アンドレ・マルロー「征服者」を読む
著者:アンドレ・マルロー
先日読んだ横光利一の「上海」が、1925年の上海での暴動を描いていたが、そこで同じ時期に発生した広州での反英暴動を描いた作品ということで比較されていたこともあり、学生時代に読んだこの小説を約半世紀ぶりに図書館で見つけ再読することになった。こちらの原著の出版は1928年。また今回読んだ邦訳文庫の初版は1952年。マルローの出生年については1898年とか1901年とか諸説あるようであるが、いずれにしろ彼の20代後半の時期の作品で、その前に発表された「王道」等と共に、こうした若い時期にアジアに飛び込み、そこでの体験を作品に昇華させるという、この作家の早熟さと文筆力は、かつて学生時代に驚かされたものであるが、今回改めてそれを再確認することになった。
横光の小説が、この暴動(以下、「革命」と表現する)の上海での様子を、そこでの日本人や中国人、ロシア人男女などの交情関係を含め、客観的な視点で淡々と描いたのに対し、こちらはまさにこの革命に参加した男の一人称で語られることになる。その語り部の男は、広東での革命に、ロシア・ボルシェビキの支援も受けた、ゼネストを繰り広げる共産主義の反英革命軍の立場で参加しているようで、他方蒋介石の国民党軍とも連携しているようである。それに対し英国軍や、個別の思惑で動く軍閥系の軍隊も反攻し、激しい戦闘が繰り広げられることになる。主人公は、シンガポールやサイゴンにも滞在し、そうした地域でのこうした革命運動の影響なども描写しているが、それらは、まさに辛亥革命以前から、孫文の運動を支援していたシンガポールの華人系の話など、私もその地に滞在していた時期に身近に知ることになったものである。それに革命軍に参加しているドイツ人(彼は反革命軍に惨殺される)やソ連から送り込まれたボルシェヴィキの男(このボロディンというのは実在の人物であるという)、あるいは中国人テロリスト・グループ、軍閥の中国人将軍等が入り乱れ、謀略と裏切りに満ちたこの革命の推移が綴られる。そして後半の舞台は、広東とそれに臨む英国の拠点香港を巡るこうした勢力の攻防が詳細に描かれ、そして最後はその革命軍の総帥であったガリンという、親はスイス人、フランスで育ったという男が傷つき引退していくのを主人公が見送るところで終わることになる。
正直、読んでいて非常に分かり難い。こうした1920年代の中国や東南アジアについての知識が蓄積した現在読んでもこれだけ難儀する小説を、かつて学生時代にどこまで理解して読んでいただろうかという疑問を抱くくらいである。各種勢力の入り乱れた関係や、彼らが語るニュアンスに満ちた情勢分析や世界観、人生観等々も、とても20代後半の若者が書いたとは思えない。しかし、その頃の私が、少なくともこうした激動の時代に、ある種の理想を求めて自分を賭けていく、というここでの登場人物の想いに共感を抱いたことは間違いないだろう。これに先立つ「王道」でのカンボジア遺跡探検や、この後に発表される「希望」でのスペイン内乱の話を含め、まだ知らない世界への渇望が大いに刺激された記憶は、半世紀近く経った今でもありありと覚えている。そうした私自身の青春期の想いは、その後の欧州や東南アジアでの滞在でそれなりに満たされることになったが、それは、ここでマルローが描いた冒険としてではなく、能天気な観光という形であった。しかし、そうした世界は、現在でもウクライナやガザで展開されているのである。
文末の訳者である小松清氏の解説によると、マルローは、1925年から27年にかけて、この「広東革命」に、「革命政府の宣伝部員」として関与した(但し、その「十二人員会」という幹部の一人であった、という説もあるが、これは確認されていないという)他、この「武装蜂起の白兵戦にも参加した」ということである。そうした事実を踏まえると、繰返しになるが、同じ素材を扱った横光の小説があくまで「傍観者」の視点から書かれているのに対し、こちらはまさに当事者の視点で書かれた、そしてその点で迫力が全く異なるのである。マルローという、晩年はフランス政府で文化大臣等、政治家としても活躍するこの小説家の若き時代の大変な労作である。
読了:2024年3月24日