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川崎通信
殺人にうってつけの日
著者:B.フリーマントル 
 この作家の小説は、記録によると、1998年から1999年にかけて、「報復」と「流出」という2冊の文庫本を読んでいる。ネットでの解説によると、双方とも彼の小説の中心であるチャーリー・マフィン・シリーズで、「報復」では彼が中国を舞台に、そこでの二重スパイを巡る罠に対抗する話、「流出」は、彼がソ連崩壊後のロシアで、核物質・兵器のマフィアによる流出を阻止しようとする話のようであるが、今直ちにその時の読後感を見ることができないこともあり、その感想は思い出すことができない。ただ内容的には私が好んで読んできたもののようである。その後彼の小説から離れてしまった理由は分からないが、今回この小説を読んで、また彼の世界に戻っても良いなと感じるくらい面白く読めた作品であった。彼は、1936年英国サウザンプトン生まれで、いまだ存命(ということは現在90歳前ということであろう)デイリーメイル等の海外特派員を経た後作家に転じ、その後多くの作品を発表しているが、本作は2006年の出版、原題は「Time To Kill」である。

 話は、ジャック・メイソンという男が、20年の判決を受け収容されていた監獄から、模範囚として5年の刑期短縮を受けて出獄するところから始まる。彼は元CIAのスパイでソ連に侵入し活動していたが、そこで女と金からソ連のスパイに寝返ることになる。その彼をKGB側で繰っていたのがドミートリイ・ソーベリという米国駐在大使館付きのロシア人スパイであるが、彼はメイソンの妻アンと恋愛関係になり、メイソンのDVも受けていた彼女と一緒になるために米国に亡命すると共に、ソ連のスパイであったメイソンの正体を米国当局に暴露、その結果メイソンは捕らえられ20年の刑を宣告されたのである。メイソンは、自分を告発し、妻のアンを奪ったソーベリ、そして自分を裏切ったアンへの復習の念を抱えながら、15年の刑期の間、身体を鍛え、コンピュータの知識などを学ながらその機会を待っていたのである。他方、ソーベリは、亡命後、名前をダニエル・スレイターと替え、重要事件の告発者を守るための「証人保護プログラム」の適用を受けて、ティーンエイジャーである息子デイビッドとアンの3人で平穏な生活を送っている。しかし、当局から、彼が告発し収監されたメイソンが釈放されるという通知を受け取ったことから彼らの生活は急変する。そして物語は、ソーベリとアンへの復讐のための完全殺人を企てるメイソンと、その危険を感じながらも、メイソンが自分たちを見つけられることはないという気持ちも抱くソーベリたちとの駆け引きを中心に展開されていくのである。

 メイソンは、「ジェームス・ボンドは自分がモデル」と自称するような女たらしで、頭脳・身体能力抜群という設定。模範囚としての彼の刑期短縮を阻止しようとした看守長の企みに乗らず、逆に彼を告発したり、また実際にはアリバイ作りであるが、職探しを理由に訪れたカリフォルニアで、釈放後の現地保護観察官である女性をたらしこんだりしながらソーベリとアンたちの綿密な殺人計画を練る。他方、アンは、下見に彼女の自宅を訪れたメイソンが防犯カメラに映っていたように感じたことから、ソーベリに身辺を固めるよう促すが、ソーベリは、それは思い込みだとして取り合わない。そんな中、メイソンの最初の復讐としてバスケット選手としても前途洋々であったデイビッドが、交通事故を装って殺される。それが偶然な事故なのか、メイソンによるものかについて、ソーベリとアンとの間で意見が分かれる中、メイソンの最後の復讐計画である二人の殺害計画が進む。そして、ソーベリとアンが毎日訪れているデイビッドの墓が、その殺人の実行現場となるのである。

 CIAを裏切って刑に服した元スパイが、釈放後自分を告発し、尚且つ自分の妻を奪ったこれまた元スパイとその妻に対し綿密な復讐計画を練っていく様子、そして他方では男の釈放の知らせを受けながら、自分たちの居所は判明しないだろうと思いながらも、次第に不安に襲われ、特に息子の死亡後は身辺の警護を固める夫婦の様子、そしてそれに関わるCIAやFBI関係者の動きなどが緊張感に満ちて描かれ、「どのような結末を迎えるのだろうか?」と想像しながらいっきに読み進めることができる。またアメリカの刑務所の様子や刑期終了後の保護観察制度、あるいは銃の管理制度等も詳細に描かれているところなども面白い。メイソンがアリバイ作りで誑し込んだカリフォルニアの保護観察官が、実はニューヨークの同じ担当官の女とレズ関係にあり、それがメイソンの最後に影響したという逸話にも笑ってしまう。著者が、現在の私と同じ70歳頃の発表であるが、この年齢でもこうした作品を執筆できるというというのは羨ましい限りである。また読んでいる時には、アメリカが舞台で、その地理や上記のような各種司法・社会制度も詳細に描かれていることから、著者はアメリカ人かと思ったくらいである。しばらく読んでいなかった彼の作品であるが、これを機会にまた時折眺めていこうという気にさせられ、早速次の作品を調達してしまったのであった。こうした分野での英国作家の力量を改めて痛感することになったのであった。

読了:2024年5月15日