アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
川崎通信
報復(上/下)
著者:B.フリーマントル 
(上巻)

 チャーリー・マフィン・シリーズの第10作で、原作は1993年の発表。本来は、シリーズの発表順に従って読んでいきたいのだが、先に仕入れてしまったことから、これを読むことになった。冷戦が終了し、ソ連は崩壊しているが、そこで干されたチャーリーは、情報部の新しい部長・次長から、若い情報部員の教育係という、彼としては不本意な仕事を押し付けられている。ぶつぶつ言いつつ、その情報員ガウアーに彼の経験を伝授する過程で、それまでの経緯が回想される。並行して、ソ連崩壊後の新生ロシアの情報部長についているナターリヤの組織内での戦い。彼女は、チャーリーとの間に生まれたサーシャという女児を育てながら、彼との再会を模索している。そしてもう一つ、中国駐在の英国情報員で、イエズス会伝道師を装うスノウの動き。これは、天安門事件以降の中国での情報活動で、スノウは、かつての文化大革命で拘束され拷問された経験を持つロバートソン神父と共に教会を維持しながら英語教師をしている。教会は二人が祈るためだけの場所で、布教活動は認められておらず、ロバートソン神父は、過去の経験から、中国政府の疑念をもたらす行動にはたいへん慎重である。それに対し、若いスノウは、情報部員としての成果を求めており、現地で合流した中国人随行員リーの同伴を受け、中国の各地を巡る「観光旅行」に出るが、そこでスノウが撮影した写真を巡り、帰宅後リーからそれを見せるよう要求されることになる。在北京の英国大使館も、その動きを懸念して、スノウを早急に帰国させる動きを取るがスノウは「全く懸念はない」と、その指示に従わない。彼を説得すべく、チャーリーに教育されたガウアーが北京に送り込まれるところで、この上巻が終わる。

 冷戦後の英国情報部の新しい指導部の動きと彼らに対するチャーリーの対応や、それに並行した新生ロシア情報部内でのナターリアの動き。彼女がチャーリーとの間でできた子供を育てているというのは、この前のシリーズで取り上げられているのだろう。しかし、この巻での最大の関心は、天安門以降の中国での情報活動についての描写であろう。現在は、スパイ防止法強化により益々統制が厳しくなっているこの国での情報活動の難しさが、それを懸念して慎重に振る舞う在北京英国大使館と、前線の情報員の対立を通じて描かれており、既にこの時でも既に同じような状況であったことが分かる。自転車が溢れる北京や上海を始めとする中国諸都市の様子は、流石に時代を感じさせるものはあるが、この国での情報活動の厳しさは全く変わっていない。それを下巻でどのように展開させていくか、興味は尽きない。

(下巻)                    

 ということで下巻である。北京に送り込まれたガウアーは、スノウとコンタクトするために慎重に北京市内の調査を行うが、あっという間に中国側に拘束され、拷問に近い査問を受けることになる。チャーリーの教えを思い出しながら必死にそれに耐えるガウアー。他方、大使館そして英国情報部の部長・次長も、ガウアーの失踪を知り、中国側に調査や抗議を申し入れるが、一向に埒が明かない。そうした中、チャーリーに、事態収束のため、北京に向かうよう指示が出される。現場に戻れる期待と共に、彼はそこにきな臭いものを感じている。他方、ロシアにいるナターリアは、彼女の息子の犯罪を利用して彼女を失脚させようという組織内のライバルからの試みを巧みに逆転させ勝ち残り、チャーリーへの娘の存在を知らせる術を模索することになる。

 こうして北京に入ったチャーリーは、スノウの中国から脱出について準備を進める。スノウを無事脱出させることが、拘束されているガウアーの釈放に繋がるという戦略である。しかし、チャーリーの考え抜いた脱出トリックにも関わらず、スノウは最後の瞬間に中国側の一団に襲われ、スノウは列車に轢かれて死ぬことになる。

 ということで、スノウの中国脱出には失敗するが、チャーリーは綿密に練った計画が何故失敗したのかに疑念を抱く。そして自らも人知れず中国から出国するが、そこである閃きがあり香港の情報部通信傍受センターで、ロンドンと北京の過去の交信を調べるが、そこである確信を抱くことになる。そして帰国後、かねて情報源として付き合ってきた新部長と次長の秘書に、全体のトリックを説明することになる。それは、ロンドンの本部が中国での情報活動で信頼して使っていたのは実はスノウではなく、ロバートソン神父であったが、彼は中国の二重スパイであった。そしてそれに気がつかなかった本部は、スノウやガウアー、そしてチャーリーを「捨て駒」として使っていたという真相であった。そしてチャーリーと付き合っていた秘書自身も部長・次長の意向を受け彼に接近していたのである。それに気がついたチャーリーは、その部長・次長、そして秘書に「報復」することになる。そのために彼が使ったのは、ナターリアからもたらされた部長・次長の密会写真であったが、そこには娘のサーシャの写真も同封されていた。チャーリーとナターリアの関係のその後を示唆して、この小説が終わることになる。

 ソ連崩壊後、中国が情報活動の主戦場となり、またそこでは「天安門事件」以降の中国当局の厳しいスパイ対応が描かれることになる。それを背景にした、登場人物夫々の思惑、そしてそれらの裏をかき自らは生き残りながら、関係者に「報復」してゆく様子は痛快である。シリーズ第3作から第9作が反映されていることから、本来はそれらを、順を追って読んでいくべきところであるが、それでも面白く読了したのであった。そしてその間の作品は、これからゆっくりフォローしていくつもりである。

読了:2024年8月4日(上)/ 8月9日(下)