 そんなことで、原作との違いを改めて認識にすると共に、あとは原作の文庫本に収録されている他の作品をゆっくり読もうと考えている。

読了:2024年1月23日

(追伸)

 ということで、その他の短編にも目を通すことになった。やはり時代を感じる場面が多いが、著者の「推理小説家」としての巧みさは、いろいろなところで感じさせられることになった。

 この小説集の表題になっている「張込み」は、殺人強盗事件の共犯者が、昔の女に執着しているという逮捕者の供述を受けて、今は平穏な暮らしをしている女の張込みを続け、最終的に彼女に会いに来た共犯者を逮捕する、という話であるが、これはあまりトリックもなく、面白くない。しかし「顔」を挟んで続く「声」では、かつての電話交換手時代に、電話の声でその相手を特定できる耳を持った女性が、偶々ある殺人事件現場に誤って電話をし、そこでの電話をとった犯人の声を覚えてしまう。事件が迷宮入りした後、結婚相手の会社同僚にその声を持つ男がいるに気がつくが、それに気づいた犯人に殺される。その遺体から発見された石炭の粉末や死体の発見場所と犯人たちの当日のアリバイ。そのアリバイ崩しが巧みに描かれることになる。

 次の「地方紙を買う女」もなかなか考えられている。都会に住む女が、地方新聞の購読を始めるが、そのきっかけになった連載小説が面白くない、といって購読を断る。それにがっかりした掲載小説の作者が、彼女を訪れ、話をする中で、女の新聞購読が現地で起こった心中事件の記事を確認することであったことに気がつく。彼は、それに気がついた女が同じ毒殺という手を使って彼を「心中事件」として殺すことを阻止するのである。これは面白いトリックである。「鬼畜」は、情婦に置き去りにされた子供を、男の奥さんが、男に捨てさせたり殺させたりする話しであるが、やや現実感がない。ただ次の「1年半待て」は、ヒモ同然の暴力男を偶々不可抗力で殺した女を弁護した女性評論家が、彼女の下を訪れた男から、その女の夫殺しが、情状酌量を期待した計画的犯罪であったことを知らされる。その男は、結局女に言われた「執行猶予が終わる1年半待て」という言葉を信じて待っていたが、結局女に捨てられた、というオチである。「投影」は、東京の大手新聞を喧嘩退職した男記者が、瀬戸内海を望む田舎町の地元新聞で、街のボスによる土地買収とそれに絡む地方公務員殺人事件を追いかける話であるが、この真相探しはあまり面白くない。そして最後の「カルネアデスの舟板」。ギリシャ神話で、自分を助けるために板にしがみ付いている他人を溺れさせるのは悪ではない、という例えをモティーフに、自分が公職追放から救った恩師の大学歴史学教授が、自分の脅威になるということで、愛人を使いスキャンダルで失脚させるが、結局は自分も愛人を殺し破滅するという皮肉である。これもなかなかよく考えられた展開の短編であった。

 こうして見ると、確かに「顔」も大きくデフォルメされていたが、ここに収められている他の短編でも、半世紀以上経過しているとはいえ、現代風のドラマに仕立てられそうな素材は溢れている。その辺りが、この作家の作品が依然テレビドラマや映画で取り上げられる理由なのであろう。まだまだ読んでいない彼の作品は残っている。

読了:2024年2月7日