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川崎通信
映像の世紀 毛沢東 革命と独裁
2024年12月2日 
 2024年12月2日、NHKで放送されたテレビ「映像の世紀 バタフライエフェクト 毛沢東」を面白く観た。

 2024年8月、米国カリフォルニアで一件の訴訟が提起される。李鋭という、かつて毛沢東の側近を務めた元中国共産党幹部の日記の所有権を巡るもので、現所有者のスタンフォード大学に対して、李鋭の未亡人が自分に返還するよう主張したもので、背後には中国共産党の影が見えるものであるという。その日記には、毛沢東が革命の英雄から独裁者に転じていく様子がありありと描かれているということである。そして、そこには毛の生誕130年、あるいは死後50年を経て、習近平政権のもとで再び彼を評価しようという動きがあるというコメントと共に、毛沢東時代の数々の映像が映されることになるのである。

 毛沢東の生涯自体は、良く知られている通りである。1920年代の上海で知識人により結成された共産党に参加。田舎者であったが、国共内戦下の長征を経て、その文才もあり指導権を確立し、日本軍の敗北後の再度の国民党に対する内戦を農民からの絶大なる支持を基盤に勝ち抜き1949年の中華人民共和国建設に至る。しかし、独立の英雄は、直ぐに「百花斉放百家争鳴百花」の混乱を契機に独裁の道に転じ、反右派闘争、更には大躍進とその失敗、そして最後は文化大革命を経て、個人独裁を完成し、1976年に82歳で逝去するまで共産中国に君臨することになる。そうした歴史を語る映像の数々には、過去に何度も観たものもあるが、今回初めてのものも散見された。ここではそうした貴重な映像で印象的だったものを中心に記しておきたい。

 まずは1934年から36年にかけての長征の映像―これは過去にも見た記憶があるーと、延安で毛沢東を取材したE.スノーによる彼の写真などが印象的である。スノーの「中国の赤い星」は私も学生時代に読んだ記憶があるが、そこでの若き毛沢東の写真は全く記憶していない。そして延安での態勢再建と1945年日本軍降伏後の国共内戦の映像。ただここでは先日モンゴル関係本で強調されていた、共産党による内モンゴル地域での罌粟栽培による経済基盤の確立や、彼らが敗戦前の日本軍との戦闘を避け戦力を維持した様子などはコメントされていない。また1949年、内戦を勝ち抜いた解放軍の北京入場のカラー映像は初めて見たが、これはソ連の協力により、多くの人々と資金を投入し事後的に制作されたものであったというのには笑ってしまう。

 1959年に風光明媚な廬山(ろざん)で開催された党会議の映像。そこで大躍進政策を批判した側近で国防部長の彭徳懐に対して、毛は彼を「右翼日和見主義」として反論し、毛を恐れる他の参加者も同調したため、8月に彭徳懐は国防部長の地位を解任され、毛の独裁が強化される。またそこで毛の尻馬に乗った林彪がNo2として頭角を現すが、1969年からの文化大革命の中で彼も失脚し、1971年航空機事故で謎の死を遂げることになる。毛沢東語録は、林彪が編纂し出版したものであることは今回初めて知った。またこの文革の、欧米日本などへの影響についての映像も懐かしいものであったが、坂本龍一のデビューアルバムで、毛の詩が使われているというのも初耳であった。

 1973年の党大会で動けなくなった晩年の毛沢東の映像も今回初めて見たものであったが、こうした彼の晩年の映像は、恐らく様々な場面で眼にしていたものという感じで、その意味では後半は現代史の復習であった。そして番組の最後は、冒頭で紹介された李鋭の死去直前、101歳での米国メディアによるインタビュー映像。彼もケ小平等と同様、昇進と失脚、そしてまた復活という数奇な人生を辿ったようであるが、彼の残した文書は彼の死後全て政府により持ち去られ、そして残されたものも今回のカリフォルニアでの訴訟となったということが示唆され番組が終わる。この訴訟のその後については触れられていない。

 こうして改めて毛沢東関係の映像を見ながらその時代を振り返ってみると、やはりこの時期、中国のみならず東アジアは激動していたことを痛感する。毛沢東が死んだ1979年は、私が社会人になって二年目。その意味で、私は物心がついてから、多感な学生時代を経て、それなりの自我を確立する時期、この毛沢東の中国の影響を、様々な形で受けながら生きていたということである(そして私と略同じ年齢の習近平も、まさにこの時代を生き抜いてきたということである)。当時、こうした映像に断片的にふれていたことは間違いないが、半世紀以上過ぎた現在、これを観ることで、改めて自分のその時代も回想することになったのである。そして毛崇拝が復活しつつあるという現在、平和な半世紀を過ごしてきた私にとっても、再びこの地域を巡る変動が近づいていることも感じさせる、なかなか考えさせるところの多い番組となったのであった。

2024年12月4日 記