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川崎通信
横光利一「上海」を読む
著者:横光 利一 
 今年初めに読んだ中高時代の恩師による「横光利一論」(別掲)で論じられており、関心を持ったこの小説を図書館から借りて読了した。その恩師の著作では、「横光が、(新感覚派の旗手として)それまでの私小説における自我の強調から、新たな試みとしての登場人物の「客体化」を核とした「純粋小説」を目指し苦闘する姿を辿ったもの」の典型的な作品として、結構長々と論じられていた。ただその評にも書いた通り、恩師の議論は正直難解で、あまり面白くなかったものの、この作品自体は、私が横光の作品としては唯一読んでいる「旅愁」とは雰囲気が異なっていることから、是非読みたいと思っていたものである。恩師の論評では、「彼の実験的長編で未完に終わった」というこの作品は、1925年の上海での民族暴動を背景にした物語で、かつて学生時代に感動した、同じ1925年の広東暴動を扱ったアンドレ・マルローの「征服者」と比較する意味でも、今後読む機会を持ちたいと感じていたのである。原作の発表は昭和7年(1932年)であるが、この文庫版は著者によると昭和10年に改稿したものであるという。また恩師の論考によると、著者はこの暴動の3年後の1928年に出版社の支援で上海を訪れるが、出版社は当初横光にルポの執筆を要請したのに対し、彼はあくまで小説でこの時の取材を表現するとして、この作品が出来上がったようである。

 しかし読み始めると、やや雰囲気がおかしい。いきなり河のほとりを歩く主人公の一人参木が、そこにたむろするロシア人娼婦と交わす会話で始まる。参木は、上海にある邦銀の事務員で、上司の不正の片棒を担がされているが、ほとんど人生にうんざりしていて死ぬことばかりを考えている。ただ彼の学友で、その妹競子に恋したことのある材木商甲谷が、長期出張でシンガポールから上海に来て再会してからは少し元気になっている。そして二人は、トルコ風呂で落ち合うが、参木は、そこの「湯浴人」であるお杉を気に入っており、また甲谷は支配人お柳にマッサージをさせている。その後二人はその後ダンスホールに向かうが、そこでは甲谷が結婚したいと考える踊り子である宮子が、西洋人の崇拝者たちに囲まれている。それが当時の上海にいる日本人の生態だったということだろうが、中高の恩師が難解な議論を繰り広げたこの小説の始まりとしては「一体何だ」という感じである。そこで彼らが出会う「アジア主義者で建築士」の山口は、「浮浪者などの死体を売買すると、その利益で妾が7-8人囲える」等と嘯き、そうした女の一人で亡命ロシア貴族の娘オルガを参木に押し付けようとしている。またそこで踊っている女の中に芳秋蘭という典雅な中国女がいて、参木の眼を惹いているが、彼女は、甲谷の兄高重が経営する縫製工場に紛れ込んでいる共産党のオルグであるという。こうして主要な登場人物が出揃ったところで、話が展開していくことになる。

 お柳にトルコ風呂での仕事の馘を斬られたお杉と、同様に銀行役員の不正を明らかにしてそこを馘になった参木の接近。しかし彼は同時に山口から押し付けられたオルガの肉迫も防御しなければいけない。同じ頃、結婚しシンガポールへ帰ろうと宮子を口説く甲谷だが、宮子は落ちない。そして、ようやくそうした恋愛関係の話から、緊迫する街の様子に移っていく。それはまず高重の経営する工場での混乱から始まる。参木は、銀行を馘になった後、彼の経営する綿糸会社で勤務しているが、その工場に暴徒が侵入し、破壊工作を試みるのである。そしてその混乱の中、参木は、工場の共産党オルグの従業員ではあるが、その暴徒の襲撃とは関係のなかった芳秋蘭を混乱から救い、彼女の革命論やブルジョア批判に反論しながらも、彼女との距離が近まることになるのである。一方甲谷は、トルコ風呂でお竜の夫である中国人の実業家銭石山と、アジアでの列強の対立やそこでの日本や中国の役割について立ち入った議論をしたりしている。そして高重の工場では暴徒の侵入以降操業は止まり、それはゼネスト(罷業)として上海の外資系工場全体への広がりを見せ、共産党派と反共派の対立が激しくなっている。そしてアジア主義者山口は、同志であるインド人宝石商アムリと、中国、インドなどを巡る西欧列強との対決について意見を戦わせている。そんな中、高重の工場で、中国人工夫の一人が銃弾に撃たれて死亡すると、ゼネスト派の怒りが一層高まっている。しかし、群衆の怒りは、次第に日本人に対するよりも英国官憲に対するものに変わっていく様子も描かれる。そうした市街戦の混乱の中に中国服で変装し出た参木は、そこで再び芳秋蘭と遭遇し、今回は彼女に救われ、二人は感情の交換をするが、結局別れ別れとなる。しかしその後も続く官憲と暴徒の戦いの中に、参木は芳秋蘭を探している自分に気がつくのである。また甲谷は、混乱の中、宮子に一緒にシンガポールに逃げようと口説くが、宮子は応じず、むしろ彼女は参木に気持ちが向いていることを告白している。しかし、参木はそれには応じず、相変わらず市街戦の混乱の中に芳秋蘭の姿を探すのである。

