第170回芥川賞受賞作「東京都同情塔」
著者:九段 理江
第170回芥川賞受賞作。著者は1990年埼玉県生まれで、2021年「悪い音楽」という作品で文学界新人書を受賞しデビュー、今回本作で芥川賞受賞となったとのことである。東京オリンピックのため千駄ヶ谷に建設された新国立競技場近くに建設されるという、最新の設備を備えた高層の受刑者収容施設(監獄)を巡る、主人公の女性建築士を中心にした人々の各種の思惑を、AIによる言語化といった話題も絡めながら描いている作品である。
特段話に大きな展開がある訳ではない。主人公の建築士牧名沙羅は30代後半のアメリカ帰りで、独立した後、千駄ヶ谷に建設予定の新たな高層の監獄ビルのコンペのためのデザイン作成に集中している。その過程で偶々知り合った10代の美貌の少年拓人を従えながら、建築予定地の近くのホテルに籠り、建設物のデザインを考えているが、その名称について拓人が口走った「東京都同情塔」という名前が気に入っている。
その沙羅が「同情塔」の着想を得ている作家で「ホモ・ミゼラビリス」の著者マサキ・セトによる犯罪者保護の議論とそれに対する世間の非難。沙羅を傍で眺めている「年下の愛人」拓人の純真な視点。そして彼女を取材する米国人記者のマックス・クラインの皮肉に満ちた手記等々。そして沙羅が受託した「バベルの塔」ならぬ、「東京都同情塔」は完成し、拓人はそこの警備員となり、収容されている受刑者の管理や、塔への反対派による破壊脅迫などにも対応することになり、沙羅はそれを受託し完成させた自分にある種の悔恨を感じるところで、この作品は終わることになるのである。
作者の言葉に対する感覚は独特で、夫々の視点に、AIによる文章表現と人間のそれとの比較なども挿入されていることが、受賞に際しての評者のコメント等で評価されているようである。しかし、小説としては、冒頭に述べた通り特段の展開もなく、単なる感情表現を中心にした「言葉遊び」になっている様子もあり、正直さして読んでいて面白いと感じることはできなかった。AIによる文章表現の問題も、「別にAIが、読んでいて面白い作品を作れるのであればそれで良いじゃない」程度にしか思っていない私からすると、敢えてそれに拘る意味は余りない。そんなことで、ある意味で「現代」を表現したことは評価されているようであるが、逆に現在の日本の陥っている閉塞感を示すことになったのではないか、という思いは消えることがない。もちろん日本が現在のウクライナやパレスチナのような環境になることを望んでいる訳ではないし、また台湾海峡等を巡る中国との、あるいは朝鮮半島での緊張が顕在化することを期待するものではない。しかし、やはり私が読んで面白いと感じる小説は、大きな社会変動を背景とし、それに翻弄されながらも、そこで果敢に蠢く人々を描いたものであることを改めて痛感することになったのである。
読了:2024年3月9日