 ゼネストの影響は益々深刻になり、通りには人がいなくなり、そこを走り回る暴徒の爆弾を乗せたトラックを義勇隊が追いかけまわしている。日本街も頻繁に暴徒に襲われ、食料品の不足も深刻になってきている。そんな中、参木や甲谷は、食料を求めて街を彷徨い、山口の家では、相変わらず暴動で出た死体を処理して売る様子を目撃している。甲谷は山口からオルガを紹介され、オルガは参木への想いを漏らしながらも、甲谷に自分と家族のロシア革命からの脱出行の話を語りながら失神している。その頃、参木は、お杉が落ちて行った安い売春宿で彼女と再会、お杉が参木への想いに浸るところで、この小説が終わるのである。

 1925年の上海に蠢く日本人のみならず、中国人、欧米人たちの生態を描くと共に、彼らを突然襲った暴動―革命の様子が克明に描かれている。冒頭のトルコ風呂での男女関係から、「いったい何だ」と思った当初の感覚は、その後の暴動―革命の描写と共に薄れ、その中で夫々がどのような思いを感じ行動していくのか、という著者の筆力に引き込まれてしまう。登場人物の心境や行動を、暴動―革命という社会情勢と共に描くそうした著者の手法は、恐らくこれが発表された時期の日本では、相当画期的であったのではないかと想像される。ただ中高の恩師の、この小説についての論考は、それを新感覚派の文学理論の中に位置付けていた。その恩師の論考は既に手元にはないことから、それを現在思い出すことはできないが、少なくとも読んでいて面白い、そしてある意味平和慣れした現在の日本では生まれることはない作品であることを痛感する。確かに、参木とお杉の再会で終わる最後は中途半端で、恐らくそれが、この小説が「未完」であると見做されている理由なのであろう。他方、著者が、これをもっと書き続けたかったかどうかは、昭和7年に書かれた著者の「序」文を読んでも出てこない。そこでは、この小説執筆の動機として「優れた芸術作品を書きたいと思ったというよりも、むしろ自分の住む惨めな東洋を一度知ってみたいと思う子供っぽい気持ちからであった」、そして「知識人の中でもあまり関心を持たれていないこの五三十事件の性質を知ってもらいたかった」と記している。日本が大陸への軍事進出を進める中で発生したこうした事件を描こうとした著者の意欲は、今から考えても素晴らしい。そしてそれは既にその時代、日本の文壇ではそれなりの勢力になっていたと思われる「プロレタリア文学」とは一線を画した冷静な視点から描かれていることも特筆されるだろう。

 そして最後に、同じ事件の広東での様子を描いたマルローの小説との比較であるが、既に読んでから半世紀近くが経過しているマルローの小説の細部はほとんど記憶に残っていない。ただ朧げな記憶では、そこで描かれているのは革命の大情況とそれに参加した人々の姿が中心で、横光が描いたような「一般の人々」の姿はほとんどなかったように思う。その意味でも、マルローの「当事者の視点」からの叙述と横光の「より客観的視点」からの描写は対照的なのではないだろうか?そんなことを考えながら、このマルローの小説ももう一回読んでみても良いかな、と考えているのである。

読了:2024年2月25日